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Act02-22


 ユリウスの一言は、子爵邸の談話室の空気に普段にない重みを与えていた。
 誰に、とはすなわち、ブラウンシュヴァイク公爵家、リッテンハイム侯爵家、そしてリヒテンラーデ侯爵とまだ見ぬ第三勢力となるはずのラインハルトの軍閥のいずれかである。
 は遂に言ってしまった、言われてしまった、と天井を仰いだ。
 なんとか帝時代建築のオーディンにおける子爵家の邸宅は、使用人たちの努力により美しく整えられている。内装については一度も口出ししたことがなく、木の調度品が淡く輝く金布や青の装飾で落ち着いた雰囲気を作り出しており、それが子爵夫人に不足しがちな威厳を補う意図をもって用意されたものと、は知っていた。
 爵位、領地、領民といった事柄を抜きにして、・フォン・子爵夫人として銀河帝国では存在しえず、眼前の二人との交友も家名が伴えばこその気軽さであり、また皇孫エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクも単純に年下の可愛い友人ではありえないと、勿論これまで幾度もは思案してきた。
 ゴールデンバウム王朝の秩序は、まもなく崩壊する。
 カストロプ公爵とリヒテンラーデ侯爵の政争、皇帝フリードリヒ四世の崩御、それに端を発する帝位争い、まだ見ぬ第三勢力の一端を担う主流貴族以外の軍閥から成る一派、そしてリップシュタット戦役。
 これらの事柄は、誰もあずかり知らぬ不定形の未来の事象である。
 たったひとり、ひょんなことで・フォン・となってしまったを除いて。
 ゆかば諸共とはいえ、さらにラインハルトが皇帝となる未来がありうるという一点だけを取り上げても、それを知るのと知らぬのとでは物事の見方も大きく変わる。
「誰が次なる帝冠の主となるのかとは些か刺激的すぎる表現ではありますが、われわれ貴族にとっては家の大事に関わること。正直に申し上げて、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵令嬢と近い仲である貴女からそういった話が出てくるとは思いもよりませんでした」
 常になく硬い声音に姿勢を戻すと、普段は柔和な友人といった風情を崩さないユリウスが、ヴィーゼ伯爵家の継嗣としての視線をこちらへ向けている。
 もっと端的にいえば、あれだけ懇意にしていた相手を裏切るつもりか、と言われてもおかしくない立場に――・フォン・子爵夫人はある。
 だからこそ、自分の発言が彼らにとって受け止め難いのだろうとは口を結んだ。そして、同じ問いを己に向けたことのある自身、呵責を感じることでもあった。
 ユリウスとディートハルトは、眼前で困った顔で黙り込む少女がエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵令嬢を妹のように近しく思っていることを間近で見てきた。そして彼らも、五年近くエリザベートとの交友関係を継続しており、子爵夫人よりも更に幼く、あらゆる意味で気高い公爵令嬢に嫌悪の情を持ってはいなかった。
 しかし、懇意のエリザベートが登極すれば子爵家は安泰となるはずの当人が語ったのは、ブラウンシュヴァイク公爵家およびエリザベートを帝権へと盛り立てる道筋に懐疑を抱かせることに他ならぬ意を含んでおり、ユリウスとディートハルトはいずれも・フォン・の発言に当惑せざるをえないのだった。
「貴女は、ブラウンシュヴァイク公爵家と国務尚書閣下を秤にかけたうえで、先ほどの話を我々になさったのですか?」
 はクラウス・フォン・リヒテンラーデ侯爵の姪であり、血縁が交友関係を上回るという考えは、貴族において奇異なことではない。
 ユリウスの探るかのごとき言葉に、は内心の鼓動の激しさを押し隠しつつ、両手を握って語り掛けるのだった。
