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07



 人間、死ぬ時って本当に呆気ないのかもしれない。
 は怒号飛び交う艦橋で、ディスプレイ・スクリーンを覆い尽くす光に目を灼かれながら、呆然と突っ立っていた。
 先程までスクリーンに拡大表示されていた小さな救命艇は、既に跡形もなく消滅していた。
 突如として八時方向に現れた駆逐艦から放たれた中性子ビーム砲は、幸いなことに子爵家の小艦隊の隙間を縫って突き抜け、戦艦アウィスの船首を掠めるように逸れた。エネルギー中和磁場を展開したとはいえ、推進機関部に直撃すれば宇宙の塵と化していたかもしれない初撃を免れた達だったが、安堵したのも束の間、強力なエネルギー塊は救命艇にその死神の鎌を振り下ろしたのだった。
 ビームを防ぐ磁場発生装置を持たない救命艇は、なすすべもなく爆散した。助けを請うていた三人の同盟軍人を乗せた箱船は、二度と戻らぬ旅路へ強制的に送り出され、船としての原型を留めない断片に細分化されたのである。
「不明艦からの砲撃により、救命艇、爆散しました!」
(し、死んじゃった…んだよね…)
 まさに一瞬の出来事に、は身動きが出来なかった。艦橋士官からの報告が耳に入っても、次に何をすればいいのか分からない。
「対物フィールド、右舷前方と機関部に展開しろ、至近距離から破片が来る。エネルギー中和磁場は左舷後方、不明艦方向へ集中させろ!」
 最初に叫んだのは、ゲーテの後を継いで戦艦アウィス艦長となったヴィーラント大佐だった。爆発した救命艇の砕片は、速度エネルギーと共に砲弾のごとく子爵領小艦隊へと一時方向から襲いかかってくる。
「敵の砲撃は、救助艇を狙ったものだったようだが、これで終わりとなるか」
「第二射か、我が方の艦尾につく様子があれば、敵性と認定するのがよろしいかと。また、早急に第四方面区管制へ通報を致しましょう」
 苦々しいゲーテ准将の呟きを受けたヘルツの進言をかき消すように、レーダーを監視していた一人が声を張り上げる。
「我が方に近い位置の所属不明艦αが、本艦に向けて砲撃準備中の模様。不明艦βはパッセル二号の艦尾を追っています」 
 パッセル一号から三号までの三隻は、戦艦アウィスの護衛として随伴している駆逐艦である。パッセル(すずめ)という名の通り、帝国軍で制式運用される駆逐艦よりは小型で、乗員数も半数程度のものである。そのうちの乗る戦艦アウィスを追うように航行していた、後方のパッセル二号が狙われているようだった。
「やる気のようだな。とにかくまずは沈まぬようにせねば…逃げるにしろ、攻撃するにしろ。駆逐艦の主砲一発くらい我が艦なら耐えられようが、パッセル二号は危険だ」
「ゲーテ准将、我が艦後方のパッセル二号を援護する必要がありますが、パッセル一号と三号を反転させれば、格好の標的になりかねません。ここは全艦揃って転進するのが良策かと」
「私も貴官と同意見だ、ヘルツ少佐」
 緊迫感が目に見えぬ圧力となって、の肌をなぶる。艦橋を飛び交う数値や情報も、少し考えればシミュレーションでにも馴染みのある事柄であるのに、それと眼前の状況をうまく繋げることができない。周囲は素早いスピードで物事を進めて行くのに、はひとり取り残されたように左右を見回すしかなかった。
「針路は十時方向、各艦に通達! その間に艦速上げろ、迎撃は後回しだ。艦に穴を空けたいのか。先に回避だ、馬鹿野郎!」
 ゲーテ准将の上品とは言えない怒声が響きわたると同時に、切羽詰まった報告が飛び込む。
「敵艦、砲撃発射しました。回避不能、左舷後方へ直撃します!」
「総員、衝撃に備え!」
 ヴィーラント艦長の野太い声が、全艦放送用に切り換えられたマイクを伝わって鼓膜を打つ。
(って、どうすればいいの!)
