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38



『ディートハルト、お前に似合いの娘をみつけた』
 堂々たる体躯から出る朗と響く声で、通信を入れてきた祖父は開口一番そう言った。
『お前もコンラッド・フォン・ は知っているだろう、パランティア会戦の英雄だ。その孫娘で、名は ・フォン・ という』
 年齢はまだ10歳と幼いが、士官学校生顔負けの軍学の知識を持ち、政治経済、歴史を学ぶ 子爵家の令嬢だという。
 変わっている、と感想を漏らせば、そういう類が良いと言ったではないか、と祖父からは返ってきた。
 オーディン神は、人の言葉をヴァルハラで耳を澄まして聞いているものらしいと、ディートハルトは顔には出さず嘆息したものである。
 むろん、感謝を込めて、ではない。
『男勝りな勉学をする娘など鼻につく嫌味なものではないかと思っていたが、意外と面白いものだった。しかし、屋敷の奥で大人しくしている質ではなさそうだから、活きの良さには手を焼くかもしれんぞ。退屈はせずともよさそうだがな』
 何事につけても保守的傾向の強い祖父グレゴールの珍しい宗旨違いの発言に、ディートハルトは瞠目した。祖父は常々、娶るならば男の後ろに控えて男の面目を支え、家を盛り立てるような、謙虚かつ礼儀正しい賢明さを持つ女性を選べと言って憚らなかったのであるから、よほどその令嬢に感じるものがあったとみえる。
 いわゆる「適齢期」になった彼の元には近年、縁談が舞い込んできており、大体は学校が休みの日に外出し、お相手と僅かばかりの時間を過ごすという任務をこなさねばならなかった。今までのところ他人の云う『良いお嬢さん』と二度会ったことはなく、けれども二月に一度くらいの割合で命ぜられる『任務』の気苦労が煩わしく、暫く前に彼は祖父や母に対して宣言したのだった。
 話の合う相手と以外は会わない、と。どうせならば当分は面倒事が降り懸からぬよう、政治経済や軍学にも精通しているような女性でなければならないと、彼は言い添えていたのである。
 当然その条件に該当する年頃の貴族の子女を探すのは困難で、ここ半年ほどディートハルトに出動命令が下ることはなかった。祖父グレゴールも乗り気でない孫に無理強いするほど無体ではなかったのだが、二日前の祖父からの通信は、久々の縁談話だった。
(まさか本当に見つけてくるとは)
 良家の子女としては常識外れの特殊な教養を身につけた令嬢がいるとは、予想外である。
 理想というわけでもない口から出任せの条件だっただけに、率直に言えば会いたいというより面倒な気分が相変わらず勝っていたが、自らの発言を翻すのは彼自身の矜持にもとった。
 故に、ディートハルトは気乗りする様子を見せる祖父に対して、了承以外の返事を口にできようはずもなかった。ここで頷いたとしても会う段取りが進められるだけで、すぐさま婚姻に結びつく訳でもない。顔合わせで当事者双方(と、その保護者達)の気が合わなければ、これまでの『任務』同様に進展のない会合となるだろう。
 それに ・フォン・ という令嬢は、現在はオーディンへ来ているとはいえ、普段は辺境の星域に暮らす相手である。流石にここ数日中に面会の場が整えられる筈もないから、会うのは早くて半年ほど先になるだろうと、ディートハルトは見当をつけていた。
 しかし、彼は 子爵家の幼い縁談相手と、図らずも鉢合わせてしまったのだった。
「わたくしは ・フォン・ と申します」
 何かと厄介事を引き連れてくるラインハルト・フォン・ミューゼルとジークフリード・キルヒアイスを捕捉したは良かったが、彼らの言う『お困りの様子のフロイライン』が、当の令嬢だったのである。
 ディートハルトは運命論者ではなかったが、二の句が継げない状態の中で、オーディン神の悪戯というのは存在するかも知れないと感じ入った。しかし彼は浪漫主義的情緒に乏しかったので、万に一つの偶然の経験を認識しただけで、令嬢と結ばれた深い縁があるに違いないという確信には至るはずもなく、 ・フォン・ に対しては、十歳と聞いてはいたが随分と小さい、という感想を抱いたのみだった。自分の体躯が標準よりも大柄であったので、そう感じるのだろうか。
 一瞬、名乗るほどでもないと辞去するか迷ったものの、いずれ正式な形を整えて会うだろう相手に礼儀を失した人間と思われるのも嫌で、ディートハルトは名乗りを返した。
