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08



 の“やられたら殴り返す”宣言にもとづき、領軍小艦隊の最優先事項は、領主・フォン・の搭乗する戦艦アウィスの離脱から、敵駆逐艦二隻の完全撃破へと移行した。が一番に求めたのは、子爵領軍に所属する四隻を沈められないことだったが、指揮を委任されたゲーテは敵戦力の喪失によってのみ望む結果を得られると判断し、攻勢に転じたのである。
 ゲーテ准将は卓越した指揮腕を持つと言うには指揮官としての実績が乏しかったが、艦長職に長くあった経験から、戦艦アウィスや護衛艦パッセルの性能や動かし方をよく心得ていた。
 まず彼が提示した行動は戦艦アウィスの艦首を敵方向へ向けること、つまり反転であった。追尾を受ける状況での反転は自ら集中砲火の的となるようなものだが、小艦隊のうち最も危機的状況にあるのはパッセル二号であり、これを生かすには危急の策として装甲の厚い戦艦で援護するしかなかったのである。
 無論、危険の伴う作戦だが、ゲーテにはそれなりに勝算があった。でなければ、コンラッド・フォン・にも顔向けできぬというものだ。
「我が艦は左反転、パッセル二号は敵火線との間にアウィスを置く座標へ退避。アウィスの尻に当たらんようにな!」
 アウィスが反転を開始すると、敵艦αとβは照準を変更し、艦首をめぐらせる戦艦へ連続して砲撃を叩き込んできた。
(ああ、もう、自分で残ってくれって言ったけど怖い、怖い!)
 地響きのごとく伝わる中和磁場への着弾による衝撃と重い音は、心臓に悪すぎる。一発でも機関部に直撃すれば、ヴァルハラ行きである。
 パッセル二号援護のためアウィスが身を挺して砲火を受けるのはやむを得ざる選択であったし、仮にパッセル二号に損害がなくとも、後方からの奇襲を受けつつ反撃しようとすれば、駆逐艦に比べ装甲の厚い戦艦アウィスを囮にして、パッセル達を回頭させる必要はあった。多少は軍事理論をかじったにも、それは理解できた。
(でも理屈を頭で理解するのと、身をもって体験するのは大違いって真理だよ、ひい!)
 ひときわ大きな衝撃に、は飛び出しかけた悲鳴を辛うじて喉元に留めた。
 は、ゲーテやヘルツを信頼すると言った。だから、怖がる素振りを見せてはならないのだ。それが反撃を指示した自分なりの責任のような気がして、は意地でも弱音は吐くまいと奥歯を噛み締める。
 艦橋にいるのはとは違って軍人の男性達ばかりで、外見上は任務に集中しているように思える。けれど、恐怖を感じないということはないだろう。
 負傷した航宙士に代わり、軌道やレーダーの観測報告をあげているヘルツも、初陣の時には震えたと以前に話していた。
 自分だって、十五歳の振りして実は良い歳の大人なのである。気合いでは負けまいと、は目を瞑ったりはせず出来る限り平静を装った。
(仕様上では、大丈夫…なはず。ああ、もう、シミュレーションならこの作戦でもこんなに不安にならないのに)
 戦艦アウィスの性能を考慮すれば、ゲーテの採った作戦は決して負けるような賭けではなかった。何しろの乗るアウィスは、パランティアの英雄と謳われたコンラッド・フォン・の専用旗艦として建造された特別な軍艦である。
 帝国軍の伝統によれば、個人旗艦は大将位を得た者だけに下賜されるのだが、コンラッドは特に功績を挙げたと皇帝の勅許もあり、少将へ昇進すると同時に戦艦アウィスを得た。建造当時の最新技術が詰め込まれ、また設計思想にコンラッドの要望が反映された艦は旗艦級戦艦としては異例の小型で、全長は標準型戦艦や巡航艦に近い。他の提督に比べ低い階級で個人旗艦を得ることになったコンラッドが他者の妬みを憚った側面もあったが、小型化によって彼が求めたのは、何よりも軽やかに宇宙を駆ろうとする速さと機動力だった。
