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 コンラッド祖父様には5万帝国マルクまでの品と一応は言われていたが、いずれは売れっ子になると思しきメックリンガーの絵画をお手頃価格で入手できて、 は満足していた。
 ロルフが何か言いたげな表情をしていることに、もちろん は気付いている。だが、藪をつついて蛇を出したくないため、敢えて彼のわだかまりについて問うことはしなかった。
(安物なんか買っちゃって、って感じ? いや、それともお嬢様が変って思ってたり…するかな)
 近頃の 子爵家では子供らしからぬ(変な)お嬢様像が皆に受け入れられているので、 は元の身体の持ち主である 云々を特に意識しないで自分勝手に振る舞っているが、ロルフは の幼馴染みであったのだから、現在の に多大な違和感を抱いていてもおかしくはない。
 とはいえ、 にはどうすることもできない。 を知らない は、彼女を真似た振る舞いなどできないのだった。
 僅かばかりの罪悪感を押し隠し、その後はユリウスへの詫びの品を探すため貴族向けの高級服飾店を見て回ったり、カールやヨハンナへの土産を見繕った。いくら 子爵領が辺境とはいえ、取り寄せようと思えば手に入らぬものはないので、 が買おうとする土産もオーディンでしか入手できないという訳ではない。金も物もたっぷり持っている貴族とはいえ、心が大事と は自分に言い聞かせて、絵画蒐集だけでなく自らも絵を描くカールには職人による手作りの最高級絵筆(ふわふわの毛の感触が最高だということしかわからなかったけれど)、ヨハンナへは肌触りの良い明るい色のストールを買い求めた。
の分も親孝行、しないとね)
 知らぬ間に大人びてしまった娘に寂しさを訴える二人に対して、 が出来ることは限られている。けれど、出来る限りのことはして上げたいと思っている だった。

 そうして買い物に勤しんでいる内に、あっという間に時計の短針が頂点を指し、空腹に はカイルを見上げた。
「そろそろ、お昼にしない? お腹も空いたし」
 本日の昼食には、カイルが勧める店に案内される予定となっていた。カイル曰く、ハンバーグが名物の店だという話で、 は心からこの食事を楽しみにしていた。
 買い物をしていた界隈から離れた場所にあるということで地上車に乗り込み、 は再びハンドルを握ったカイルに声を掛けた。
「ここから、どれくらいかかるの?」
「十分くらいだ」
 答えたカイルは、自分がそれほど食に拘りのある質だとは思っておらず、食事など栄養が摂取できれば良いというのが本音であった。何しろ彼が食事の際に重視する点は、味などではなく料理を提供する店の構造にあった。外部から狙撃されにくく、出入り口が複数あって、一人でいても目立たないといった諸条件を満たす店を、カイルは好んだ。とはいえ不味い料理よりは旨いものが食べたいという欲求は彼にも存在していたので、これから令嬢を案内しようとしている店の味は、彼自身が美味と感じたものである。
 ルームミラー越しに見える少女が、にやりと笑って言った。
「あの件は?」
「準備万端。途中で寄る」
「何て説明したの?」
「名前を伏せて、ありのまま。店主が面白がって、話はすぐにまとまった」
 ルームミラーを介して視線を交わす二人の傍で会話を聞いているロルフには、何が準備万端なのか、どこへ寄ろうというのか話の内容が全く理解出来なかった。そもそも今から行こうとしている店もわからず、行き先を知らされていなかったロルフの眉間の皺は、時が経つほどに深くなっていった。
 地上車は貴族が行き交う通りを出発して、徐々にオーディン市内の中心から離れていく。貴族御用達の店など殆どない、平民階級の人々が主に出入りする街へと入っていくのは、街並みや通り過ぎる歩行者の格好から伺うことができる。明らかに、貴族の令嬢が食事をする場所などこの先にはありそうにないと確信したロルフは、しびれをきらして口を開いた。
「ヘル・シュッツ。もしや今からお嬢様を案内しようとしている店は、この先にあるのだろうか?」
 ロルフの台詞に、 は今朝方カイルと会話した通りの問答が起きそうだと、再びカイルと素早く目を合わせた。
「そうだ。ニーダーフェルトにある」
