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Act02-20


「これでよかったのか?」
「ええ、リヒテンラーデ侯爵がつけたお目付け役でしたので」
 喧騒が絶える場所というわけではないが、しばし歩いたのちに人波の薄い柱の陰で、二人は向かい合った。
 既に五年近く親交があるディートハルトは、貴族令嬢のごとく優雅に微笑むを異常と認識したようで、にとっては本望なことであった。
「それにしてもお久しぶりです。近頃はディートハルト様もご多忙で、なかなかお会いできませんでしたものね」
 再会するたびに成長を実感するは、こうして軍人らしく凛とした佇まいのディートハルトと対面するとそれだけで嬉しくなるのである。
 ディートハルト・フォン・ミュッケンベルガーは今年21歳となっている。祖父譲りの立派な体躯、軍人らしく短く整えた朽葉色の髪、そして相変わらずの美声の持ち主であり、はおのずと満面の笑みを向けるのだった。
 の言に頷く青年はこの五年の間に幼年学校から士官学校へ進み、優秀な席次で卒業した。だが、相次いで当主を失ったミュッケンベルガー伯爵家を継ぐ立場ゆえ、損耗率の高い前線艦隊勤務には各方面からの反対を受け、参謀畑を歩んでいた。艦隊指揮官としては元帥昇進がほぼ確実視されているグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー上級大将がおり、過去に軍務尚書を輩出したこともあるミュッケンベルガー伯爵家の長であるディートハルトは、軍令方面での立身を目指すことになったのである。
 銀河帝国の参謀には幾つかの昇進ルートが存在するが、ディートハルトはイゼルローン要塞における前線任務後、統帥本部に籍を置いていた。
 ちなみに統帥本部は皇帝陛下および軍務尚書を補佐し、戦略の立案施策、徴兵や訓練計画、戦力配置案を含む人事、諜報を含む情報通信、兵站、と軍事関係のほぼ全ての面に関与する制服軍人の組織である。軍務省が文官を含め政治行政での調整を行うとすれば、統帥本部は軍をどのように動かしていくのか、動かせばよいのかを考え、実際を司る参謀組織であった。
 銀河帝国では軍関連行政の長である軍務尚書も制服組が務めているため、統帥本部、軍務省いずれにおいてもディートハルト・フォン・ミュッケンベルガーのように士官学校出身、伝統ある武門の背景を持つ貴族子弟らは、いずれ軍の高官となるべく、日々の実権争いにも気を抜けぬ日々を送るのだった。
 ディートハルト自身といえば、祖父のごとく銀河を駆ける宇宙艦隊所属を希望していたものの、伯爵家当主として守るべきものが増えた以上、家門に尽くす必要を理解し帝国軍内の泥沼試合に飛び込むほかなかったのである。
 ミュッケンベルガー伯爵家は名門に属するいわゆる武家であり、銀河帝国内の軍事力にまつわる奉仕を義務として、権力を担うことが求められているのだった。
 いまから四十年ほど前、ディートハルトの曽祖父が戦死した第二次ティアマト会戦において、帝国軍は自由惑星同盟と称する叛乱軍に大敗し数多の戦死者を出した。これによる武家貴族子弟の数的・質的損耗は激しく、現在でも『軍務省にとって涙すべき40分』の影響は免れていない。帝国軍では人的資源の不足を補うため平民や下級貴族の登用を進めるほかなく、もとより特権階級として数の限られた貴族派武官は、平民派よりも相対的に少なくなった。結果的に、現在の帝国軍実戦部隊ではいわゆる平民派の中級指揮官が増え、貴族派が牛耳る統帥本部や軍務省との軋轢もおのずと増加し、その間をとりもつ中間管理職的な士官の頭脳と精神には並々ならぬ負担がかかっている状況であった。
「確かに、人間関係にも気を遣う軍務と、家門の執務、両方面に目を配るとなると忙しいな」
 若きミュッケンベルガー伯爵家当主の言は短いが、苦労が滲み出ていると感じられるである。
 戦地の過酷な泥濘とはいわぬものの、皇帝派、門閥派の貴族らや平民、軍高官、現場指揮官と様々な思惑の入り乱れる統帥本部は、一種の魔境に違いない。
「領地のことでお手伝いできることがありましたら、お声掛けくださいね。軍務のことはお祖父様の領分ですが、領主の分野であれば少しくらい助けになることもあるかもしれません」
