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Act02-16



 貴族。
 それは銀河帝国という社会で特権を付与され、平民、農奴階級の臣民と区別される人々の総称である。
 高い経済水準と豊かな教育の中で育ち、優れた臣民として位なき平民、農奴たちを導く帝国の礎たる皇帝陛下の第一の臣、という解釈は、帝国歴四八二年においては形式的なものにすぎなかった。
 貴族。それが銀河帝国という体制にとって、なかば怠惰と奢侈の代名詞となって久しいことを、コンラッド・フォン・は身をもって知っていた。
 銀河帝国ではあまねく臣民の上に皇帝が君臨し、その威光の下で貴族や平民が生きるという帝政の中央集権体制をとっている。
 しかし現実的に皇帝ひとりが銀河帝国の全てを掌握し、采配を揮うことは不可能である。このため、政務では国務尚書を筆頭とした文官が皇帝を輔弼する内閣として集い、軍務では帝国軍三長官、つまり軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官が帝国軍の指揮統帥を委任されている。さらに銀河に散らばる有人惑星を実質的に統治しているのは皇帝でも尚書や軍三長官らでもなく、領主として各領星に封じられた貴族たちであり、帝国の為政は彼らに拠るところも大きかった。議会が永久解散とされた帝国では政事の取り決めに民意を問う必要はないが、皇帝によって諸侯が集められ国政に関する触れが出される場が設けられており、これを宮廷と呼ぶ。
 皇帝の御位には絶対的な権力があるとはいうものの、全ての貴族が皇帝の意向を無視すれば銀河帝国の統治はままならない。ゆえに貴族たちも権力を持ち、宮廷と皇帝を通じて銀河帝国の政治に介入する。宮廷で影響力を持つということは多くの帝国貴族を動かせるということであり、すなわち帝国政治が“うまくいくように”取りはからうことができるのだった。
 ところで、皇帝より領地――有人惑星や星域――の統治を任される貴族は序列の中でも上の部類に属するが、この部類にも更に分類がある。長き伝統を背負う名家は格が高いとみなされ、時代が下がって領地を得るに至った主に軍人系の勲功貴族たちは、名門諸侯らからは成り上がり領主とみなされていた。
 まさに子爵家は、自由惑星同盟との会戦が定期的に繰り広げられるようになったこの百年間に領地を得た、新興の勲功貴族の一員であった。
 平民や農奴から見れば階級は上であるが、子爵家の貴族社会における立場はけして強いものではない。権勢を誇れるほどの歴史と縁故が、鳥に白樺紋の子爵家にはなかったのである。
 パランティアの英雄と呼ばれたコンラッド・フォン・の軍功によって、子爵家の名は銀河に知れ渡ったものの、それも一時的な脚光に過ぎなかった。当の英雄自身が宮廷を疎み、権力の拡大を求めなかったからである。
 銀河帝国の辺境で慎ましく領地を預かるだけで充分だ。それを怠惰と謗られようとも、宮廷で位を争いこれ以上の権力や金銭を求めて何になるのだろうと、かつての英雄は思っていた。少なくとも、つい先日までは。

 コンラッドは宮内省からの一報を受け、さらに国務尚書リヒテンラーデ侯爵からのヴィジホンが入るに至り、険しい顔をしていた。
 かつて孫娘が彼の居室を急に訪れ、また息子夫婦がヴァルハラへ召されてしまった時のように、転機はやはり唐突に訪れるものだった。
に、陛下からの褒賞を?」
子爵夫人の統治は名誉に値する。子爵領の発展はめざましく、他の領主達の手本となるべきではなかろうか」
 画面の向こうの国務尚書リヒテンラーデ侯爵の表情は真面目そのもので、口調も淡々としていたが、腹の内が知れなかった。
 リヒテンラーデ侯爵クラウスは、皇帝フリードリヒ四世の御代にて宮内、内務、財務尚書といった要職を歴任し、尚書職の筆頭である国務尚書に就任して以来、十年以上も皇帝の政務を輔弼している。
 今は亡き息子カールの妻ヨハンナはリヒテンラーデ侯爵クラウスの義母妹にあたり、にとってリヒテンラーデ侯爵は伯父にあたる。ヨハンナと侯爵は歳が離れた兄妹であったので、コンラッドと侯爵は年齢の差が少なく、立場的にはの母方の祖父といったものに近い。
