12.gloria 06
控え目なノックの音が、今は亡き人を架け橋として繋がった二人の居る室に響く。
「陛下、ミュラーでございます。お連れしました」
そう言って開かれた扉は、お世辞にも控え目や静かとは言い難い騒々しさを伴っていた。シュトライトなどは、何事かと腰のブラスタに手をやるほどである。
軽い足音はまっしぐらに、迎えるように立ちあがった
に飛びついた。
「おかあさま!」
それはまだ幼い子供だった。
の身体に隠れて、その小さな顔はよく見えない。
だが、ラインハルトは息が止まりそうな思いがした。
彼は常よりも随分と機敏を欠いた動作で、ソファから立ち上がった。
肩ほどまで伸ばされた赤みがかった金のピンクブロンドが、子供が飛び跳ねる度に揺れる。
「おかあさま、まだお仕事おわらないの? リア早くいっしょにご飯食べたい!」
「もう少し待って、リア。その前に、挨拶なさって。このお方は銀河帝国の皇帝であらせられる、ラインハルト・フォン・ローエングラム陛下なのですよ」
「皇帝陛下?」
「誰よりも貴い方です。さあ」
我儘をなだめて子供の背を押しだす
の顔は、母親の表情をしていた。その子供が愛しい愛しいと、叫ぶような表情。
幼子がこちらを振り返る。
(ああ…)
その眼差しの色に、ラインハルトは失った友を見つけた。
「はじめまして、皇帝陛下。わたしはグローリア・フォン・
と申します。お会いできて光栄です」
小さな淑女はスカートの裾を摘みあげ、可愛らしく頭を下げた。
グローリアは顔を上げると、じっとラインハルトを見つめている。
「よく挨拶ができましたね。リア」
頭を柔らかく撫でる
の声に、ラインハルトは自失から立ち直る。
「ああ、小さなフロイライン。私はラインハルト・フォン・ローエングラム。こちらこそ、お会いできて光栄だ」
そうして取り繕うような挨拶を返すと同時に、至尊の冠を頂いた若き青年は、亜麻色の髪の女性に問うような視線を送った。
「わたくしの娘です。今年の五月に三歳を数えました」
三歳。三年前。友がヴァルハラへ旅立ったのは、その一年前の九月。
「もしや…」
はそれ以上言うなとばかりに困ったように微笑みを返した。
「正直に申し上げれば、わたくしは最愛の人を亡くしたあの日、恐れ多くも陛下をお怨み申し上げました。彼が陛下を庇われてヴァルハラへ旅立ったと聞いた時、悲しくて悲しくて…けれど同時に、嫉妬する心もまたありました。なぜ私との未来を選んではくれなかったのかと。けれど…」
母を見上げる青い瞳に応えるよう眼を細めた
は、亜麻色と赤の入り混じった色合いの髪を優しい手つきで撫ぜた。
「愛しいからこそ、暗い気持ちが胸に育つこともあります。けれど愛しいからこそ、彼の想いを受け止めたいとも思うのです。彼が陛下をお守りしたいと思ったその心を、愛しい相手の心だからこそ私は否定することなどできません。だから陛下への恨みも今は全くないのです。そのようなことばかり考えていても、子供を育てることはできないのですから」
グローリアは懐かしい青色を宿した瞳に金色を映して、無邪気に問いかけてくる。
「おかあさまが、おとうさまと陛下はお友達だって、いつもおっしゃるの。陛下は、おとうさまのこと、知っていますか?」
帝国の至高の座に就いた者だけが戴く冠だって、彼をこのように満たすことはなかった。これほどに、胸がうち震える想いを抱かせることはなかった。
「…ああ、知っているさ。沢山。…子供のころから、一緒であったから…」
溢れだす遠い記憶。名を呼び、共に駆けた日々。
ラインハルトは昔よくそうしたよう幼子の前髪に戯れるよう触れ、空と海を混ぜた瞳を覗き込む。
(お前の色だ、キルヒアイス)
失ったはずの色を、ラインハルトはいま再び手に入れていた。
「知っているか、お前の父を俺がキルヒアイスと呼んでいたこと」
「キルヒアイス? おじい様といっしょね!」
その色は決して友と同じではなかった。だが、髪には赤を瞳には青の、いつかの面影を宿した色だった。
巡る色彩。想い。失った命。けれど生まれてくる、またそれも命。
「グローリア、お前の父の話を、沢山しよう」
抱き上げた身体はひどく暖かい。
『ラインハルト様』
あの日の心。失った友への思い。
ラインハルトは、彼方から聞こえる声に耳を澄まし、その声を伝えようとするようにあの日の言葉をなぞった。
「宇宙を手に入れるまでの話だ」
血に塗れた親友の末期の姿ではなく、いまだ輝かしき未来への道行きを二人が共にしていた頃のキルヒアイスが脳裏に浮かぶ。
お前の父は、たったひとり、あのジークフリード・キルヒアイスなのだと伝えたい。
『宇宙を手にお入れください』
幼子の瞳が、彼の金色のたてがみを映して輝きを宿した。
これからの、何色にも変わる、この光。
果てない時へ続いていく、光。