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05



 子爵領統治府の第一執務室では、ここ数日の視察(という名の逃亡)で溜まった書類の山を前に唸る領主の姿があった。
 六月は折しも年度末、細々とした案件の多い季節で、は朝から一向に減らない紙束の内容を確認しつつ判を押し、署名を書き込んでいた。普段ならコンラッドにも支援を要請するところだが、近場の宇宙海賊退治とはいえ戦場から戻った直後に仕事を押し付けるほど、も遠慮がないわけではない。
 子爵令嬢から子爵閣下へと身分を変えた・フォン・、もといの日常は、一に統治府における領地経営に関する執務、二に趣味の域を大幅に逸脱してしまった飲食、食品加工事業関連のあれこれ、三にフェザーン自治領と貴族サロンにおける営業活動で成立していた。
 子爵領の運営に関しては、半分ほどコンラッドが処理しつつ(ありがたやお祖父様!)有能官吏たちの強力なサポートと共に実践しながらお勉強中といったところである。まだまだ半人前の領主であるは、本来なら領地に籠もって領地経営のイロハを詰め込むところなのだが、勢いで始めた地球時代の料理復活が何を間違ったか子爵家の大きな収入源となりつつあったので、そちらにも目を配らねばならなかった。
 単なる自己満足の寿司復活後、和菓子やカレーと欲望を追求しているうちに、グルメ事業が随分と儲かる商売だということには気付いた。というのも、貴族文化華やかなりし銀河帝国において、贅沢な嗜好品の需要と消費欲求は大きく、そこへ目新しいジャンルの食べ物が登場すると、物珍しさとそれなりの味の良さも手伝って瞬く間に和食ブームが到来したのである。
 その際に新たなる和食の宣伝塔として多大な役割を果たしたのは、何を隠そうブラウンシュヴァイク公爵家であった。
 もとはがエリザベートの母アマーリエに寿司を提供したことから始まったのだが、和食をいたくお気に召した貴婦人に求められるまま地球時代の料理を差し出す内に、子爵家が開発した料理をブラウンシュヴァイク公爵家がパーティで振る舞うことで貴族へ浸透し、その後にレストランを展開するという一連の流れが定式化してしまった。
 好きなものを好きなときに食べたいというのは誰しも同じのようで、アマーリエが鼻高々に和食を披露した後日にはそのアマーリエとの元に、当家にもレシピをという問い合わせが殺到することが何度かあった。としてはレシピ配布も構わなかったが、それは誇り高きアマーリエ・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵夫人の、
「あら、パーティで和食を振る舞えるのは当家と子爵家だけですわ」
という発言により即却下され、折衝の結果、高級和食レストラン開店で他家の貴族を満足させるという運びになった。
 実は高級じゃない和食レストランも経営していて、その品書きと素材は殆ど高級版と変わらないのは秘密である。金があるところからは相応の値段を頂き、それ以外の場所では破格でご提供がなりの隠れた信念だった。豪華絢爛な貴族生活の裏で苦しむ平民や農奴階級の存在を、もとは一般人にすぎないは忘れることができなかった。
 領地経営はやり甲斐の大きな仕事で、多忙に追われる毎日も充実していたが、しかしは瞬く間に過ぎていく時の流れに焦りを感じ始めていた。
 ・フォン・となってから五年が経過し、いまさら元の世界に戻りたいと言い出したいのではない。
(うう…あと五年くらいでリップシュタット戦役勃発っていうのに、どうしよう)
 の最たる懸念は、現在の・フォン・および子爵家の立場である。
 正直な所、後年の内戦を考えるとブラウンシュヴァイク公爵家とはさっさと縁切りしたかったところだが、そうするには既にはブラウンシュヴァイク公爵家に深入りし過ぎていた。より正確に言えば、はエリザベートとの親交を深めすぎた。
 誘拐事件で縁を作って以降、は年に何度かブラウンシュヴァイク公爵家へ呼ばれるようになった。主にエリザベートの遊び相手を務めるためであったが、エリザベートはとにかくが作る菓子や食べ物に興味津々で、が何かしらの食べ物を手土産にしている内にアマーリエも同席して和食お披露目とあいなり、表立ってブラウンシュヴァイク公爵家との親交が進んでいったのだ。
 エリザベートとの個人的な付き合いがブラウンシュヴァイク公爵家との繋がりの発端と言っても過言でなかったので、彼女に嫌われれば案外簡単に縁切りできたかもしれなかった。
 だが、は結局、エリザベートを突き放すことができなかった。
といると、わらわは楽しい。それに、知らなかったことを沢山知ることができる。これまで誰も教えてくれなんだことを」
 ころころとした笑顔でそう言われ、抱きつかれると、年の離れた妹のように可愛く思えてしまうのだ。
 エリザベートは決して人当たりが良いとか、性格が穏やかで人好きするような子供ではなかった。贅沢に慣れ、人に何かしてもらうことを当然と思っている、傲慢な部分のある子供だった。仮にが正真正銘の十代なら、とっくに堪忍袋の緒は細切れになっていたはずである。
 しかし、には耐えられた。
 エリザベートは、貴族文化にどっぷり浸かってきたのだ。にとっての常識が通用しないのも当然であるだろうし、そもそも世界が違うからと一つずつ気持ちを伝えることから始めれば、物知らずなだけで馬鹿ではないエリザベートはの考えも理解してくれた。それには恐ろしく時間とエネルギー、そして忍耐力が必要であったことは否定しないが、生粋の貴族であるエリザベートという人格に影響を及ぼせたことに、少しは満足していたである。
 現状、はエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクに最も近い同年代の少女の一人として社交界には認識されている。ついでにアマーリエ公爵夫人にも気の利く娘と覚えもめでたく、現時点で貴族社会における後ろ盾は完璧である。
(本当に勘弁して欲しい。流刑まっしぐらコース!)
