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09



 思わぬ形で初陣(と言えるのかわからないが、人生初の戦闘に遭遇したのは事実だ)を飾っただったが、生きている幸せを味わう余韻は、現実の荒波にあっという間に押し流されていった。
 というのも、一戦交えて終わったと安堵していたのはだけだったようで、ゲーテ准将は招かれざる新たな客人の存在を示唆したのである。
「閣下、先程の所属不明駆逐艦二隻は先行偵察任務にあり、後続の本隊が現れる可能性もあります。パッセル二号の応急修理が終わり次第、いち早くこの場を離れるがよろしいかと」
 本隊と言うからには、それなりの数の艦艇戦力があるだろう。過ぎたる配慮で後続部隊など存在しない可能性もあるが、最悪を想定して行動するのがこの場合は最善だった。
 救命艇や達の戦った駆逐艦の破片を回収して調査する必要はあったが、安全を確保した後に改めて調査隊を出してもよい。つい先刻、命あっての物種であると身に染みては実感したところだ。
 は指揮シートの前に立つゲーテへ頷きを返し、さらに心配になって訊ねた。
「異論はありません。それで、パッセル二号の航行に支障はありませんか?」
「被弾の影響で機関出力は落ちるようですが、艦隊から脱落する程度ではありません。ですが付近の工廠で、早急に本格的な修理点検を行う必要はあるでしょう。オーディンまで我が艦を護衛する任務を全うするのは難しいかと。戦死者もおりますので、修理後にはパッセル二号は子爵領へ帰還させることを検討しております」
「そうですね……」
 ゲーテ准将の表情には、一分の隙もない。ただ淡々と事実を確認し、次には何をすべきか冷静に判断しようとしている。自分も同じく判断を求められる立場であると理解しつつも、は意味のない相槌でしか咄嗟に応じられなかった。
 今しがたゲーテ准将から手渡された紙面には、参謀陣が大急ぎでまとめた戦闘の経緯と被害状況報告が記されている。その報告書の、戦死者の項目に数えられた六人の氏名を見て、は助かったと安堵した先程の自分が急に浅ましく感じれ、申し訳ない気分になっていた。自身は守られて無傷だが、一方で故郷の土を踏めなくなった者もいることに思い至り、身の置き場がない心地がしたのである。
 パッセル二号は、・フォン・子爵夫人の乗る戦艦アウィスを護衛する任務についていた。所属不明艦による奇襲攻撃が直接的な原因だが、アウィスの艦尾を守っていたパッセル二号の乗員は、つまりは――を守るために死んだのだ。罪悪感とは言えないまでも、自分に関わって人が死んだことに、多少の責任は感じてしまう。
 統治府にいて、領地のことで采配を揮うのは楽しかった。自分のせいで誰か死ぬことなどなく、逆に誰かを助けるのだと喜んで領地経営に励んだ。子爵夫人としての地位を、たまには面倒と思うことはあったが、それなりに満喫していた。
 だが今、やっと肩書きの重みに気付かされた。が求めた訳でもなく、偶発的な戦闘――事故のようなものであっても、は自分の安全を他人の命で贖った。
「閣下?」
 唇を噛み黙り込んだに、ゲーテが訝しげな目を向けてくる。
 自分を悲劇の主人公に仕立てるのは、嫌だった。自分のせいで誰かが死んだ。それは、事実としては受け入れなければならない。
(それを言うなら、あの駆逐艦に乗ってた誰かも間接的には私の命令のせいで死んだし、こんなこと考えて今は誰も得しない。切り換えなきゃ)
 深呼吸をひとつして、頭の中に浮遊する思案の靄を意識的に振り払った。
 は指揮シートから、弾む勢いで立ち上がる。
「一旦はここから移動して、パッセル二号を子爵領へ戻す意見に私も賛成します。けれど逃げるにしても、どこへ向かうか決めねばなりませんね、ゲーテ准将。パッセル二号も単独航行では、また襲われる可能性もあります。修理のために寄港するとして、このまま小艦隊揃って行動する余裕が、日程にありますか?」