 咄嗟に次の行動を決めかねて座り込みそうになったの手を、強く握る者があった。振り向く間もなく、青年少佐の声が耳のすぐ横から聞こえる。
「失礼、閣下!」
「え? う、わあ」
 は訳も分からず側にあった指揮シートとヘルツとの合間に挟まれ、押し潰された。だが次の瞬間には、ヘルツの行動の理由が身に染みて理解できたである。
 これまでに体験したことのない衝撃が幾度も艦を襲い、は上下左右に揺さぶられた。磁力靴のスイッチを入れていなかった者はもれなく横転し、中には数メートル吹き飛ぶ艦橋士官もいたのを、はヘルツの肩越しに目撃してしまった。壁に背中から激突した士官は床に崩れ落ち、気を失ったのか微動だにしない。着座していた者でも、計器パネルで胸を強打した航宙士は咳き込んで血を吐いている。
「あ…」
 急に手脚が冷えて震えだし、喉がぎゅっと詰まって声もうまく出せなかった。動悸が激しくなり、空調設備で室温はやや涼しく感じる程度に保たれているはずなのに、じっとりと掌が汗ばむ。
(さすがに、これは洒落にならない)
 何の覚悟も現実感もないままに、命懸けの戦闘へ突入してしまったのである。いくら沈着冷静を身上としているでも、生死を分かつと思えば震えもするのだった。そもそもは、これまで誘拐事件を除けば修羅場とは縁のない平穏な世界に生きてきたのだ。自由惑星同盟と戦争中の銀河帝国とはいえ、まさか自分の乗った艦が攻撃されることがあるとは、一度たりとも想像したことがなかった。
 死ぬかもしれない。そう思うと、つま先から背筋へ恐怖が這い上がってくる。
「パッセル二号、中破の模様。左舷後方区画の気密が破られたため死傷者ありとのこと、推進機関に被害はなし!」
(だって、だって、後ろの艦に乗ってた誰かも死んじゃったんだし!)
 この場にいる誰も、泣き叫んだりはせずに任務を果たしている。だが今のは、何の役にも立ってない。むしろお荷物だと、は我が身が情けなくなった。閣下だなんて持ち上げられても、ヘルツの軍務を邪魔して、庇ってもらうことしかできていない。
「被害状況の算定急げ! こちらも主砲発射準備を進めろ!」
 ヴィーラント艦長は的確に各所へ指示を飛ばしつつ、元上官のゲーテへと意図を込めて視線を送っていた。ゲーテが艦長だった頃、ヴィーラントは副艦長として現在は准将となっている上官を補佐しており、互いに付き合いも長く気心が知れた仲だった。ゲーテはヴィーラント大佐へひとつ頷きを返し、艦橋で最も高い位置にある指揮シートを振り返った。
 戦艦アウィスを中心とする四艦編制の小艦隊は、艦首角度を二十度ほど上げて十時方向へ高速転進中だった。後背を取られた上での即時反転は、自殺行為である。ゲーテは敵性艦群との距離を稼ぎつつ艦速を上げ、次の対応へ移行しようと考えたのである。だが、対応には二通りの選択肢が存在し、その対応を決定する上で、彼はある者の指示を受けねばならなかった。
(大丈夫なのか)
 ゲーテは僅かな苛立ちと、多分の焦燥を禁じ得なかった。彼の見たところ、この場での最高意志決定者であるはずの・フォン・子爵夫人は、参謀のヘルツ少佐の陰で今にも泣き出しそうな表情をしていたからだ。無理もないと、ゲーテは思う。聡明だなんだと騒がれる領主であっても、荒事など全く縁遠い温室育ちのご令嬢。そのうえ十五にしかならぬ娘子では、戦場で指示を出すことなど困難であろう。たとえ彼自身が尊敬するコンラッド・フォン・が目をかけて軍事理論を教え込んだとて、それは単なる知識の詰め込みで、実戦で役立つ筈がないとゲーテには感じられてならない。
 それでも、ゲーテは黒髪の少女に問わねばならないのだった。
 逃げるか、戦うかを。
 幼い少女が決めたことを、自身は甘んじて受け入れることができるのか、ゲーテには分からない。だがそれでも、指揮系統や命令の形式は守られねばならない。それが軍人である彼にとって、遵守すべき手続きなのだった。
(リップシュタットより先にこんな目に遭うなんて、想定外だよ!)
