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 人類の歴史を編纂、展示する国立帝国博物館という色気の欠片もない場所で、 はユリウスと落ち合った。
 無論、場所の選定に関しては多分に の要望が含まれている。
 出掛けにコンラッドにどこで会うかを問われて答えるとさしもの彼も絶句していたから、貴族の少年少女が逢瀬を交わす場としてはあまり相応しくないようである。女心の分からぬ男と呼ばれた自分でも、逢瀬の場所はまともなカフェや音楽会を選んだという言葉をコンラッドから頂戴しつつも、 は地上車の目的地を変えることはなかった。
(でもユリウス様はいいよ、って笑ってたし、私も見てみたいし、問題ないよね?)
 ユリウスは紳士的儀礼として淑女の好みを優先したとしても、決して博物館をつまらないと思うような人柄ではないと、 は思っている。
、久しぶり。君に会えて嬉しいよ」
 春を思わせる爽やかな笑顔で、てらいない言葉を真っ直ぐ向けてくるユリウスは、本日も良い『男の子』ぶりである。3ヶ月前に 子爵家で会って以降、変声期を迎えたのか以前よりもオクターブが低い声になっているし、身長も見上げる角度が徐々に大きくなっていることがわかった。体つきも徐々に大人の男性へ近付くよう成長しつつあるのだが、 にとってユリウスはやはりまだまだ『男の子』のようにしか思えないのだった。
 二十歳になれば大層もてる男性になりそうだと煩悩混じりの想像をしつつ、 も笑顔で挨拶を返した。
「お久しぶりです、ユリウス様。私もお会いできるのを楽しみにしておりました」
 本心からの言葉であり、二人並んで仲良く歩く様子は傍から見れば似合いの小さな恋人同士そのものであった。
 けれども には気の合う友人と遊んでいる以上の思惑はなく、博物館でも貴族の少女たちにとって憧憬の対象であるヴィーゼ家の貴公子よりも、もっぱら展示物を眺めて喜んでいた。
  は人類が初めてワープ航法を成功させた際の宇宙船のモデルやら技術発展の歴史に頷き(超光速通信の原理なんかも説明されていたり)、服飾の変遷を辿って如何に銀河帝国が中世ヨーロッパ風文化に到達したかを眺めるのも一興だった。ただ、どの展示物もルドルフ・フォン・ゴールデンバウムや銀河帝国の帝政、専制政治を否定するような要素は完璧に排除されていた。やはり情報統制は行われているようで、共和思想やら民主主義などは過去の遺物として処理されている。
 一緒に見ているユリウスにそれとなく民主主義をどう思うか尋ねたところ、エリート主義を思わせる答が返ってきた。曰く、選挙や多数決などという迂遠な方法より、少数の優秀な人々を環境によって確保し、それ以外の臣民を導くべし、という考えである。
 貴族が、と言わないだけユリウスは開明的であったが、それでも彼がその少数の優秀な人々として貴族を想定し、彼らが身分や富に見合った高貴な義務に則った政治を執る形を理想としていることは伺えた である。つまり、現在の貴族は堕落していて駄目だという認識をユリウスは抱きつつも、制度そのものを変化させようという発想は持たないのだろう。
「僕たちのような貴族がもっとしっかりと学んで、優秀な人材を育てて、民たちの暮らしを良くしていかなければね」
 ユリウスは、そう言葉を結んだ。
(もう少し突っ込んで、貴族の現状を鑑みて体制変化の可能性、という話もしてみたいけど、さすがにそれは厳しいかな)
 国家反逆罪やら不敬罪などといった空恐ろしい罪状が存在する銀河帝国で、誰が聞いているかもわからないのに命を縮めるような真似はできないと、 はその話題を続けることを断念した。博物館で歴史を振り返っているから交わせる話であって、いかに友人(と思って良いよね)といえど、安易に語れないテーマがあることも は承知していた。
 それにユリウスやヴィーゼ家が得意とする分野は経済であって、現状で繁栄しているのだから体制は安定している方が商売はしやすいかもしれない。
 ラインハルトがもたらす大変化にヴィーゼ家は対応できるだろうか、という余計な心配を抱きつつ、更に博物館を見て回った とユリウスは、ある一角で地球時代の生活風景という展示物を見学することになった。