 の父母であるヨハンナとカールの急逝したその時まで、リヒテンラーデ侯爵家と子爵家は縁遠かった。にもかかわらず五年前、侯爵が弔問に現れたのは、心情的な理由のみではないのだろうかとコンラッドは疑心を持っていたのだが、当の侯爵は葬儀後は当たり障りのない時候の挨拶を子爵家へ寄越す程度だった。時折、オーディンでを食事や宴に誘うこともあったようだが、当のは二回に一度の割合で招待を受けたり断ったりしていたようである。孫娘曰く“失礼なく適度に友好的な”交流である。
 コンラッドはの交友関係に口を挟まないことを徹底していたので、孫娘の判断を全面的に受け入れながらも、リヒテンラーデ侯爵の真意を測っていた。
 そこへ、今回の褒賞下賜の話が出てきた。一体、この御仁は何を始めようというのだろうか、とコンラッドが怪訝に思うのも無理はないことだった。
「あの娘はまだ十五にもならぬ若輩であれば、他のお歴々の手本になどとても足りぬかと」
「領を治めることに長けていれば年頃や性別は些末なことと、陛下は仰せである」
 言外に既に決まったことだ、と言われコンラッドは無駄な抵抗は止めた。たとえリヒテンラーデ侯爵の意図が絡んでいたとしても、皇帝陛下の褒賞を断ることなどできようはずもないからだ。
 リヒテンラーデ侯爵は帝国文官の長として、ここ十年、大過なく宮廷を治めてきた実力者である。手回しもお手の物であるから、既に断れる段階ではないのだった。
「我が子爵家には身に余る光栄と存じます」
 きっとは知らなかっただろうが、今回の褒賞は陛下が領主の才覚を認めるということである。宮廷的には帝都オーディンでの国政進出の下準備ができたとみなされる出来事であり、いわば貴族官僚として出世の道が拓かれたに等しい。
 だが、は女である。銀河帝国の、とくに政事の舞台における男女の垣根は高い。
 子爵家をよく知らない他家からは、子爵夫人は祖父コンラッドの傀儡と思われているのである。ブラウンシュヴァイク公爵家やヴィーゼ伯爵家との交流は小娘のお遊びが成功した程度のことで、領主の仕事は祖父や統治府の代官まかせに違いない、そういう意見が一般的な帝国貴族の認識である。
 にも関わらず、陛下が子爵夫人に統治についての褒賞を与えるということは、それなりの宮廷への影響を伴う。そしてまた、子爵家にも影響を及ぼすだろう。
「子爵夫人も卿と同じように謙遜しておった。聡く謙虚であることよ」
「此度はどういった経緯で褒賞が下賜されることに相成ったのでしょう。我が子爵領はここ数年で確かに発展の成果を残しましたが、他にも褒賞に相応しい領主方がおられるでしょうに」
「正しき行いには正しく報いるべきではないかね。少なくとも国務尚書の責を預かる身として思うことであるが」
「臣は報いを求め、領を預かる訳ではありませぬ。授けられた爵位に伴う責務でありますれば」
 コンラッドの言に、リヒテンラーデ侯爵は鋭い目をさらに細めた。
 暗に、お前の都合に巻き込むな、と言ったことが伝わったのだろう。
「左様、陛下の臣には常に責務がある。良き臣をお引き立て下さろうとする陛下の御心に、臣は従うまで」
 だが御名を出されれば、コンラッドには太刀打ちができなかった。
 宮廷政治を忌避した自分が、この時ほど恨めしかったことはない。リヒテンラーデ侯爵はを、子爵家を、面倒事に巻き込もうとしている。だがそれを防ぐ手立てが、コンラッドにはないのだった。
 コンラッドの険しい表情をどうとったものか、リヒテンラーデ侯爵はなおも言い募る。
「我らが銀河帝国と王朝が末永く繁栄するよう臣は務めるまでよ」
 その後の話も、コンラッドの気分を暗澹とさせた。どうにも、厄介事を回避できる見込みがないのである。だからコンラッドは決心した。
 彼は軍人であった。それなりに優秀な軍人であったから、彼は瞬時に判断を下したのだった。
 そしてまた、彼は貴族でもあった。
「委細承知しました、リヒテンラーデ侯爵。ところで……」
 利害の一致による協力関係をコンラッドは申し出た。リヒテンラーデ侯爵の目当てがとはいえ、孫娘に対する祖父の影響力は無視できるものではない。侯爵自身の宮廷での立場や、侯爵はコンラッドの軍人としての軍務省や帝国軍への力を求める素振りもあったので、コンラッドはリヒテンラーデ侯爵に概ね要求を呑ませることができた。