 このままでは、流れで破滅の運命が待ち構えている貴族連合軍に参加させられそうだというのがの焦燥の原因である。
 しかし今の時点でブラウンシュヴァイク公爵家を敵に回したり、手を切ったりすると子爵家の破滅が早まる(宮廷で隅に追いやられて、取引先も離れて行くことが予想できる)だけであるから、いかにリップシュタット盟約参加を回避するように立ち回るか、最近のはない知恵を絞っているところだった。
 さしあたり、は領地の政務や事業ではブラウンシュヴァイク公爵家との取引や関係を最小限に留めるよう腐心してはいる。コネを最大限に生かせば更なる利益を手中にできるとシルヴァーベルヒらには何度か進言されたが、はブラウンシュヴァイク公爵家の権勢という無言の圧力を行使することに頑として頷かなかった。未来を知る身としては、危険物を抱え込む真似は恐ろしくて出来ようはずもない。
 あまつさえブラウンシュヴァイク公爵家と仲良しの時点では泣きたい気分なのだが、追い打ちをかけるように子爵家は更に大きな爆弾を背負ってもいた。
 五年前のカールとヨハンナの葬儀の参列者の中、親族用の席に画面の向こうで見たことのある顔を発見し、は息を呑んだ。
 高い鷲鼻に鋭利な目つきをした白髪の貴族には覚えがあった。服装から判断するに、彼が侯爵位にあることが伺える。
 その御仁と今は亡き母ヨハンナとの関係を耳にし、は血の気を失ってよろめき、側にいたロルフに支えてもらった位である。
 リヒテンラーデ侯爵クラウス。それが御仁の名である。
 彼は年が大きく離れたヨハンナの腹違いの兄であった。ヨハンナは妾腹ながらリヒテンラーデ侯爵令嬢であり、身分の劣るカールとの結婚のために家を出奔し、これまで実家との縁がほぼ断絶していたのだという。しかし妹の死の報に思うところがあったというリヒテンラーデ侯爵は、妹へ最期の別れを告げるため辺境子爵領へ足を運び、両親を失った姪を慰めてくれた。
「ヨハンナの面影がある。幼い頃の姿そのままだ。よろしければ、いつか彼女の昔のフォログラムでも差し上げよう」
「あ、ありがとうございます……侯爵閣下」
 少し引きつった顔で返事をするに、リヒテンラーデ侯爵は遠い目をして言った。曰く、弟妹は幾人もいたが最も心優しくいつも笑顔であったのはヨハンナのみで、年の隔たりがあっても昔は親しくしていたのだという。
「だが私はヨハンナを勘当した父に逆らえず、当主となった後にも妹の遠慮に甘えあの娘の立場をそのままにしていた。今となっては遅きに失したことであるが、良い兄となれなかったことを悔やんでいる。罪滅ぼしで申し訳ないが、良ければ君にとって良い伯父でありたいと思う」
 あちらの世界ではいかにも悪役面の狡猾そうな表情しか見たことのなかったクラウス・フォン・リヒテンラーデは、の予想外に人情溢れる人だった。しかし、にしてみれば勘弁してくれ、と言うほかない。
(もう泣きたい)
 この時のの心中を察してくれる者は、この銀河にきっと誰一人として存在しなかっただろう。
 リヒテンラーデ侯爵家はリップシュタット戦役において一時的にラインハルトと手を組み、ブラウンシュヴァイク公爵家をはじめとする門閥貴族勢力を一掃するのだが、その後、ラインハルト陣によって一族郎党が謀殺されることになるのだ。リヒテンラーデ侯爵側もラインハルトを排除しようと画策していただけに、謀殺といっても清廉潔白の身で殺された訳ではないが、政治闘争とは恐ろしいものだと呑気に本を読んでいた昔の自分を八つ当たりのように締め上げたくなったである。
(リヒテンラーデ侯爵と三親等の姻戚関係。余裕で死ねる!)
