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 カイルお薦めの店は、ニーダーフェルトの街中の小道にあった。
 往来の多い大通りから延びた横道に、幾つか看板が並ぶ中、ひときわ賑やかな店がある。
 赤煉瓦造りの建物の一階の開け放たれた窓から、陽気な笑い声や食器のぶつかる音が響いていた。窓枠に置かれた花の植え込みの向こう側を覗くと、店内は休日の昼ということもあってかほぼ満席の盛況ぶりだ。
 漂う美味しそうな匂いに、 のお腹が小さく鳴った。
「いらっしゃいませ」
 客を迎えたウェイターにカイルが名を告げると、予約していたのだろう、 達はすぐに案内された。
 年季の入った木製のテーブルには当然のことながらテーブルクロスなどなく、見知らぬ客同士が相席していたり、昼間からビールを飲んでいたりと、落ち着いた環境とは決して言えない。だが古くとも清潔な店内では皆が楽しそうに食事をしているので、 の中のハンバーグへの期待は高まろうというものだ。
(うーん、視線を集めてるな…)
 注目されないための変装だったが、結論から言えばお忍び 子爵家ご令嬢とそのお供達は店内で複数の方向から視線の砲火を浴び、人目を憚るどころか異様に目立っていた。
 不可視の放線の着弾点は、当然のことながら幼い黒髪の少女でもなく、その隣に座る切れ長の琥珀色の瞳を持つ青年でもない。思春期の少女なら誰もが憧れ羨むような煌めく色彩の髪と瞳、そして端正な人形のような容貌を持つ、ロルフ・エーデルバーグその人である。
 麗しき少年が視界に入ると、老若男女問わず振り向きたくなるようだった。
「お前は密偵に向いていないな。一緒にいると、俺まで顔を覚えられそうだ」
「逆の発想として、ロルフに視線を集めておいて、注意が逸れた隙にお仕事すればいいんじゃない?」
 注文を終えて料理を待つ間、呑気に状況を楽しむ二人の一方で、同じテーブルを囲むロルフは不機嫌さを隠そうとせず、口を結んで一言も発しなかった。
 視線を集めることは彼にとって日常茶飯事で、とうの昔に己の定めと諦めた些末事だった。
 そうではなく、栄えある 子爵家の令嬢ともあろう者が場末のレストランに出入りしているという不本意な光景が、彼の神経を嬲っていたのだった。しかも固辞する間もなく仕えるべき相手と同じ卓に着かされ、自分の容貌を話題にされれば、誰だって上機嫌ではいられないだろうとロルフは思う。
 憮然とした表情のロルフを見て、 は話題を変えることにした。他人を苛めて楽しむ趣味は、 にはない。
「休日なのに軍服着てる人もちらほら見えるんだけど、この近くに軍関連の施設でもあるの?」
 店内を見回せば、半数近くのテーブルに軍服姿があった。
 平民街という場所柄、階級の高くない兵や下士官が多いが、中には少尉や中尉の階級章を付けている者もいた。階級を問わずこの店に来る上級貴族は殆どいないだろうが、彼らを除外すれば地位の上下なく、この店は集客に成功しているようだ。
「軍港が近いからな。基地とオーディンの中心を繋ぐ道沿いで、便が良いこの辺に住む軍人は多い」
「幼年学校も、さほど遠くない場所にございますしね。幼年学校生には貴族の子弟が多いので、こちらではあまり見掛けませんが」
 ロルフの補足に、 は昨日みかけたラインハルトとキルヒアイス、そしてディートハルトを連想した。
(まさかね)
 つい昨日も遭遇したばかりだ。続けて会うという偶然はないだろう。ディートハルトは とは違って常識的な貴族観念の持ち主のように見えたから、この街に来ているとは考え難かった。
 出会えたら、それはそれで面白いかもしれない。今の ・フォン・ の名を名乗らずに済むのだから。
「この後の予定だけど、本屋にどんなタイトルが並んでるか見てみたいな。あと、食料品店には暮らしを知るための手がかりが沢山あると思うの」
 近頃は勉強で手一杯だが、もともと は読書が嫌いではない。本屋で流行の小説や雑誌を仕入れて、銀河帝国に関する理解を深めたいところだった。食料品関係を見てみたいというのは、個人的興味の充足と社会勉強を兼ねている。
 カイルの説明によれば、本日は街の中心のマルクト広場には市が立っており、本屋も店を出てすぐの大通り沿いにあるという。
  は、いつかテレビで見たヨーロッパの朝市の風景を想像した。子爵領内の視察の際にも見掛けたことがあったが、やんごとなき令嬢は青空市場への立ち入りは許されなかったので、実際に買い物できるのが楽しみで仕方ない だった。
 銀河帝国におけるいわゆる一般人の日常や市井の物価を知りたいという希望もさることながら、アイスクリームやクレープといった屋台で売られた食べ物を、ナイフフォークの類を使わずに食べたいという邪心もあった。とかく貴族は堅苦しいのがいけない。
