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06



 帝国歴四八二年六月下旬、子爵領から帝都オーディンへと旅立った。
 旅の目的は、子爵領で生産している糧食の営業活動と宮廷への出仕という公務が半分、そしてもう半分は――・フォン・個人の私的な交友のためである。ラインハルトやキルヒアイス、それにエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクといった面々と会うのは子爵夫人という立場では私用にあたるが、実質的に彼らとの会見は私的なお遊び以上の意味が含まれていて、としては私用の方がよほど重要な執務のような気がしないでもない。かといって公務も軽く済ませられる訳がはなく、子爵領の体面や威信に関わる仕事として、慎重にこなすべきだろうともは承知している。
 今回のオーディン訪問に、祖父コンラッドは同行していない。ここ数年、コンラッドはよほどのことがない限り、子爵領を離れることはなくなっていた。
 オーディンへ発つ前夜、はコンラッドと夕食を共にして向き合っていた。
 二つの空白が埋められていた頃と比べれば寂しさは拭えぬものの、そこは子爵家団欒の食卓であった。毎夜のように一緒に食事をすると、今日は疲れているようだとか、酒量が増えたのは何かの憂さ晴らしだろうかと互いの気分が次第にわかってくるものだ。オーディンやフェザーンへ外遊してが不在の時はままあったが、五年の歳月がコンラッドをのお祖父様から、自身の身近な家族としても違和感がないまでに近づけていた。(これも変な表現かも知れない。だが、ある日突然、別人になってみれば理解してもらえると思う。)
 政務のことや本日の地球時代料理の批評を交えつつ、食事がデザートの抹茶アイスに差し掛かり、は何度目かになる溜息を零していた。
「お祖父様もオーディンへいらっしゃれば良いのに。私一人じゃ、うまく皇帝陛下にご挨拶できるか…」
 の愚痴は、オーディンでの宮廷への出仕を、後見人であるコンラッド抜きで行わなければならない不安から生じたものだった。
 出仕は領地から徴収した税金を皇帝陛下へ納める謁見のためで、現在の銀河帝国の技術であれば電子的に済まし出向く必要もないのだが、そこは人力を何より尊ぶ帝国の伝統により、たった数枚の書類提出のためにわざわざ財務尚書へ言上する決まりがあった。
 それだけなら猫かぶりで終わらせる自信もあったが、子爵領の発展具合が帝国宰相閣下の目に留まったらしく、リヒテンラーデ侯爵は模範的統治をわざわざ皇帝へ奏上したのである。そしてその進言を聞き入れた皇帝が子爵夫人へ直々に褒美を下賜するという運びになり、は皇帝陛下の拝謁の名誉に浴することになった。
 普通の貴族ならば喜んで小躍りすることだろうが、の心情はおして知るべしである。
(リヒテンラーデ侯爵、わざわざ私の地位を宮廷で上げようとしてくれなくてもいいからー!!)