 何の対価もなく相手からの一撃を食らうのは割に合わない。こちらの拳も食らってもらおう、というのだった。
 このことを、コンラッドは孫娘に語りはしなかった。
 はといえば、単純に陛下の褒賞を受け取るためだけにオーディンへ向かうと考えているようだった。コンラッドが同行しないことも、あまり深く考えていないようである。
「陛下の褒賞って何なんでしょうか?」
「何が与えられるにせよ、断ることができないものだ、
「そういうものですか? 過去の例ではお金や領地という場合が多いと読みましたが。個人的には何にでも使えるお金が良いです。現金を頂けたら、奨学金の足しにして医学生を援助して高度医療施設を我が領内に……」
 少々、孫娘の貴族的感性が乏しいことに危機感を覚えるコンラッドであったが、今回のことで貴族のやり口を学ぶことになるだろう。
 は聡い孫娘であったが、辺境領主としての経験のみでは真に領地を守ることができないかもしれない。
 変化を迫る嵐が、銀河の辺境に近付いていた。


*****


 本日のは、銀河帝国の中心ともいえる皇帝陛下の御殿、新無憂宮へ出仕していた。
 オーディン中心部の小高い丘一帯が宮殿の敷地であり、外壁が張り巡らされた内側には皇帝が政務を執る表の宮をはじめ、妾妃たちが暮らす後宮や、さまざまな趣向の離宮、庭園、狩猟場などなど一年中どのような娯楽にも興じられるよう作られているのが新無憂宮だった。
 入口からして見る者を圧倒させる太い石柱が並んで荘厳さを演出し、柱の上からは筋肉隆々の神様やら豊満な体つきの女神様やらの石像が睥睨している。建物内部のしつらえは銀河に比肩するものなく輝き、庭園の緑はこれ以上ないほど丁寧に丹精されており、全てが最上級のもので構成されたここは、まさに憂いなき地上の楽園、といったところだ。
 宮殿の外門には地上車の車寄せがあるが、ひとたび門をくぐれば敷地内は徒歩および馬車移動という、ルドルフ大帝以来の伝統である人力万歳の世界が広がっているのが特色である。(と後世の歴史家あたりは書きそうだとは思う。)
 宇宙空間を戦艦が飛び交う時代にあって、目の付く場所に機械装置類を置かないというのは、とてつもなく贅沢なことであり、高級な振る舞いであると銀河帝国ではみなされている。もちろん、合理性など二の次である。馬車に揺られるのも観光気分で悪くないが、建物内ではどこへ行くにも歩かされるため踵の低い靴は宮殿訪問には必須アイテムである。
 このゴージャスの頂点を極める新無憂宮は単なる皇帝の住まいというのみでなく、銀河帝国の国政の中心として宮廷が開かれ、貴族たちが日夜集う場所でもあった。
 政治と言えば国会議事堂に代表される議会を思い浮かべてしまうには、いまいち宮廷といったものがよく理解できなかった。
 皇帝が全てを決めてしまうのに、貴族が集まって何をするのか。そう問うたに、政治学を専攻していた主席補佐官のマインホフは語った。
『利益の調整です』
 その一言に、は深く納得した。
 よくよく学んでみると、貴族政治もの知る政治に近いものがあった。血縁による世襲という点は民主主義と異なるが、政治において私的利益ではなく公的利益の追求を“貴族の責務”の名目で定めているところや、名誉を重んじてスキャンダル合戦を行っているところに、は共通点を見出したのである。
(まあ貴族の責務っていまの銀河帝国では、本当に名目に成り下がってるけどさー)
 は現在、宮廷の一角の控え間で皇帝謁見の順番を待っているところだった。出仕した貴族の従者や使用人は別室へ通されるため、は片隅に置かれた煌びやかなソファセットに一人ぽつねんと座っている。
 高級ホテルのロビーのような空間には複数のソファセットがゆったりと配置されており、以外の貴族たちも室内にたむろしている。貢納奏上のための謁見日というだけあって、本日は領主と呼ばれる諸侯が勢揃いしているのである。
 成り上がり貴族には由緒正しい貴族の皆様は冷たいものだが、ブラウンシュヴァイク公爵家との誼もあって、子爵夫人に対する宮廷内での風当たりは微妙に生温い。ブラウンシュヴァイク公爵家寄りの貴族からは比較的優しい声を掛けられるが、その公爵家の政敵にあたるリッテンハイム侯爵家寄りの貴族たちには悪し様に噂されることもある。しかし普段から辺境の領地に引っ込み宮廷政治活動は消極的であるため、基本的には子爵夫人としてのは貴族間の権力争いの蚊帳の外であり、大方の貴族たちにとっての若き子爵夫人の評価は、祖父コンラッド・フォン・に操られるままの珍奇な小娘領主といった具合だろうと、自身は思っている。