 完璧なサービスと美味しい料理が保証されている子爵家のダイニングや格式高いレストランもよいが、たまには騒がしく砕けた空気の中で気張らず食事したいものなのだ。
 このランチのように。
 鉄板の上で音を立て、食欲をそそる香気を振りまくハンバーグを一口食べて充分に味わう。外側はこんがり、内側はふんわりとしていて、噛めば噛むほど肉の味が出てくる。ほどよい香辛料の風味と、シンプルなトマトベースのソースが絡んで、次の一口をすぐに食べたくなる位だった。
  は美味しさに陶然としつつ呟いた。
「幸せ…」
「お手軽な幸せだな」
「庶民の幸せを味わうのは、今日だけになさいませ」
 そう言いつつ、あまりにも蕩けた笑顔で少女が言うものだから、カイルとロルフの口元にもつられたように笑みが浮かんでいた。
 二人もハンバーグに舌鼓をうちつつ、 よりも数倍の速さで平らげていく。
 貴族の家にあるようなテーブルとは、比べものにならないほど小さく粗末なテーブル。食器だって、古ぼけてくすんでいるかもしれない。ウェイターは忙しさに、手を挙げて何度か呼ばなければ来て貰えない。決して上品とは言えない場所だ。
 けれど、 はこういう食事の雰囲気が好きだった。食卓は親しい人達と飾らない自分で向き合える場所だと、 は思うのだった。

 そうして和やかに食事を進めていると、 の頭上から声が降ってきた。
「失礼。相席してもよろしいかな」
 どこかで聞いた声だと思いつつ顔を上げれば、やはりどこかで見た顔がある。
 焦げ茶色の髪と瞳で、取り立てて特徴のある顔つきではないが、軍服姿にもかかわらず物腰がどこか知的な人物だった。 が銀河帝国で見覚えがある相手といえば、物語の登場人物しかありえない。だが実のところ、目立つ特徴がない限り、 には人物の見分けがつかない。みな同じ軍服姿であり、軍人らしく髪は短髪で刈っているか綺麗に撫でつけているかでめぼしい違いはなく、さらに西洋人の顔立ちの区別に は不慣れであるという理由もあった。
(誰だっけ。誰かの副官かな。見覚えがあるようなないような…他人のそら似?)
 こうなると、誰だか気になるのが人の性というものだ。
「ええ、どうぞ」
 悩む の隣で、再び人の好い青年の仮面を被ったカイルが愛想良く応じた。場所柄、相席はさして珍しい店ではない。この手の申し出は断らないのが普通だった。
「ありがとう。出立まであまり時間がないので急いで昼食を済まさねばならなかったのだが、オーディンを離れる前にここのハンバーグを食べたくてね」
 四人掛けのテーブルの空席に腰を降ろした若き少佐(階級章をチェック。若いのにけっこう出世しているらしい)は、気を遣ってか話題を振ってくれた。
 同じ食卓にいることもあり、 やロルフも常識の範疇で社交性を発揮する。
「ここのハンバーグ、とても美味しいですものね。少佐さんも、このお店の味がお好きなんですね」
  が言えば、年若い青年はやや驚いたような顔をした。
「よく私が少佐とわかったね、フロイライン」
「お父様のお知り合いに少佐さんがいらっしゃるので、その階級章には見覚えがあったんです」
 コンラッド祖父様による軍事教育の賜物というのが真相だが、しかし軍人の多いご時世ゆえに、彼は の返答に疑問を抱かなかったようだ。
「お若いのに少佐であらせられるとは、優秀な方とお見受けしました」
 ロルフの至って捻りのない世辞に、少佐は苦笑いを浮かべた。
「褒められると悪い気はしないものだが、今回の昇進は祝いの前渡しのようなものでね。これから辺境へ飛ばされるところさ。場所が場所だけに武勲を立てようもなさそうだし、これから一生を少佐のままその地で過ごすことになるかもしれなくてね。いや、すまない、愚痴などみっともないな」
 しかしどうやら軍内部では出世街道に乗っていると言うより、左遷コースまっしぐらの人物のようである。
 その彼が注文したハンバーグと、そして 達には食後のコーヒーの到着に、話は一端途切れた。
 まだ食べ終えていない はハンバーグを一切れ口に入れつつ、相変わらず答が出ない名前探しに頭を働かせていた。
(気になる…)
 疑問を解消するために名前を訊いてみたいが、どうすれば不審に思われず名前をゲットできるだろうか。
  達がコーヒーを飲み終える頃、相席した少佐も素早くハンバーグを完食した。目にも留まらぬ早業のようだ。
 少佐が一息ついたところ、カイルが絶妙のタイミングで声をかける。
「これから、どちらの方面へ赴任されるのです?」
 会話としては自然な流れだ。左遷の理由に踏み込むには、若き少佐と 達はあまりに他人だった。その点、赴任地を訊ねるのは特別な意味合いなどない。答がどこであっても、あそこは何が美味しいとか有名だという話題に繋げられる。
 これから宇宙を旅する予定の青年少佐は、ハンカチで口元を拭いつつ答えた。