 ミュッケンベルガー伯爵家は、歴代の文字通り身命を賭した帝国への献身によって、強固な権力的地盤と裕福な経済資本を保っているので、の申し出の実効力は怪しいものであった。しかし、それゆえにディートハルトの責務は重く、としては友人が心安らかに生きていく手伝いができるのなら、多少の労は惜しまない心積もりなのだった。
 帝国貴族の当主同士が語り合うには政治的に甘く優しすぎる言葉であるが、それが嘘偽りなく本心からのものであると理解するディートハルトは、暗緑色の瞳をやわらげた。
「ありがたい。困りごとがあったなら、その時は頼もう」
 年下の子爵夫人は今も昔も変わりがないのだと確認すると、ディートハルトとしては心配にもなるのだった。
「だが、いまは自身の処し方を気にすべきではないか?」
「うっ、確かに」
「それに、オーディンまでの航行で正体不明艦に襲われたと聞いた。見舞いに行けずにすまなかった。本部では通常の業務報告の中に埋もれていて、祖父からの連絡で知った」
「いいえ、御覧のとおり元気に生きておりますので、お気遣いなく。多少の損害はありましたが、ことさら大事にしたくなかったんです」
「それにしても、相手は子爵家の戦艦アウィスだと知って撃ってきたのだろうか? 相手の身許はわかっているのか?」
 は即座に返事ができなかった。何しろ、自分でもまだ出来事を整理しきれていない。
(モンケル商会がローバッハ伯爵家のお抱えで、ヘルクスハイマーも絡んでいて、サイオキシン麻薬の件をフェザーンがリヒテンラーデ伯父様に垂れ込んで……)
 苦り切ったの表情に、そっとディートハルトは言い添えてくれた。
「難しい話のようだが、出来るだけの助力はする。困ったことがあれば声を掛けてくれ」
「ありがとうございます、ディートハルト様」
 頼もしくもあり、嬉しくもあるである。
「何はともあれ、祖父の処へ案内しよう。互いに積もる話もある」
 グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー上級大将のもとへ促されたは、ディートハルトと腕を組んで足早に黒真珠の間を抜けていく。あまりに急ぐと淑女はコルセットの制約で呼吸困難に陥るものなのだが、は『機能性いちばん!』と謳うドレスを着てそのまま走りだせるよう準備しており、ディートハルトも当の少女の気質を理解しているため、暗黙の了解のもと、ふたりは紳士淑女にあるまじき速度で宴の片隅を移動していった。
 威厳が軍服を纏うといわれる上級大将閣下は、周囲に自身の副官らを置いて人垣を作り、宴の間の一角に空白地帯を作りあげていた。
 孫と並んで猛然と歩いてくる黒髪の子爵夫人を見て取って、グレゴールは半白の眉根と口元を歪ませ、渋面と含み笑いの間の表情をしている。
「久しいな、子爵夫人。此度の栄誉ある顕彰にお祝い申し上げる」
「ご丁寧にありがとうございます、ミュッケンベルガー上級大将閣下。閣下もご壮健なご様子で何よりです」
「叛徒どもとの小競り合いばかりではな。我が艦隊も出る幕はあるまい」
「平穏なひとときは、貴重なものと思います。戦力の涵養をなさる時期でもあるかと存じます」
 は、これからしばらく後に同盟軍が幾度かイゼルローンに侵攻することを知っているので、自然と慎重を期すような物言いにもなる。
 多くの銀飾りを佩びるミュッケンベルガー上級大将は、小娘が無作法にと憤るでもなく、重々しく頷いた。
「違いない。イゼルローン要塞があるとはいえ、いつ何時、叛徒どもが攻めてくるとも限らぬ。何事も準備は怠たるべきではないからな」
 互いに一礼し、用意された杯を三人で掲げ和やかな談笑の形をとった後は、本題である。
「詳しくは日時と場を改めてとなるが、子爵夫人が宰相に耳打ちされた話は、そなたの祖父から伝え聞いている」
「国務省への出向からのフェザーン配置、ローバッハ伯爵家に絡んだ……」
 が大柄な上級大将閣下を窺うと、心得た様子でクリスタル硝子の窓から庭園を眺めるよう顔をそらし、小声で呟いた。
「サイオキシン麻薬の件」
 知らぬは自分ばかり、と思うと、居たたまれなさと、情けなさが身に沁みるである。
「ということは、お祖父様は事前に宰相閣下より話を聞いていたということですよね」
「そうなるな。ああ、領からオーディンへの航路での『事故』については、別途耳にしたのだが」
 黒髪の少女の硬い笑顔を見て、ミュッケンベルガー上級大将は事情を察したようである。
「仔細を聞いていなかったか。酷なことをする。だが子爵夫人は、あやつの思惑が読めるのだろう」