 そして、先程のディートハルトがそうであったように驚きに目を瞠った少女と対峙しつつ、どのような会話を交わすべきか思い巡らせたのだった。

「おれは、ディートハルト・フォン・ミュッケンベルガーです。祖父からお話は伺っておりました、フロイライン・ 。その、はじめまして」
  はといえば、予想外の名が戻ってきたことに動きを一時停止させていた。
 薄暗くてよく見えないが、リピートする星の映像が明るい一瞬によくよく見ると、確かにテレジアの語ったように少年の髪色はキャラメル色で、瞳も緑に近いようだ。
(ディートハルト…って、やっぱあのお相手の、だよね)
 ナイスボイスな少年の正体には驚愕したが、 にとって更に気になるのは彼の発言の一部であった。祖父から話は聞いている、の部分である。
(どんな話したんだか、あの人)
 ルドルフ皇帝もかくやと言われる立派な体躯に、頬ひげも凛々しい上級大将閣下を脳裏に描き、 は顔に笑顔を貼り付けたまま胸中呻いた。
 とはいえ、どのような主題で ・フォン・ の名が出たのかは、予想に難くない。昨日のテレジアが語ったように、その話は縁談の先触れという形を取っていたに違いないのである。
  もディートハルトと同じく日頃から浪漫主義は食えないといって憚らない性質だったので、二人に結ばれた赤い糸があるかも、なんて砂糖を塗した連想には走らなかった。考えるべきは、現状への対応策である。
 郷愁に泣いてユリウスの前から逃げ出し、ラインハルトとキルヒアイスに遭遇して追い払った挙げ句に、もしかしたら見合いをすることになるかもと考えていた相手と不意に出会う(しかも抱き留められた)。
 あまりに立て続けに発生した事態の数々に、 の思考回路はパンクするよりも、むしろ開き直った。
 一瞬の自失から令嬢的臨戦態勢へと移行した は、まあ、と大袈裟に呟いて目を見開いて見せた。
 とりあえずミュッケンベルガー(おじ様の方です)から目前の幼年学校生にどのような話が成されたにせよ、令嬢らしさを取り繕うのはマイナスにはならないはずだ。
「こんなところでお会いするなんて、本当に奇遇ですね。ミュッケンベルガー提督にお会いしたのも、つい二日前のことですのに。その際にはお年と幼年学校に通われているというお話しか伺っていなかったものですから、お顔を存じ上げず、失礼致しました。先程はお声をかけて頂いた上に、助けて下さって…改めてお礼申し上げます、ディートハルト様」
 小さな頭を下げられて、ディートハルトは新たな縁談の相手がしばしば贅沢と豪奢に慣れた人々に見られる傲慢さからは縁遠い性質であることを知った。確かに、祖父やテレジアが言うように 子爵家の令嬢は、十歳の割に礼儀正しく聡明な少女であるようだった。
「いえ、大したことでは」
 見下ろした令嬢の瞳は展示室の壁に投影された仮想の星明かりをよく映して、移り変わる星ごとに瞳の色をきらきらと変化させていた。宇宙の大部分の空間がそうであるように、彼女の瞳は黒なのである。だから、周囲の色をスクリーンのように映し出しているのだった。
 そして部屋の一角に青スペクトルの超巨星が光ったとき、ディートハルトは ・フォン・ の目許に残る赤みを思い出した。大きな光度を持つ恒星の映像は、青みがかってはいたが少女の白い顔の造作をはっきりと照らしたのである。
 彼は、迂遠な物言いも、配慮に富んだ話術というものも好きではなかったし、口数も豊かというわけではなかったので、短い語句で疑問を口にした。
「ところで、差し出がましいとは思うのだが、なぜ一人で泣いていらした?」
(おおう、直球だね、ディートハルト君)
 これは貴族には珍しい率直な話法ではないだろうか。
 聞くに憚りある物事を持ち出す際には、遠回りな表現を用いるのが貴族的作法というものなのだと、 はこの半年で随分学んだものである。
 エリザベートの癇癪を元気一杯と言い、不味い物を評すにも体調が悪くて味が分からないと繕い、つまらない話を難しすぎて理解出来なかったと言葉にするのが、良い家柄の貴族というものなのだ。風評や体面をもの凄く気にするのは、ハイソサエティの常なのである。
 感心した だったが、どのように説明しようか悩むところであった。そもそも、こうして悠長に話す前に一度、子爵家の面々やユリウスに連絡を入れなければと は今更ながらに焦りを覚えた。
(さもなければ…うう…)
 頭の痛い想像を幾つも思い浮かべて困った表情をする に、ディートハルトは方向性を変えた問いを重ねる。
「供とはぐれて、迷っておられるのか?」