「フェザーン方面の辺境、 子爵領だ。ここからは四日ほどかかる」
  とカイル、そしてロルフは互いに顔を見合わせる。随分と出来た偶然もあるものだ。
(名前を訊くチャーンス)
  は心の中で拳を握り、偶然を無邪気に喜ぶように言った。
「少佐さん、私たちはその 子爵領から旅行に来ているんです。彼はこちらで大学に通っているけれど、私と少佐さんの隣の兄は、明日 領へ帰る予定なんです」
「そうだったのか。面白い巡り合わせだね。実は君たちはどういう関係なんだろうとさっきから考えていたのだが、まったくわからなくて。詮索する訳ではないが、職業柄どうも気になってしまうんだ。そうか、フロイラインと君は兄妹だったのか」
 カイルと は明らかに似ていない。しかし、堂々と嘘を言ったことで言葉を裏読みして、義理の家族だとでも考えているだろう。
「私の隣のロルフは…」
「幼馴染みなんです。子供の頃から」
 こちらも完全なる事実なだけに、その説明に彼は納得したようだった。
 食後のコーヒーを飲む間、子爵領へと新たにやってくる少佐は赴任先について 達に幾つか質問したあと、通信機で時刻を確認して立ち上がった。
「では、私は一足先に 子爵領へ行くことにするよ。楽しい時間を過ごせてよかった」
 食事を終えていた 達もついでにテーブルで支払いを済ませ、店先へと出た。
 そこでお別れとなる前に、 は少佐に声を掛けた。短いが和やかに談笑した後なら、名乗りあってもおかしくない。
「あの、少佐さん。私、 ・シュトルツァーと申します。よろしければ、お名前を伺っても? これも何かの縁です。あちらで、どこか案内させて下さい」
 彼は頷いて、笑顔で名を告げた。
「私はケスラーと言う。ウルリッヒ・ケスラーだ。嬉しい申し出をありがとう、フロイライン・シュトルツァー 」
(そっか、ケスラーだったのね)
 わだかまっていた疑問が解け、 は改めて眼前の青年を見た。名を知ると、少壮の弁護士のようなと形容されるのも分かる気がする。
 実はルッツとワーレン、ケスラーの三人は、あちらに居た際にも見分けがつかなかった。しかし、彼の経歴は覚えている。 は、この世界では未来にあたる出来事を思い浮かべた。
(確か、憲兵総監になるんだっけ…あと、20歳も年下のマリーカと結婚するはず)
「是非ご連絡下さいね、ケスラー少佐」
「俺はレクス・シュトルツァー軍曹です。 子爵家私兵団司令部付陸戦部隊に所属しています」
  が名乗ったとなれば一緒に居たカイルも自己紹介せざるをえない。私服姿のカイルも、仮の身分を告げてケスラーへ敬礼した。
「よろしく、シュトルツァー軍曹。私兵団との連携の機会もあるだろう。また会って、子爵領のことを教えてくれ」
「ええ、俺でよければ」
 ロルフは子爵家に仕えていることを伏せて名乗り、ケスラーは 達の本当の身分を知らぬまま連絡先を交換して、辺境へと旅立つため軍港へと去っていった。
 ケスラーの乗る地上車が発進して遠ざかるや否や、カイルが に向き直った。
「子爵領に赴任してくる少佐なんて珍しくないだろう。わざわざ連絡先の交換までするなんて、一体どんな気まぐれだ?」
「きっと彼、優秀だから。いつか子爵邸で顔を合わせるかも知れないし、そのときに驚かせてみたいな、って」
 カイルは明らかに の積極性に不審を覚えたようだが、それ以上は追及してこなかった。
「お嬢様がここに居たことを知られているのに、ですか?」
「別に私が美味しいハンバーグを食べていたからって、ケスラー少佐は気にしないんじゃない?」
 子爵家の名誉うんぬんを語り始めたロルフの説教を受け流しつつ、 は一歩、自分が自らどこかへ踏み出したのかもしれないと思った。
 積極的に物語の登場人物に関与しようと思ったのは、初めてだ。
(ま、親しくなっておくに越したことはないし)
 ケスラーは、ラインハルトと違って彼自身が直接的に貴族と利害が対立するわけではないし、ラインハルトに元帥府に招かれるまでは辺境を転々としていたはずだ。彼と接触することで、貴族体制とラインハルト体制の争いの際に何か影響があるとは考えにくい。さらにケスラーは艦隊指揮ではなく主に後方の治安維持に手腕を発揮する人物であり、彼と繋がっておけば色々と情報を融通できるのではないかという下心も、 にはある。
 別にケスラーから情報を引き出そうとしているわけではなく、彼にこちらから何らかの情報を渡すことで、子爵家の手の及ばない範囲で軍を動かすことも可能になるかもしれないのだった。
(保険は大事よねー)
  はこっそりと心で呟き、カイルに案内されつつニーダーフェルトの昼下がりの街路を歩き出した。



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