BACK NEXT 子爵TOP


Act02-13



 子爵夫人を乗せた戦艦アウィスを中心とする小艦隊は、フレーゲル准将の下命により随伴する帝国軍第四方面区警備隊所属のレルヒェ三号および四号と共に、予定よりも二日遅れて惑星オーディンへ到着することとなった。
 銀河の中心たる惑星オーディンの大気圏へ、戦艦アウィスを包むように降下していた四隻の駆逐艦は、着陸態勢へ入るため相互の距離を開いていく。
 先行してオーディン中央宇宙港へ降下してゆく護衛対象の戦艦を、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト少佐は艦橋スクリーン越しに注視していた。
(もうすぐ、到着か)
 ファーレンハイトの故郷は、このように煌びやかな星ではない。
 とある有領貴族の臣下として仕えたファーレンハイト男爵家は、帝都から一五〇光年は離れた惑星に粗末な邸宅を構え、彼もそこで生まれた。
 先帝から今上帝の代替わりにともなってファーレンハイト男爵家とその主家は没落し、彼が生まれた頃には生家は家名の前に貧乏と冠するに相応しい貴族となっていた。
 貧乏貴族の生活は厳しい。没落以前の生活を知る祖父や父は、過去に縋って伝統と矜持を捨てきれず、外面を飾り付けるため食費を削ることもしばしばだった。表向き身綺麗な恰好をすれども邸宅の内側はひどい有様で、先祖伝来の絵画や美術品は全て売却され、冬には暖房代がまかなえず庭木を手折った。宝飾品を幾つか手放せば温かいスープが飲めたのに、権勢華やかな貴族への献上品を用意するため、毎日が固いパン一切れとジャムだけの食事だったこともある。
 そうして、ひもじさの中で彼が得たのは、名より実を取ろうという固い決意だった。
 彼は食うために軍人になった。ファーレンハイト男爵家の名や貴族としての位はどうでもよく、ただ毎日の食事や自らの行動――見栄を張らず、あるがまま振る舞うこと――に満足できる生活さえあればよかったのだ。士官学校を卒業してから少佐に至るまでの彼の生活は、やや退屈であるものの概ね彼の人生計画に沿っていた。
 だが、彼の運命の歯車は昨夜を境に大きく狂ってしまった。
「高度一五〇〇までに艦速を時速三〇〇キロへ減速、微速降下を続けよ」
 了解の応答にファーレンハイトは指揮シートに背を預ける。このまま何事もなくば、一時間以内に任務完了の報告を上申できるだろう。
 普段であれば、それは喜ぶべきことであった。レルヒェ三号の船体点検のため、搭乗員達は最低でも24時間はオーディンに停泊できる。予定外に生じた休暇の間、帝都の空気を満喫できるのであるから、兵士はもちろん士官たちも内心では胸を躍らせ、着陸誘導管制と通信士官の応答を聞いているに違いなかった。
 しかしながら、ファーレンハイトの表情と胸中は晴れから程遠い曇りようであった。彼の傾いた機嫌を悟ってか、艦橋士官達も喜色を浮かべることなく任務に専心している。
「レルヒェ三号、一二七番スポットへの着陸進入経路は適正、降下速度よし」
 管制からの報告に、ファーレンハイトは各方へ指示しつつ自艦の着陸態勢を整える。
 スクリーンには雲間に瞬く宇宙港の光が見え始めていた。先行する子爵領小艦隊の三隻は、その大地の光へと吸い込まれていく。
「最終着陸態勢確認、現在の速度を維持しつつ高度を下げ、繋留磁場との連結を確認せよ」
 宇宙港の赤い灯火を目印に降下するレルヒェ三号は、127とマーキングされた停泊スポットへ徐々に接近する。
「高度三〇〇、二〇〇、一〇〇……一二七番スポットとの磁場連結!」
「磁場連結よし。主動力機関停止、重力制御は地上管制へ委譲せよ」
 ファーレンハイトの声に、機関士が復唱報告。
「機関停止、当艦の重力制御を地上管制へ委ねます」
「地上管制よりレルヒェ三号、重力制御委譲を確認した」
 艦が地上待機状態へ移行したことを認め、ファーレンハイトは着陸完了を宣言した。
 相変わらず渋面を作っているのは彼だけで、仕事から一時的にであれ解放される喜びからであろう、艦橋のあちこちから安堵の息と笑顔が一斉に生じる。
 当直以外の兵らはこれから宇宙港に近い街へ繰り出し、酒を飲み、娼館へしけこんで日頃の憂さを晴らすに違いない。
(ああ、俺も酒が飲みたい気分だ)
 大酒飲みではないが、たしなむ程度にはファーレンハイトも酒を好む。船から降りた直後の一杯は格別で、ジョッキに満たされた琥珀色のビールやグラスに満たされるワインの旨さが思い出された。
 だがファーレンハイトには、逃れられぬ大きな厄介事がいまだ残っている。気楽に酒を友とすることが、まだできそうにない。