「え」
 つまり、迷子で泣いていたのかと、彼は言いたいのだろう。安直ではあるが、状況の説明としては納得できる理由というところだろう。
  は、とりあえず面倒な説明を一挙に省いて恥を演じることにした。ユリウスと一緒云々から話していては、彼らへの連絡も更に遅くなってしまう。
「ええ、そうなんです、実は…お恥ずかしながら、供の者たちと離ればなれになってしまいまして…」
 よよよ、とハンカチを目元に押しあててみるものの、普段の姿を知っている人から見れば、鼻で笑ってしまう演技だったことだろう。
 幸いと言うべきか、ディートハルト少年(体つきはともかく、顔つきはまだ若さを残しているのである)とは初対面であるし、彼は迷子であると主張する少女の言葉をさほど疑うこともせず頷こうとしていた。
 しかし、さもなければ、と が脳裏に浮かべた面々は、既にすぐ傍まで到達していたのである。
 足音さえたてず忍び寄ってきた護衛の声が真横から聞こえた時には、心臓ばかりでなく実際に一センチほど飛び跳ねてしまった だった。
「お話中失礼。お探し申し上げましたよ、『お嬢様』」
 油を差し忘れた機械のようにぎこちなく頭を巡らせた先にあった、普段とは全く異なる口調で不似合いな満面の笑顔を浮かべるその護衛が、もの凄く怖い。
「カ」
 名を呼び掛けた の声を遮るよう、琥珀の瞳を薄闇の中で光らせた護衛は大仰に声を上げた。
「そうです、貴女様の護衛のシュトルツァー軍曹でございます。急にいなくなってしまわれたので、大層心配致しました」
 人前で名前を呼ぶなと視線に射貫かれ、 はやや青ざめながら、こくこくと頷いた。急な登場に忘れていたが、公にはカイルはレクス・シュトルツァー軍曹となっているので、そちらの名を用いるという話だったのだ。
 カイルがこの場にいるとなると、もう一方の護衛もいるに違いないと が展示室の入り口へ視線を転じると、やはりというべきか見慣れた長身の影がそこにあった。
様」
「は…い」
 こちらは名を呼んだきり何も言わないのだが、無言の圧力というものは確実に存在していたので、 は平伏して謝罪したくなった。
 彼らに迷惑をかけたことは、間違いないのである。
「ユリウス様が、自分が何か困らせるようなことをしたのかと、気にしておいででしたよ」
 これはカイル言である。丁寧な言葉遣いの割に、顔には先程と違って面白がる風の色が浮かんでいた。
 今のところ最も申し訳ないと思う相手の名を出されて、 は意味もなく手の内のハンカチをもじもじと揉んだ。
「うっ。その、あの、ユリウス様は今はどちらに?」
「本館の待合室に。落ち着くまで待つので、気が晴れたら顔を見せて欲しいと仰って、こちらにお見えにはなりませんでした」
 ヘルツが隣までやってきて、諭すように語る。薄闇に紛れて瞳の色はよく見えなかったが、ヘルツも気遣わしげな表情をしていることは判る。
(ユリウスにも、とばっちり食らわせちゃったよ…)
  の逃亡の理由など色々と訊ねたいこともあるだろうに、気遣いの出来るユリウスは一番に此方を慮ってくれたようである。何と健気なのかと、罪悪感に潰されそうだった。
「……話は見えないが、とにかく供の者には会えたようですね、フロイライン・
 見知らぬ軍服姿の男たちとはいえ、令嬢を気遣っていて更に軍曹の名乗りを聞いていれば、彼らが目前の少女の護衛以外の何者でもないことは理解できたディートハルトだった。
 耳心地の良い声に呼ばれ、 は慌てて幼年学校の制服を纏うミュッケンベルガー家の少年に意識を戻し、既に何度も伝えたものの再び礼を繰り返した。
「はい、こうして何事もなく済んだのも、ディートハルト様のお陰です。ありがとうございました」
 先程のように短く、いえ、とでも返事が来るかと思いきや、そこでなぜか二人の間には沈黙の帳が落ちた。
(な、なぜ黙る、ディートハルト君)
 成長期とはいえ祖父譲りの大柄な体躯のディートハルトを見上げつつ、 はいまいち会話のテンポが掴めない状況に戸惑わずにはいられなかった。
 カイルとヘルツは互いに視線を見合わせ、二人の会話の行方を見守っている。小声でカイルがヘルツに耳打ちしているところをみると、恐らく 子爵家の諜報員は、少年の素性がミュッケンベルガー上級大将の孫であることを知っているのかもしれないと推測した だった。
「あの、ディートハルト様?」
「フロイライン・ 、他に何かお困りのことは?」
「え? 他に、ですか?」