 何もしなければ、はリップシュタット後のラインハルト対リヒテンラーデの争いに巻き込まれて高確率でヴァルハラ逝きである。
 縁続きでも長らく関係が途絶していた――というのは建前で、本音ではその後も安穏と暮らしたい――からと頼み込んでヨハンナの勘当扱いはそのままで落ち着き、表向きはリヒテンラーデ侯爵家との無関係を貫いている。しかし、一族郎党抹殺の余波がどのように及ぶかなど、考えたくもない未来であった。
(血の繋がりでいくなら私一人が流刑されるだけで、コンラッドお祖父様達や子爵領には迷惑がかからない、と思いたい)
 この恐ろしい事実が発覚以降、は真剣にどうすれば銀河帝国で生き残れるかを考えるようになった。
 しかしながら辺境暮らしでは宮廷工作も困難で、第一、何をすれば助かるのか現時点ではわからず、結局は領地発展と趣味の料理研究に心血注ぐ毎日を送ることになったのだ。
 正直なところ、銀河帝国を二分する争いの中で、はラインハルトに協力的である以外に自分の首を繋ぐ道を見出せずにいる。ブラウンシュヴァイク公爵家、そしてリヒテンラーデ侯爵家との縁を否定するより雄弁なる主張は、自らがラインハルトの味方であることを主張する以外にないと思うのだ。
 しかし、ブラウンシュヴァイク公爵家と蜜月関係にある現時点で、がラインハルトへと名を明かせば警戒心を抱かせるに違いない。何しろブラウンシュヴァイク公爵家は、皇帝の座へと駆け上がらんとするラインハルトにとっては一大敵勢力である。そんな門閥貴族と繋がる子爵家の令嬢であるとなると、心証は悪くなりこそすれ良くなりそうにはない。
(かといって、ずっと黙ってる訳にもいかないし、何か信頼を抱いてもらえるきっかけ作らないとな)
 ラインハルトはこの六月に幼年学校を卒業して以降、戦場を渡り歩くことになる。今よりも自由に会うのも難しくなるだろう。何より、彼が出世して貴族のパーティへ呼ばれる立場となれば、社交場へ出入りすることも多い・フォン・と鉢合わせる可能性も出てくる。
(早めに打ち明けたいんだけど、どうしよう)
 幼年学校卒業の祝いと称して六月末に会う約束を取り付けはしたものの、今だ身許を伝える決心の付かないである。しかも名を名乗ったところで、まさか一緒に宇宙を手に入れましょうと口説くわけにもいかず、新たな関係への踏み出し方をは模索し続け、既に五年目である。
 誰にも相談できない悩みを抱えたままは重い溜息を一つ落とし、晴れぬ鬱憤を込めて目の前の書類に判を押しつける。とりあえず今夜は戻って未来情報を書き出したノートと睨めっこしようと思いつつ、は書類に署名を入れ、ふと時計の表示を見てペンを放りだした。
「三時! 休憩! お茶の時間!」
 叫んで立ち上がり、勢いよく伸び上がって身体の強張りをほぐす。長時間を座って過ごすと、どうも肩が凝る。ヤン・ウェンリーのごとく机に脚を載せてだらりとしてみたいが、首席補佐官の目とコンラッドの面目を慮って、いまだ野望を達成できていないである。
 傍らの机から、マインホフ首席補佐官の小さな咳払いが聞こえた。
「左様ですね、休憩に致しましょう。それにしても閣下、もう幼子でもないのですから振る舞いにはお気をつけ下さい」
 言われたが我が身を見下ろすと、腕を上げた拍子にズボンに入れていたシャツが飛び出したようで、随分とだらしない格好になっていた。
「これは失礼。お目汚しを」
 背を向けいそいそと身繕いをする本日のの衣装は、女性がまとうドレスではなく男性と同じものである。たっぷりと布をとったブラウスにベストと裾長のジャケットを羽織り、胸元は赤いスカーフを留めている。下はハイウェストの七分丈パンツに薄手の長い靴下、ややヒールのあるパンプスという貴族子弟スタイルで、髪も結い上げるのではなくおろして背で一つに括っている。一見して少年のようでもあるが、明るいスカーフや女性らしさを醸し出す髪留めなどが、その少年が男装の少女であることを主張していた。
