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「士官学校で、シミュレーションをなさって素晴らしい腕前を披露なさったのだとか。さすが 提督の血筋と、伺っておりますわ」
 半年ぶりの再会の挨拶を交わしてテーブルについた後、開口一番にテレジアが持ち出した話題は、昨日の士官学校での子爵令嬢の振る舞いについてだった。
  は表面上は笑顔を浮かべていたが、胸中では貴族ネットワークの恐ろしさに身震いしていた。
 カイルの指摘から、 子爵家の令嬢が年頃の娘らしからぬ素養を備えている話は遠からず広まるだろうと思っていたが、昨日の今日である。
  としては悪目立ちしたくない気持ちがあるので、これ以上は話が大きくならないよう控え目に、テレジアの興味津々といった風情をいなした。
「どのように伝わったのか気になりますが、皆様、物珍しくて大げさにお話されてるだけですよ。あまり噂話を信用なさらないでください」
 以前からの約束通り、本日の はオーディンでも美味しいと評判のカフェで、テレジア・フォン・メルカッツ嬢とお茶を共にしていた。
 緑多い庭園を持つ一軒家のカフェの内装は、花を意匠とした派手すぎない調度で整えられ、落ち着きと可愛らしさが同居した雰囲気である。テーブル同士がかなり離れたゆったりした空間に加えて、年頃の少女が好む瀟洒さもあり、ケーキも美味しいとあって申し分なかった。
 ハイソな人々は茶飲み話をするときにも、ハイソな場所を利用するものなのだと、 は感心した。
「士官学校生の殿方でも苦労するシミュレーションを、あっという間に高得点で終わらせたというのは?」
「たぶん私に恥を掻かせないよう、どなたかが難易度を低く設定して下さったのです」
 口から出任せであるが、 子爵家のそれと比べれば間違いなく難易度は低かったので全くの嘘ではない。
「でも、航宙図や艦隊運用の難しいお話も理解できるのでしょう? わたくし、お父様が家でそういうものをご覧になってる様子を眺めていましたけど、ひとつもわかりませんでした」
 さすが気鋭と名高いメルカッツ提督は、家でも戦術研究や戦略論を読んでいるらしい。
 コンラッドとは違って自分の娘に軍学を教えようとする程ではなかったようではあるが、熱心なことである。
「ああいうものは、学べば理解できるものです。お祖父様も色々と教えて下さいますしね」
「嫌ではありませんの?  殿方が学ぶようなことですのに」
「それなりに楽しいと思っておりますから。それに学ぶことに女も男もないはずです。学びたいことを学べばよいではありませんか。そう我が儘を言える、恵まれた環境にいるのですしね」
 逆にダンスや文学の授業が苦痛だ、と が本心を吐露すると、テレジアは可愛らしく榛色の瞳を二度まばたきさせた後、はにかみながら秘密を打ち明けてくれた。
「わたくし、 様を誤解していたようです。もっと大人しい普通の方と思っておりましたけど、変わってらっしゃいますわ。でも、とっても素敵です。わたくしも実は文学や詩よりも史書の方が好きですの。友人には女の子らしくないって言われてしまうのだけれど、 様のお話を伺っていると、隠すものでもないと安心しましたわ」
(ははは、あまり変わり種と比較しない方がいいと思うよ、テレジアちゃん)
 少々テレジアの比較対象の誤りを心配しつつも、運ばれてきた銀色のトレーに並べられた色とりどりのケーキたちを見ると、とりあえずは目前の欲求に手が伸びた。
「わ、どれも美味しそう。選ぶのに迷っちゃうなあ」
「そうね、わたくしはどれにしようかしら。あのオレンジムースとチョコのケーキも良さそうだし、ルバーブのタルトも甘酸っぱくて美味しいですものね」
 無類のケーキ好きの大尉を、 は思った。残念ながら貴族女性の社交場に出入りできない男性のヘルツ大尉は、地上車で待機しているのだ。普段は穏やかな表情や物言いをする人物だが、可愛らしい菓子たちの前では相好を崩すに違いないと、 は後で土産を頼むことに決めた。
 カイル(はテレジアに面が割れているので、本日も別行動である)も甘いものは嫌いではないので、帰ってからもう一度ケーキを皆で味わうのも悪くないだろう。ちなみに令嬢のお供として同行しているゼルマは、近くのテーブルでメルカッツ家の侍女と共に たち同様にケーキをつついている。