 後に製造計画が破棄された採算の合わない推進機関を搭載し、旗艦として指揮系統を預かるための高性能通信設備や、ある程度の装甲の厚みと中和磁場装置もある。まさに特別な個人用旗艦として、ありえないほど金のかかったモデルであり、その辺の標準型戦艦とは一味違うというわけだった。
 戦艦アウィスのデータを見れば、中和磁場を全力展開すれば駆逐艦級のビーム砲はほぼ減衰させられるはずで、そう踏んだ上での敵前回頭である。
 二十年前に建造されてるから、耐久試験のデータが古かったりするかもしれないとか、磁場の薄い側面に当たれば危ないとか、不安は数え上げればきりがなかった。しかし、何事もなるようにしかならない。
 相変わらず指揮シートに鎮座させられたまま、は最前線の荒波にもまれつつ、作戦成功を祈る以外になかった。
 刻々と上がる報告に、ヴィーラント艦長の指示がひっきりなしに飛ぶ。
「左舷の中和磁場、特に機関部に近い区画は最大出力だぞ、右舷の分も全て回せ! 艦首が敵方へ向き始めたら右舷へ展開させればいい」
 一方で、ゲーテ准将はパッセル各号に指示を出した後は激励を飛ばす以外、じりじりと時を待ちわびているようだった。
 多少の損害も折り込み済みで、戦艦アウィスの主砲範囲に敵駆逐艦をとらえれば勝負など一瞬でつく、そうゲーテは考えていた。
 船にとって六時方向は機構上いわば死角であり、攻撃もできず中和磁場も薄い面で、ここを奇襲されることで子爵領の小艦隊は損害を出してしまった。だが戦艦アウィスが留まり、戦力比四対二で正面から殴り合えば、もとから負ける勝負ではない。敵駆逐艦もそれが分かっているからこそ、指揮艦である戦艦アウィスに集中砲撃を加えて沈めようと躍起にならざるをえないのだ。
 鳥の名を冠する戦艦が猛攻の波に耐えて反転を終えるか、影で旋回中のパッセル各号が砲撃可能座標まで到達すれば結果は見えていたのである。そこへ至るまでの困難な山を越えれば、あとは楽な坂道を駆け下りるだけだった。
 そして、ついに時はやってきた。
 アウィスに憎悪をぶつけようとする敵駆逐艦αの砲に光が収束し、放たれる寸前、アウィスの影からパッセル一号の砲線が躍り出て、その光を打ち砕いた。発砲直前の艦砲に直撃をこうむった敵艦は、行き場を失ったエネルギーを我が身に宿し悶えていたが、苦しみが止んだ直後に内側から破裂するよう爆発した。
「敵艦α、撃滅!」
 無形の高揚感が、艦橋でふくれあがる。
 ゲーテ准将の叱咤と、ヴィーラント大佐の指示が即座に飛ぶ。
「安心するにはまだ早いぞ、次は我らの番だ!」
「敵駆逐艦βを主砲射程内に捉えたら報告!」
「敵、射程内に入りました、位置情報は砲手へ転送済みです」
 臨時航宙士としてレーダー計器類を睨んでいたヘルツの声に、ゲーテは右手を掲げ、振り下ろすと同時に宣言する。
「ファイエル!」
 命令は、砲手によってよどみなく遂行された。
 苦境を耐え忍んだアウィスの砲撃が、敵駆逐艦βをあやまたず貫く。
 花火が散るような瞬きを、艦橋のメインモニタ越しには見た。爆発音が聞こえない映像は、無音状態のテレビのようだった。光はすぐに闇に呑み込まれ、あとには四散した欠片だけが宙に浮かんでいる。
(そうだ、宇宙って音が伝わらないんだ…)
 何よりもまず、これが宇宙戦であるということを実感して、次に安堵がじわりと込み上げた。死なずに済んだ、みんな助かった、そんな気持ちがの胸に拡がっていく。
「敵艦β、消滅。周囲に他の艦影はありません」
 艦橋に歓声と口笛が上がる。