 そこで は、久々に自らの心の奥底に隠していた秘密を暴かれた気分になった。
 生まれ育った日常生活に普通に存在していたコンピュータや電車、飛行機のモデルといったものもが随分とレトロなものとして博物館に収蔵されていることに、変な感慨を憶える。
(遠いな)
 目の前に以前の日常生活で見かけた品々があるというのに、だからこそだろうか、その日常が陳列されている現在との隔たりをはっきりと感じてしまうのだった。
 忘れた振りをして半年間、子爵令嬢生活を送っていたが、何と今更ながら郷愁に襲われるとは も想像していなかった。
 冷静が身上なので、その辺りには耐性があるかと思いきや、意外に慣れぬ生活に蓄積する物があったようである。
(なんか…これはちょっと笑えないかも)
 胸の裡側がぐちゃぐちゃになり、指先が冷えて令嬢として振る舞うことがひどく苦しく感じられ、心が危険信号を点していることを 自身も感じていた。
 しかし久々に会ったユリウスとの会話が楽しくもあり、ここで博物館に居たくないとごねるのも憚られると、平静を装ってどうにか普段通りの会話を交わしていたのだが、ある一撃で の心の平衡感覚はあっけなく失われてしまった。
 地球時代よりも技術が格段に進歩したご時世、帝国博物館では が見知った博物館よりも更に多種多様なデータを取り揃えているらしく、ある一室では数々の過去の音楽データが視聴できるようになっていた。
「ここでは地球時代の音楽が聴けるそうだけど、何を聴いてみようか? そういえば君が最近凝っている寿司というものは、確か…そう、この地域の食べ物だってね?」
 ホームシック気分でやや意気消沈していた を慮ってか、ユリウスが場を和ませようと差し出してきたのは、まさに今は触れたくない話題であった。
 結婚話より何よりも、『あちら』のことは心を沈ませる事柄である。
 けれどもユリウスの気遣いも理解出来る上、やはり少々の好奇心もあり(どんな音楽が後世に残されたのか気になるものだ)、 は拒まずにユリウスの提案を受け入れた。
 ヘッドフォンを装着し、どんな音楽が流れてくるかと思いきや、耳に響いてきたのは懐かしの唱歌であった。
『兎追いし、かの山…』
(何というキラーソング!!)
 ある意味、 は戦慄した。これは色々と耐えきる自信がない。
「ゆったりした曲調だね。今まで聴いたことのないメロディだ」
「本当、そうですね」
 なんとか一番目までは堪えたのである。何しろ、目の前にいるのは心優しきユリウス君である。先程から浮かない顔を見せてしまって申し訳ないと思っていたから、笑顔を作ろうと試みていたのだが、 の抵抗は続いた旋律と歌詞にあっさり崩壊した。
『如何にいます父母、つつがなしや友垣…』
っ!?」
 素っ頓狂なユリウスの声に気付いて頬をぬぐってみれば、滂沱の涙である。
(うわー、これはすごい)
 そのような時でも、冷めた部分が自分を見ている は、泣いているという事実に感心していた。目頭が熱くなるなど、随分と久しぶりである。
 泣き止もうと頭は思考しているのだが、目から流れ落ちる滴は留まるところを知らないようだった。
「ごめんなさい、止まらないや…」
 普段はヴィーゼ家の嫡男として紳士然とした穏やかな佇まいのユリウスも、涙を溢れさせる少女には、あたふたと慌てるしかなかった。何しろ彼には、彼女が泣き出すような心当たりがなかったのである。
 自分が悪いことをしたのだろうかと戸惑い思い悩むユリウスに、 は慌てて嗚咽混じりに言い繕った。
「あの、ユリウス様に何がある、というわけでは、ないんです、ただ、この、この歌が…う、駄目…」
 異変に気付いたヘルツやカイルも、何事かとこちらを大層気にしている。
(駄目だ。もう駄目)
 涙腺が大決壊し、更に口を開けば大声で泣き喚いてしまいそうで、 はヘッドホンを半ば投げ捨てるように外して立ち上がった。
 そして、 はその場から逃走した。




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