 ヴァルハラのカールとヨハンナが見たら卒倒すること請け合いであるが、数年前からは領内で政務にあたる際には、動きやすさを重視してドレス以外を着用することも度々だった。最初はゼルマをはじめとする子爵家の使用人一同、また祖父コンラッドも渋面を作っていたが、幼い領主が視察と称して野山や田んぼへ足を運ぶ日が続くと、仕方ないと言うように目を瞑るようになった。一応はも銀河帝国の作法を理解しているので、くだけた格好をするのは領内にいる時、かつ、外からの客人のいない時に限り、外向きにはまだ淑女の猫を被っている次第である。ただし、そのドレスも過剰な装飾や布の使用を極力排し、一人でも脱ぎ着できて身体を締め付けず動きやすい!とか、軍用に使われる冬暖かく夏涼しい繊維使用で機能追求をコンセプトに発注したオーダー服で、フリルやレースに可愛らしさを見出すゼルマを嘆かせている。
「失礼する」
 とマインホフが茶の準備を終え、応接用のソファに腰を下ろした時に、頃良くカール・ブラッケとオスマイヤー、シルヴァーベルヒがノックと共に現れた。
 三時のお茶は子爵領統治府において公然とした休憩時間であり、はいつも持参した茶菓子を振る舞っている。いつの間にかオーディンからの左遷組が相伴の固定メンバーとなっているのは、執務上、彼らと最も話す機会が多く、自然と茶飲み話に付き合う形になりがちだったからである。
 本日の茶菓子である葛饅頭を振る舞いつつ、はここ数年間を共にした官吏達の顔を見回した。
 一番付き合いが長いのは、家庭教師として経済を教わったブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒで、今年は異動の辞令がなかったためまだしばらく辺境子爵領に留まることが決まっている俊英である。今年二十五の若さの筈だが、後のラインハルト治世下で民政尚書を務めることになるカール・ブラッケと言い合う姿には、なかなかどうして年季が入っている。
「こうして皆で茶を飲めるのもあと僅かと思うと、ヘル・ブラッケのお顔も何やら感慨深く見えますよ」
「そうか、俺はヘル・シルヴァーベルヒの皮肉が聞けなくなると思えば、せいせいするばかりだ」
 カール・ブラッケは鼻下に口ひげを蓄えた壮年で、銀河帝国における平民の地位向上を主張するいわゆる開明派の先鋒である。その思想ゆえに有能にもかかわらず辺境を転々としていた所を、が(未来を知っているがゆえの)先物買いとばかりに領地へ招いたものの、年の割に血気盛んでそりの合わないらしいシルヴァーベルヒと口喧嘩が絶えない。が分析するところ、野心家シルヴァーベルヒの能力主義や合理主義が、利益の公平分配を信奉するブラッケと反発するようである。
「おや、ヘル・ブラッケは早くオーディンへお戻りになりたいようですな。先日あれほど閣下に文句を語られていた同じ口から出た言葉とは思えません」
「貴卿はいつもいつも減らず口をいいおって!」
「私としては、お二人の活発な議論を耳に出来なくなると思うと、少し安堵すると同時に寂しくも思われますよ」
 盛り上がりかけたシルヴァーベルヒとブラッケの応酬を静かな声で収めたのは、首席補佐官のマインホフである。を除いた茶会メンバーの中では最年少で、オーディン国立大学で政治学を修めた秀才の名高い人物だった。の予定を彼が把握しすると同時に先のことに合わせ雑事を采配し、執務では関係各所との調整もしてくれるので、にとってはかけがえのないブレーンである。細身の長身で、穏やかな人柄と顔つきから、は秘かに普段の彼を菩薩マインホフと心の中で呼び、多忙で仕事に追われている時には般若マインホフと呼ぶことにしている。マインホフは怒らせたら怖い人であると、はこの何年間で骨身に染みて悟ったことだった。
「閣下、この菓子はまた美味しいですな。こういった茶菓子も、オーディンでは気軽に味わえぬと思うと、いささか残念です」
 そう言ってテーブルの向こうの騒ぎも我関せずの風にに語りかけてきたのは、内務省から出向してきていたオスマイヤーであった。ブラッケと同年代で、今期限りで子爵領を去ってオーディンへ戻る、後の内務尚書閣下である。
 言外に子爵領を離れがたいと言われたようで、は急いで葛饅頭を飲み下し口を開く。