  はとりあえず一番最初の幸せとしてルビー色が鮮やかな木苺のケーキを取り分けてもらい、テレジアは自身の髪の色によく似た色合いの、地球時代発祥のケーキ、ザッハトルテを選んだ。

 互いに期待の籠もった眼差しを合わせて、 とテレジアは芸術的菓子の攻略を開始した。
「見かけを裏切らない味! 素敵ですわ!」
「美味しいものを食べると、やっぱり幸せになりますね」
 ほうっと溜息をつき、再び視線を交わして二人の令嬢は笑った。
(久しぶりかも、こうして女の子と一緒にのんびりするの)
 同年代の少女とのお茶会に一度参加して懲りて以来、その類の付き合いを放棄してきた にとっては、テレジアとの会話は新鮮な気がした。
 思えば自分の周囲には、かなり年上(外側が、だけど)の人間ばかりだ。
 いつも身近に接する相手は、護衛の二人や 子爵家の家人、使用人たちだけなのである。
 ゼルマをはじめとした侍女たちとは親しく会話するが、友達という関係性ではない。精神的には同年代であっても、外見からどうしても子供扱いされてしまうからである。
 風変わりな令嬢としてあまり子供扱いしないヘルツも、やはり令嬢と護衛の枠を越えていないし、唯一気安いカイルも安心して付き合えるかといえば、むしろスパイスの効いた緊張感を楽しむ悪友のような気がする。
(ロルフは歳が近いけど彼はかなり身分に拘ってる感じだし、エリザベートは友達というより面倒を見てあげる立場だし…)
 残された友達付き合いが可能な相手は、現状ではヴィーゼ家のユリウスとテレジアしかいない である。 
(私ってば、友達少ないなあ)
 メルカッツ提督の娘であるテレジアは、12歳の割に聡明で気遣いの出来る少女だった。
 けれども貴族の娘らしさからはあまり逸脱せず、年頃の少女が好むものを素直に好んだ。パーティに参加したいがために家出する思い切りの良さを兼ね備えているが、同時にパーティへ憧れを抱く嗜好の持ち主なのだった。
 そう、普通の少女だ。正直な所、中身20歳越えの にとっては、多少の物足りなさを感じる部分もある。
(だけど他愛もない話するのも悪くないし、貴族的感覚もある程度は身につけたいしね)
 政治経済や軍学について考えるのも楽しいが、毎日そればかりでは頭が疲れるし、同年代の少女の物事の見方や喋り方を吸収することで、無難な令嬢らしさの猫を繕うこともできるだろう。
 カイルの指摘で自分がいかに貴族社会に関して無知だったかを思い知った は、とにかく貴族的思考というものを理解しようと、子爵令嬢となって半年目にしてようやく決心したのだった。
(敵を知らねば戦はできぬ、というし)
 貴族の一員である自覚が芽生えたというよりは、対貴族戦略を練り始めたというのが正しかったが、貴族的思考を忌避するのではなくて積極的に『学ぼう』というのだ。
 テレジアとの交友も学習の一環ではあるが、テレジア・フォン・メルカッツという少女は十分に魅力的な人間性の持ち主だったので、 も内心では妹の成長を見守る姉の気持ちでいたりする。
 ちょっとした大人の余裕というものである。

 個人的好奇心からメルカッツ提督の動向を探ったり、その夫人(テレジアの母である)はどんな人物か訊ねたりと、幾つか話題を交換した後、 はふと思いついて、最近の貴族内噂話でもっとも注目されているテーマは何かを訊いてみることにした。
  ・フォン・ に関する噂話について探りを入れたかったが、墓穴を掘る気がしなくもないのでそれは諦めた。
 その代わりに、貴族らしく噂話に花を咲かせてみようというのだった。
「近頃、話題になっていること? そうですわね、ああ、あれがありましたわ。あまり品のよろしくないお話なのですけれど…」
 やや困ったような表情でそう前置きしたテレジアが話し出したのは、銀河帝国を統べる皇帝陛下の行状についてであった。
 曰く、現在もっとも尊い御座におわす皇帝陛下フリードリヒ4世は、優れた治世を行うわけでもなく、日々を怠惰に任せて酒と女の享楽に耽っているのだという。その辺は既にあちらの世界で仕入れた情報であったので、哀れな皇帝が何を思ってそのように振る舞っているのか知っていた である。
(実を言うと、フリードリヒ4世は嫌いじゃないんだよね。自分の代でゴールデンバウム王朝が斃れるのもアリって言い切っちゃうところとか、貴族たちの権力争いを達観している部分とか、何も決めないで死んでやるって心意気が…)