 言葉では同情的なミュッケンベルガー上級大将であるが、どこか面白がる風でもある。
「ええ、まあ。私がお祖父様に頼らずとも、みずから何事でも為せるように。己の頭脳でまず考え、確かめ、動け」
 となってから、そして子爵夫人の身分を得て領治府へ出仕することになって五年、これまでそうしてきたように。
(事前レクチャーがないのはスパルタと感じなくもないけど)
 かといって、懇切丁寧にあれこれ説明してくれるかというと、爵位を継承したときも、そしていま、中央政治に図らずも関与しなければならなくなった現状でも、コンラッドの方針が易しくなることなどないのだった。
 女性の身ながら爵位を得て、領主として政務に勤しむ、その時点で銀河帝国の常識と大いに異なる振舞いをしており、先例などなきに等しく、誰かに頼って道筋を決めることなど不可能なのだ、とコンラッドは折に触れに教えを与えるのだった。
 納得しつつも憮然とするに、ミュッケンベルガー上級大将は半白の眉を上げる。
「腹立たしいのは、そなたの祖父の振舞いにか、それとも己の不見識に対してか?」
「今は、自分の能天気さを憎く思っているところです」
 間違いなく、自分は不用心であったとも認めざるをえない。
 女性の身である子爵夫人が、銀河帝国の宮廷――中央政治の泥沼へ引っ張り込まれるなど、は考えもしなかった。そういった意味では、も銀河帝国の常識に染まっていたのかもしれない。いずれラインハルトが台頭した暁には、ブラウンシュヴァイク公爵家と親交があり、リヒテンラーデ侯爵と縁続きでもある子爵夫人として何らかの動きは必要であろうと夢想したことは勿論ある。
 だが、フリードリヒ四世陛下の薔薇の勲章を負って歩き、子爵家が宮廷の権力争いのど真ん中で宰相代理リヒテンラーデ侯爵の尖兵として働く羽目になるとは予想外もすぎる。
 とはいえ、・フォン・として五年間を過ごしてきたはこうも思うのだった。
 考えもしなかった、自分が怠慢にすぎるのかもしれない、と。
 銀河の未来に波乱が満ちていることを知っているのに、その準備として自分は何をしていたのだろうか。子爵家やコンラッドの思惑にどこまで思い馳せ、立ち回っただろうか。
(そう考えると、コンラッド祖父様に甘えっぱなしだったかもしれない。ここから先は、貴族らしく政敵を蹴散らしていかないといけないのかな)
 好んで戦いたくなどないと平和を愛するは思うのであるが、状況はそれを許してくれそうにない。
(どうにかするのは、自分しかいない。ひとつずつ頑張るしかないか……自分が死ぬよりマシだよね)
 腹の中で覚悟を固めたは、ミュッケンベルガー上級大将の威風堂々たる顔を見上げる。
「同情すべきところであろうが、子爵家の当主としては事態に備える必要があろう。そなたの祖父は、子爵夫人を相手に話をするよう言っているが、問題ないか?」
「はい。お願い致します」
「知ってはおろうが、から言われて情報収集していることが二つある。ひとつは、ローバッハ伯爵領にある捕虜惑星の運用について。もうひとつが、軍内にサイオキシン麻薬の蔓延があるかを調べることだ」
 捕虜惑星の運用といっても、艦隊指揮官であるグレゴールには畑違いもよいところであり、実際の情報収集は統帥本部に身を置くディートハルトが担っており、それもあっての同席と相成っている。
 祖父グレゴールに促され、ディートハルトが状況共有をしてくれた。
「叛乱軍の捕虜の処遇については、実のところ帝国軍のみではなく内務省、国務省、それに財務省も関与して情報が分散している。調べられる範囲の帝国軍内には、捕虜の管理予算と警備人員の都合もあって、どこまで正しいかは不明だが捕虜名簿が存在している。定期報告で上がる名簿を付け合わせることで、捕虜の管理状況も見えることがあるだろう」
「わかってはおろうが、形式的な名簿と報告だ。余程の高級将校以外の捕虜には、帝国軍はこれまで大した配慮はしておらぬ」
 長らく帝国軍内で陣を張ってきたミュッケンベルガー上級大将の補足は、つまりは捕虜矯正区を受け持つ貴族が真実を言うとは限らないし、情報の裏付けもしていないであろうという主張である。
 普段よりも堅い雰囲気のディートハルトは、まさに報告という形式で淡々と語る。
「遠くはない時期に、捕虜交換が行われることになる。予算を空けるため、という名目ではある。その前に、名簿の確認と各捕虜矯正区に対する内密な査察がある」
