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Act2-02


 若い方の領主が統治府の官吏達にヴィジホン越しに詰め寄られている頃、この宇宙に生を享け既に半世紀以上を数えた老練な元領主は、艦上の人となっていた。
 軍での一線を退いて既に長いものの、現役時に旗艦として乗り慣れた戦艦アウィスの艦橋に身を置くと、コンラッドは不自由になった自らの片足を忘れるようだった。
 眼前のメインスクリーンには常夜のごとく底なしに暗い宇宙が広がり、遠く霞む幾つかの星光の間に、恒星からの明かりを浴びて煌めく戦艦だったものの残骸がゆらゆらと浮遊していた。いつかコンラッドが駆けた戦場とは比べものにならないほど小規模なものの、互いに憎悪の砲撃を交わす戦闘が帝国の辺境ではしばしば繰り返されていたのである。
 領地を下賜される程の貴族は普通自ら前線には出ず、指揮権をその筋の専門家に委譲するものだが、ここ子爵領では違っていた。銀河帝国軍中将として名を馳せたコンラッド・フォン・は、私兵団艦隊の指揮を他人任せにするより自身が宇宙に上がることを好み、宇宙海賊の討伐にも嬉々として加わって先頭で采配を揮っていた。孫娘には部下の手柄を横取りするなと諫められることも多いが、若い頃に戦場での興奮を覚えたコンラッドは、艦橋に立つ機会があれば逃したくはないのである。自ら乱を起こそうという気にはならないが、戦好きと言われればそうなのかもしれないとも老いたコンラッドは思う。そう認めることを厭わぬ程に彼は人生の大部分を軍人として過ごしてきたのだし、自らの領地を守る為の戦いとなれば明確な敵意や建設的な目的を持ちようのない叛乱軍との戦闘などよりも、余程やり甲斐というものがあった。
「閣下、ローバッハ伯爵軍からの返答がございました」
 こつこつと軍靴を鳴らし、彼と同様に老いを纏い始めたシラー少将が傍らに立った。現役の頃からシラーはコンラッドの参謀を務め、私兵団でも総参謀長の地位にある男だった。
 コンラッドは、幾たびも戦場を共にした参謀長の報告を聞かずとも、その通信内容が過去に何度も受け取ったものと同じであるという確信があった。白髪の交じり始めた土色髪を丁寧に撫でつけているシラー少将は普段からあまり感情を面に載せる為人ではないが、僅かに皺を刻んだ眉根の辺りにコンラッドは部下の機嫌の悪さを見てとった。当然ながら、憤懣の矛先は彼ではなく別の方角へ向けられたものである。
「領内に侵入した賊は鋭意捜索したものの発見できず、かね?」
「はっ」
 子爵領私兵団が構築した警戒網に宇宙海賊と思しき不審船団が引っかかったのは、帝国歴四八二年六月二日のことであった。哨戒していた私兵団の駆逐艦二隻は、十五隻で辺境をうろつく武装船団を発見、追跡し、刻一刻と位置情報を送り続けた。武装船団の艦種別が以前に海賊行為を働いた船と酷似しており、付近の航路を通過予定の希少鉱物を積載した輸送船団を襲撃するのではということで、報告を受けたコンラッドは麾下百隻を率いて現場宙域に急行した。
 非武装の輸送船の中身を狙う宇宙海賊は無闇に獲物を撃沈したりはしないが、護衛の壁を破って民間船を人質に取られれば、いかな武力でも彼らを捕らえることは難しい。ゆえに襲撃を未然に防ぐことこそが宇宙海賊対策としては求められていたので、子爵領私兵団は常に辺境航路に目を光らせ宇宙海賊の早期発見に傾注していたのである。
 輸送船団には護衛船三隻が同行していたが、哨戒船二隻を合わせても十五対五では多勢に無勢である。私兵団艦隊は幸いにも宇宙海賊が輸送船団へ接近する前に捕捉できたが、ここからも私兵団には困難があった。ただ敵を殲滅するだけなら事は簡単なのである。だがコンラッドは、宇宙海賊と思しき不審船団に武装解除を要求し、臨検を受け入れるよう事前に通告しなければならないし、仮にこの不審船団が停船通告を振り切って逃亡しても簡単には砲撃できないのだった。
 なぜなら、宇宙海賊は以前に攫った人質を自身の船に乗せて海賊行為を働くからである。囚われの民間人を素知らぬ振りをして撃てるほど、コンラッドも無情ではない。とはいえ麾下の兵士も大事な領民であることには変わりなく、宇宙海賊に積極的な攻撃の意志が見られれば苦渋を忍び、ファイエルと号令を下すこともしなければならなかった。
 今回の出兵にコンラッドが百隻を揃えたのも、海賊を生け捕りするために数が必要だったからだ。逃走路を断つように艦隊を配備し、包囲網を狭めていくしかないのだ。だが正規の訓練を受けた私兵団や帝国軍に兵装や練度で負けることが判っている宇宙海賊は、多少の装備を犠牲にした上で艦速を最大限発揮する仕様に船を改造していることもしばしばで、子爵領私兵団艦隊は素早く逃亡する宇宙海賊には手を焼いていた。その上、宇宙海賊にコンラッドらが手を出せなくなる要素が更に存在していた。
