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Act2-03



 五年という歳月は、長いようで短く、短いようで長いとは思う。
 様々なことがあった。それなりに苦しく思うこともあり、元に戻りたいと願ったこともあった。しかし、同じくらい楽しいことや嬉しいこともあった。
 が子爵令嬢となってから五年。
 結局のところ、は今も・フォン・その人として生きている。
 なぜかといえば、答は簡単だ。元に戻る云々を悩む前に、やるべきことが目の前に山積していて、その目下の課題を見て見ぬふり出来なかったからだ。
 の両親であるカールとヨハンナの死後、――もといは自動的に爵位を継ぐことになった。これはの感覚上の表現であって、実際には面倒な手続きやコンラッドの周到な工作あってのことと、後に知った。継承順位からいえばが間違いなく子爵位に関して第一位の継承者であったが、女児である上に十歳という年齢から、場合によっては縁戚内から相応しい後継を選ぶこともありえたし、将来のの夫(!)となるべき相手を見繕い、その相手を次期子爵として迎えるという話もあったらしい。
 いずれにせよ、残されたの意思は全く尊重されず、ただ道具のように大人達に左右されるだけの運命だった。それは祖父コンラッドさえも同様で、方向性が異なっただけで、コンラッドは孫娘に改めて子爵家を継ぐ覚悟を問うこともなく、を爵位につけたのである。
(それが子爵家の一人娘の義務と言われれば、それまでだけどさ)
 当時のは周囲の思惑を深く考える間もなく、コンラッドの用意した椅子に素直に座ってしまった。そうするのが成り行きとして普通に思えたし、妙な夢(カールとヨハンナが夢枕に立ったのだ!)に心動かされた面も存在した。さらに、が領主の責任を負うことを拒否したとして、コンラッドと共に領地を追い出されて路頭に迷うか、強制的に夫をあてがわれて十歳で結婚かと問われれば、多少の重荷は背負っても自らの裁量で人生の道行きを決められる方が幸せだろうと思ったである。
 正直、一瞬だけこの荒唐無稽な人生を自ら終わらせようかと思ったものの、真実かわからないオーディン神のお告げに加え、息子夫婦に続いて孫娘まで失ったらと想像した場合のコンラッドの心情を思うと、おいそれと現実逃避の誘惑を実行する気にはならなかった。
 葬儀前後の頃のコンラッドは、憔悴というより鬼気せまる気迫を纏っていた。を子爵として自ら後見に立つと宣言した際には、随分と罵倒や批判があったものの、コンラッドは顔色ひとつ変えずに澄ました風情であった。だが束の間の嵐が過ぎ去った後には、カールの描いた家族の肖像画の前に佇んでいたり、物思いに耽る横顔を見掛けることも度々あり、胸の裡を察する他なく、としては多少の後ろめたさを抱かずにはいられなかった。
(私って薄情者なのかも)
 カールとヨハンナが亡くなった――帝国語で言うところのヴァルハラへ昇ったと一報を受けたは、当然ながら衝撃を受けた。元は他人とはいえ半年間おなじ家に暮らし、家族として振る舞ってきたのだ。何の感慨を受けぬはずもないし、悲しかったのは間違いなかった。
 だが本心を吐露すれば、それよりもにとっては『あっち』へ戻れないと覚悟を決める方が重大事項で、その葛藤ゆえに枕を涙で濡らす日々だった。そうして泣きはらした子爵家の令嬢の目元を見た周囲は、の内心を知るべくもなく勘違いしていたので、人生なにが吉と出るか判らないものだ。
 両親をいっぺんに亡くした可哀想なお嬢様という同情を大いに集めつつ、は数日間悩んだ。しかし、どう考えても自死なんて柄じゃないのである。しかも死んだからといって元に戻れる可能性があるかどうかも判らず、帰る方法もさっぱり見当がつかないとなれば、は不確定要素が多すぎる選択肢を放棄せざるをえなかった。
(なってしまったものは、仕方ない)
