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Act02-18


「時間がないので、手短になる」
 薔薇の庭園から一転、はリヒテンラーデ侯爵に連れられ帝国宰相の執務室に居所を移していた。
 宮殿内らしく豪奢に、けれども調度類は華美すぎず配置は機能的に、という設えに宰相その人の性質が伺える室内であった。
 鷲の如く鋭い眼光を持つ部屋の主は、さきほどから険しい表情で思案のご様子である。
 道中に会話はなく、足早に歩かされ互いに座った途端、茶の用意もなくリヒテンラーデ侯爵が話の口火を切った。
「道楽、と陛下は仰せであるが、ある意味、陛下の御意思を賜ったと心得よ、子爵夫人。急な話、温室や薔薇に関わる人員や予算をすぐに伝えることはできぬが、仰せの通りに成せるよう励むよう」
「はい、勿論です」
 まるで呪いのようだ、という本心は押し隠し、は重々に頷く。
 厄介ごとではあるが、帝国の頂点たる皇帝陛下の御命令、やれと言われればやらねばならないのだ。なぜ自分がとは叫びたいが、国政を預かるリヒテンラーデ侯爵も、薔薇の下賜は既定路線として否応なく進めるようである。灰色の皇帝や怠惰の友と言われても、やはり皇帝とは王朝に君臨する絶対的な存在なのだった。
 言葉を区切った宰相閣下は、そこで再び、はあ、と溜息を吐く。
「……念のため、幾つか尋ねたい。今から話すことは軽々しく他に漏らすべきことではない、と前置きしておく。子爵夫人は、陛下との会話の意味が理解できていたのかね?」
「薔薇を賜る、特別な意味についてでしょうか?」
 さきほど浮かんだ疑念を、はぶつけてみた。
「思い当たる節がないのですが、含みがあるご様子でしたので、特別な意味があるのだろう、としか」
「陛下の薔薇は、つまりはご寵愛である。子爵夫人は女性であるから、寵愛を授ける、つまり後宮に招く意にも取り得るが、花を執務室に飾ると返答申し上げたのだな?」
 頭が痛い、という風にこめかみに指先をあて唸る風のリヒテンラーデ侯爵に、は大きく頷く。
 は微塵も気付かなかったが、銀河帝国において男性が女性に花を送り、花を寝所に飾ると、貴方を恋しく思っていますという返答になるという古典的な慣習が存在していた。
 つまり、が仮に花を寝る前に眺めますとでも云えば、後宮入りウェルカムと取られかねない会話だったのである。
「執務室に飾るとなれば、表の政務での奉仕を望むと答えたに等しい。廷臣としてご寵愛を受けたい、と返答したゆえに、そなたの胸元に薔薇がある」
 二人はともに、ドレスの胸元の薄紫色の薔薇に視線を落とす。
 艶めく花弁が美しく、特別な存在感のある胸飾りを宮廷貴族たちが目にすれば、立ちどころにその背景がわかるものなのだという。
「勲章のようなものだな、臣として目をかけるという意味をその薔薇が喧伝するであろう。この後の式典で直言なさるとの仰せ、陛下はあくまで子爵夫人を廷臣として遇すと表してくださったのだ。この御意思を汲めるかね?」
 まったく汲めていないは、思考を放棄して潔く尋ねる。
「わかりません、ご教授賜りたく存じます」
「素直であることは一般的には美徳ではあるが、其方は子爵位を預かる貴族であるからには、もう少し思慮を深めるべきであるな」
 リヒテンラーデ侯爵の剣呑とした雰囲気が、僅かに和らいだ。
 クラウス・フォン・リヒテンラーデは、宰相として表裏ある言葉の利便性と危険性を諭したくもあるのだが、伯父としては明朗な姪御の返事はいつでも愉快なのだった。
 五年前になるだろうか、彼は当初、爵位を賜ったばかりの少女を囲い込む心積もりであった。襲爵は祖父コンラッド・フォン・の画策であり、現実に黒髪の少女が政務に勤しむ、またはその能力があるとクラウスは予想だにしなかったのである。
(我が一門の男子をあてがうのも良きことかな)
 爵位を含めた相続が既に済んだことならば、当の少女を搦めとってその地位と領地を譲らせればよいのだ。