「私が申し上げたかったのは、リヒテンラーデ侯爵に与するつもりだとか、その方が利益になるといった事柄ではないですし、同じくブラウンシュヴァイク公爵家やエリザベート様との対立を選ぶ意図があるわけでもありません。ただ、リヒテンラーデ侯爵がなぜ我が子爵家を引き寄せたいかと考えた時に、生まれてくる皇太孫殿下や、カストロプ公爵との政争といった物事を整理すると、第三勢力という話に辿り着く可能性があるというだけのお話として聞いてほしいのです」
 これまで長きにわたり銀河帝国を占有してきた貴族の理屈を根こそぎ覆すだけの力が、歴史の起点となるラインハルトにあるとして、この五年間、銀河帝国貴族の理屈に慣れ親しんだにもわかるのだが、なぜそうなるのか意味がわからない、という世界にいまだ帝国貴族らは居る。
 宮廷政治的には門閥の栄華は極まり、皇家の権力は相対的に弱まっている。とはいえ、皇女を家門に迎えたリッテンハイム・ブラウンシュヴァイク両家は、その繁栄の根拠となるゴールデンバウム皇家をないがしろにすることはありえない。その点では、帝国宰相リヒテンラーデ侯爵も従来から思想を同じくしており、ゴールデンバウム王朝の存続は、現在の銀河帝国貴族にとって疑う余地のない未来といえる。それがいまの前提であると意識しつつ、は口を開く。
「皇帝陛下の崩御が、世の乱れの発端になりうることについては、ユリウス様とディートハルト様にもご同意頂けると思うのです。ブラウンシュヴァイク公爵家とリッテンハイム侯爵家は勢力として同程度、しかし並び立つのは難しい。仮に第三勢力などなくとも、彼らの優劣を競う争いが帝国全土へ波及することもありうる、そうですよね?」
「そうだな、同意する」
「あまり望ましくない未来ですが、そうなってもおかしくはないでしょうね」
「そうなると、彼らの争いが武力闘争の形となる可能性もありますよね?」
「可能性としては、当然ありうるだろう。全面的な武力衝突となると、相当の家門を巻き込んでの争いに発展するかもしれない。だが、あくまで可能性の話だ」
 統帥本部では銀河帝国軍の武力行使の可能性について常に検証しているのだから、帝国内の内乱という形で出動する場合のシナリオも用意されており、そのうちには皇帝陛下に反旗を翻した大貴族勢力の討伐という筋も当然存在するに違いない。
 ディートハルトは頷きつつも、慎重に論を進める姿勢を崩さなかった。
「それでは帝国軍は、両門閥が皇位継承を争った際に、どういう動きが取れますか?」
 ここが本題である、とは思う。
 統帥本部は軍を動かすための神経細胞的な組織であり、そこに身を置く貴族将校のディートハルトならば見当がつくはずだった。
「帝国軍はゴールデンバウムの御旗の下で動くもの。陛下が崩御され跡目が決まらないならば本来は動かせるはずもない」
「ですが、不遜を承知で申し上げますが、皇帝亡き王朝の舵取りは、次なる主を迎えるまでにどうなされるのでしょうか? 帝国の要職にあられる方々が、しばしの帝位の不在を補ってきた前例があるはずです」
 若きミュッケンベルガー伯爵は、精悍な面の眉根を寄せつつも、解を見つけた瞬間に暗緑色の瞳をあげ、眼前の黒髪の子爵夫人を見据えた。
「帝国宰相代理が立ち回る、と言いたいのか? 統帥本部か軍務省が宰相と通じて、さらに宇宙艦隊司令長官や軍を掌握し、動かすことに同意すれば、と?」
 驚きに目をみはったユリウスもまた、年下の子爵夫人をみやる。
 帝国宰相代理は内閣の長であり、皇権の行使の実務を担う立場である。また、軍においては実働部隊の長は宇宙艦隊司令長官をはじめとする前線指揮官であり、彼らに軍令を出す統帥本部か軍務省が結託すれば、帝国軍は実のところ動かせるのではないか。
 黒髪の少女が何を説明しようとしたのか、二人は理解し始めていた。
「つまり、が先ほど言った第三勢力は、両門閥の争いに割り込める立場にあるかもしれない、宰相閣下と帝国軍という組み合わせを導くということなのですね。しかも貴女の云う、近く生まれる皇孫を囲う形で」
