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12



 結婚は二人でするものだ、という言葉がある。
 それはけして、子爵邸の一室に山のごとく積み上げられた見合いの釣書(銀河帝国では三次元ホログラムの写真が主流である)や、社交場に出るたび子爵夫人という肩書きと資産への欲に目の眩んだ、家を継ぐあてのない貴族の次男坊、三男坊からの再三の色目を思い出したからではなかった。
 そしてもちろん、目元も涼しい美男子であるファーレンハイト少佐とうら若き子爵夫人――中身は外から見えないのだ、幸いにして――の間に、運命の愛が芽生えたからでもない。
 勢いに任せて素敵な辺境生活へお誘いをかけてしまったに、ファーレンハイトは何度か水色の瞳をしばたかせた後、このように返答したのだった。
「突然のお声掛かりに、小官もいささか驚かずにはおれません。子爵夫人が小官などをわざわざ配下に招こうと言明下さること、身に余る光栄です。しかし、あまりに急なことゆえ、直ちに閣下のご配慮に相応しい言葉を用意することが難しく、しばし猶予のご寛恕を頂けませんでしょうか」
 慎重さと丁重さを欠かさず、後に帝国軍上級大将、そして三元帥(ドライ・アドミラル)に数えられることになる青年は言った。
 ファーレンハイトの言は、気易く身売りはしないとの牽制だったろうが、は残念どころか心底から安堵した。
(セーフ、セーフ!)
「ええ、考えるお時間が必要であると私も同意します。ゆっくり、じっくり、お考え下さい」
 個人としては、ファーレンハイトと誼を結ぶことは喜ぶべきことである。優秀さは後年の活躍から折り紙付き、きな臭いローバッハ伯爵領問題もあって軍備は万全にしておきたいところで、ファーレンハイトを迎えることは子爵領の利益にも合致すると思うのだ。
 だがリップシュタット戦役のことを思えば、ファーレンハイト少佐が子爵領に所属することすなわち、も子爵家もファーレンハイトもろとも貴族連合軍に参加、最後は考えたくもない悲劇的結末へ一直線かと思うと身震いするしかない。
 もっと前向きに原作知識活用といきたいが、これ以上は門閥貴族連合軍参加への足掛かりを自分から増やすつもりはない。近頃ブラウンシュヴァイク公爵家へ赴くと、それも不可避と感じられてならない絶望の序曲が聞こえるのも気のせいだと、信じたいお年頃なのである。地獄の扉をわざわざ自分でぶち破る、どこぞの青年革命家提督のごとき伊達と酔狂の持ち合わせは断じてない。ないったら、ないのである。
(おお、怖い)
「もし気が向かれないなら、遠慮なく断って下さっても構いませんよ?」
 ファーレンハイトも、さすがの追い討ちには苦笑を滲ませた。言われて即座に拒否できる状況ではない、と口に出さず思ったのだろう。
「私がこんなこと申し上げると、もっと言いにくくなりますね、ごめんなさい」
(とはいえ、ここまで来ると何がどうなっても仕方ない。一応は腹を括っておこう。もうどっちでもいいや!)
 考えるのが面倒になったは、成り行きを天に任せることにした。は楽観主義で生きていくことを、もう五年も前に自らの生涯のモットーと心に決めていたのである。
 と、そこで一人の下士官がいつの間にか背後からへと近付き、素早く耳打ちをしてきた。気配に気付かなかったは、急に耳元で響いた囁き声に、心臓が大きく飛び跳ねた。
「よお、閣下、楽しい報せを持って来たぜ」
 凍った笑顔で左横へ視線を送ると、軍曹の階級章を付けた青年が立っていた。閣下、という単語が笑い含みだったのは、からかい混じりだからだろう。
 本来の髪色は黒の筈だが、いまは輝くばかりの金色である。だが顔つきも声も見紛うことはない彼の名を、ときにレクス・シュトルツァー軍曹といい、また時にフェルノストやらカイル・シュッツという。
 いま現在、精悍な軍人面した青年は、その実、主に情報を武器とする諜報員であった。近年は帝都オーディンやローバッハ領での単独任務が多く、顔を合わせる機会も減ってはいたが、彼直々にの下へ来るとなるとは余程の何かがあったのかもしれないとは思う。
「喜べ、大漁だ。説明する。晩餐は切り上げろ」
 急なカイルの来訪に、はどきどきしっぱなしである。
 主に、嫌な予感で。
 は頷くと、会話を打ち切っておもむろに席を立つ。
「本日はお忙しい中、わざわざ当艦にお出で下さってありがとうございました。私の不躾な申し出はお気になさらないで下さい。短い時間でしたが、お食事をご一緒できて、嬉しく思います」