 は開き直った。泣いて悩んでも腹は減り、時は流れていく。そうであればこの世界に骨を埋める覚悟で腹を括って、せいぜい美味しいものを食べて楽しく暮らした方がよっぽど自分自身を含めた皆の幸せに貢献できるというものだ。
 そうしては懐かしい世界と人々にひっそり別れを告げ、・フォン・として生きることを選択したのだった。
 意識しなければ、子爵領は地球のどこか異国の地のようにも思えるものだし、服装や文化も慣れれば受容できるものだと、はゆらゆら揺れる水面を見下ろしながら駆け足で彼方へ過ぎ去った年月に想いを馳せた。
(いやー、子爵令嬢になった時もこれはないと思ったけど、そのまま子爵になってマグロ養殖してるなんて、本当に人生一寸先は闇。オーディンも多分びっくりよ)
「お嬢様、そのように身を乗り出しては危険です」
 魚影が見えないかと港の護岸から海を覗いていると、ロルフに引き戻されてしまった。は憮然として、心配性の護衛に抗議する。
「子供じゃないんだから、落ちたりしません」
「そう仰って、この一年でお屋敷の池に二度落ちたのはどなたです?」
「うっ、それは足を滑らせたというか不幸な事故でした」
 落ちたことには深い理由があるのだが、昨年の間に二度も季節外れの水浴びをする羽目になったことは事実だったので、は言葉に詰まった。
「領主様みたいな可愛いお方が落ちたら、でっかいマグロの餌になっちまいます。お気をつけ下さいよ」
 がぎょっとして慌てて身を引くと、冗談だと、よく日に焼けた海の男達は大きな口をあけて盛大に笑った。
「そんなに泳いでるヤツが見たければ、船に乗せてやりますぜ、領主様」
「領主様、あっちに上げたばかりのものがございますから、解体もご覧になりますか」
「よければすぐに試食できるよう、おろしておきましたぞ。ちゃんとショーユも用意しております」
 漁船の船長に漁港の責任者、養殖の研究者に囲まれての熱烈な歓待ぶりは、毎度のことである。
「ありがとうございます。今日は時間があまりないので、解体を少し見学した後にマグロを食べさせて貰っても?」
「もちろんです、ささ、こちらへ」
 は養殖が順調に成果をあげていると誇らしげに語る研究者の報告を聞きつつ、笑顔を絶やさず愛想を振りまき魚市場を行進した。
 これまで領内で消費される量の魚しか水揚げしていなかった小さな港に、養殖場を作って大々的な整備を推進、惑星外への輸出で利益を出せるようにしたのが小さな領主様であると一般的には思われているので(むろん、実際には有能な官吏たちと現場の人々の働きあってこそである)、・フォン・の領内における人気は英雄コンラッド・フォン・に劣らぬものがあった。恐らく、の十五という年齢と外見が関係している部分も大であるとは思う。
(お子様で女であることも、たまには役に立つのよね)
 これが見目からして貫禄ある祖父コンラッドであれば周囲もかしこまって賛辞を送るだけだろうが、年端もいかない少女が領主業を頑張っている(他人が勝手に夢を見ているだけだ。頑張っているのか、趣味全開なのかは誰よりも自身がよく知っている)のが、ある種の庇護欲をくすぐるのではとカイルが意地悪く指摘していた。
 真偽はともかく、を小娘と侮ってくれるなら色々と楽には違いないので、は純粋さからはかけ離れた打算も含みつつ可愛い領主様として頑張って振る舞っている。風格も威厳も持たないなら、使える利点は活用すべきだった。
 領地を代官に任せきりにして遊び暮らす領主もいるらしいが、辺境子爵領は代官に任せるような産業振興から始める必要があったし、コンラッドは勤勉な性質だったので、爵位を継いだからには相応の働きをせよとばかりに孫娘を連日統治府へ連行した。
 十歳の小娘に何が出来ると方々からさんざん祖父ともども誹謗された(むろん、統治府の一部の官吏たちからもである)ものだが、・フォン・は普通の十歳ではなかったので、全てを捧げる勢いで働くことで今はお飾り領主とは呼ばれなくなった。