 早逝した義妹や親を亡くした姪御を不憫に思うが、であればこそ我が庇護下に入ればよいとリヒテンラーデ侯爵は考えた。幼い子爵夫人を丁重に扱えば、なにかと聡い卿も文句を言えぬだろう。リヒテンラーデ侯爵一門との誼を蹴るほど耄碌はしていまい。そうとなればと、クラウス・フォン・リヒテンラーデは子爵夫人となった姪御をオーディンでの宴や茶会に招き、良き伯父上として振舞った。年頃の娘は華やかな世界を好むものであるし、彼と通じれば甘い蜜が吸えるのだと姪御に教えようとしたのである。
 しかし、・フォン・は彼の思惑を外れ、貴族としての務めを弁えた勤勉な領主そのものであった。
 姿形を目前にしなければ、その発言や政策の実践は新進気鋭の青年貴族のようである。政情や経済について意見を訊ねてみれば、如才ない答があり、政策の意図や要点も把握して心情を語る様は、官吏任せではない領地経営の手腕も見え隠れする。どこからともなく有能な官僚を辺境へ呼び、権限を預け成果を上げる方便も見事の一言に尽きると、彼は評価した。
 弄した甘言や娘世代には楽しいであろう遊興、良い貴族との縁故も姪御の関心を惹くことはなく、ただ丁重に一線を引く謙虚すぎる社交に終始する様は、自らの領主としての職責を全うせんとする心意気を伝えるようである。一方で、貴族内のでの有力な派閥であるブラウンシュヴァイク公爵家やヴィーゼ伯爵家らとの友誼を確たるものとしており、けして奥手なだけではない社交感覚も垣間見える。
 銀河帝国への献身、領民の安寧こそ帝国の安堵と栄光であると語り、黒髪の少女は国務尚書という役目への労わりまで交えてみせた。
 帝国宰相として国政の困難を日々味わうリヒテンラーデ侯爵クラウスは、一連の交流によってすっかり『できあがって』いた。
 つまり、・フォン・子爵夫人こそ、新たなる真の貴族の姿なのだ、という本人が聞いたらひっくり返りそうな偶像を姪御に見てしまったのである。
 女性の身でありながら辺境の領主として務めを果たし、また銀河帝国の栄光を目指し邁進する様は、彼の心をひどく打った。
 そして、帝国宰相たるリヒテンラーデ侯爵はの評価どおり、ゴールデンバウム王朝への奉仕にかけては根っから真面目な貴族であり、高貴なる義務を果たすことを常日頃から自他ともに求める人物であった。
 最大限の好意でもって、彼――クラウス・フォン・リヒテンラーデは・フォン・子爵夫人に大任を預けることを決断したのである。
 にとっては、地獄に落ちろ、と同義であるとは当然彼は思ってはいない、我らが帝国の栄光のための大任、というやつである。
「此度の褒賞が公となり、役目が与えられれば、女性の身であるゆえの揶揄もあろうが、それらを陛下はご案じなさっているということだ。さらに……これ以上の話をするには、褒賞について真に子爵夫人として、いや、帝国貴族として理解せねばならぬ」
 リヒテンラーデ侯爵は、目前の少女の祖父コンラッド・フォン・卿との一連の会話を思い起こす。
 過去の偉業とはいえ、彼は歴戦の指揮官らしく人事を過たないのだな、と感じ入るものがあったリヒテンラーデ侯爵である。まだ萌芽である子爵夫人に貴族間の勢力争いにまつわる一連の物事を言い渡す役目は、確かに自分以上の適任はなかろう。
「して、子爵夫人は此度の褒賞の内容について思案はついているのかね」
「過去の例では、領地や金銭の下賜が多いと伺っておりますが…」
 しかし、リヒテンラーデ侯爵の口ぶりがそんな前例通りであるはずないと言っている。
 糞真面目な表情の帝国宰相リヒテンラーデ侯爵は、重々しく告げた。
「まずは、端的に伝えよう。そなたにはサイオキシン麻薬の流通路を壊滅させてもらいたい。席を用意した。国務省からの出向として、高等弁務官事務所の参事官、局としてはフェザーン方面、主要職務は商取引、貿易に関する情報分析および現地での折衝や政治工作、となる。この任官は陛下の裁可を賜るものであるから、参事官とはいえ軽んじられることもあるまい」
「高等弁務官。領主である自分が、出向で外務ですか。それにサイオキシン麻薬?」