「っ! 何を考えているのです、あなたは! 平民の出入りする店へお嬢様をお連れしようというのか?」
「まあな。旨いのは間違いない店だ」
「味の問題ではない! 店の格のことだ!」
「俺が言われたのは、旨い店を探して奢るってことだけで、格云々は知らない話だ」
 美少年は怒っていても麗しいものだと、 は傍観者の気分でロルフの横顔を眺めていた。すっきり通った鼻筋に、けぶる睫の下には神秘的な菫色の瞳、髪の色は高級シルクのように煌めく銀色で、眼福である。
(ごめん、 ちゃん。ロルフの方がよっぽど令嬢らしく見えるよ)
  も可愛らしい部類に入るが、希少さを主張できるほどではない。一方のロルフは、いつかブラウンシュヴァイク家で見たエリザベート・コレクションの繊細に作られた人形(たぶん、銀河帝国で最も高価な部類の一品です)に似た、白皙の美貌なのだった。
「お嬢様」
 呑気にロルフを鑑賞していた に、その美しい顔が憤りの矛先と共に向けられた。カイルを問い詰めていた時と違って、幾分か声を抑えているのは、気遣いの表れかもしれなかった。
「まさかそのような店にはお出でになったりは…」
「します。美味しいという話ですし。ハンバーグが楽しみです」
 盛大に顔をしかめるロルフに、 はにっこりと微笑みかける。今日の護衛にロルフが加わるとなった時点で、ある程度の反対を受けることは予想できていた。
「大丈夫です。頼りになる護衛が二人もいるし」
 ロルフはかぶりを振って、声を荒げぬよう慎重に令嬢を諭そうとする。
「…私が申し上げたいのは、御身が危険ということもありますが、仮にも子爵家のご令嬢が下々の者が出入りするところを見られれば、謗りを免れぬということです。美味の探求も程々になさいませ。お嬢様には是非とも 子爵家の一員であるご自覚を、強くお持ち頂きたい。お嬢様お一人の問題ではないのです。 家は娘に良いものを食べさせる金も品もないのかと、そう噂されるかもしれないのですよ」
「そういう懸念があることは、もちろん承知しています」
「ならば、どうかお嬢様に見合った別の場所で、お食事をなさいませ。味も良いハンバーグを出す店は、私も何軒か知っております。何なら、今からお調べ致しましょう」
  子爵家を思うからこそ、ロルフが言い募っているのは にも理解できる。しかし、 もその点については考慮しているし、反対された程度で行き先を変えるのなら、最初から下町の店で食事をすることなど言い出さないのだ。
「要は、私が ・フォン・ とわからなければ良い話でしょう? 大丈夫、準備はできていますから」
「何を…」
 仰るのか、とロルフは問おうとして、地上車が止まったことを、身体にかかる僅かな慣性の力で知った。
「着いたぞ」
 カイル・シュッツが運転席から後部座席を振り返っている。その彼の親指が、窓の外の店を指し示していた。
 そこは飲食店ではなく、服を扱う店に見えた。年頃の女の子が好むような色合いや形の服が、ショーウィンドウに飾られている。しかしそれらは、どう見ても平民階級の者が着る形であった。
 話の流れと、カイルが指さす店の繋がりを理解出来ないほど、ロルフも馬鹿ではない。
 視線を転じたロルフが見たのは、相変わらず満面の笑みを浮かべた令嬢だった。
「この服じゃ目立って仕方ないから、ちゃんと着替えようと思ってますとも」
 一体、会わなかったこの一年の間に 様に何があったのだろう。そのように、ロルフは心中で呻いた。

 貴族階級の女性の装いは、基本的に装飾と布地過多で、袖口やスカートの裾が広がっていることが多い。裾の長さはくるぶしまであるし、襟も高く、肌を見せない形が基本である。おまけに昼用と夜用で色や布の質感やデザインも変化するし、パーティ用、外出用といった場所、そして季節もドレスコードに関わるので、貴族女性はクローゼットに入りきらない程の衣装を抱えているのが普通だ。
 一方、平民階級の装いに昼夜の区別はないし、貴族のそれと比較して動きやすく、布地も少ない。10歳頃の少女なら、あちらの世界で言うところのワンピースドレスか、フリルが少しついたシャツブラウスに膝丈スカートという格好が一般的らしいことは、立体TVや街角を眺めていて学んでいた だった。
「いらっしゃいませ、まあ、フェルノスト様」
「こんにちは、この方です。どうぞよろしくお願い致します」
(フェルノスト?)