 この件の背後に、リヒテンラーデ侯爵の手心が存在していたことをは疑っていない。当然、権力や名誉に敏感な貴族が不可視の力が作用したことに気付かぬ筈がなく、子爵家とリヒテンラーデ侯爵家のわだかまりは溶け両者は友好関係にあると認識されることになった。
 なにせリヒテンラーデ侯爵が、子爵家を引き立てる真似を大々的に行ってしまったのである。無根拠な推挙ではないが、帝国宰相の後押しがなければ辺境子爵領領主への褒賞の下賜などなかったに違いなく、お陰様で子爵家の風聞は社交界でも大人気だった。
(宰相閣下は皇帝陛下のように幼女趣味とか言われてるんだよね…いや、私が十五歳の身空で宰相閣下をたらしこんだ説が有力らしいけど)
 宮廷ではこれまで幼い令嬢領主として注目を集める場面もあったが、今まで以上に好奇かつ下品な視線に晒されるに違いない。そう考えると、一人で貴族の巣窟に足を踏み入れるのは全く気が進まない。
 コンラッドは孫娘を取り巻く状況を察している筈だったが、他の貴族のことなど取るに足らぬ、気にするなと一刀両断で済まされてしまった。
「もう良い歳なのでな。恒星間旅行もなかなか堪えるのだよ。何事も最初というのはある。お前にとって今回がそれなのだ」
 コンラッドは身体の衰えを主張するものの、宇宙海賊が出没すると嬉々として戦艦に乗り込むあたり、単なる言い訳だろう。
 が唇を噛んでさらなる溜息を堪えていると、コンラッドは苦笑した。
「お前が十七になれば、私は晴れてお役御免であるしな。領主としての政務は全て一人でこなせるようにならねばなるまい、
 銀河帝国の貴族典範には、未成年が家督を相続する際に後見人を立てることを義務づけている。それに則り、十歳で子爵となったの財産を管理し、政務を補佐する立場にコンラッドはあった。しかしそれもが十七歳に達するまでのことである。十七歳になれば・フォン・は成人したと見なされ、正式に子爵夫人としての特権を独立して行使できるようになる。
「そんな、私にはまだまだお祖父様の助けが必要です。お祖父様が楽隠居なさるのは、二年後と言わず、ずっと先のことになさってください」
「老人をあまり働かせるものではないぞ」
 コンラッドは呵々と笑って孫娘の頭を撫でてくれたものの、結局、オーディンへ同行するという返事は貰えず仕舞いである。
「それに、気掛かりもあることだしな」
 小さな呟きは、不安に顔を曇らせるの耳には届かなかった。
 がオーディンやフェザーンへコンラッド抜きで赴くことは度々あったが、無憂宮殿へ一人で参内するのはこれが初めてのことである。中身も外見通りの少女とは言い難く、割と神経は太いと自認しているではあるが、頼りに出来るコンラッドが傍にいるのといないのとでは緊張の度合いも雲泥の差だ。
(もしもコンラッド祖父様がいなくなったら……)
 そんな想像をして、は急に心細くなるのだった。
 子爵領の統治や領内の軍をまとめる上でも、コンラッドは必要不可欠な人物であるし、自身にとっても最も近しい存在である。若いとは言えぬ年齢だが、今のところ健康状態に懸念は殆どない。
 けれど、人間には誰しも寿命というものがある。の首がリップシュタット戦役で飛ぶことにならない限りは、順番としてはコンラッドの死の方が孫娘のそれより先んじるだろう。
(十年後にはお祖父様引退は確実かもしれないけれど、でもやっぱり六年後の内戦の方を先に考えなきゃいけないのかな。そうよ、安泰に引退してもらうためにも、まずはお家存続が大事!)
 そのようには気を引き締め直して不安をやる気に変え、コンラッドの見送りを受けつつ子爵領を出発したのだった。


 幼い領主を乗せた子爵家のいわゆるエアフォース・ワン(正確には、スペースフォース・ワンかもしれないと、この世界の誰にも通じないことをは考えたりする)である戦艦アウィスには、異動で子爵領を離れる数名の文官が同乗していた。どうせオーディンまでの旅費は公費なのだから、アウィスに乗せれば経費節約ができるというものである。
 オスマイヤーやブラッケらは旅路の無聊を幼い領主との会話に費やすことに決めたようで、は食事時を含めほぼ彼らと顔を合わせていた。にしてみれば、せっかくマインホフたちに押し付けてきた政務を宇宙でもし続けるようで気が休まる暇もない。彼らは心残りが多いのだろう、統治府で議題にのぼった案件を矢継ぎ早に繰り出し、たじたじになる領主様に数多くの宿題を押し付けた。