 が領主業を始めた当初、子爵領の財政状況は可もなく不可もない水準だった。カールが当主の時代にも実質の統治はコンラッドが仕切っていたが、軍事的才能のあったパランティアの英雄は手堅い経営手腕も併せ持っていたようで、子爵領の主な産業であるレアメタル鉱山と人工蛋白生産工場をうまく回し、どちらも戦時の必需品ということもあって、それなりの利益を確保していた。凶悪な税率を設定することもなく、問答無用の収奪もしないので、子爵家に対する領民の支持もおおむね良好だった。
(だけど、地味な稼ぎだったんだよね…)
 先祖代々の領地を安堵するには充分だが、社会福祉を整備したり、さらなる発展を望むには心許ない資金源である。
(今はいいけど、心配なのはリップシュタット戦役。その後の新王朝成立だよね。経済もどうなるかわからないし、領が豊かであるに越したことはないはず)
 がまず目指したのは、領内の食糧安定供給であった。この話を持ち出した時のコンラッドの反応は、食道楽を領地経営に持ち込むなという一言である。コンラッドは孫娘には甘いが、唯々諾々と子供に従うほど耄碌はしていないし、領主としての責務も忘れてはいないのだった。
 しかし、も別に単なる趣味や好みだけ(それらが含まれていることとは否定しない)で領地を弄ろうという訳ではなかった。
「根拠もなく申し上げている訳ではないのです、お祖父様。現状、領内では直ぐに利益の出る鉱山と工場にばかり投資して、せっかくの豊かな惑星環境を活用していないではありませんか。星域外からの食料輸入量も40%近くありますが、これは輸送コストや中間業者の利益が上乗せされた価格です。我が領地も入植からすでに百年近く経ちましたし、そろそろ惑星内を更に開拓して、一次産業を推進して輸入コストを減らし、その分を開拓事業に回し、余剰生産物の輸出で利益を上げる方策を考えても良い頃ではありませんか。いつか申し上げたとおり、辺境とはいえ我が子爵家もいつまで安穏としていられるかわかりません。私はまだ若輩で、領地経営のことなど何も知らぬ身です。けれど、領民を飢えさせないことが領主の心得の第一であると、素人考えながら思うのです」
 にとっての大きな懸念は、今後の自由惑星同盟との戦争激化と内戦の勃発である。どのように子爵領に余波が及ぶかはさすがに予想できぬものの、それでも一時的に食糧価格が高騰したり、働き盛りの男子が今にも増して徴兵される可能性は容易に思いつく。
 たとえ未来の歴史を知っていても、戦争を止める手立てをは持たない。だからこそ、少なくとも皆が餓えることのないようにと望むのだ。
 コンラッドは、しばらく沈黙の中で思案を巡らせているようだった。そして束の間の空白後に、溜息混じりに言った。
「次の領主はお前だ。お前が領民を飢えさせないことを第一にしたいというなら、老いぼれはただ手助けをするのが良いのだろうな」
 は言葉以外にも幾つかの実証的データを取り揃えていたので、領内での農業や漁業振興が利益になるだろうとコンラッドも判断したらしい。
「やるとお前が言い出したからには、全てはお前の責任として励むのだぞ。領民はみなお前の采配で幸にも不幸にもなる。だからお前は他人を幸せにするために、誰よりも苦労せねばならぬ。それが、お前の子爵としての務めなのだからな」
 その時、コンラッドの思いもよらぬほど優しく、同時に強い眼差しにはなぜか泣きたくなった。
 言葉にせず、そのとき初めてはコンラッドに子爵としての覚悟を求められた気がしたのである。
「はい、お祖父様」
 そしては、銀河帝国の片隅で子爵家の一人娘としての義務を果たすべく、領内だけでなくオーディンやフェザーンにまで駆けずり回り、ここ一年でようやく努力が結実したと言えるような環境を作り上げたのだった。
