09.shady mist



 ガイエスブルグ要塞において、唐突に亡き赤毛の青年の恋人を調べよという命令を下された首席副官のシュトライト少将は、若き権力者の意図をはかりかねつつも、諾と答える以外なかった。
(ジークフリード・キルヒアイスか…)
 一度は誘いを固辞したものの、諸般の事情でローエングラム陣営へと移ってから日の浅いシュトライトは、生前の故ジークフリード・キルヒアイスと直接言葉を交わしたことはなかった。派手な戦功と華美な外見によって注目を集めるラインハルトの陰に隠れていたが、キルヒアイスもまた有能な人物であることは知っていたし、長身で赤毛の青年が穏やかな好人物だったこともシュトライトは伝え聞いている。
 今は彼の主となっている金髪の獅子とその腹心は、軍や貴族に近い場所にいる者で知らぬ者はおらず、彼も幾度か遠目に二人が仲が良さそうに歩く様を軍の施設や宮殿、パーティなどで見かけていた。
 そのように赤毛の青年と最も親しかったラインハルトも知らぬ相手を、彼が死んで半年以上経ってから探せという命令の意味を、優秀な彼も推測できはしなかった。
 ガイエスブルグ要塞から戻って後、ラインハルトは小さなキーワードをシュトライトに与えた。その人物の名には、Lという頭文字がつくのではないかと。とはいえそのような人物は広大な銀河にまたがる帝国内に幾人いるか知れなかったし、シュトライトは最も確実な手段をとることにした。
 通常の軍務の合間を縫い、まずは手近なところとして今も軍に残る故人の側近や幕僚から事情を訊き終わるまで、一ヶ月以上の日時が過ぎていた。
 そのように会った彼らは皆、口を揃えて言った。キルヒアイス提督麾下で故人と最も近しかったのは、今は軍を退いたアルノルト・メルケ大尉であったと。


  アルノルト・メルケ大尉の居所はすぐに知れた。
  軍を離れたといっても現役でなくなったというだけで、いつでも連絡を取れるよう居場所を報告する義務は予備役の人間にもある。
 彼はまだオーディンに居り、ある貴族の私兵となっていた。
・フォン・ 子爵か…)
 案外、早くに探し求める相手はみつかるかもしれない。
 そうシュトライトは思いながら、メルケ大尉にコンタクトをとった。故ジークフリード・キルヒアイス帝国元帥について話を訊くために会いたいというメッセージを送ると、予想外に否という旨の簡素な返信が届いた。今は多忙で任務を離れることができないということだった。それならばいつなら会えるのかと問えば、一ヶ月後とも、二ヶ月後とも知れないという。
 文章のやり取りでは埒が明かないと思ったシュトライトは、ヴィジホンでの通信を申し入れた。本来ならば直接対面することで、僅かな表情や動作の機微を観察することで得られる物が多いと彼は思っていたのだが、会うための時間を取れないというならば、手軽な通信を使う方が双方にとって利点は大きかった。
 この申し出には応じる旨の返事が届き、それから3日後にシュトライトはアルノルト・メルケ大尉と画面越しに対話することができた。
「アルノルト・メルケ予備役大尉であります」
 指先を揃えた右手を挙げて敬礼を施すメルケに、シュトライトも応礼を返した。
「お忙しい時に申し訳ない、メルケ大尉。私はアルツール・フォン・シュトライト准将、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥閣下の主席副官を拝命している」
 不躾にならないよう、シュトライトは敬礼の腕を下したメルケを観察した。彼から見れば若い部類に入るメルケは、短く刈った茶色の髪と、細身ではあるが鍛えているとわかる体躯を兼ね備えた人物であった。今は予備役のため軍服は纏っていないが、隙のない雰囲気から軍人の趣きが伝わってくるようだった。数度のメッセージのやり取りと周囲の評判から、彼が実直な性格であることをシュトライトは事前に承知していた。
「いえ、こちらこそ直接参上することができず申し訳ありません。キルヒアイス提督のお話をということでしたが、私でお役に立てれば幸いです」
「そう言ってくれるとこちらも聞きやすい。そうだな、まず、キルヒアイス元帥を君はどのように見ていた?」
 まずは本題とは違うところから入る。故人とはいえ、プライベートを暴こうというのだ。真面目という人物評の多かった元護衛官が、それに嫌悪感を示すのではないかとシュトライトは危惧していた。
「敬愛の念を抱いておりました。なにぶん任務の性質上、共に過ごす時間も短くありませんでしたし、キルヒアイス提督は気持ちの良い方で、我々のような目下の者にも気遣いを下さいました。そのような方を護衛する任務についていたことを、私は誇りに思っておりました」
 その敬愛する上官を失った時のことを思い出したのだろう、メルケの表情が曇る。
「オーディン神は優れた者ほど早く側に召したがるとは良く言ったものだな。本当に惜しい方を亡くした」
 シュトライトが言えば、メルケは深く同意するかのように頷き、後悔の念を滲ませるよう眉をひそめた。
「ええ、誠に…今も小官にはそのことが悔やまれてなりません。あの日、小官がもっと注意深くいればと。護衛官として果たすべき任務を全うしていたのかと」
「君はそのことを悔やんで、軍を離れたのか?」
「それは…もちろん、あの日の出来事がきっかけになったことは間違いありません」
 続く言葉はなく押し黙ったメルケに、シュトライトは思う。
(何か他に理由がありそうだが…まあいい)
 いま彼がすべきことは、ラインハルトの命を全うすることである。