「俺は子爵夫人の見送りに立つ。後は頼む」
 軍令あってオーディンまで子爵夫人に随伴したレルヒェ三号艦長として、彼にはそうすべき義務があった。
 戦艦アウィスの乗降場へ向かいながらも、この二四時間で急激に変化した自身の境遇を、彼は改めて考えた。すると脳裏に浮かぶのは、黒髪の少女と栗色髪の旧友の笑顔である。
 昨夜の晩餐会の食事は確かに美味しかったが、同時に奴らにまんまと食わされた、とファーレンハイトは思うのである。
 宇宙港Aブロック八番桟橋を足早に渡る彼の水色の瞳が、白いドレスの裾を翻しタラップを降りる少女を捉える。
 護衛武官を従え進む黒髪の少女。すべての元凶。
 幸運と不幸は紙一重をまさに実感させてくれる、今やファーレンハイトにとって悪魔であると同時に救いの主たる者。
・フォン・
 幾分の恨みを込めて、ファーレンハイトはその名を胸裡で呟いた。
 階のふもとで歩みを止めたファーレンハイトは、同じく見送りに立つレルヒェ四号のネロート少佐と並び、踵を揃えて子爵夫人の称号を持つ少女が通り過ぎるのを待つ。
 緩やかな速度でゆっくりと階段を下ってきた黒髪の少女は、小さな歩幅で二歩進み、彼の目前で立ち止まる。そして裾を捌いて向き直ると、優雅な所作で一礼した。
「お見送りまで、わざわざありがとうございます。あなた方のお陰で無事にオーディンへ来ることができました」
 微笑んで礼を言う子爵夫人に、オーディンまで随行したレルヒェ三号および四号の艦長は敬礼を返す。
「勿体なき御言葉、恐縮です。小官らは任務を果たしたのみです」
 レルヒェ四号の艦長が模範的な言い回しで応じる一方で、ファーレンハイトは喉元まで出掛かった文句をようやく飲み下し、光栄です、とだけ無表情で口にした。
「お二方のご助力について、フレーゲル准将閣下にもお伝えしておきますね。それでは、アウフヴィーダーゼーエン」
 再び軽く膝を折って貴族の淑女らしい挨拶をした子爵夫人は、踵を返すとファーレンハイトにはもう目もくれず去っていく。
 貴族によくある、話す間だけは相手を認識しているが、目を離すと存在の価値を認めなくなる、そういった振舞いだ。少女の背後に控えていたヘルツも、一秒たりともこちらへ視線を向けなかった。端から見れば、彼らとファーレンハイトの間には親しさなど欠片も感じられない素振りである。
「随分と素っ気ない。一晩で飽きられたのかね、ファーレンハイト少佐」
「そのようです」
 ネロート少佐の皮肉を否定するのも面倒だった。ファーレンハイトは投げやりに答え、興味津々で昨夜の出来事をさらに聞きだそうとするネロートから逃れるように自艦へ戻る。
 当直体制を確認し、工廠へ点検事項を伝達、報告書を書き上げて超光速通信でフレーゲル准将に投げておく。
 そうして三日間に及ぶ子爵夫人の護衛任務を手続き上でも完了させたファーレンハイトは、部下達からの酒の誘いを断って無人タクシーに飛び乗った。
 行き先を問う機械音声に、ファーレンハイトは手元のメモを厳しい声音で読み上げた。
「ニーダーフェルト、ガルテンシュトラーセ四七まで」
 腕組みをする仏頂面の軍人を乗せた地上車は、命令に従って夜の帝都をひた走る。
 彼の目的地はオーディン中央宇宙港から所要二〇分程度のニーダーフェルトの外れ、中央通りからは少し奥まった通りにあった。街中の賑わいからは遠いその場所で、ファーレンハイトは無人タクシーを降りる。店の入り口を見上げると、鳥の影絵が描かれた丸い白ランプが掛けられていた。それが提灯という名の照明具であることを、彼は知らなかった。
 ファーレンハイトは橙火ゆらめく石灯の合間を抜け、垂れ下がる長方形の布をくぐると、黒塗りの木扉が自動的にスライドした。
 出迎えの銀髪の青年はすべて心得ている様子で、軍服姿のまま一人立つファーレンハイトに会釈をし、彼を店の奥へと導く。
「ようこそ、ファーレンハイト少佐。こちらへどうぞ」
 店内の角を幾度か曲がり、仕切り戸を何度か通りすぎて、ようやく奥まった一室へ辿り着く。
 秘密の会合に相応しい静けさの中、先導の青年はファーレンハイトの訪れを室内へと告げた。
「失礼致します、お客人がおみえになりました」
 部屋の入り口に立ったファーレンハイトの水色の瞳と、先客の黒い瞳がぶつかる。
 卓に着席した白いドレスの少女は、愛らしくにっこり笑った。少女の傍には栗色髪の青年士官と、黒髪の下士官と思しき青年もいる。
「いらっしゃいませ、ファーレンハイト少佐。お待ちしておりました」
 ファーレンハイトは憮然と言った。
「再度のお招きありがとうございます――子爵夫人」


BACK NEXT 子爵TOP