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 食事の際に話したとおり、 は令嬢の格好では気侭に散策出来ない街並みを、時間の許す限り見て回った。
 本屋では、巷で人気の宇宙船密室殺人を題材にしたミステリもの(やけに分厚い。角で人を殺せそうだ)の『星間殺人事件』や、皇帝の御為に前線で戦う兵士と後方勤務の美人女性看護兵の恋愛ストーリー『愛よさらば』、その他に目についた本(紙媒体だけじゃなくて、メモリスティック型もあった)を購入している。
 どのご時世でも定番というべき話はあるのだろう、登場人物の身分や職業が変わっただけで、もと居たあちらの話に比べて目新しいものはない。
(いや、SFがノンフィクションになりうるって、凄い変化か)
 とはいえ人間そのものは相変わらず、恋愛や友情、忠義や家族愛といったテーマに何かしらの感銘を受けるものらしい。その点は貴族も平民も差はないだろうと、子爵家にストックされた貴族的教養の一端を幾つかを眺めたことのある は思う。
(この本は、みつからないように隠しておかないと)
 平民向け(ヨハンナ曰く、主人公が平民とか、著者が貴族階級以外の)小説は 子爵家内には置かれていないため、今まで はその手の本に触れたことがなかった。文化に高級も低級もないはずだが、 が普段接するのは、銀河帝国において貴族向けとされている文化のみだ。
 そんな世の中だから、子爵令嬢の私室から平民向け小説が発見されたとなれば、ヨハンナやゼルマから説教一時間では済まないだろう。特にヨハンナは詩作に熱心で、貴族の女性たるもの格調高い文章を読むべしという教育方針を掲げているのだった。
 朝露に濡れる薔薇の如く艶めく唇に、とか、夜空の星を砕いて取りだした光が宿りし君の瞳、なんて形容が飛び交う貴族向けの文学のことは、 にはよくわからない。読む分にはいいし面白いのだが、自分でその手の文章を考えろと言われるので、参ってしまう。貴族が好む修辞法が乱舞する文を読んで、朝露に濡れた薔薇の値段や星の破砕作業にかかる経費のことを思い浮かべる自分には、詩作など向いていないに違いない。その点だけは、確信のある だった。
 市場の人混みで好奇心に視線を左右に彷徨わせ、迷子になりかけた。加えて、何度か石畳に躓きそうになって助けられ、もう少し落ち着いて下さいとロルフに窘められた。
 通行人の格好や会話、出店に並べられた果物や置物の値段、売買の様子など全て初めて見る は、周囲を冷静に観察しているつもりなのだが、自分自身に関する注意は全く疎かになっていた。
「いい気なもんだぜ」
 ご機嫌で市井見物に勤しむ令嬢と違って、護衛二人は街歩きを単純に満喫してはいられなかった。あからさまに怪しい風体の男達が、先程から後ろをつかず離れず追ってきているからである。
 子爵家の一人娘が色とりどりのジェラートに迷っている間、カイルとロルフは小声で素早くやりとりを交わしており、事態は の知らぬところで進行していたのだった。

 市の軒先が並ぶ広場の中央には、直径3メートルくらいの丸い噴水があった。
 白い石造りの円の中心にあるのは、獅子の石像である。厳めしい顔つきで吼える獅子の口から溢れ出た流れが水盆を満たし、縁は腰掛けやすい高さと幅になっている。
 涼やかな水音を背に、 は歩き疲れた足を休めた。思えば、昼食から一度も休憩していない。
 鮮紅色のベリーのジェラートを溶けぬうちにと木製簡易スプーンで掬っていると、 の傍らに同じように腰を下ろしたカイルが、にこやかに語りかけてきた。
「なあ、お前は普段、大旦那の爺さんに戦術の類を習ってるだろう」
「うん? そうだけど」
 唐突な話題の振り方に、違和感を覚える。既に知っていることを訊ねて、どうしたのだろうか。
  は首を傾げるも、謎かけが好きなカイルだからと、冷たい甘酸っぱさを堪能しつつ言葉を待った。
「じゃあ、こういう場合はどんな戦術を採用する? 自分たちよりやや数の多い敵に、追い掛けられている。出来るだけ戦闘を回避したいが、逃げきるには地理に不案内で障害物が多い。かといって隠れるにも、既に敵に捕捉されていて難しそうだ」
「物凄く不確定要素の多い設定だから答も曖昧になるけど、逃げ切れないし隠れてやり過ごすこともできないなら、戦闘しかないじゃない? でも、なぜ戦闘回避したいかにもよるかな。会敵した場合に、こちらが圧倒的不利で甚大な損害を被るなら、一縷の望みに賭けて逃げるのが得策かもしれないし」
 答えてみるものの、 にはカイルが急にこんな話を始めた意味は掴みきれない。
 これまでの経験において、この種のカイルとの問答には、常に何かしらの展開が用意されていたことを思い出す。