 の予想では、短くともあと二年ほどは辺境で安穏極楽生活を送れるはずだったのだ。自分が艦砲射撃を受ける羽目になるなんて、想定外もいいところである。本心を吐露すれば、泣き出したいほど恐ろしい。ベッドに潜って震えていたい。誰かどうにかしてくれと、逃げ出したい。
 だが愚痴っていても、現状を見て見ぬ振りしても、状況は変化しない。がここに居ることは、もはや変えられない運命である。
(この艦にはブラッケやオスマイヤーが乗ってるし、未来の尚書様たちが居るんだから、歴史が変わらないとすればこれは大丈夫なはず。…たぶん)
 あまり根拠のない保証を挙げて、は自分に言い聞かせるため呟く。
「とりあえず、まだ死んでいない。だから大丈夫」
「閣下、お怪我はございませんか」
 を庇うように覆い被さっていたヘルツが、失礼を詫びつつ身体を離す。ずっと前にも、同じようなことがあった。自分の進歩が足りないのか、ヘルツの変わらぬ頼もしさに感謝すべきか微妙なところだが、は今回も心底から礼を述べることは忘れなかった。
「ええ、傷一つないです。守ってくれてありがとう、ヘルツ少佐。今度、ケーキも添えて改めてお礼差し上げますから」
「勿体ないお言葉です。お気持ちだけで充分です…とは建前で、ケーキは楽しみにしておりますよ、様」
 後半部分は小声で囁いたヘルツは、状況が許す最大限の微笑を一瞬だけに向け、機敏に立ち上がる。彼はシートに変な格好で埋もれた黒髪の少女を改めて座らせ、両肩と腰の左右に支持点のある四点固定ベルトの装着を手伝ってくれた。あれよあれよと指揮シートに縛り付けられてしまったが、震える両足でまっすぐ立つ余裕はなかったので、座っていられるのは丁度よかった。
(でも、これこそお飾り状態?)
 働く必要はないと言われたようで悶々としていると、拳を握りしめたゲーテ准将が大股で歩み寄ってきて、の座る指揮シートの目前で素早く敬礼した。
「ご無事でようございました、閣下。取り急ぎ、確認したいことがございます」
「は、はい!」
 普段から柔和とは言い難い顔つきのゲーテ准将が、厳しい顔で迫ってくる様は迫力満点である。は指揮シートのベルトを冷え切った手で握りしめ答えたが、緊張のあまり声が裏返ってしまった。こんな状況で迫られる確認など、自分を含め生命を左右する選択に違いない。さして考えずとも、それくらいはわかる。
「ヘルツ少佐の意見も聞きたい。状況把握のために情報を参照しつつでもよい。同席してくれ」
「了解いたしました」
「時間がありません。手短に要点を説明申し上げます。その上で、閣下には一つの決定を下して頂きたいのです」
 指揮シートの前に立つゲーテ准将は、宣言通り分かりやすく懇切丁寧に状況を解説してくれた。とはいえ、時間がなかったからか、それとも多くを幼い少女に求めまいとしたのか、内容はとても短くまとめられていた。
「現在、我々は所属不明艦に攻撃を受けています。敵の第一目標は救命艇のようでしたが、先程の攻撃で我が方にも敵意があることは明らかです。パッセル二号も航行に問題はないものの、軽微とは言えぬ損害を被っております。第四方面区管制へ緊急信号を発信済みですが、救助がすぐに来ることはないでしょう。そこで、我々は対応に迫られております」
 ゲーテ准将は、これは重大な選択であると前置きした上で、重々しくへと問うた。
「ここで戦うか、撤退するか。それを閣下にご一考頂きたい」
「撤退…」
「逃亡とも言います。反撃するか、反撃せず逃げるか、我々は選ばねばなりません。小官の意見と致しましては、閣下の安全を第一に考慮するならば、本艦の離脱を早急に行うべきかと存じます。万一のことはあってはならず、現状で敵方の目的が不明な以上、我々は閣下をお守りすることが最優先事項であります」
 どこへ撤退するのか、どうやって撤退するのか、そんなことはともかく、無傷で逃げ出せるというのならば戦う理由はないのではないかと、はすぐに結論に達した。いきなり砲撃をぶっ放す駆逐艦とやりあったとして、個人にはもちろん、子爵領の小艦隊にも利益があるとは思えない。ここで逃げ出しても、何の損もないのではないか。戦闘という行為への恐怖も相まって、はすぐに撤退と叫びたくなったが、ごくりと唾を飲み下したところで艦橋士官の報告に遮られた。
「敵艦αは目標を変えた模様。敵艦α、βともにパッセル二号へ艦首を向け、砲撃準備を行っています!」
「…再度の砲撃には耐えられないだろうな」
「当艦から離れるよう、指示致しますか。進行方向を二時に変更させれば、こちらの時間稼ぎにもなりましょう」
 ヘルツとゲーテの密やかな相談を耳にして、は勢いよく顔を上げた。
(それってつまり!)