「ヘル・オスマイヤー。お望みなら茶菓子くらい幾らでもお送りしますから、オーディンからもお便り下さいね。私としても、あなた方を好きで手放すわけではないんです。全ては銀河帝国を思えばこそで…有能な官僚を辺境に置いても、出来ることは限られています。あなた方の才能は是非にも、より大きな場で活用されるべきなんです」
「だが、我らの才を使うだけの器量が今のオーディンの奴らにありますかな?」
 過激な発言に顔を向けると、いつのまに口論を止めたのか、挑戦的な表情のシルヴァーベルヒがこちらを見据えていた。
「俺は先年に異動を拒否したが、それはいくら権力の中心といえど中央の居心地が最悪だからに他なりません。縁故や家柄だけで出世するような奴らがオーディンには数多居て、新風の吹き込む余地がない。その点、子爵領は辺境とはいえ先験的な政策を試すことも出来るし、同僚も話の分かる人物が多い。まあ何が言いたいかと言うと、出世するにしてもここを離れるのは惜しいということですが。閣下は銀河帝国の未来のためと仰ってヘル・ブラッケやヘル・オスマイヤーをオーディンへ戻されることをお決めになったようだが、より長い目で見てこの地をさらに発展させてから、中央へ戻っても遅くはないのではあるまいか」
 シルヴァーベルヒの言は、恐らくその場にいた他の面々も感じていることなのだろう、沈黙する彼らにはどう返すべきか思案した。
 確かに、彼の発言には一理あるのだ。自由の利かないオーディンで遅い歩みを進めるより、辺境で実績を実らせてそれを上手く中央へ報告し、その時点でオーディンへ官僚を戻らせればより高い地位からの出世も見込めるだろう。――の主張する銀河帝国のためという話も漠然とした目標でしかなく、彼らとしては異動を強行するにも腑に落ちない理由に違いなかった。
 しかし、にはそうすべき時期に既に来ていると思える根拠がある。
(あと六年で門閥貴族が消えて、その二年後には新王朝成立。いまのうちにオーディンで地歩を固めてないと、尚書職なんてできないでしょ)
 後進の育成や、彼ら同様に有能でも不遇をかこっているような官僚同士で協力する態勢を整えるべきだと、は思っている。何しろが辺境へ彼らを引っ張ったこと自体が歴史の中ではイレギュラーかもしれなかったし、これからの・フォン・の身の処し方を考えても、彼らがオーディンで影響力を行使できる立場になってもらえると有難かった。
 は軍人になれず(もとよりなるつもりもないが)、ラインハルトが形成する帝国軍内の軍閥には参加できない。それならば、内政関係の官僚に融通を利かせられる立場というのは、大変魅力的なのである。
 とはいえ、まさかラインハルトが帝位簒奪して新王朝興しますとは言えない。なので、とりあえずの事実を述べてみることにした。
「実は、私もそろそろオーディンを見据えて、中央進出しようかと思っているんです。社交の場だけならブラウンシュヴァイク公爵家やヴィーゼ伯爵家とのお付き合いもあるけれど、政務に関しては現状、お祖父様の軍務省関係の伝手しかオーディンにはない状態ですしね。そこで、あなた方にオーディンへ戻って貰えば今後、色々と新しい試みもやりやすくなると思った次第です」
(ま、私が何かしなくてもここにいる面子やラインハルトがいれば、農奴解放とか平民階級の地位上昇政策とかは実行されると思うんだけど)
「つまり、閣下はご自身の信念のため、ひいては民のため、我らをオーディンへ送り出すということですな。ゆくゆくは、帝国の改革を推し進めるためにも、今の地位では足りぬと」
 真剣そのもののブラッケに確認を求められ、は間違っていないと頷いてみせる。
(ま、みんな尚書になるんだもんね。今の地位じゃ足りないよね)
 ブラッケはそのまま他の三人へと視線を投げ、相互に何かを確認し合ったようだった。
「わかりました、そういう御心積もりであれば我らもお力添えできるよういっそう励みましょう。オーディンへ戻り、閣下をお迎えできるような足場を整えられるように」
「うん、よろしく?」
 いつかオーディンで歓待してくれるのだろうかと首を傾げたは、この時の会話の意図が互いに全く噛み合っていなかったことを、後年知ることになる。



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