 子爵家のお家騒動に対しての配慮としては行き過ぎているのではないかという不安がの顔に浮いていたのか、統帥本部の軍官僚となったディートハルトは言う。
「捕虜交換については帝国宰相代理のいる国務省が舵取りをして、陛下の慈悲として触れを出す。小官の業務としては、報告書を取りまとめて依頼あった国務省へ上げる。その過程で、今後の予算再編の都合上、各捕虜矯正区に査察が入る。そういう形式に、既になっている」
 さきほど腹で決めたの覚悟は、すでに砕け散りそうだった。
(ど、どこから見ても貴族的悪巧みの図じゃないですかー。捕虜矯正区の件とか、全然知らなかったし)
 には胃に重い話である。
(まさに子爵家がローバッハを嵌める算段してるっていう)
 材料として、コンラッドが捕虜矯正区を目標に挙げてリヒテンラーデ侯爵に査察を頼み、最終的にローバッハ伯爵領の何事かが『発覚』するのだろう。無論、ローバッハ伯爵家の裏事情が純白ではないことは、下調べである程度は見えているに違いないし、フェザーンからの指摘もある。だが彼らの不正が真実存在し、子爵家がそれを暴いて糾弾するとしても、目的はローバッハ伯爵家の権力を削ぐことに他ならないのだ。
「我々としても帝国軍として委託先とはいえ規律を糺すのは吝かではない故、最終的な判断に関与していなければよいと考えている。友誼もあるが、宰相代理に恩を売るのも悪くはないのでな。だが、もう一方の軍規を乱す要因については、いま少し情報がいる。巣穴が判らぬでは話の進めようがない」
 そこで集まる視線を受けて、にこやかに宣言するしかないである。
「その巣穴を探して方々をつついて回って狩りの準備をするのが、私のフェザーンでのお役目ということですよね」
 黒真珠の間のどこからか、端正な拍子を刻む音楽が奏でられ始めた。宴に出ることが非日常ではなくなったには、ダンスが始まる頃合いだとわかる。銀河帝国随一の宮廷楽団の演奏は会話を遮るでもなく、しかし心地よい音で宴を満たしていく。
 リヒテンラーデ侯爵の『政争』を、ミュッケンベルガー上級大将とディートハルトがどこまで見通しているかはには不明だが、仮にこの流れが破綻しても、ミュッケンベルガー伯爵家はリヒテンラーデ侯爵同様、何も痛手がない。なぜなら、国務省から要請のあった予算見直しの中で捕虜矯正区の適正管理を思いついた統帥本部が、しかるべき指示系統のもと実務担当としてディートハルト・フォン・ミュッケンベルガーを使うだけなのだ。建前的にも国庫が瀕する状況を打開したい国務省としては、統帥本部が上げてくる予定の捕虜交換を呑まないという選択肢はない。
 そして、この策謀の要になる子爵家では、フェザーンへの出向と矢面に立つリスクが伴うものの、長年の懸案である隣領ローバッハ伯爵家の排除を単独ではなく、助力を得て実行できるまたとない好機でもある。
 少なくとも三者は各自の思惑の元、利益が見込めるように筋が立っているが、の胸は悶々としてしまう。
 急に銀河帝国の泥沼政治の渦中に叩き込まれた気分なのだが、今まで見ぬふりをしていたツケを払う時が来た、という気もする。
(うう、死なないように立ち回らなきゃ)
 ラインハルトとの交友関係以前に、彼が英雄となる前に自分が、そして子爵家がどうなるかという問題に決着をつけなければならない。
 は、自分自身に対しても深刻な雰囲気を振り払うよう、ミュッケンベルガー家のふたりに弾む声で語り掛けた。
「私がフェザーンへ赴くことになったのも、牽制も含んでいるはずです。情報を探れば、何らかの接触もあると考えています。どの程度の『反発』があるか、それを見るために陛下のお墨付きで送り出されるわけですし、此度の話にはフェザーンも関わっていると伺っています。あちらの筋に多少の協力ももらえると思います」
 未来の断片を知っているは、この策謀のどこかでサイオキシン麻薬にまつわる事柄がヘルクスハイマー伯爵家に繋がるという予測がある。
 第四方面区フェザーン方面帝国軍司令のギルベルト・フォン・ヘルクスハイマー准将は、フェザーン高官とやらに睨まれたローバッハ伯爵家と繋がりがある様子であり、サイオキシン麻薬絡みの関係があってもおかしくはないし、遭遇戦からの一連の流れもある。
 とはいえ、まだ証拠がない。とりあえずは一度フェザーンへ高等弁務官として赴き、それらしき材料を探すことは避けられない。