 意気消沈していたかと思いきや、急に勢いを取り戻したように見える黒髪の少女に、ゲーテは密かに安堵した。
 戦闘前までゲーテがこの少女に抱いていた、子供だからという侮りは減りつつあったが、それでも・フォン・子爵夫人はいまだ頼りなく思われる。少女を改めて見直す契機とはなったが、新たな判断を下すには時期尚早というのが彼の見解だった。
 それに目前の閣下が年端もいかぬ少女であるのは紛れもない真実で、年頃の少女のために慰めなり激励なりすべきかと、彼は彼なりに思い悩んでいたのだ。
(やりにくいものだ)
 仮に幼い領主が男児であれば、ゲーテの対応は単純に結論が出たろう。初陣への祝いの言葉でもかけていたかもしれない。逃げ出さぬと宣言したことを手放しに褒め、名将たるコンラッド・フォン・の姿を重ね、先行きを期待したはずだ。
(だが、女児ではな)
 秀でた才覚と知性は認めるとしても、やはり女性は戦場に連れ出すものではない。この時のゲーテは世間一般の価値観の下、そのように思案を結んだのだった。
 内心はともあれ、現状でゲーテは小さな子爵夫人へ判断材料を提供し、提案を進言する立場であったので、彼は職務の遂行を優先した。
「向かう先については、通報で現場へ急行しているという第四方面区警備隊との合流が先決でしょうな。最も近い宙域を哨戒中だった警備隊は、我が方と同じく戦艦一隻と駆逐艦三隻の編制と管制から伝わっております。急襲してきた所属不明艦に後続部隊がいるかは不明ですが、警備隊へ保護を求めて同行を要請することにより、我々の安全を確保できると小官は考えます。管制経由で落ち合う宙域座標を決めておけば、行き違うこともありますまい。その後にどうするかは、合流後に警備隊と共に検討するのが良いでしょう」
「では、そのように手配なさって下さい。ところで、それまでに戦闘の経緯について説明をどこまでなすべきか、決めておかねばなりませんよね」
 命令するゲーテの傍で、腕組みして首を傾げるには、頭の痛い難題がまだあった。  
 戦闘中は軍人であるゲーテ准将らにすべて一任し、艦橋の特等席に座って(命懸けではあるが)観戦だけしていられただったが、戦闘後こそが彼女の出番だった訳である。
 なぜなら、救命艇を発見し、所属不明の駆逐艦二隻から攻撃を受け、撃破するに至った経緯を、誰にどのように話すかという問題には、面倒な火種が含まれているからだ。救命艇に同盟軍の捕虜が乗っていた事実は、まかりまちがえば日頃から険悪なローバッハ伯爵家との関係に、決定的な亀裂を入れかねない地雷になるかもしれないのだ。慎重に扱う必要がある。
「お祖父様との通信は、まだできませんか?」
「もう間もなくでしょう」
 突発的な戦闘に遭遇した達は、交戦後に当然のごとく領地へ一報を飛ばしている。交戦があったことや被害状況を報告するのはもちろん、事態の判断をコンラッド・フォン・に求めるためでもあった。統治府および中央基地との通信は間もなく繋がったが、しかしコンラッドは生憎の外出中で、超光速通信室へ辿り着くまで猶予を必要としたのである。
 出来事をありのまま話せないと踏んだは、ゲーテに管制への報告引き延ばしを頼み、通信画面の前で祖父が現れるのを待ち侘びた。
 それから十分ほどして、ヘルツが第四方面区警備隊との合流座標までの航路算定結果を携えてきた時、ようやくはコンラッドと会話することができた。
 遮音力場に包まれた指揮シート近くの通信画面の前で、はゲーテ准将と並んでコンラッドの渋面と向き合う。
「先に届いた報告文で概要は読んだ。厄介なことを引き当ててしまったものだ。戦死者も出るとはな」
 コンラッドの嘆息に、なぜかの口をついて出たのは、謝罪の言葉だった。