 衝撃のあまり、思わず口調が砕けたものになったことにもは気付かなかった。
 高等弁務官事務所とは、いわゆる外務省のようなものである。公式にはフェザーンも自由惑星同盟も自国の一部として扱う銀河帝国では、大使館は存在しない。だが実質的に異なる政体、意思決定者の存在する両者を取り持つ実務は存在するので、それら外務を行う者は高等弁務官という職種で呼びならわされている。
 参事官といえば、貴族にありがちな何でもありの真面目に働かない課長的な立ち位置と予想されるし、事実そういった貴族子弟のボンボン参事官も多い。
(いやいや、ちょっとまってよ、フェザーン弁務官事務所の参事官って何人かいるけど、あそこって闇取引で甘い汁を吸うような立場の人たちが…)
「適任ではないかな、フェザーン回廊方面星系の領地を持ち、フェザーンでの滞在活動の実績や取引先も存在する。帝国のために力を発揮してもらいたい、と推挙するのもむべなるかな、というのは建前でな」
 言葉を区切った宰相リヒテンラーデ侯は、重々しく告げる。
「つまり、政争の一端を子爵夫人に担ってもらうことになる」
 政治闘争、とは。
(どうして私!?)
「……考えが追い付きません、サイオキシン麻薬の流通路の壊滅とフェザーン、そして政争がどう繋がるのでしょうか」
子爵夫人、そなたは若き女性とはいえ爵位を賜り、領星を預かる身、我らが帝国内の貴族間の関係は把握しておろう」
 はといえば、まるで教授からの口頭試問のごとき状況に、脳内で目まぐるしく記憶が展開する。
(宮廷では元皇女を擁する二大門閥ブラウンシュヴァイク公爵とリッテンハイム侯爵。後宮は妾妃ベーネミュンデ伯爵夫人が幅を利かせていて皇妃は死没、中央省庁は宰相リヒテンラーデ侯爵と財務尚書カストロプ公オイゲンが牛耳ってるんだよね)
 一応、銀河帝国を生き抜く必須知識として、貴族勢力図を学んだである。
 リヒテンラーデ侯爵の一門は、現皇帝フリードリヒ四世の即位とともに権勢を拡大した成り上がり系官僚貴族であり、御名を背景に貴族権益の濫用を抑える側の立場であった。つまり、門閥系のブラウンシュヴァイク公爵家やリッテンハイム侯爵家とは対立までいかぬまでも、牽制しあう立場である。そして財務尚書カストロプ侯爵は不正蓄財の権化(原作知識です)であり、職責の私物化や疑獄事件で悪名高いが、同様に貴族特権を振りかざす層からの支持は厚く、司法省や内務省にも権力の根を張っており、の伯父上であるところの帝国宰相クラウス・フォン・リヒテンラーデにとっての政敵である。
 リヒテンラーデ侯爵が、子爵夫人を政治的に利用すると言うのであれば、彼以外の派閥がにとっての仮想敵となるだろう。
(私を使うということは、個人的に仲良しなブラウンシュヴァイク公爵家はありえないとして、表の政務で戦う想定だと後宮のベーネミュンデ伯爵夫人も相手ではない。残るは、もう一方の門閥リッテンハイム侯爵、あとはカストロプ。原作的にこのあと明らかに没落する家門は……)
 ヘルクスハイマー伯爵家、そしてカストロプ公爵家はのちのリップシュタット戦役の時期には、すでに表舞台には居ないはずである。
 は地獄への招待者である伯父上が口にした単語を、自身の知識とつなぎ合わせてみる。
 先日の遭遇戦をは思い起こす。
「フェザーン方面である第四方面星区の司令官としてヘルクスハイマー伯爵の弟君であるギルベルト・フォン・ヘルクスハイマー少将がいて、フェザーン駐在弁務官としてローバッハ伯爵家二男のヘルムートがいる。モンケル商会の販路はフェザーンからオーディンまで」
 さらには、同盟軍捕虜を乗せて爆散した救命艇は、どのように関わるのか。
 リヒテンラーデ侯爵の告げる、両者を結ぶ単語。
「彼らが関わる物事がサイオキシン麻薬? けれど私がフェザーンに置かれ、宰相閣下が政争と仰る」
(あと没落するといったらカストロプでしょう? リヒテンラーデ侯爵が、カストロプをこの時期に追い落とす? 政争といったら帝位争い?)