 晩餐も終わりだというニュアンスを含ませ、一礼する。
 身分が上の者から退出するのが銀河帝国の慣習であるが、唐突さは否めなかったろう。しかしとしては、聞き捨てならない言葉に、今すぐ詳細を確かめたくなったのだ。
「お前、狙われるぞ」
 やはりというべきか、ついにというべきか、早速というべきか。
(とほほ……さらば私の平穏)
 先の襲撃から、既に二日が経っている。もっと後で構わないとは思うのだが、策を立て実行するに不足ない時間ではある。
 ファーレンハイトには申し訳ないが、自分の命を左右する情報はすぐにでも知りたいというのが人情ではないだろうか。
 子爵夫人に続いて、晩餐に同席していた者はみな、見送りの礼のため立ち上がる。
 ファーレンハイトにはまだ腑に落ちない点が数えきれぬほどあったが、子爵夫人を引き留めることはせず、とりあえずは丁寧な礼をした。
「このように素晴らしい機会を下さったこと、改めて御礼申し上げます、子爵夫人。先の御言葉については……」
「お心向き次第では、私と顔を合わせるにも気まずい思いをなさるかもしれませんよね。ファーレンハイト少佐のご返答は、そうですね、オーディン到着までにご友人でもあるヘルツ少佐へお伝え下さい」
 子爵領の幼い領主が、彼の隣に立つヘルツへ目配せすると、栗色髪の旧友は了解したと微笑んで首肯した。
「そのことは別にして、ヘルツ少佐とファーレンハイト少佐も折角お会いになったのですし、ゆっくりお二人でお話なさって下さいね。では、私はこれで失礼いたします。皆様、この後もどうぞ楽しんで下さい」
 食事の礼や挨拶を述べて見送る者たちに挨拶を返しつつ、金髪の下士官を従えた子爵夫人はドレスの裾をつまみあげ、しずしずと退室していった。
 皆の前に、恰好の獲物を残して。



「あの少佐、引き入れるつもりか?」
 とカイルは食堂を出た後、戦艦アウィスの通路を抜け、子爵夫人の自室へと引き上げていた。
 応接用のソファで寛ぐカイルは、窮屈な軍服の襟元をゆるめながら言った。相変わらずの不遜な態度にゼルマは目を尖らせたが、カイルは非難がましい視線に目もくれず、こちらも行儀悪くヒールを脱ぎ捨て力を抜いた子爵夫人を見据えていた。
 変装用の金髪姿は見慣れないが、相対する青年は紛れもなくカイル・シュッツである。
 五年前に子爵領の一員となって以降、いつかふらっと行方知れずになるかもしれないという予想を裏切り、真面目なのか不真面目なのかわからない態度で隠密仕事を請け負ってくれている。
「引き入れるというか、少し話そうと思っただけだったんだけど、結果的に誘ってしまったというか、そうなればいいと思ったというか」
「へえ? 確かに本気で引き抜こうとしていたようには見えなかったが、まあいいだろう」
 久々の再会ではあるが、頻繁にヴィジホンでの会話を交わしていたこともあり、全く感慨もない。
 唯一それらしき言葉があったとすれば、を上から下まで一瞥したカイルが、
「今年で十五のくせに、相変わらず色気がなくて結構なことだ」
と、述べたくらいだ。貴族間で流布するリヒテンラーデ侯の愛人などという噂など、お前を見れば事実か否かは一目瞭然、いちいち火消しをせずに済むのは有難い、そういった意味合いの発言であろうとは推測している。
 加えて、帝国貴族の世界で外見が魅力的であることは、面倒を引き寄せることと同義である。――・フォン・は今のところ独身であり(の感覚的には当然なのだが、銀河帝国貴族の基準から言えば夫がいてもおかしくない。恐ろしや)、子爵位と裕福な領地を持ちながら兄弟もおらず、近しい親族は老いた祖父だけという、婚姻による地位上昇を狙う貴族子弟にとっては恰好の優良物件である。これで色気たっぷりとなれば、若者たちだけでなく好色な貴族も愛人や妾とするために近付いてくるのだ。
 貴族の間では、家名がものを言う。男女の問題も単に個人の好き嫌いでは済まず、言い寄られて上流貴族を下手に逆上させると面倒が起きるので、そういうことが有り得ない分おおいに結構、とカイルは言ったわけである。
「それより、大漁ってどういうことか説明してくれない? 狙われるって、一体誰に?」
 救命艇の件から遅かれ早かれ何者か(特にローバッハ伯爵家)が仕掛けてくるとは感じていたも、このように早くカイルから暗殺の可能性を示唆されると、心穏やかではない。