「申し訳ありません…」
「謝る必要はない。今回の戦闘は、予測不可能な偶発的なものだ。いくらかの損害は出たが、後方からの奇襲でこの程度の損害で済んだのは幸いだった。護衛艦の者たちも、良い働きをした。それより、ローバッハ伯爵家の件だ」
 だがコンラッドは淡々とした口調を崩さず、沈んだ顔を見せるに、慰めも、そして当然ながら許しも与えなかった。
 優しい言葉を頭のどこかで一瞬でも期待していた自分に気付かされ、はさらに恥ずかしくなる。
 コンラッドは孫娘をこれ以上ないほど慈しんでくれているが、領主としての孫娘には厳格だった。・フォン・子爵夫人として戦艦アウィスに搭乗しているは、公務の途上にある。領主として相応しい振る舞いが今は求められていて、甘えた態度など見せてはならないのだ。
 死者を悼む前に、生者にはなすべきことがある。考えようによっては、今もまだは緊急事態の只中にいる。安全圏へ、これから達は移動しなければならない。無事を確かめる言葉がなかったのも、今はそのような時ではないということだろう。通信できているということは、無事なことなどわかりきっている。
 は不甲斐なさに落ち込みそうになる自分を叱咤し、意識して背筋を伸ばして顔を上げた。
 自分が本来の年齢相応の姿でここに居たら、大の大人なのに他人に甘えられるはずがないと考えただろう。それに、領主という身分にあるなら、尚更である。
「救命艇に乗っていた者たちが紛れもなく叛乱軍の捕虜ならば、ローバッハの関与があるかどうかに関わらず……私には大いに関係しているという気もするが、いちど公にすれば簡単に済ますことはできまい。これは、おおごとだ」
 簡単に済ませられないというのは、ことが単なる一地方の領主の悪事で終わらず、帝国の中央にまで話が及ぶという意味である。
 銀河帝国では叛乱軍とされ公的に認められていないものの、自由惑星同盟軍の捕虜は実質的に他国の人間だ。帝国軍は、戦場で捕らえた叛徒どもはほぼ例外なく捕虜収容惑星に放り込む。そのような惑星は帝国内に幾つかあり、その内のひとつがローバッハ伯爵領にあった。
 帝国は捕虜に対し、世辞にも良いといえない待遇をしてはいるが、無為に虐殺したりはしない。帝国が捕らえたと同じように、同盟軍の虜囚となった帝国の人間もいる。彼らの生命を守るために、帝国軍は同盟軍捕虜の生命を保証する必要があったためである。いわば同盟側に捕らえられた帝国人の担保となるのが同盟軍捕虜であり、捕虜収容惑星を領内に持つローバッハ伯爵家は、帝国軍から捕虜を預かっている形式になる。
 その捕虜が、ローバッハ伯爵家関連のモンケル商会所有船の救命艇で逃げ出した挙げ句、口封じのように殺され、目撃者まで始末しようと振る舞った経緯が表沙汰になるとする。
「かの伯爵家が何を行っているかは分かりませんし、駆逐艦の所属もわかりませんが、少なくとも捕虜逃亡の管理責任は問われるでしょうし、帝国軍と軍務省、間違えば国務省まで絡みますよね」
 捕虜の扱いは軍の管轄だが、自由惑星同盟との非公式外交の判断そのものは国務省が仕切っているから、どこまで話が及ぶかはにもわからない。
 ローバッハ伯爵家と、謎の駆逐艦に撃たれ星塵と化した叛乱軍――自由惑星同盟軍捕虜は少なくとも関係がある、ということは間違いなさそうだ。
 すべて状況からの推測に過ぎないが、問答無用で救命艇を砲撃した駆逐艦の行動は、隠蔽を思わせるものだった。それに捕虜の口からローバッハ伯爵家の名が出たとなれば、隠蔽を試みた者が誰であるか、浮かぶ名前は一つしかないとには思える。
「ありのまま管制に報告すれば自動的に軍務省には伝わるでしょうし、明らかにローバッハ伯爵家に敵視されそうな行動になりますよね。状況証拠ばかりで、その証拠もほとんど消えてしまって、下手をすればこちら側が言いがかりをつけてるみたいでもありますし…」