「そうなれば、囲われた継承者の正統性を帝国宰相と帝国軍が裏打ちする形になる。両門閥よりも権威が集まるやもしれない」
 ユリウスの言にディートハルトが最後の一言を押して、二人は唸った。
 継承権争いの内で第三者が現れるとすれば、ルートヴィヒ皇太子殿下とカストロプ公爵の組合せは存在しうると宮廷内ではみなされている。
 だが、帝国宰相と帝国軍、そして皇孫の第三勢力は、当の皇位継承者の出生も定まらぬことから誰も予想していない勢力であった。
「ですが、当の第三勢力が成立するには、少なくとも皇太子殿下とカストロプ公爵は退場していなければ、となりますね。皇太子殿下がいては、その御子の継承順位は後れを取りますから……なるほど、それで先ほど、の皇太子殿下の不予の予測が出てくるということなのですか」
 両門閥はともかくも、宮廷や皇宮をある意味で掌握する帝国宰相が本気になれば、皇太子殿下は明日の光を見ることはあるまい、とも思える。
 ユリウスとディートハルトは、緊張した面持ちで座る面前の子爵夫人を、改めて見直した。
 普段から新奇な視点で物事を語り進めることの多い年下の少女に対して、このような政治的感性があったのかという驚嘆の念を抱いたのだった。
「このお考えは、祖父君もご存知で?」
 コンラッドの入れ知恵かというユリウスの疑問を、ディートハルトが否定した。
「いや、俺の祖父は知らなかったところを見ると、卿というより嬢の立てた筋書きだろう」
 暗緑色の瞳とナイスボイスで問われは頷くが、これ以上は突っ込まれると困るため、は慌てて言い繕う。
(未来情報を知っていたから、どうにか紐づけできただけで、これ以上の詳細はわからないし!)
「お二人が仰った通りのことを私も想像しまして、先ほどのような話をした次第です。けれど、実際の処、カストロプ公の件や、帝国宰相閣下が組む軍内の相手が存在しうるのかといった問題は残っておりますし、私の話は、あくまで仮定に仮定を重ねたものですので、お二人には慎重に吟味していただきたいのです」
 第三勢力への筋書きは整ったようにみえるが、ラインハルトという不定の存在がまだ説明不能な点として残っている。
 そもそもラインハルトが急激な立身出世を遂げた根本理由は自由惑星同盟との戦争激化にあり、その上でヤン・ウェンリーの奇策によるイゼルローン要塞失陥がなければ、帝国軍という権力基盤を守っていた帝国軍三長官が責任を取るため一斉に辞任することもなかったはずである。つまり、フリードリヒ四世の道楽と帝国宰相代理リヒテンラーデ侯爵の協力がありつつも、ラインハルトの元帥昇進および三長官の空席を埋める形で成された銀河帝国軍の掌握は、それらの『イベント』がなければ、この五年以内に達成されることはなかったであろう。
 が告げたこれから起こるはずの筋書きには、自由惑星同盟という作用による帝国軍の急激な変化が必要である。
 そしてその説明を、はそもそも諦めている。
(ラインハルトがアンネローゼ姉上のために国家転覆を図ろうとするのも貴族的に意味不明なのに、ヤン・ウェンリーっていう同盟軍の英雄の登場を予知しないと説明が無理っていうね)
「確かに、仮定に仮定を重ねての判断は避けるべきだ。だが、嬢は自らの立場を危うくしうる口憚られる物事を、我々を信じ語ってくれた。その意味を、まず我々は考えるべきではないか」
 けしてエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵令嬢に敵対するための話ではなく、そもそもリヒテンラーデ侯爵の意図を読めず、子爵家も含めた内情を探ろうとした我々に非がある、とディートハルトは場をとりなすように言う。
「それに現状では、この話の真偽を問わずとも嬢への助力は叶うのではないか、ヴィーゼ?」
 国務宰相リヒテンラーデ侯爵と子爵家が政治的に接近し、それを是として子爵夫人が動くというのがまずひとつ。