 立派な体躯をそれぞれ軍服と礼服に身を包んだ祖父と孫は互いに視線を交わすと、より親交の深いディートハルトが危惧を現した。
「『反発』が強ければ、その身も危険に晒される。重々、身辺には配慮を」
「ありがとうございます。私も我が身が可愛いので、あまり危ないことはしないようにします」
 と言いつつも、危険が自ら突っ込んでくるのは回避しようがない立場ではあるので、の言葉も気休めにしかならないであろう。
「国務省からの出向ということで、現地で弁務官事務所付きではなく、個人付の駐在武官を用意することになっている。尉官を付ける予定だが、何か希望があるか?」
 そう問うディートハルトの暗緑色の瞳を見返し、は首を僅かに傾けた。
「そうですね、貴族階級の方だと話が面倒になりそうなので、平民階級の方でしたら有難いです。危険なこともありそうなので、腕が立って実戦経験がある方で、今回の件に関わる領地以外の出身であればよいように思います」
「わかった、手配しよう」
 一瞬、味方に引っ張り込んだファーレンハイト少佐を思い浮かべたが、艦隊勤務の人間が昇進ルートを外れて弁務官付、しかも政治的にきな臭い場所に貴族階級でもある彼を巻き込むのはさすがに憚られたである。
「そういえば、ひとつ私からお願い事があるのですが」
 は、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少佐について、しかるべき時がきたらという条件のもと、彼の異動を依頼した。
 現状はヘルクスハイマー准将の副官からの密命を受けて、二重スパイの状態となっているファーレンハイトであるが、恐らく子爵領、もしくはフェザーンへ赴くまで、少なくとも宇宙空間では護衛として共に行動することになるとは予想していた。
 その後の流れ次第で、もしかするとフェザーンで得た情報をもとに内偵をしてもらうこともありうる。そうでなくとも、彼の身が危険になりそうならば、早急に第四本面区からは離す必要があるだろう。
「彼は私の味方となってくれる人物です。立場を変える必要があるときには、どうぞお力添えをお願いいたします」
「わかった。子爵夫人が言うからには、良いように取り計らおう」
 二人の快諾を受け、は胸を撫でおろす。
「祝いの席で、面倒な話をするのもこれまでにしておこう。仔細はまた後日に。さあ、若者は踊ってこい」
 些か長いともいえる立ち話に、ミュッケンベルガー上級大将が副官らに作らせた人垣の外側でこちら側を窺う視線が増えていた。
 帝国軍の将官という顔から変わって祖父コンラッドの友人という雰囲気で、威風堂々たる体躯のグレゴールが二人を黒真珠の間の中央で始まったダンスへと促した。
 としては楽しんでダンスという気分ではないのだが、今夜は自分も注目を浴びる立場であることは理解している。
 この人垣を出れば、陛下の薔薇を賜った子爵夫人へ集う貴族たちの相手をしなければならないが、ディートハルトとダンスをすれば彼らを避けることもできる。何より、この殺伐とした政治話だけでディートハルトとの久々の再会を終わらせるのは、味気ない気もした。
 ディートハルトと視線を合わせると、彼は心得た様子で手を差し出してくれた。
 お誘いの言葉はないが、それがディートハルトの優しさであるとは知っている。彼は――が踊りたい訳ではないと知りつつ、今は踊るべきと考えているからと、その手を差し出したに違いないのだった。
「ありがとうございます、ミュッケンベルガー伯爵。どうぞよろしくお願いします。ご一緒できて嬉しいです」
 頷いたディートハルトに導かれながら、はグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー上級大将へと礼を述べた。
「今宵はお時間をありがとうございました。子爵家として御礼申し上げます」
「ああ、コンラッドにも宜しく伝えてくれ。貴婦人へ言う言葉では本来はないが、武運を祈る、子爵夫人」
 敬礼こそなかったが、グレゴール・フォン・ミュッケンベルガー上級大将の言葉は戦地へ送り出す兵士へのそれであるとは理解した。
 は丁寧に膝を折って淑女の挨拶を送り、返礼とすると、ゆっくりとした歩調で進むディートハルトについて、円舞曲の輪に加わったのだった。



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