 のちの帝位争いといえば、五年後に起こるはずのフリードリヒ四世没後のリップシュタット戦役であるが、帝位継承者として立ったのは三者、門閥のブラウンシュヴァイク公爵家のエリザベート、リッテンハイム侯爵家のサビーネ、そしてリヒテンラーデ侯爵がラインハルトとともに擁立したエルウィン・ヨーゼフだった。エルウィン・ヨーゼフの父は皇太子ルートヴィヒであり、のちに幼帝となる少年の生まれる直前に亡くなった、とは朧げな記憶の切れ端を掴む。
 さらに、子爵夫人として、宮廷で耳にする事実がある。
(曰く、ルートヴィヒ皇太子は父帝フリードリヒ四世の忠臣であるリヒテンラーデ侯爵が嫌いで、どちらかといえば金と贅沢を与えてくれるカストロプ公爵寄りだって話…)
 形の見えてきた『政争』に、は眩暈と吐き気を覚える。
(関わったら死ぬやつじゃん! フリードリヒ四世が、互いが死ぬまでに、って言う訳ですわ!)
 血の気の失せた顔で、は押し黙った。眼前の宰相閣下に向かって答え合わせをしようものなら、自分の首が飛びかねない。
(このタイミングで政争って、ルートヴィヒ皇太子妃がエルウィン・ヨーゼフを身籠っていて、もうすぐ皇太子があの世に行きますってリヒテンラーデ伯父さんが言ってる!)
 リヒテンラーデ侯爵がどこまで真相を明らかにしたかったかは不明であるが、はこれから没落する家門を知っているが故に、恐らくはこの後に真実となる『未来』まで情報を繋げてしまった。
 しかしながら、当の宰相閣下はいずれにせよ自分の生命線を握っているのではないか、とには思えてきた。
(だって、政争をやるって宣言して連想すれば今後の皇位継承者争いの筋書きが読める。私が判るってことは、継承権争いの関係者たちも理解できる。そこにリヒテンラーデ侯爵の推挙でフェザーンへ向かわされて、少なくともローバッハ伯爵家とヘルクスハイマー侯爵家と事を構えたら、私は思いっきり伯父上の手先だと宣言することになる)
 やられた、とは思うのだった。
 これまでエリザベートとの誼もあってブラウンシュヴァイク公爵家寄りと見られていた・フォン・子爵夫人が、リヒテンラーデ侯爵の鉄砲玉にさせられてしまったのである。
 コンラッドの声が、の脳裏によみがえる。
 何が与えられるとしても、断ることができないものだ、
 それがどんな厄介事であっても、受け入れざるをえないのだ、という意味であると、はこの時点で自らの置かれた最悪な状況にようやく思い至った。
 どこまで理解したと伝えるべきか悩み、は結局のところ、貴族的な修辞に頼ることになった。
「陛下の薔薇が、私への別れの餞にならなければよいのですが」
 鷲のごとき顔貌のリヒテンラーデ侯爵の表情が、微かに動いた。
「子爵夫人の才智には驚かされるばかりだ。取り急ぎ、そなたが知らねばならぬのは、フェザーン方面に排除すべき者どもがいる、ということのみだ。子爵家とローバッハ伯爵家には因縁があろうし、悪事をたくらむ者が隣にいては心地悪かろう。互いに目指すべきことは同じであると、コンラッド卿もご理解してくださった」
 帝位争いにまで機転が及んだかは不明だが、コンラッドはよりも先にこの流れを読んだはずであり、確実な対価くらいは要求していそうだが、屋敷へ戻ったら祖父様を問い詰めてやる、とは心に誓った。
 そこから、は吹っ飛びかける意識をかろうじて繋ぎ止めながらリヒテンラーデ侯爵の地獄へご招待な解説を聞いた。
 曰く、ここ数年間、商都フェザーンを含め帝国領内でサイオキシン麻薬の流通が増えていること。