 疑問が浮かんだものの、カイルのことだから偽名を用いたのだろうと、 は頭の片隅で納得する。鋭い目元を和ませ丁寧な口調で喋るカイルは、普段の姿が信じられないほど好青年に見えた。つまりは、演技中ということなのだ。店に入る前に、互いに名を呼ばないようにという注意を受けてもいた。
「可愛らしくて、とても楽しいことを思いつかれるお嬢様ですね。ご入り用のものは全て揃えております。こちらへどうぞ」
 カイルが準備万端と言っていた通り、 がすることはただ着替えることだけだった。淡い水色のワンピースに袖を通し、結い上げていた髪を下ろして、二つに分け耳の後ろで結ぶ。すると、鏡の中に見えるのは、少し気張ったお出かけ用の格好をした風の街角の女の子だ。 初めて着た簡素で機能的な設え服は、普段の令嬢スタイルに比べて驚くほど軽く動きやすい。袖をドアに挟む心配をしなくてもいいし、裾を捌かず歩いても躓いたりしない。
「いつもこの格好でいたいかも…」
 着替え終えた の呟きを耳にしたロルフが、険のある視線でこちらを見ている。口に出しはしないが、駄目だ、と表情が語っていた。
「お母様もゼルマもこのような格好をすることなんて、きっと許して下さらないから、心配しなくても大丈夫です、ロルフ。一度きりのことです」
(この旅に限っては)
 心の中で付け足した一言を見透かしたのか、ロルフは全くこちらを信用していない風だった。勿論、 は二度目、三度目を目論んでいる。あからさまに貴族だとばれる格好では、見て回れない場所が多いし、人とも接しにくい。できるだけ貴族ではない人々の暮らしぶりを知りたいと思っている は、平民の装いで街に出たいと、常々思っていたのである。
「お忍びっぽくて良くない?」
「良くありません」
 ロルフは の茶目っ気を一刀両断に付したが、カイルは令嬢を上から下まで眺めて、相変わらず芝居がかった好青年風の口調で評価を述べた。
「女性は化粧や格好を変えれば雰囲気が変わるから、変装がしやすいものです。この格好なら、誰もお嬢様を貴族の令嬢だなんて思わないでしょう」
「そう?」
 隠しても滲み出る貴族のオーラなど、欠片も見えないらしい。
はともかく、中身が庶民だからなぁ)
  は己の分を弁えているので、横でお嬢様に何てことを言うんだと憮然としているロルフとは違い、平民らしいと言われても気分を害したりはしなかった。
「夕刻には戻ります」
 カイルが再び愛想良く店主に向き直る。まさか平民スタイルでコンラッドの元へ帰るわけにもいかないので、食事と街歩きを楽しんだ後には再び元の格好に戻るのだ。
「良い一日をお過ごし下さい。いってらっしゃいませ」
 身元に繋がる証拠を残さぬよう、念のために先程まで着ていた服を仕舞った袋を引き取って、 たちは地上車に乗り込んだ。
「ねえ、身分がばれないように振る舞うのに、注意するところってある?」
 元は平々凡々な一般人の だが、銀河帝国では貴族としての暮らしを送っているためボロが出るかも知れないと考えたのだが、カイルはそんな心配はないと太鼓判をくれた。
「普段からあまり高飛車な物言いもしないし、口調を変える必要はないが、そうだな、名前は考えた方が良いかもな。 という名前は、貴族的すぎる」
「偽名か…」
 言われて は一瞬だけ考え、すぐに思いついた名前を告げた。呼ばれても気付かないなんてことは絶対にないし、誰も知らないであろう最適な名前がある。
って呼んで」
? 変わった名前だが、貴族らしくはないな。わかった」
  となってしまってから、誰にも呼ばれたことのなかった名前を呼ばれるというのは、なかなか新鮮であり、心がじんわりとする。それに、何だか面映ゆい。
「うふふ」
 はにかんで笑う と、何も気にした風情のないカイルを交互にみやるロルフは、明らかに諦観混じりの溜息を吐いている。
「お嬢様…本当に、その格好で人前にお出ましになるのですか?」
「人の多いオーディンだから、別に私がどんな格好をしていても誰も気にしないし、ばれたりしないと思うの。大丈夫です。それより、ロルフも私のことをお嬢様とは呼ばないように」
「…承りました。 …様」
「様はなくてよろしい」
 そう言って気付いたが、カイルやロルフに対してどのような口調で喋るべきだろう。随分と幼い自分が、二人に対して砕けた口調で話すのも、おかしいかもしれない。
「ねえ、私たちってどういう関係ってことにする? ロルフが私に対して敬語で話したり、私がこんな口調で二人に話し掛けるの、変に思われない?」
 考えてみると、20歳にならんとするカイルに、16歳のロルフ、そして10歳の という取り合わせは、随分とちぐはぐな取り合わせだ。
 問われたカイルはさほど悩む様子もなく、簡単な答を返してきた。
「俺と が異母兄妹、明らかに毛色の違うロルフは のボーイフレンド」
「なっ」
 絶句するロルフを尻目に、カイルはゆるやかに地上車の速度を落とし、街角の駐車スペースに停車させた。
「そこまで決めなくても大丈夫だとは思うが。ああ、俺のことはレクスって呼べよ」
「了解! 平民 、頑張ります!」
「頑張らなくてもいいぞ」
 元気よく声を上げ、 は期待に胸膨らませ車を降りた。
(お嬢様…)
 楽しげに浮かれた風情の貴い身分の令嬢の後ろ姿を、ロルフは複雑な心持ちで追い掛けた。


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