 もうひとつ、クラウス・フォン・リヒテンラーデが宮廷内の政争を画策しており、それが近く生まれる予定の皇孫の擁立と関わっている可能性があること。
 この二点を踏まえて、どうするかを決すればよいのだ、とディートハルトは言い添える。 
 ユリウスも、重苦しさを振り払うように不躾であったと非礼を詫びた。
「先ほどは急いた物言いになってしまい失礼しました。許してください、。僕が貴女の力になりたいという気持ちは変わりませんが、貴女の思惑を、それを受けて貴女はどうしたいのかを知りたいと思ってしまったのです。貴女の深慮に思い至らず、エリザベート様との友誼を疑ってしまったことをお詫び申し上げます」
 言って金髪の貴公子が胸に手をあて深々と頭を下げるので、も慌てて立ち上がって制止した。
「絵空事のようなことを申し上げている自覚があります。証拠もありません。私がどうしたいのかも、実はまだ私もわからないのです。もしも絵空事が真実になったなら……何に殉じるべきなのか、考えても答が出ません」
 五年前、かつてとなってしまった頃ならば、こんなことは考えもしなかった。ラインハルトの存在と勝利を所与の歴史と受け止め、リップシュタットの内乱を当然の帰結と思っていた自分。
 五年後の自分は、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵令嬢とどう相まみえているのだろうか?
(自分が死なないように、ユリウスやディートハルトやテレジアや子爵領の皆も生きて行けるように、それに、エリザベートも……できるのかな)
 領民らを道連れに門閥貴族勢力に与するという判断は、子爵夫人となってしまった・フォン・には易々と踏み込めない一方で、個人の感覚としては、親交深いエリザベートの助けになりたいという気持ちも存在する。同時に、ラインハルトやキルヒアイスとも対立したくはない。その全てが成立する未来が存在しうるのか、は幾度考えてもやはり答が出ない。
 それは銀河帝国の行く末と密接に関係していて、凡人であるにはエリザベートが無事でいて欲しいと思うと同時に、皇帝ラインハルトのいない未来など考えも及ばないのだった。
「……でも、少しだけ異なる視点で我々の置かれた『いま』を考えて頂けたらと思っております」
 二人には、門閥貴族以外と与する道があるのだと考えてもらえるだけでも、としてはよかった。
 今のところ宮廷勢力図ではラインハルトら軍閥は論外であるが、一連の話では踏み込んだ話までしたつもりだった。
 謝罪から顔を上げたユリウスが、ようやく柔らかに微笑んだ。
「正直、刺激的すぎる話ではありますが、の云う第三勢力があり得るかもしれないと心得ておきたいと思います」
「そうだな、軍内にも気を配るようにしよう。まだ見ぬ第三勢力について現時点で考慮するならば、リヒテンラーデ侯爵がそれを担う可能性を理解しておけばよいし、そのためには宰相閣下も宮廷でカストロプ公爵との政争に勝利せねば皇太子――もしくは皇孫の庇護者にはなりえない。嬢の話の真贋はいずれ明らかになるし、皇位争いの行く末を思案するのは、口憚ることだが陛下に万一のことがあるか、宰相閣下がカストロプ公爵を失脚させるなりしてからでも遅くはない、とおれは見る」
 ディートハルトは、ここに至っても最初と変わらぬ表情と声音で、慎重にの発言内容を受け止めているらしかった。
「くどいようで恐縮ですが、本当に、下手に探ると首が飛びかねないのでおやめくださいね」
 は念入りに釘を刺したのだが、逆にユリウスにも釘を刺されてしまった。
、貴女もフェザーンでくれぐれも身辺に気を付けて過ごしてください。仮に貴女の仮説が真実ならば、此度の出向にはカストロプ公爵や、宰相閣下の思惑の大きさからすればフェザーン自治領府さえ関わってくるかもしれないのですから。ヴィーゼの力添えが必要な時には、必ずご連絡ください。僕も貴女の力になれるよう、目を配っておきます」