 とはいえは元来、何も特別な能力を持たない凡人である。専属家庭教師の特訓と、早くから統治府に顔を出しての実地訓練のお陰でようやく領主面をしているだけであると、は自分自身の至らなさを弁えている。オーディン向きの社交や根回しにはコンラッドの伝手も多いし、先々代領主の手腕が今も生かされている分野は軍事だけでなく多岐に亘っている。それにが必死で集めた優秀な官僚が手助けしてくれるので、上手く領地の政治経済が回っているのだ。がしたことと言えば、趣味混じりの料理開発を商売の種にして多少の儲けが出るようにしたことと、従来より領民へのサービスを増やしたくらいだ。しかもは計画案を出し提言しただけで、実際の段取りは有能な他人が推進している部分も多かった。
(ちょっとズルしてマインホフやオスマイヤー達を引っ張って来たお陰で、楽させてもらったし)
 この世界の未来を知っている関係で優秀と判明している人材を子爵領へ招くことを、は領地を預かる身となってから真っ先に思いついた。何よりも人材確保が大事であるという信念で、案の定開明思想ゆえに閑職めぐりをしていたカール・ブラッケや、大学を出て間もないマインホフといった登場人物を探し、領へ来てくれと口説いて回ったのである。内務省で辺境の開拓事業に従事していたオスマイヤーに関しては、省内の人事部にちょっとした手心を加えてもらい子爵領へ呼びもした。
 いずれは国政に関与するような人々だけに優秀さは折り紙つきで、それが少し申し訳ない気分にもさせられたである。
(こんな人材を辺境に集めていいものか…いずれは国の真ん中で働く人たちだし、順次オーディンに戻って貰わないと)
 が領主となってから五年、子爵領も順調に発展しつつあるものの、まだまだ人手は必要である。しかし、いずれ来る大変革の時代のために、シルヴァーベルヒをはじめとする人材も相応しい場所へ送り返さなければならないと、は近頃思うのである。
 各人ともに中央から召還命令が下されたにもかかわらず、辺境の居心地が良いのか居着いてしまって自発的に戻ってくれず、仕方がないのでこっそりと異動命令を承諾しておいたのだが、お陰で先程は怒髪天を衝く勢いでカール・ブラッケらにこってり絞られてしまった。勝手に人の進路を決めるなという苦言を、は大言壮語を吐くことで乗り切った。国政で辺境での試みを実践することこそが帝国全土を救うのだと熱く語ったのが功を奏したのか、最終的には彼らに異動を納得してもらえた。
 現在のところ、は銀河帝国の辺境の一領主に過ぎない。だが、はこれから六年後には今上帝フリードリヒ四世の崩御と帝国を二分するリップシュタット戦役が起こることを知っている。
 細々とではあるが交友関係を繋いでいるラインハルトやキルヒアイス、随分と親しくなったエリザベートのいるブラウンシュヴァイク公爵家の運命もの知識の一部だ。だが、辺境の未来や、ユリウス・フォン・ヴィーゼやディートハルト・フォン・ミュッケンベルガーの人生に何があるかは、も判らない。
(コンラッドお祖父様のことも、私自身がどうなるかも判らない) 
 明日のことを全て知っている人生など、きっとつまらないと思う。これまでがそうだったように、恐らく明日以降も辛いことや苦しいこともあり、けれど同じくらい楽しく素敵なことが待ち構えているのだ。
 吊り下げられたマグロが分割されていく様子を眺めていると、ロルフから宇宙海賊の征伐に向かったコンラッド率いる艦隊の帰投予定時刻が耳打ちされた。駆逐艦三隻が小破したものの、人員被害は軽傷者が数名出たほか死者はいないという。
「夕食には間に合うわね」
「はい。…大旦那様はマグロがお好きですね」
 独り言のような呟きにも、ロルフは丁寧に応えを返す。次にが何を言い出すのか、既に予想できているのかもしれない。
 はにやりと笑い、若き護衛兼子爵家の執事見習いに言い渡した。
「今夜はマグロ丼よ。一尾丸ごとお買い上げなんだから」
 歴史の先行きを考えれば、きっとこの先の子爵家も安泰とばかりは言っていられぬだろうと、は思う。
 だが、今日のところはコンラッドや子爵領の兵士たちが無事に戻ってくることや、美味しいご飯を食べられることだけで幸せであるのだろうとも、は思うのだった。


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