 旅路の一日目、は朝から晩まで領地の問題点を突きつけられ、ぐったりしてしまった。
 ゆえに、二日目の朝食の席では宣言した。政務に関する事柄はもう受け付けない、と。先手必勝で話題封じ込めに成功しただったが、そうすると今度はオスマイヤーとブラッケが、オーディンにおいて今後の進退をいかにすべきかと、に相談を持ちかけてきた。
「オーディンではどのような人物と伝手を繋ぐのがよろしいと、閣下は思われますか」
 朝食を平らげたあと、生真面目な顔をしたオスマイヤーが緑茶を片手にそのように話題を切り出した。
 半強制的にオーディンへ異動させた手前、未来の銀河帝国のためにといった抽象的な動機では、納得しきれない部分があるのだろう。はそう感じたのだが、実際にオスマイヤーやブラッケの質問の背後には別の意図が存在している。しかしながら、そのことにが気付くことはなかった。
 カール・ブラッケは腕組みをして、自らの意見を鼻息荒く述べた。
「俺は馬鹿な貴族官僚にへりくだるのは性に合わん。だが、好き嫌いで仕事はできぬからな。その必要があれば奴らとも相応のやり取りをする心積もりはある。内心はどうあれ、だ」
(そんなこと言われても…私の知識には、ブラッケたちが誰と仲良くなれば新王朝の重臣になれるかなんて答はないんだけど)
 しかし、これは大事なことである。何しろ彼らの人生がかかっている。
 は急いで記憶の抽斗をひっくり返すと同時に、こちらで得た情報も加味して考えた。
 実力主義のラインハルトが台頭することによって、数年後に銀河帝国のあらゆる省庁内で権力の刷新が行われることは間違いない。ゆえに、現在の主流派である貴族縁故を背景に力を伸ばしている勢力には、極力近付かない方が良いことは分かる。かといって、それ以外に現在の銀河帝国の中央省庁にどのような派閥が存在しているかとブラッケやオスマイヤーに訊ねてみても、リヒテンラーデ閥やらカストロプ閥やら、どうも貴族の権力グループ以外見当たらないようだ。
(そもそもブラッケは民政尚書になるんだから、たぶん目新しい平民重視の政策なんかを考えたはず…そういえば、ブラッケはオイゲン・リヒターと一緒にラインハルトに抜擢されるんだっけ。ということは、もしかしてこのブラッケたち自身が新しい派閥を作ってたって可能性が高い?)
 が思い出したオイゲン・リヒターという人物は、のちにラインハルトが築き上げるローエングラム体制において財務尚書の地位に就き、ブラッケとともに「社会経済再建計画」なる政策実施を任される文官である。この「社会経済再建計画」について大雑把にが記憶しているところでは、ラインハルトが帝国内の門閥貴族を一掃したあと、潤沢な貴族財産を用いて平民に恩恵を与える形で帝国経済を作り直す計画、というところだった。新体制にとっては、民衆からの支持を集めるためにも重要な内政面での目玉ともいえる計画だ。
 そのような計画の担当をラインハルトに指示されるのであるから、ブラッケらには民政的であるとラインハルトに知られる切っ掛けの一つや二つあったはずである。
(そこは本人に頑張ってもらうとして、私が言えることは…)
 は沈黙の中でこちらを真剣な眼差しで見ているブラッケとオスマイヤーに、このように答えることにした。
「仕事のしやすいように、ある程度は省内や中央で影響力のある派閥に繋がってもいいと思います。けれど今後のためにも、自分たちで新しい勢力を作ることを目指すのが、私は良いと思うんです。こうしてヘル・ブラッケとヘル・オスマイヤーは既にお知り合いになっていることですし、それぞれの省内だけでなく省の管轄を越えて横で繋がったらいかがでしょう。ほら、ヘル・ブラッケは平民たちを今より豊かにしたいというお考えがおありでしょうし、ヘル・オスマイヤーも貴族ばかりが家柄や縁故を理由に権力を握るのはおかしいと感じている部分をお持ちでしょう。同じような考えの方々は、決して少なくないはずですし、その考えがきっと未来には役立つと私は思います。だから同じような志を持っていて、貴族や平民といった階級関係なく有能な人を集めるのが一番かな、と思うんですけど…具体的に誰をどうしろというのは、私にはわかりません。お二人の思うようになさって下さい」