「はい、気を付けます。いずれにせよ、今回は子爵家もリヒテンラーデ侯爵の思惑に乗らざるをえない立場ですし、使い捨てされないように帰ってくるつもりです」
 帝国貴族の揃う中で式典まで行ったのだから、すぐに見捨てられる気はしないものの、結局のところリヒテンラーデ侯爵も――自身が立ち回る立場にあるかのような物言いをしており、つまりは生き残れるかはやはり自分次第、ということなのだろう。
 リヒテンラーデ侯爵と子爵夫人の思惑を確認したユリウスとディートハルトの二人は子爵夫人への惜しみない協力を約束し、また近日中に出立の最後の挨拶もかねた食事会を普段の五人組で開こうと話し、夜も更けたことから本日は解散となった。
 朝から宮廷へ出仕し、皇帝との思わぬ面会、リヒテンラーデ侯爵の悪巧みへの有無を言わさぬ協力、式典と宴席、そして大事な友人たちへの渾身の説明(と言い訳)をこなしたは疲労困憊し、二人を談話室で見送ってからすぐ寝支度をしてベッドへ飛び込んだ。
 一方、かねての交友関係から肩入れしようとした少女から、予想もしえない諸々の情報を得たユリウスとディートハルトは、帰り際に子爵邸で立ち話を交わしていた。
「ヴィーゼ伯爵家はどちらかといえば、リッテンハイム侯爵家に近い。義母がそちらの家系ですから。だから僕は、できるだけ早く爵位を得たいと思っているのです。エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵令嬢に近いと関係を続けるには、ヴィーゼ伯爵家そのものがそちらに近くないといけないからね。どうせどちらが帝位を得ても、我が家門の大勢に影響はないことだし。父は最近、少し体が悪くて、執務の引継ぎをこれから行う予定なんですよ」
「そうか、忙しくなるだろうな……だがなぜその話を俺に?」
「牽制ですよ。・フォン・子爵夫人に最も近い適齢期の貴族男性は、僕の他にはミュッケンベルガー伯爵、あなたぐらいだから」
 適齢期という言葉に連なる物事は婚姻であると、その手の話題に疎いディートハルトでも理解はできる。
「本人にその気はなさそうだが」
が婚姻を考えたときに、都合の良い男でいたいのですよ、僕は」
「爵位がある者同士では、難しいのでは?」
「何事も方便がありますよ。それにしても、の話はいろいろと示唆に富んでいましたね」
 婚姻の適齢期にさしかかった二人とも、自身はともかく周囲が妙齢の女性を見繕い勧めてくる。それらの女性は、宮廷への影響を踏まえるならリッテンハイム侯爵家やブラウンシュヴァイク公爵家に近いほどよいとされている状況だった。ユリウスは商家の娘との縁談もあるが、彼は平民との結婚は全く考えておらず、すると家業との兼ね合いで貴族としての力のある家と繋がることが利益となるのだった。ディートハルトは武門への理解ある貴族女性が主な相手であるが、過去の叛徒どもとの戦役により武家の子女の数は多くなく、おのずと数の多い宮廷貴族らとの縁組を勧められる機会も増えてくる。
 だが五年後に帝位争いが勃発し、仮に第三勢力が現れ、誰に与するかという問いを前に置いたとき、婚姻相手の家が両門閥に近いほど、そちらに与さざるをえなくなることは、望まざる結果を生むかもしれない。それに縁組以前に、仮に黒髪の少女の仮説が『本物』であったなら、昨今の常識の殆どが吹き飛んでいきかねず、彼女がいったように異なる視点から『いま』を考え抜く必要もでてくる。
「……そうだな、いろいろ考えるべきことが多そうだ」
 迎えの車の用意ができたユリウスは、ではまた、と軽やかに地上車に乗り込んで去っていく。
 心を決めている者は迷いがないものだ、とディートハルトはその尾灯の軌跡を見送って、自身も帰路についた。
 帝都オーディンの夜は、この日も束の間の安寧の中に更けていく。


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