(お、終わったあ)
 肘掛けを握りしめていた手や強ばった顔と言わず、全身からあっという間に力が抜け、は指揮シートの背もたれに頭を預けて溜息をついた。
 怖かった。偽りなく、素直にそうとしか思えなかった。
 物語の向こう側、シミュレータが模倣する戦場、単に文字や記号でしか思い描かれなかった状況が、一瞬前までの現実として間近にあったのだ。
 言葉を挟む余裕などなく問答無用で始まって、終わった。感慨も何もあったものではない。
(こんな緊張にいつも耐える軍人って、すごいわ、ほんと)
 いつか読んだ本の世界で、ヤンやラインハルトといった登場人物は何度も戦場に出て、艦隊戦を繰り広げていた。の体験した小規模なものではなく、数万規模でぶつかりあう会戦を、彼らは繰り返していくのだ。途方もなく恐ろしいと、はいつの間にか目の端に溜まっていた涙を袖で拭った。
(二度と御免だわ、こんなの)
 目を閉じて、心底から呟く。
 心臓がいくつあっても足りない気分を味わうなど、一度で充分のはずだ。自分は平和を愛する凡人なのだから。ヤンやラインハルトとは違う。戦ったりなんて、したくない。
 自分が助かった一方で、あの駆逐艦に乗った誰かが死んだのだということに罪悪感の欠片も湧かない自分が少し不思議だったが、深く考える気にはなれなかった。
(だって、助かって良かったとしか感じない)
 これが、敵と味方を区別するということなのだろうか。
 戦う、ということがどういうことか、にはいまいち実感がないのが常だった。
 コンラッドから軍学を習い、現役時代の思い出話を聞いてもそうであったし、軍服に身を包むヘルツやゲーテといった軍人が傍にいても、彼らの生業はの生活とは全くかけ離れた世界にあった。
 射撃が上手くなったり、格闘技を身につけても、スポーツの延長線上にそれらは存在していた。シミュレーションで動かす駒は、記号でしかなく、戦術を練ってうまく艦隊を操ることも楽しいと思った。
 が”殴り返す”と言った時も、相手を殺す意図は抜け落ちていた。
(私はただ、自分が死ぬのも、それにアウィスやパッセルに乗った子爵領の人間が死ぬ方が嫌だった)
 そう、嫌だから反撃することにした。戦うことを選んだ。その決定が、誰かを殺した。
 答の見えない穴に落ちていきそうで、はそこで考えることを止めた。後回しにしても、いまは構わないだろう。それよりも優先すべき事柄が、の前に山積みになっている。
(物語と現実は違うってこと、か。もう人生にこれ以上のドッキリなんていらないや。攻撃された相手を沈めただけで、まだ何も分かってないし)
 もうずっと遠い昔のことのように感じるが、謎に満ちた救助艇が駆逐艦の砲撃に抹殺されてから、さほど時は経ていない。
 そもそもの発端は、あの救助艇だった。自由惑星同盟の捕虜と名乗る三人の存在。ローバッハ伯爵領との関係。いきなり攻撃してきた所属不明の駆逐艦二隻。
(ぜんっぜん、終わってない。考えなきゃ)
 物語なら、場面転換で数日後に移り変わるところだろうが、の目の前にある現実は、一つずつ処理していかなければ次の段階に進めないのだ。
 目を見開いてみれば、度重なる砲撃に被害がないか確認するヴィーラント艦長や、随行するパッセル各艦と連絡を取り合うゲーテ准将は、まだ忙しなく立ち働いている姿が見える。
(生きるって、大変よねえ。あれもこれも問題山積み、誰かがどうにかしてくれるわけでもなし)
 けれどその大変さがどれほど貴重で、幸せなことなのか、今のは身に染みて理解できたのだった。



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