 拳を握って前のめりになるに対して、カイルの態度は相変わらず飄々としていた。
「狙われる心当たりについて、子爵夫人はとうにご存知かと思うが?」
「はい、ローバッハ伯爵家ですね、わかります」
 含み笑いの丁寧な言い草に、は溜息混じりに項垂れた。
(あの救命艇をスルーしなかった時点で、運命決まったのかな)
「襲撃の後、ローバッハ伯爵家では通信の出入りが随分とお盛んだったぜ。さすがに内容までは調べられなかったが、頻繁な通信の行き着く先はフェザーンと帝都オーディン内のある貴族だ。フェザーンの方は更に詳しく探る必要はあるが、もう一方が今は問題だろう」
「で、その貴族って?」
「ヘルクスハイマー伯爵家だ」
 一体これは何のフラグだろうかと、は遠い目をして思った。
 ヘルクスハイマー伯爵家は、現在のところブラウンシュヴァイク公爵家やリッテンハイム侯爵家には劣るものの、権勢ある一門である。
 ただし数年後には凋落し、彼らは同盟への亡命を企てることになる。それだけなら他にも似た境遇の貴族は数多いるが、ヘルクスハイマー伯爵家はなにかとラインハルトとの因縁が深い。両者は敵対している(することになる、というべきか)といっても過言ではない。
 面倒事という大きな渦に巻き込まれようとしている気が、激しくするである。この渦の底は、果たしてどこへ繋がるのだろう。
「正確には現伯爵の弟、ギルベルト・フォン・ヘルクスハイマー准将。こいつはローバッハ伯爵と懇意にしているようだな」
 カイルによれば、このギルベルトは第四方面区司令官の任にあるという。
「それはまた、ローバッハ伯爵家と悪事を企むには絶好の立場じゃない」
 第四方面区とは、ローバッハ伯爵領や子爵領を含む、帝国内のフェザーン方面辺境星域を指す。
 自由惑星同盟との戦火が及ぶことはなく、実戦の機会も乏しいので、第四方面区司令は帝国軍内でも閑職に相当した。ただし、軍人という職分に熱心ではない一部の貴族子弟の送り込まれる先としては、けして不人気な場所ではなかった。多忙とは縁遠く、管轄が辺境星域とはいえ、帝都オーディンから二週間以上もかかるイゼルローン方面よりはよほど帝国の中心に近い。さらにはフェザーンとオーディンを結ぶ幹線航路も管区内にあるとすれば、不正な輸送や亡命といった事柄で金を稼ぐ機会もありそうだ。
「実際、そのようだぜ。奴らは手を組んで金儲けをしているんじゃないかと、ヘルクスハイマー司令官の副官が漏らした。毎晩のようにオーディンで豪遊してばかり、軍務は侍従武官や参謀に任せきりの司令官には、人望がないらしい。金と酒であっさり喋った」
「なるほど。けれど、ヘルクスハイマーとローバッハが悪巧み仲間で、ここ二日間で頻繁に連絡を取り合ってたことが、どうして私が狙われるって話になるの?」
 そもそも、その程度の情報であればカイルはとっくに掴んでいただろうし、祖父コンラッドにも報告が上がっていただろう。何しろここ数年、カイルは合法非合法の手段問わず、ローバッハ伯爵領に出入りする情報や金を探っていたのだから。
 にヘルクスハイマー伯爵のことが知らされていなかったのは、が主に政務や懐かしグルメ普及活動に奔走し、軍務はコンラッドに丸投げしていた為だろう。
 首を傾げたに、カイルは茶菓子に手を伸ばしながら簡潔に答えた。
「さあな」
「……分からない、と?」
 潔すぎるカイルに、は半笑いになる。
 だが裏仕事の得意な黒髪の青年の話には、まだ続きがあった。
「分からない。だが、金を握らせたヘルクスハイマーの副官が伝えてきた。普段は下々の駆逐艦など気にも留めない司令官が、珍しく警備隊の配置状況を調べるよう副官に命令したそうだ。リンドル星系から帝都オーディンへ至る航路を哨戒する警備隊の、どの駆逐艦が子爵領軍一行に随伴しているか、とな。どうだ、楽しいことが起こりそうじゃないか?」
 何故かカイルは嬉々として言い、どら焼きをひとくち囓る。
 は当然ながら、楽しくはならなかった。
「私、神様に何かを試されてる気がする。理不尽極まりないよね、人生って」
 ぼやくに、カイルは軽い調子で応じる。
「そんなもんだろ、人生なんて」
「そうだよね。ああ、でもとりあえず……」
 次なる行動の前に、しておきたいことがある。
 はカイルと同じようにどら焼きへと手を伸ばし、やけくそ気味にかぶりついた。


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