 出所として、フェザーン方面であるとの情報をフェザーン自治領府高官から得ていること。同様の情報筋から、帝国の高位貴族の関与が濃厚に疑われるとのこと。
「フェザーン自治領としては、高等弁務官、もしくはフェザーン方面の領主を疑う、という指摘があった。その点では、子爵領も近年、稀に見る発展を果たし資金の出処が疑われ調査が入ったが、新事業の開拓に相応する収支しかなく、最近も領内で麻薬案件を摘発しておることで除外された。同方面の他の領主に対しても、財政状況、商取引の関係先、所有船の輸送経路に関する裏取りをした」
 その結果、最も疑わしいのはローバッハ伯爵家である、とリヒテンラーデ侯爵は言う。
「その、不躾は質問ですが、当のフェザーン高官の情報は信頼に値するのでしょうか? それに急にサイオキシン麻薬とローバッハ伯爵家が繋がるのも、作為を感じてしまうのですが、フェザーンの思惑は何でしょう?」
 色々と問い詰めたいことはあるが、まずは根拠を明らかにして欲しいと、は問い掛けた。
 顎に手を当て、帝国宰相閣下は束の間、どこまで話したものか、と思案したようだった。
「子爵夫人の疑問も、最もなことだ。もともとフェザーン自治領府は、サイオキシン麻薬の流通に関しては繊細な注意を払っている様子でな…良くも悪くも、彼らにとっては重要な商材の一つ、自身の関知せぬ売買は彼らにとっては迷惑なことなのであろう。経験上、フェザーン自治領はサイオキシン麻薬の取り扱いにおいて、誤った情報を私にもたらしたことはない。それが、彼らの利益にも適っている故であろうが。フェザーンとしては、私に情報を流してローバッハ伯爵家の絡む流通を阻止することで立場が強くなるのと同時に、彼らとしては利害の対立した帝国貴族の排除をこちらに委ねたい、ということなのだろうな」
 重大情報が多すぎて頭痛が酷いである。
(その高官ってもしやルビンスキーっていうのでは?)
「フェザーンがサイオキシン麻薬の元締めということですか?」
「滅多なことは口にせぬ方が良かろう、子爵夫人。大任には肝要な事柄であるから伝えたが、本来は表の沙汰にすべきものでもないと心得て欲しい」
 うっかり口外したら何が起こるか分からない事実など、知らないでいたかった。
(確かにフェザーン=地球教=サイオキシン麻薬の方程式は知っていたけど関与なんてしたくなかった!)
「いずれにせよ、フェザーン自治領の指摘通りの証拠はローバッハ伯爵家から上がり、影響範囲からつながる経路を調べたところ、どうも帝国軍内にもサイオキシン麻薬が蔓延っておりそうなのだ。だが軍務省や軍人の伝手が、私には少ない」
 ゴールデンバウム王朝の忠実なる臣、その守り人であるリヒテンラーデ侯爵の眼差しが、こちらを見下ろしている。
 彼が見込んだのが、子爵夫人だと眼差しが語っている。
子爵家は武家として軍関連の情報を持ちフェザーン方面に領地が存在し、サイオキシン麻薬の流通に関りがないかもしくは敵対しており、閣下の血縁である」
 諦め含みの空々しい気持ちで、は自分が矢面に立つ理由を読み上げてみた。
「当主である子爵夫人は賢明で、フェザーンにおける人脈豊富であり、少なくとも疑惑のローバッハ伯爵家と利害が対立しており、ヘルクスハイマー少将の影響をコンラッド卿の伝手をもって牽制できる」
(さらに宮廷に縁遠く帝位争いに絡まない立ち位置、仮にうまく事が成らなくとも、あら嬉しいとっても便利な捨て駒!)