「救命艇との通信を行った事実を揉み消し、同盟軍捕虜のことなど知らぬ振りをすることが単純な解決だろうが、本質的には何も解決しないだろうな」
 コンラッドの言葉は、つまり現状維持である。消極的だが先の見通しは立つ。喧嘩を売って、下手に揉め事を起こす羽目は回避したいという思いは、やはりコンラッドにはあるのだろう。
「情報入手の事実を隠したまま、探りを入れますか? 簡単にはいきそうにないけど、安全第一です。最悪、秘密が分からなくても、別に困ることはない気もします」
「長期的には、困ることになるかもしれんがな」
 コンラッドは、慎重に手持ちのカードを見極めているようだった。
 の目には、近頃のコンラッドは自身の手でローバッハ伯爵家との決着を付けたがっているように見えた。因縁を放置できぬと踏むだけの契機が、やはりカールとヨハンナの事故にあったのだと、は思う。 五年前の誘拐事件の際には本腰を入れなかったコンラッドも、息子夫妻の事故、そして子爵領付近での宇宙海賊出没に絡んで、ローバッハ伯爵家の内偵を進めていることをは知っている。の護衛であったカイルも密偵としての腕を買われ、現在はローバッハ伯爵領への潜入やオーディンでの情報収集にあたっている。そうして集めた情報を持って、いつかコンラッドはローバッハ伯爵家との因縁を晴らすために、決定的行動に踏み出す気がした。
 だが、今回の件はまったく偶然起こり、新たな情報の真相も形を成していない状況だ。
「…準備を怠ると、碌なことにはならぬしな。仕方あるまい、捕虜の件も内々に調べよう」
 沈黙の帳を、コンラッドは結局そのように開いた。
「ミュッケンベルガーと軍務尚書閣下あたりに、ローバッハの捕虜収容惑星についてそれとなく訊ねてみよう。他領のことでもあるし、、お前は懇意にしている中央から来ている少佐に話を通しておけ」
 は意外な話の流れに、目を丸くして確認する。の知り合いで帝国軍中央からの出向組少佐というと、一人しか心当たりはない。
「ケスラー少佐のことですか?」
「なかなか有能な男だろう、彼は。中央の栄転を推しても良いし、話によると正義感の強い男というのだから、軍内で不正行為があると知らせればよいではないか。辺境で暇をかこっているよりは、やり甲斐のある仕事でもあろう」
「確かに彼なら立場上、ローバッハ伯爵領内の帝国軍関係にも顔を繋げられるかもしれませんが、いわば当家の密偵仕事のようなものでしょう。それを彼にさせるのは…」
(いや、でもケスラーは憲兵総監になるんだから、調査能力は高いし、ここで功績を上げてオーディンに戻る流れなのかも…)
 ふと、の脳裏に未来の欠片が浮かんだが、が考えをまとめない内にコンラッドは話題を締めてしまった。
「使えるようなら使え、という話だ。無理であれば構わぬ。そういうことで、ゲーテ、、管制と帝国軍警備隊には捕虜のことは秘しておくよう」
「了解しました」
「わかりました、お祖父様」
 がコンラッドが会話する間に、警備隊との合流座標へ向かう航路が承認され、パッセル二号の応急修理は完了していた。ワープ航行へ入ると百光年を越える距離の超光速通信は途絶するので、慌ただしくゲーテとコンラッドの間で対応の協議が行われ、その指示を伝達するためゲーテは席を外した。
 通信途絶までの間、ほんの僅かな時間であったがとコンラッドは通信画面を挟んで二人きりになった。
 そこで、コンラッドは静かに一言だけ、に告げた。
「親不孝者は、カールだけで充分だ。
 きっと、言葉にせぬ言葉があった。戦死者が出た中で、コンラッドには言えぬ想いがあった。
 そのようには感じて、答えた。
「私、頑張って長生きしますね」
 祖父は笑い、孫娘も笑った。


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