 パッセル二号は中破していて、再び砲撃されれば沈むかもしれない。だから切り捨てよう、という意図にしか二人のやり取りは聞こえなかった。
(撤退って、この艦だけ逃げるってことなの…)
 敵艦に追尾されている状況から簡単に逃げ出せるものなのかといえば、恐らく否だろう。一方的な攻撃を受けつつ撤退するのは、もっとも困難かつ被害の出やすい状況であると、コンラッドの声が耳の奥に蘇る。それに、ゲーテ准将は先程なんと言った。本艦の離脱と言わなかっただろうか。
(そんなの、そんなのってないよ!)
 先程まで背筋を這っていた恐怖はどこへやら、は泡を食ってすぐさま噛みついた。
「私からも、確認したいことがあります!」
 それまで無言で指揮シートに埋もれていた少女の大声に、ゲーテとヘルツは会話を驚きなかばで中断する。
 は見上げた二対の瞳を交互に見据えて、精一杯の威厳を込めて問い詰めた。
「仮にゲーテ准将の仰るよう撤退するとして、当家の全艦がこのまま無傷で逃げられるの?」
 ゲーテは隣の参謀と一度だけ視線を交差させあった後、先程よりも眉間の皺を深めて顔を左右に振った。
「…無理でしょう。閣下がおられるこの艦を無事撤退させるために、我が方の護衛艦三隻は足止めを致します」
「三対二だけど、パッセル二号は損耗している。勝算はあるの?」
「すぐさま負けるということは、子爵領艦隊の誇りにかけて有り得ぬことです。我が艦が安全な宙域へ撤退するまでの時間は確保可能でしょう」
 壮年の准将の返答に、は確信を深めるしかなかった。
 臆病な心はまだの中で蠢き、鼓動をうるさく高鳴らせ続けている。だが自分の決断ひとつで数百人の命をみすみす生贄に仕立てることは、今のには死の恐怖よりも恐ろしい。人の少ない辺境子爵領であるから、パッセル二号の乗員には顔見知りもいる。何十人もの命より自分に価値があるとはには信じ切れないのだ。
「それは、勝つ可能性があるかはわからない、ということでしょう」
「閣下をお守りすることが、我ら軍人の任務です」
 機微を読むことに長けたヘルツは、既にの言いたいことを理解しているらしかった。犠牲を厭うなと、目線で迫ってくる。
 だが、も負けじと睨み返す。
「さきほど、ゲーテ准将は仰いました。反撃か、撤退か決めろと。もし状況が予断を許さず撤退しかないというなら、貴方は恐らく有無を言わさずこの艦だけ先に逃がしていたでしょう。でも、貴方は戦う可能性を示唆した。もしもこの戦艦アウィスがここに留まって、僚艦と共に敵艦と戦ったなら勝てるとお思いなんでしょう? パッセル二号も、失わずに済むのでは? この艦の装甲と中和磁場の性能からいけば、駆逐艦の砲撃をもう数発受けても耐えられるでしょう」
 厳しい表情のヘルツの一方、ゲーテ准将は先程までの圧迫感はどこへやら、唇の端が僅かに持ち上がり始めていた。
「我が艦に被害は必ず出ます。機関部に当たれば、爆発する可能性もございます、そうすれば逃げ出せるかどうかも分かりませんぞ、閣下」
「後ろから撃たれないようにするのが、指揮官と参謀のお仕事なのではありませんか。私は、二人の有能さを疑っていません。それに…」
 は、震える掌を握りしめることで隠し、ひきつりそうになる頬を必死で動かして笑って見せた。
「私、右の頬をぶたれたら、殴り返す主義なんですよ。ご存知ありませんでした?」
 幼い少女の心意気を受けたゲーテは、ついに笑い出さずに居られなかった。
「准将閣下、ご命令を」
 ヴィーラント艦長は、この小艦隊の指揮官と参謀へ答を求めている。そして、その二人はへと方針決定を要求し、答は出された。
 ゲーテは指揮シートに座る小さな少女が、後世にはきっと名を残すだろうという予感をこの時に抱いた。
「閣下は、提督…貴女の祖父君と同じ事を仰るのですな。あの方も、やられれば殴り返す主義でした。それでは、反撃を行うということで、よろしいですな」
 は、大きく頷く。ヘルツは諦めたように額に拳を当て一瞬だけ瞑目した次には、既に動き出していた。
 ゲーテは艦橋に渇を入れるように、力強く右手を振り上げ宣言する。
「主砲発射準備、各艦との通信開け、指示を出す!」
 子爵領艦隊は、そうして反撃の烽火を打ち上げたのだった。



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