 正直に言おう。具体的なことは分からないけど、有能な方々を集めて新勢力を作り頑張ってくれ。の主張はその程度のものある。
 とはいえ、は近い将来に現在の体制がひっくり返ることを知っているので、今の主流派と仲良くなる必要はないと断言することだけは可能なのだった。
「なるほど、新たな勢力ですか…」
「なかなかに大仕事であるな」
 得心するように唸る二人に、は悪のりして、思いついて冗談交じりに笑ってこうも言った。
「いっそ、何か名前を付けて会を設立してはどうですか。社会経済再建準備会なんかどうでしょう。合い言葉は、あんこには緑茶がぴったり、とか」
「後半部分は別にして、それは名案かもしれぬな」
 ブラッケが悪巧みをするように口の端を持ち上げ、オスマイヤーは合い言葉が良いと破顔する。


 ちょうど談笑が途切れたところで、三人が囲むテーブルに近付く人物があった。
「お話し中に失礼致します、閣下」
 踵を揃えて敬礼したのは、マティアス・フォン・ヘルツ少佐だった。
 栗色髪の青年士官は五年前にの護衛となって以降も子爵家私兵団で戦術士官として勤め、近頃は司令部付参謀として少佐に昇進していた。今回のオーディン訪問では、子爵夫人の護衛団の一員として随行しているのだった。
 笑顔でヘルツへ視線を向けただったが、普段は優しげな少佐の険しい表情に何事かあったのだと悟って、緊張が走る。
 オーディンへ向かう戦艦アウィスには護衛として三隻の駆逐艦が随伴しているが、この小さな艦隊の内で最高位にあるのは何を隠そう・フォン・である。は軍の階級を持たないが、子爵夫人としてアウィスを初めとする子爵領軍に命令を下す立場にあるのだった。実際に艦を運用するのは艦長や私兵団の指揮官たちであり、コンラッドとは違って実戦経験もない少女に出来ることはたかが知れているが、それでも彼らは形式的にであろうともへ報告し、判断を仰がねばならないのである。
 この場で報告するかと目線で問われたが、艦橋へ出向く必要があると感じ、中座の失礼を詫びては席を立った。そうでなければ、わざわざヘルツ少佐がここまで呼びに来ることもなかっただろう。
 慌ただしく艦橋へ飛び込むと、この子爵領小艦隊の指揮官であるゲーテ准将がメインスクリーンへ向けていた視線を離し、二人を振り返った。
「ご足労願って申し訳ありません、閣下」
「いいえ、構いません。何があったのですか、ゲーテ准将」
 ゲーテは以前にこの戦艦アウィスで艦長を務めていたが、その艦長職を退いて今は私兵団の司令部に所属する准将となっている。今回の子爵の護衛部隊を任されて彼はオーディンへの航路を順調に進んでいたが、つい先刻、突発的な事態に遭遇したのだった。
 白いものがちらほら混じる小麦色の髪を短く刈り込んだゲーテ准将は、傍らへやってきた幼い子爵閣下に三次元航宙図を示してみせた。
「我が艦の一時方向、四.八光秒の距離に緊急脱出の際に使用される救命艇を発見しました」
  子爵家の小艦隊の間近に点滅する緑色の輝点を見つめ、次いで隣に立つゲーテ准将を見上げる。
「救命艇? それでは救命艇に乗っている方々を救助しなければなりませんよね」
 言いつつは不思議に思って首を僅かな角度ながら傾けた。救助するか否かの判断を求めているにしては、ヘルツやゲーテのまとう雰囲気が緊迫しすぎている。
「はい、小官もそう考え、負傷者の有無を調べるために、失礼とは存じましたが閣下をお呼びする以前に、まずは救命艇と通信を試みました」
「そうでしたか、勿論そうなさるのが当然です。それで応答はあったんですか?」
 乗員は全員死亡していた、などといいう報告をは想像したが、幸か不幸か真実は全く違う方向にあった。
「ありました。しかし、どうも救命艇に搭乗しているのが帝国の人間ではないようなのです」
「え?」
 は鳩が豆鉄砲を食ったように目をしばたき、ゲーテの発言を吟味するために脳内で繰り返した。
(帝国の人間ではない? ってことはフェザーン…は帝国領って認識だし、まさか同盟?)