 ディートハルトの表情は、むっつりと口を結んでいて先程からあまり変化を見せておらず、どのような意図が問いかけに含まれているのか は咄嗟に読めなかった。
「泣いておられたので」
「それは…その…」
 望郷の歌に感極まってなどと口が裂けてもこの場で言えないので、 としては口ごもる他ない。
 そうして俯く少女の前で星明かりに赤く映える落ち葉色の髪を一度かき上げたディートハルトは、その場に膝をつき、視線を低くして のそれと合わせた。立っている時には背丈にだいぶ差があったが、そうしてみると が少年をやや見下ろす角度となった。物語に出てきそうな、騎士と姫(中身はともかく)の構図である。
 しかしディートハルトは、異性を見つめるというよりはどこか小さな子供を宥めよう、助けになってやろうとしている風情であって、甘い雰囲気が一切ないのは にとっては幸か不幸かというところだった。中身が二十ン歳なのに、十五歳の少年に子供扱いされるのは複雑な気分である。
「何か嫌なことでも、そのユリウスという者との間にあったのでは?」
 頭が近くなった分、魅惑の美声がよく聞こえると思いつつも、その内容を聞いてやっと得心に至った だった。
 彼はどうやら、 が意に染まぬ相手と見合いさせられたことを嫌がって逃げ出し、泣いていたのではないかと想像したのだろう。
「いいえ、それはありません。ユリウス様は、とても優しくて賢明な人柄です。好いてはいても、嫌いになることなんて…」
  は断固として否定した。
 そして一瞬後に、失言かもしれないと気付いた。
 仮にも見合いをすることになるかもしれない相手の前で、他の男を褒めるのは駄目だろうと、流石に にも思い至ったのである。
 ディートハルトとしては懸念が否定され、ついでに他に良い相手がいると清々しいほど言い切られたことを、単純に良かったと思った。縁談が交わされているものの、ディートハルトにとっては初対面の殆ど知らぬ少女であり、執着も何もないのだ。
 故に、彼は僅かに口の端を上げて頷き言った。
「では、早く戻って差し上げるといい」
(わ)
 仏頂面に垣間見える笑顔というのは、レア度もあって胸に来るものがある。更に、ディートハルトの声は何度も言うが、好みのタイプなのだ。
 一瞬で元の表情に戻って立ち上がったミュッケンベルガー家の少年は、腕に嵌めた通信機で時間を一瞥した。彼も一応、課外授業の最中なのである。
「おれはそろそろ行きます。下級生達を引率せねばならないので。フロイライン・ 、お会いできて良かった。それでは」
 社交辞令であろう挨拶を残して足早に去ろうとしたディートハルトを、 は呼び止めた。
「あの! ディートハルト様!」
 下級生の部分に、 は反応したのだった。現れたタイミングからして、ディートハルトとラインハルトには多少の関係があるのだと予想するのは難しくなかった。
「実は先程、ラインハルト・フォン・ミューゼルという方に声をかけて頂いたのですけれど…」
「ミューゼルが何か」
 考えたとおり、ディートハルトはラインハルトの名を普通に呼んだ。顔見知りで、ある程度の付き合いがあるのだろう。
「気分が優れなくて、冷たくあしらってしまったんです。伝言をお願いするなど厚かましいのですが、お気遣いに心から感謝しているとお伝え頂けませんか」
 正直、未来の銀河帝国皇帝になる少年のへそを曲げさせてしまったことには、心苦しさを覚えていた だった。
「わかりました。彼も喜ぶことでしょう。伝えておきます」
「あと、これは私からディートハルト様へ、ですが」
 展示室の入り口で半身だけ振り返っていた少年は、さらに90度回転して子爵家の幼い令嬢と相対した。
 彼我の距離はおおよそ2メートル。その時、部屋の床面モニタに映し出されていたのは、仄かに光を拡散させた星の渦だった。その銀河の中心に、彼女は佇んでいる。
「是非、またお会いできる日を楽しみにしております。どうぞその日までお元気で」
 流れるような動作で淑女に相応しい一礼をした少女に、ディートハルトは短い言葉で応じる。
「ええ、貴女も」
 ディートハルト・フォン・ミュッケンベルガーは、星々の輝く宇宙の中へ少女を残して踵を返した。


 それから随分後になって ・フォン・ を思い描くとき、ディートハルトは決まってその姿を心に浮かべるのだった。星の中心に佇む少女。それは、何かの未来を暗示していたのではないかと。


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