 例えば、この変装しての街歩きの話もそうだった。カイルは服を変えれば人の印象が変わると先に話しておいて、今度の昼食は貴族向けの店ではない、と目当てのカードを切る。すると、 は前者の話題の時には単純なカイルの仕事話として聞いていたが、後者の話題に至り、お前も変装してみろ、という誘いであったことを知るのだ。
 今回の真の目的はなんだろうか。そう考えながら会話する癖が、 にもついてしまった。
「やりあいたくないのは万が一を考えてではあるが、殴り合っても充分勝つ見込みがある。損害は軽微であることが予想される」
「その万が一っていうのが、よくわからないけれど、それなら出来る限り準備を整えて、場所も開戦のタイミングもこちらが選んで不意打ちすればいいんじゃないの。先手必勝って良い響きよね。で、もともと戦いたくなかったんだから、ある程度の打撃を与えた後はすぐに逃げる、と」
「だよな。俺も同じ考えだ。さて…」
 カイルは顔を上げ、 の傍らに荷物( が買ったあれこれ)を置いて立ったままだったロルフに目配せをした。
 立ち上がったカイルと入れ替わるように、きれいな銀髪を揺らして頷いたロルフが隣に座る。
「何か飲み物を買ってくる」
 カイルは軽やかに人波を避け、広場の隅の店へと向かっていった。
 護衛の黒髪が人混みに紛れて離れていく後ろ姿を見ていると、ロルフがやや急ぐような強い口調で を呼んだ。
「お嬢様」
「ちょ、ロルフ、 って呼ぶ約束でしょう」
「…そうでした、 、お聞き下さい」
 呼び名を変えても口調が変わらないままでは、聞く者が聞けば の身分が露見する可能性もある。だがそう指摘する前に、ロルフは真摯な表情でこちらを見据えた。
「数ヶ月前からなさっていた、ヘルツ大尉たちとの訓練を覚えておられますね。腕を掴まれた場合や、抱きかかえられた場合の逃げ方です。人が周囲にいますから、叫ぶのも良いでしょう」
「う、うん…」
 この時点で、 はようやく自分が何かしらの騒動に巻き込まれつつあることを自覚した。
 何しろロルフの背後から怪しい風体の男達が接近している上、カイルとロルフの言動を総合すれば答は悪い方角にしか見当たらない。よくて恐喝、悪くて誘拐再び、である。
「三人こちらに来ていることを見ると、狙いは私か のようです。…お守り致しますが、いざという時にはブラスターをお使い下さい。相手が平民であれば、貴女様が自衛のために発砲しても罪にはなりません」
(って言われても心の準備が!)
 どこからか、喧嘩だ、と叫ぶ男の声が聞こえた。まだ平穏を保っているこの場ではない別の場所で、騒動が起こったらしい。
 周囲の意識が逸れている間に、男達は立ち止まった通行人を突き飛ばしながら 達との距離を狭めていた。見る限り三人だが、仲間がいるかもしれない。
 がっでむ、となぜか英語で悪態を吐き、庇うように立ち上がったロルフの後ろで もまた腰を上げる。
 左手にジェラートを持ったまま、映画のスパイ役女優のごとく腿のベルトに下げたブラスターを、スカートの上から一応は確かめた。
(抜き撃ち!って冗談で練習したはいいものの、実際に使うかも知れない場面に遭遇してしまうとは…)
  の頭の中には、どうしよう、という言葉しか浮かばない。
 カイルは早く戻ってこないだろうか。この騒動に気付いているのだろうか。
「よお、きれいなお坊ちゃん、その面貸してくれよ」
「ここに居て下さい」
 振り向かずに言い置いたロルフは、下卑た笑いを浮かべる男達の方へ無造作に歩き出した。そして蔑むような表情に加え、空気が瞬間冷凍されそうなほど不機嫌な声音で、男達に問うた。
「お前達の目的は、私か」
「お前以外に誰がいる。護衛もいたし、お前はどこぞの貴族だろう。こんな街中歩いているなんて、よほどの物好きだなあ。その物好きついでに、よければ金を恵んでくれよ、なあ?」
「私は貴族ではないが、どうせそう言っても信じないのだろう。身分など関わりなく、性根卑しい者どもに恵む金は、ひとつもない」
 先頭にいたゴロツキの後ろから顔をだした別の男が、ロルフの言い分に野次を飛ばす。
「嘘をつけ! 俺は見たんだ。お前の財布に電子通貨カードがあったのをな。そんなもの持てる身分なんて貴族ぐらいだ!」
「他人の財布の中身を盗み見るとは、良い趣味だ。しかし、あのカードは平民も持つことがある」
 ロルフは冷静に反論するが、端から彼を貴族と決めてかかっている男たちには、予想通り却下された。
「出世するにはまだ若い野郎が、自分の力でそんなものを持てる訳がねぇ。どうせご先祖から受け継いだ財産なんだろう。さあ、怪我したくなければ有り金を出せ。ついでに電子通貨をありったけ換金してこい」
(盛大な誤解をしてる…)
 はらはらと成り行きを見守りながら、 は自らの不注意を悔やんだ。