 フェザーンにおいてサイオキシン麻薬の件を処理できなかった場合でも、リヒテンラーデ侯爵にとっての駒の見込みは他にもあることだろう。
 実際、物語の流れとしてはヘルクスハイマーとカストロプは、子爵家の関わりのないところで、ラインハルトとの絡みもあって没落していくのだから。
 リヒテンラーデ侯爵が政治劇におけるスター役者兼プロ脚本家であると、嫌というほど呑み込めたである。
「私に務まりますでしょうか」
「そなたは既に子爵夫人の身、そして此度の褒賞の披露をもって、その手腕を認むる立場となる。さらに陛下の薔薇は、しばらくはそなた自身と所領を守るであろう」
 薔薇を燃やせば陛下の御威光を足蹴にすることであり、ゴールデンバウム王朝に弓引くのと同義となるのは、帝国貴族であれば察することができるだろう。
 フリードリヒ四世は、この政争を恐らく知って、に花を渡してきた。
(あそこで寝台に飾るって言ったら、少なくとも政争からは逃げられたのかな)
 が本質的に帝国の貴族令嬢であったなら、領主業を放置して後宮に納まることが子爵夫人にとっての幸福となりえるし、ある種の救いを皇帝陛下は差し出したつもりだったのだろうか。
 全く気付かず皇帝お手製の蜘蛛の糸をスルーしたの行く末を眺めるのは、確かにフリードリヒ四世の『道楽』に相応しいことであろう。
(もっと! 普通に! 言葉で教えて!)
 貴族的な話法に、行き場のない怒りをぶつけたくなるである。
 銀河帝国の政治を実質的に司るリヒテンラーデ侯爵は、淡々とこちらに迫る。
「子爵夫人のすべてをもって、この大任を果たしてもらいたい」
 ローバッハ伯爵家とヘルクスハイマー侯爵家を追い落とし、サイオキシン麻薬の流通路を潰した暁には、リヒテンラーデ侯爵がエルウィン・ヨーゼフの後見としての地位を確固たるものとし、その権勢の一員として子爵家が迎え入れられるのであろう。
(お前も一緒に地獄に落ちよう、としか聞こえないんですが)
 しかしながら、この大任の失敗すなわち、自分自身の死や子爵家の没落が待ち構えているとしか思えないのである。
 リヒテンラーデ侯爵が、すべてをもって、と言うのであれば、それは――子爵夫人のもつ公私を問わぬ全権力を用いて、と解釈すべきである。逆に言えば、そうしないと解決できないぞ、と告げられているようなものだ。さらに、国務省に席を得てフェザーンへ出向となれば、子爵領へ簡単に戻ることもできない。自らの所領を安堵したければ、宰相閣下の言う大任を果たせと言い渡されたわけである。
(とっても貴族的なやり口ですね)
 泣きたい内心を押し隠し、絶望を吹っ切るしかないは問う。
「閣下がお望みの決着は、少なくとも当家によるローバッハ伯爵家の排除、ヘルクスハイマー少将の失脚、サイオキシン麻薬流通路の壊滅……だと難易度が高いので、遮断、といったところでしょうか」
「先ほどの会話で、そこまで辿り着けるのであれば上出来よの」
「本当に、私にできると思われますか?」
「子爵夫人自身、見込みがなくはなかろう? 少なくとも、そなたの祖父君はローバッハ伯爵家をあれだけ嗅ぎまわっていたし、遅かれ早かれ衝突は起こるはずで、その準備をしておらぬことはあるまい。ヘルクスハイマーの件は、ローバッハ伯爵家と対立すればいずれにせよ同様の構図になろう。私が手を加えたのは、フェザーンへの出向とサイオキシン麻薬の件くらいであろうよ。そして、その二つを得ることで前者の件には有利な情報を得やすく、私からの助勢もしやすい」
 厳つい表情をしていたリヒテンラーデ侯爵が、悪役張りの微笑みを浮かべる。
「そなたを、簡単には見捨てぬと約束しよう、子爵夫人」
 ぐうの音も出ないである。
 そろそろ式典の時間である、と侍従が扉を打ち鳴らす音で知らせてきた。
「では、参ろう。私は陛下の傍に侍るゆえ、のちほど広間でな」
 としては、全宇宙に向かって叫びたい心情である。
 どうして、こうなった。


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