 コンラッドは溜息を堪え、指揮卓に表示された三次元航宙図の緑の線を恨めしく思った。真空の宇宙に引かれたその線が、コンラッドの手の及ぶ範囲の限界線である。
「いっそ、あちらも我が領地にしてしまえれば、どれほど楽だろうか」
 そう零したくなるのをコンラッドは流石に自重し、麾下の私兵団艦隊に帰投命令を出す。二十隻を輸送船団の護衛に割く旨を指示する前に、気心の知れた参謀長がそれを具申してきたので、コンラッドは一言、頼むとだけ言い、指揮シートに背を預けた。
 淡く発光する緑線が示していたのは、子爵領とローバッハ伯爵領を隔てる境界である。
 宇宙海賊は、しばしば逃亡先にローバッハ伯爵領を選んだ。その方角に根拠地があるのだろうことは、これまでの襲撃と逃走経路を調べ既に判明している事実であった。だがコンラッドは自らの私兵を、他家の領地へ踏み入らせることができないでいる。許可なく兵を入れれば侵略と取られかねないために、子爵領私兵団はローバッハ伯爵領の私兵団に追跡や捕獲を要請するしかないのだった。
 だが、ローバッハ伯爵軍から返ってくる報告は判を押したように同じである。そもそも本当に追跡を引き継いでいるのかも疑わしい。幾らローバッハ伯爵領の私兵が無能だとしても、宇宙海賊の足跡をここ数年ひとつも見つけられぬとなると、いらぬ猜疑心がコンラッドの内に湧くのも無理なからぬことだった。
 もともとコンラッドは、亡き妻の生家と折り合いが悪い。政略結婚の上に虎視眈々と首を狙われれば、好きも嫌いもなくコンラッドはローバッハ伯爵家を敵と腹の内で悟らざるをえなかった。さらに五年前の家督相続に絡む一件で、子爵家とローバッハ伯爵家の亀裂は決定的なものとなっていた。
 三次元航宙図に浮かぶローバッハの文字を、コンラッドは物憂げに眺める。
 息子夫妻がヴァルハラへ招かれた原因は、事故として処理されていた。二人の乗った地上車が暴走し、折悪しく差し掛かった崖から落下、地上車は爆発炎上したのだという。領地に戻って対面した遺体は、無残なものだった。戦争で人死に慣れたコンラッドでさえ、自らの震えを隠せぬほどの動揺を与えるに足る凄惨な姿だった。手を取り合い寄り添った姿で見つかった炭化した遺体は、二人が一つの棺に収まるほど小さくなっており、親との最後の別れよと、棺の内側を孫娘に見せる気には到底なれなかった。
 事故ならば、天命であると涙を呑むしかないとは思う。数多の戦場をくぐり抜けたコンラッドは、時に運という不可視の作用が人の生死を分かつのだと理解していた。
 だが、事故がローバッハ伯爵領内で起こったとなれば、嘆き悲しむだけではいられぬのである。そこに何者かの作為が存在していたか否かは、今でも判明していない。だが、仮にカールとヨハンナの死が謀殺によってもたらされたものと仮定するならば、コンラッドは後手後手に甘んじるつもりはなかった。
 帝都オーディンを訪れていたコンラッドの手元にカールとヨハンナの訃報が届き、そして事故が因縁相手の懐中で起こったと知った時、当然のごとくコンラッドは言い尽くせぬ悲しみを味わったし、護衛の者はいなかったのかと憤慨もした。ほんの刹那に感情の起伏を味わい、それでも理性を取り戻したとき、コンラッドは自らの幸か不幸か判らぬ居場所に笑った。もしも彼がカールとヨハンナの側近くにいたなら、二人をローバッハ伯爵領へ簡単に送り出しはしなかったし、コンラッドとがオーディンに滞在していたため、子爵家の護衛の人員が少なかったのだ。仮に息子夫妻の周囲に人数があれば、事故を未然に防げたかもしれない。
 二人が死んで起こるのは、家督相続の問題であった。コンラッドはカール以外に子がいなかったし、その息子夫妻には一人娘があるだけで、直系の子孫は唯一・フォン・のみであった。だが当時その娘は十歳、子爵家の当主としては頼りない子供であるからと、縁続きのいずれかの家から男子を迎え、次なる子爵として立ててもおかしくはない状況であった。男子が子爵家の養子に入るもよし、残された娘のと婚姻を交わしてもよしという所である。実際に、カールの伯父であったローバッハ伯爵は自らの次男ヘルムートをの婿として推挙し、その他の縁戚からも同様の提案がコンラッドの元に次々と舞い込んだ。カールとヨハンナの葬儀の席上では、一見密やかに、だが隠しようもなく明らかに次期子爵の座を狙う人々の思惑が渦巻いていた。