 はこの五年間、子爵夫人として銀河帝国で生活してきたものの、権力にも出世にも興味がなく、積極的に宮廷へ足を運ぶ機会を作らなかった。
 和食の営業活動とエリザベートとの付き合いでブラウンシュヴァイク公爵家周辺の貴族たちとの交流もあったが、は主に女達の社交場に出入りしており、子爵領内の政務以外、銀河帝国の中央政治とは基本的には無縁だったのである。
 そもそも、派閥云々、政治がどうこうという宮中では、――・フォン・子爵夫人はお呼びでない。
 階級のそれと同じく、銀河帝国における男女の差は大きい。女は家を守り、子を育み、政治は男がするものという意見が世の大勢を占めているから、領主として政務を執る子爵夫人は、銀河帝国の政治文化の観点から見てある種イロモノといってもよい立場だった。女性の領主が存在しない訳ではないが、一般的には親類縁者の男性が代行したり、有力貴族による傀儡領主であったりと、当の女性本人が政務をとることは稀であるという。そのような常識の中で孫娘を名実ともに領主として据えてしまうコンラッドも、そしてそれに乗っかって政務を頑張ってしまったも、銀河帝国では常識外れに違いないのだろう。
(そこにリヒテンラーデ侯爵の推挙でどうなるかと思ったけど、こうなるよねー、うん)
 貴族の会話は、基本的に誰かが聞いていることを前提に交わされる。会話相手と喋っているように見えて、その実、聞き耳をたてている周囲に何事かを吹聴するというテクニックが貴族的会話術にあるとは思う。
「国務尚書リヒテンラーデ侯爵が、褒賞を賜るよう推挙したという話は真か。辺境の小娘領主を陛下の御前に晒すなど、何を考えているのだ」
「此度はパランティアの英雄を伴わぬか。あの男も、孫娘のお守りもできぬほど耄碌したか、それとも手柄は娘子一人のものと言い張りたいのか」
「食糧の生産性向上など目新しい施策ではないではないか。その程度のこと、どの領地でも取り組んでおるわ」
 聞こえてきた声は割合に上品な噂だ。聞こえない部類の話は、精神衛生上、聞かないほうが自分にとって幸せだろうと思うである。
 表面上は涼しい顔で庭園の薔薇を眺めているだが、内心は帰りたい一心である。
(半端ない、このアウェイ感)
 皇帝陛下にお褒めを賜る意味は、子爵領を出発する前にコンラッドに聞いていた。
 だが結局の所、リヒテンラーデ侯爵の思惑がどうあれ辺境へ逃げ帰ればよいと考えていた。
 宮廷での出世などには興味がない。子爵夫人という爵位だけでも充分過ぎるし、辺境領主として惑星一個を治めることすら苦難があるので、これ以上、重荷を背負いたくないのである。
(今日は隅でじっとして、ちょちょっと陛下にご挨拶して御礼言ってればいいんだろうし。だから祖父様も一人で送りだしたんだろうし、難しいことないもんね)
 つい先ほどまでそんな考えでいたは、しかし自分が桁違いに脳天気であったことを嫌というほど知る羽目になった。
 紅茶を飲んでいると、侍従が近付いてきて耳打ちした。
 曰く、国務尚書リヒテンラーデ侯爵が謁見の前に話がしたいと、お呼びとのことである。
 リヒテンラーデ侯爵は姪御をいたく気にかけてくれる良き伯父上であるが、は彼の心遣いを持て余すことも多かった。
 いずれはラインハルトに亡き者にされる人物であり、親しくなれば政争の余波を食らいそうである。
 とはいえブラウンシュヴァイク公爵家の時と同じく、曲がりなりにも国務尚書閣下の機嫌を損ねるのは得策ではない。適度に友好的に、を心がけて早五年、とリヒテンラーデ侯爵の関係は時折会う親戚の伯父と姪、といった関係に終始していた。
 それがここにきて、陛下からの褒賞の話である。
(リヒテンラーデ侯爵、一体なにを企んでるんだろう? 辺境の子爵夫人を味方にしても、大して得しないと思うんだけどなあ)
 侍従の後に付いて歩きつつ、は暢気に思った。



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