 銀行で換金してもらった際にロルフへ渡したきりだったカードを、何かの拍子に見られたようだ。大方、本か何かを買う際(現金も含め全てロルフが管理していたのは、やんごとなきお嬢様に手ずから金を払わせるのが嫌だ、という理由だ)だったろうが、一瞬しか出さない財布の中を見られるとは、さすがに もロルフも予想しなかった。
 人目を惹いてしまう外見ゆえに、ロルフの挙動や持ち物全て注目されているということだろうか。
「お前の綺麗な顔だけじゃなくて、その後ろのガキにも痛い目にあってもらっても構わないんだぜ?」
 ロルフはそれ以上、誤解だ、などと弁明したりはしなかった。
 ただ口元を緩やかに持ち上げ、確認するように男達に告げた。
「脅迫したな」
「ああ? そうだ、脅迫だ…」
 全てを言い終わらぬうちに、先頭の男の顎にロルフの肘打ちが至近距離から決まる。銀糸の髪を翻して、ロルフは目にも留まらぬ速さでもう一度、男の横面に掣肘を加え、ぐらついた男の襟元を掴んで足を払い、鮮やかに投げ飛ばした。
「きゃー!!」
 悲鳴が上がる。 のものではなく、投げられた男の落下地点付近にいた女性から発せられたものだ。煉瓦の敷き詰められた広場に、失神した男が大の字に転がる。
(リ、リアルすぎる…)
  は、ただ呆然としていた。
 平和をこよなく愛する一般市民としては、乱闘など生まれてこの方、一度も見たことがない。自分が殴られた時には頭が冷えたものだが、眼前で人が殴り飛ばされる光景は、何とも云えぬ痛ましい音も相まって、かなり衝撃的だった。エリザベートもこんな気持ちだったのだろうかと、現実逃避のように現状と全く無関係な事柄を思い浮かべてしまう。
「野郎!!」
 徒党を組んだ残りの二人が、タイミングを合わせてロルフへと躍りかかった。
 ロルフは護るべき令嬢を庇うような位置を常に取りつつ、軽い足捌きで相手の拳をかいくぐり、カウンターを入れていく。しかし細身のロルフの拳の威力は、大柄な男達をノックアウトするには不十分なのだった。しかも喧嘩慣れしているらしき相手は、仲間と連携を取りつつ会心の一撃を食らわないようにロルフの攻撃を牽制している。
  には、ロルフが苦戦しているように見えた。
 その原因の一端は、自分にあるのだろう。人を庇いつつ戦うのは、相当に骨が折れるに違いない。
 何とかしたいが、どうすればいいのかわからない。ここから逃げ出して安全圏にいればいいのかとも思うが、カイルとロルフが自分から目を離せないために(二人が一方の悪党に対処している間に、誘拐される可能性もあるのだ)、 も喧嘩の只中に放り込まれることになったのだろう。
(片方の注意を惹きつけられれば…)
 二人同時に対峙しているから、ロルフが劣勢にあるのだ。
 ぬるりとした感触を覚え、左手を見る。まだほんの少ししか食べていないジェラートの縁が溶け出して、ゆっくりと赤い雫が滴っていた。

「息が上がってるぜ、お坊ちゃん」
 凶暴な顔つきの男が、嫌味たらしくロルフをねめつける。
(あの男、遅い!)
 ロルフは内心で悪態をついた。カイル・シュッツの戻りが、予定よりも遅いのだ。
 先制で一人は落としたものの、令嬢を庇いつつ自分よりも大柄な二人に連携を取られて殴りかかられると、さしものロルフも捌ききれない。組み付かれれば押し返す力のないロルフは、相手に捕まらないよう足を止めることができず、回避に気を取られ攻撃に専念できなかった。
 袖口にはナイフが仕込んであるが、相手に武器と明確な殺意があるならまだしも、さすがに街中の喧嘩で取り出す気はロルフにもない。
(どうすべきか…)
 思案するロルフが二人組とやや距離を置いた瞬間、視界の端に水色のワンピースが翻った。見覚えのある色と形は、彼が仕える少女が着ているものだ。
(お嬢様!?)
「こらー!」
 怒声にしては可愛らしい一喝が、その場に響くと同時に、まず『星間殺人事件』が空を切って、ロルフの右手にいる男の顔面へ飛んだ。
「うわっ」
 横合いからの不意打ちに、男は慌てて分厚い本を叩き落とす。
 だが、次いで飛来した『愛よさらば』は避けきれず、男は強かに額を打たれた痛みに呻いた。さらに留めのように投げつけられたジェラートを、男は舌ではなく顔全体で堪能することになった。
「ロルフ!」
 名を呼ばれる前に、ロルフの身体は既に駆けだしている。大股の三歩で、左手にいた男との距離をゼロにまで縮めていた。
 連携を取れない男たちは、彼の敵ではない。慌てた男の前蹴りを防ぐついでに抱え上げ、バランスを崩した男の軸足を刈る。転倒させた男の腹に一撃を見舞って、残った一人に向き直ったロルフは瞠目した。
「お嬢様!!」
 顔からジェラートを滴らせた男が、噴水の縁石に立つ黒髪の少女に向かって突進していく後姿を、ロルフは焦燥と共に追った。



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