 驚きながら半信半疑で、は確認するよう問うた。
「もしや、救命艇に乗っていたのは自由惑星同盟の人間だった、とか?」
「その通りです。彼らは自らを叛乱軍…自由惑星同盟の軍人であると主張し、捕虜としての保護および負傷者の治療を我々に求めてきました。演技かと思いましたが、ひどく訛りのある帝国語でしたし、背後での会話は同盟語で交わしているようでした」
 沈着冷静に頷くゲーテだったが、にはこれが物凄く違和感のある事実であるとしか思えなかった。
(なんで同盟軍の捕虜がこんなところを救命艇で漂ってるの?)
 怪訝な顔になっていたのだろう、ゲーテ准将は先回りして、の疑問に答えた。
「我々も、なぜ彼らが救命艇で帝国の只中に浮かんでいるかはわかりかねます。とりあえず、救命艇には負傷者がいるとのことで、救助を行った上で帝国軍に問い合わせようかとヘルツ少佐と協議し、閣下にその旨の許可を頂こうと思っておりましたが…」
 全く異論はない、そうが頷く前に、ゲーテは言葉を継いだ。
「しかし状況は更に複雑になったため、小官の権限では決定しかねるという結論に至り、閣下の判断を賜りたいのです」
 ゲーテ准将は険しい中にも困惑を滲ませた声で、黒髪の少女へ告げる。
「救命艇の捕虜たちは、ローバッハ伯爵領から逃げてきたと申しております」
「ローバッハ伯爵領から?」
 ゲーテの言に、は思わず顔をしかめた。ローバッハ伯爵家と子爵家はお世辞にも仲が良いと言えぬどころか、反目し合う関係である。五年前の爵位相続の件もあるが、近頃は宇宙海賊のことでも折り合いが悪い。それにカールとヨハンナが事故死した背後にも、ローバッハの影があるとコンラッドは見なしているようで、人手を使って色々と調査しているようでもある。にはその辺りの因縁がいまいち実感できずにいるが、コンラッドの判断を疑う根拠もなく、また誘拐事件の顛末も相まって、もローバッハ伯爵家に大して多大なる不信感を抱いている。
 達は、厄介事を引き当ててしまったようだった。広い銀河の星の隙間で、ちょうどワープを終えて通常航行中に救命艇の微弱な救助信号をとらえる可能性など、とても低いものでしかない。しかもローバッハ伯爵領関係となると、すでに話がすんなり収まる気がしないである。
 達がいま居るのは、オーディンとフェザーンを結ぶ大きな航路から枝分かれし、子爵領やローバッハ伯爵領の位置するリンドル星系へ至る航路である。
 銀河は広大であるが、安全にワープ可能な宙域は限定されている。ワープの際には、付近に大きな質量や不安定な重力磁場、小惑星帯が存在しないことが求められるが、そのような条件は少なくはないが多くもなかったのである。そのため、あたかも地上に敷かれた道路のように宇宙にも航行可能な道が作られることになる。実際には、先人が危険を冒しつつワープ可能なポイントを地道に探り出し、航路を開拓したのである。
 オーディン・フェザーン間の航路は、双方の星域が銀河帝国において最も重要で、物流と人の往来も多かったことから航路開拓が進み、広い宙域が主要航路として整備され、一定間隔で有人管制基地や衛星が置かれている。一方、辺境へ向かう航路は需要と供給の明快な結果として、か細い航行可能宙域が判明しているのみだ。
 その狭い辺境航路から、オーディン・フェザーン間を繋ぐ基幹航路へ合流する六十光年手前を、戦艦アウィスを含む子爵領の小艦隊は航行中であった。そして、問題の救命艇を発見してしまったのである。
 宇宙空間で互いに意図せず船が数光秒の距離まで接近するというのは、本来なら困難なことである。なにせ宇宙は広く、また、衝突事故が起こらないようワープアウト座標や予定時刻は管制されている。ただし航行可能な範囲が狭い辺境航路では、安全な距離を保ちつつ船がすれ違ったり並んで航行することは往々にしてあり、また管制網も最低限しか布かれない辺境では管制の目を盗んで航行することも難しくはなかった。