 シュトライトは場を取り成すように切り出した。
「ところでメルケ大尉。いまひとつ尋ねたいことがある。君と同じように、キルヒアイス元帥がヴァルハラへ昇られたことを悼む人が他にいないか、私は探している。君は生前の元帥と親しかったと聞いているが、どなたかご存知ないかな」
 メルケは沈んだ表情から一変して、険しい光をその瞳に宿らせた。迂遠な言葉であったが、赤毛の青年の護衛官だった彼を指して問うことを考えれば、それがごく限られた者しか知らない範囲の交友関係を訊ねていることを、彼は正確に推察できていた。
「それは……シュトライト准将、失礼ですが、なぜそのような質問をなさるのかお尋ねしても? その方を探し出して何となさろうというのですか?」
 当然の疑問だというように、シュトライトはメルケの視線を真っ向から迎えて逸らさなかった。疚しいことはないのだ。
(ここは正面からぶつけてみるべきか)
「これは内密に願いたいのだが、ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥閣下が、キルヒアイス元帥の恋人を探せと仰せなのだ」
 率直に告げたシュトライトの言葉に、メルケは予想していたのか、小さく頷くだけだった。
「あの方がヴァルハラへ赴かれてから半年以上経った時期にこうして連絡が来た時から、小官も少々思うところがありましたが、やはり…」
「私にはあの方の深慮遠謀は知りようがないが、決して危害を加えようという訳ではないことは、閣下がキルヒアイス元帥を誰よりも信頼し、今もヴァルハラに召されたことを悼んでいることからも明らかだ」
 どうだろうかと、シュトライトは眼差しで問い掛ける。
 メルケは逡巡しているようだった。
「これは私の考えではあるが、ローエングラム元帥閣下は恐らく自らを責めておられるのだ。閣下は先日、ガイエスブルグ要塞のキルヒアイス元帥が亡くなられた広間を訪れた。そうして帰る際に、キルヒアイス元帥の恋人を探してほしいと、そう仰った。おそらく何か伝えたいことがおありなのだろう」
「左様ですか…」
 図るように見遣るシュトライトに、メルケは顔を背けるようにそらした。
 その様子に、洞察力の優れたシュトライトは拒絶の色を読み取る。
「申し訳ございませんが…」
 メルケが最後まで言い終える前に、シュトライトは次のカードを切った。
「君はいま、 ・フォン・ 子爵の下にいるそうだね?」
 その名に反応した護衛官だった青年は、睨みつけるようにシュトライトへ視線を戻す。
「子爵はいま、どのように過ごされていらっしゃるのか訊いても?」
「申し上げかねます」
「病に伏しておられると伝え聞いているが、病状はどうなのかね?」
「わかりかねます」
「子爵の住まいの近くで花を買った生前のキルヒアイス元帥は、その住まいの方へ向かって行ったとの話も聞いているが?」
 畳みかけるようなシュトライトの追及に、メルケは返す言葉をみつけられなかった。
 キルヒアイス麾下の将兵がアルノルト・メルケを指名し、その彼が ・フォン・ 子爵という若き女性の下にいると知った時から、シュトライトは隠密に調査を進めていた。確信はなかったが、疑わしきは疑ってかかるのが仕事であり、彼は幸いにも幾つもの手がかりを見つけることができた。今日このようにメルケと話しているのは、最終確認の意味合いが強かった。彼の手の内には、既に ・フォン・ がジークフリート・キルヒアイスの恋人であったという数多くの証拠が揃っていた。
子爵が、キルヒアイス元帥の恋人だったのだろう?」
 確信を含んだ言葉に、メルケは眉根に盛大な皺を刻みつつ、絞り出すように言った。
「先ほども申し上げましたが、それを確かめて何となさろうと?」
「それはラインハルト・フォン・ローエングラム閣下に伺わねば、私もわからぬよ。仮に閣下が会いたいと仰せになったら、 子爵はお会いになってくれると君は思うか?」
 既に確定事項のように話すシュトライトに、メルケはとうとう隠しても仕方がないことを悟ったように溜息をつき、しぶしぶ答えた。
「小官は、その問には否と申し上げます。おそらく 子爵はお会いにならないでしょう」
「なぜそう言い切れるのかね?」
 懐かしい青年の恋人に仕えるようになって半年近く。
 女子爵が、ラインハルトが立体画面に姿を現すたび、避けるよう顔を背ける姿を彼は何度も見ていた。メルケはヴェスターランドに関わるラインハルトとキルヒアイスの確執について、今の主に告げたことはなかった。だから彼女のラインハルトに対する反応は、恐らくキルヒアイスが友人を凶弾から庇ったことに起因するのだろうとメルケは考えていた。だがその心の内を直接問うたことはなかったために、シュトライトが納得できそうな言葉を見つけられなかった。
「もしも…もしもローエングラム閣下が面会を正式に申し込まれたなら、 子爵は応か否かのお返事を差し上げるでしょう。小官はただ自分の意見を申し上げただけです」
「そうか…わかった。それでは私は閣下に子爵のことをご報告差し上げよう。また後日、連絡を差し上げることがあるかもしれない。子爵にもよろしく伝えておいてもらいたい」
「…承知いたしました」
 言いながら、メルケはこのやり取りを恋人を失った子爵に告げることはないだろうと、シュトライトは思った。