 しかし、腹を探り合う渦中にあって、コンラッドは息子夫妻を失った落胆を端には感じさせず、一つの事実を大々的に披露した。その事実を告げた時の顔色で、コンラッドは誰が自分に牙を向ける可能性があるかが、手に取るように判った。
 訃報を受けた際、コンラッドはある省庁に勤める友人に相談事を持ち込んでいた。そこは貴族の相続や祭礼に関わる一切を取り仕切る典礼省で、コンラッドは子爵位を孫娘に穏当に継がせるにはどのような手法が良いかと貴族法に通じる友人に訊ねるため訪れていたのだ。銀河帝国において女性が爵位を相続することは皆無ではないが、他に八親等内に相応しい男子の相続人が存在しないなど、幾つかの条件が重なった上での襲爵が普通であった。加えて、仮にが子爵位を継いだとしても、婚姻の際にその爵位が相手に移ってしまう事態もコンラッドは避けたかったのである。
 コンラッドの友人は、子爵家の相続順位を決める文言に一文を加えることで問題は解決すると言った。
「つまり、性別は問わぬという文言を入れれば良いのですよ。女性であれ男性であれ、相続は直系の長子を行うことにすればよいのです。この場合、貴族に課せられた義務を女性であっても果たさねばなりません。例えば、自身で領地の政務を執らねばならぬということがあるでしょうし、時には宮廷に出仕する必要もあります。その辺は大丈夫なのですか」
 問われたコンラッドは、年の割に聡明な孫娘を思い浮かべ、であるからこそ今こうして相談していているのだと友人に説いた。
「ふむ、そうであれば文言の改訂には、このような体裁で文書を提出してですな、典礼尚書の裁可を印として頂けば手続きは完了します。ただ、典礼尚書はやや保守的な方ですから、女性が子爵位を継ぐという事実に過剰な反応を示されることがあるやもしれませんぞ。その場合には…」
「金を積めば良いのだろう?」
 コンラッドは、素っ気なく言い切った。
「そのような手法は勧められる物ではありませんが、そうした手順を踏むと多少のお目こぼしを尚書閣下がお考えになることも充分あり得ることです」
 典礼省の役人として経歴の長いコンラッドの友人は軽く咳払いをして、公然と言われる事実を器用な論法で肯定してみせた。
 子爵家の現当主は息子カールであるから一応の相談が必要と考えたコンラッドは、その日は礼を言って辞去しようとしていたところに、息子夫妻がこの世から旅立ったことを知った。
 そして数瞬の自失の後、彼は友人に詰め寄った。今すぐその認可を受けるには、どうすればよいのか、と。
 コンラッドは裕福な貴族であっても目を剥く額を、その日の内に典礼尚書に献上した。オーディンの一等地に屋敷を構えるに足る額であった。それによって子爵家の資産は目減りしたものの、子爵位が以外の手に落ちることよりも我慢ができるとコンラッドは腹を括ったのである。
 既に幼い・フォン・が、コンラッドを後見人として子爵の位にあると知った者たちの驚愕と、その後に飛び交った怒号が彼には小気味よく思われた。その中でも特に憤怒に顔を歪め、カールとヨハンナの死を幼い子爵の後見人となったコンラッドによる謀殺であると主張したローバッハ伯爵を、コンラッドは丁重に叩き出した。それ以降、子爵家とローバッハ伯爵家は没交渉である。
 あれから五年。時の歯車はコンラッドの後悔と、そして彼が孫娘に見出した希望を巻き込んで回り続けている。貴族の令嬢らしからぬ日々を過ごしているの生活に、ヴァルハラの二人は嘆いているだろうか、笑っているだろうか。少し怒った、けれどもどこか諦めたような二人の声が聞こえるような気もする。
「閣下、今回の交戦による被害状況の報告書をお持ち致しました」
 息子とその妻の声なき声に耳を澄ませていたコンラッドは、青年士官の声に現実に引き戻された。
 気付けば、いつの間にか栗色髪の少佐が眼前で敬礼していた。
「ああ、ご苦労」
 報告書を受け取って礼を言うコンラッドに、いまだ年若い少壮の少佐が更なる報告を付け加えた。
「統治府へ帰投予定時刻の連絡をしましたところ、先程、子爵閣下からの通信文が入電しました」
「うむ、読んでくれ」
 艦橋に届けられたことから秘匿する類の通信ではなかろうと、コンラッドは孫娘と面識のある少佐の言葉を待った。
 少佐は手にしたメモを開き、少し目元を下げたようにコンラッドには見えた。
「ご無事のお戻りをお待ちしております。今日はマグロ丼です。以上です」
 コンラッドは自らの孫娘の存在を思うにつけ、このままならぬ世の幸福とは何であるかを知るような気がした。



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