 ゲーテ准将は眉根を寄せて普段から厳めしい顔をさら引き締め、傍らのヘルツへと報告を続けさせた。
「救助信号を解析したところ、救命艇の識別番号Z465-MO1987-76であることが判明しています。これは、帝国歴465年にMO工廠で建造された1987隻目のZ型宇宙艦の76番救命艇、という意味です。ここから救命艇の母艦を照会しました」
「…ローバッハ伯爵領関係だった?」
 恐る恐るヘルツの顔を伺ったは、憂い顔の少佐が頷くのを見てしまった。
「救命艇の母艦はローバッハ伯爵領軍の艦艇ではありませんでしたが、伯爵領が最大出資者となっているモンケル商会所属の民間宇宙船のものでした。関係は充分にあるかと」
(あ、怪しすぎる)
 民間船で同盟軍の捕虜を輸送するなんてことは、よほど輸送手段が不足していて軍が民間から船を借り上げたり徴発でもしない限りありえない。だがここは帝国の只中である。切羽詰まった捕虜の移動が要請される場面などありそうにないし、輸送船が手配できないという可能性も限りなく低いだろう。
「この民間宇宙船の航行記録を第四方面区管制に問い合わせましたが、この周辺を航行していた記録はありませんでした。同盟軍の捕虜を輸送するとなると、ローバッハ伯爵領にある第七捕虜矯正区へ向かっていたとも考えられますが、これが帝国軍からローバッハ伯爵領軍に委託された輸送任務であるとすれば、管制にワープ情報を報告しないということはありえません」
 ヘルツは淡々と説明してくれたが、なんだか頭痛がするである。
(これは、本当に面倒な事になりそうなんだけど)
 つまり簡単にいえば、ローバッハ伯爵領軍が隠れて何かしていたところに、偶然達は居合わせてしまったようなのである。
 ゲーテとヘルツがなぜ自分を呼んだのか、は理解した。子爵領の小艦隊は、幾つかの決定を下さねばならないが、これは単なる軍事的判断にはとどまらず、政治的な要素を多分に含むことになるからだ。
 ゲーテ准将はそれが酷なことであると知りつつ、幼い領主へ判断を迫った。彼にとって幼い少女は、いまだ万全の信頼に足る相手ではない。しかし彼の上官であったコンラッド・フォン・へ判断を仰ぐには、二百光年の距離は遠すぎる。超光速通信を利用するにしても、通信回路を確立するには時間の猶予が求められる。 
「いかがなさいますか、閣下」
 は微かに発光する三次元航宙図に視線を見据えたまま、誰に言うでもなく考えを口にしていた。
「つまり、ここで救命艇を見て見ぬ振りしてローバッハ伯爵家と揉め事を起こさないようにするか、さもなくば救命艇を拾って面倒なことに巻き込まれるかの二択でしょう? 救命艇の彼らをローバッハ伯爵家が探していないということもないだろうし」
 は束の間、沈黙の中で逡巡した。艦橋の指揮シート周辺に張り巡らされた遮音力場のために、の耳に届くのは三次元ホログラム機器の発する微弱な音波と、ゲーテとヘルツの息遣いのみである。
 ローバッハ伯爵領との関係にこれ以上の着火点を増やしたくはないが、同盟軍捕虜をなぜ秘密裏に扱おうとするのかという謎が、には何かの手掛かりになりそうだという直感があった。
 これはローバッハ伯爵家を覆う靄を払拭し、真相を辿る細い糸となるかもしれない。
 そう考えた次には、の心は決まっていた。鹵獲をお願いしようと口を開いたところで、しかし艦橋にアラートが鳴り響いた。不吉なレッドシグナルは、も覚えがある。
(第一級非常態勢!?)
 遮音力場を消し、ゲーテ准将は叫ぶ。
「何事だ!」
 艦橋士官は必死の形相で振り返った。
「八時方向、三.九光秒の距離にワープアウトしてきた駆逐艦が、我が艦の方角へ向けて砲撃を……当たる!」
「電磁バリア緊急展開! 衝撃に備えよ!」
 その声を聞いた直後、の視界に閃光が弾けた。


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