 皇帝フリードリヒ4世は変な方向に前向きな人物だったのだろうと、 は思うのである。
 貴族のあり方を変えられるほど優秀じゃないと自分を見限り、さっさと滅びればいいとばかりに遊び暮らす皇帝は、世を憂う人々から見れば至尊の座にありながら成すべき事を成さない怠け者に違いない。
 けれども血筋で義務を押しつけられる皇帝個人の人生を考えると、それはそれで不幸な環境で、性格が歪んでも仕方がないように思えるのだった。
(持ってる金や権力の大きさは、必ずしも幸福の質や量と比例しないんだよね)
 とはいえ はフリードリヒ4世に同情心を抱いてはいるものの、彼の金や権力にものいわせた退廃的な生活は、確かに恨まれ眉を顰められるに足るものだとも納得していた。
 少し穿った見方をするなら、彼は早死にしたかったのかもしれないという想像も可能だった。
 酒を飲み続けることで体を痛めつけ、贅沢三昧という手段で国庫を圧迫することで首を切られやすくしたのではないか。
 現に彼はアンネローゼを召し上げたことで、ラインハルトの恨みを買っている。ラインハルトが本願を成就する前に急逝してしまったから、フリードリヒ4世は病死だったが、彼がもう数年生きながらえていたなら、間違いなくラインハルトの手で皇帝の座から引きずり降ろされていたことだろう。
(穿ちすぎかな)
 酒と女が好きという快楽主義的嗜好の持ち主なので、単に毎日に飽いて欲望を追求して時を過ごしているだけかもしれない。
 テレジアは、そのあたりの皇帝フリードリヒ4世の遊行を数え上げた後、周囲を見回して声を潜めた。
 不敬罪という刑罰が存在する銀河帝国では、皇帝の噂話も下手に他人に訊かれると命取りなのである。
「皇帝陛下は女性を、それも特に少女と呼ばれる年頃の女性を好んで側に侍らせるという話は有名ですけれど、つい二ヶ月ほど前、陛下は新たな妾妃を後宮へ迎えたの。そのことが、近頃はよく話されておりますわ」
(それって、もしかして)
 つい先ほど考えていた金髪の姉弟を脳裏に浮かべた は、急いで記憶の倉庫をひっくり返した。
(ラインハルトは10歳の時に幼年学校へ入ってるけど、確かその年の夏の終わりにアンネローゼが皇帝の側女になったんだっけ。 とラインハルトは同い年だから、それって今年の出来事のはず……)
 テレジアは悲痛な面持ちで、ハンカチを口元にあてつつ話を続ける。
「なんといっても、その新たな妾妃となられた方はとても美しいお姿らしいのだけれど、まだ15歳でいらっしゃるそうなの。ご出身は帝国騎士のミューゼル家で、お名前はアンネローゼ様と仰るそうよ」
(やっぱり)
  はテレジアに合わせて浮かない表情をしてみせたが、内心では歴史的イベントに胸を弾ませていた。
 アンネローゼの不幸を喜んでいる訳ではないのだが、銀河英雄伝説という物語を語る上でこの件は外せない出来事である。ここからラインハルトの野望街道は始まるのだし、それをこうして同じ世界で人から伝えてもらう状況というのは、感慨深いものだった。
「皇帝陛下は確かに他に並ぶ者のない尊い御方ですけれど、五十を越えた男性に十五の女の子が妾妃として侍るなんて…大変な名誉とはいえ、わたくしは同じ年頃としては、アンネローゼ様は辛いこともおありだろうと思ってしまいますの。ある日突然、家族とも自由に会えなくなるだけでも悲しいことですのに…」
「本当に、そうですわね」
 言いつつ、 は自分に対して白々しい、と思った。
(だって、許容してしまってる)
 辛さや悲しみは想像できるが、アンネローゼが後宮入りすることは、この世界の歴史で起こるべき出来事のように には感じられてしまうのである。
 ゆえに、アンネローゼの立場に対して本心から悲しいだろうと同調することができないのだった。
 仮にアンネローゼを救おうとしたところで、今のところ ―― はそれを成すだけの権力や手段を持ち合わせていないので、大した葛藤もなかった。
(私って…ひどい奴かも)
 自分の割り切りの良さに、 は少々罪悪感を覚えた。
 その後もアンネローゼに関する話題は続いたが、彼女の弟であるラインハルト・フォン・ミューゼルについてはテレジアは一言も触れなかった。
 いまだ世に出ぬ者の名ということだろう。
 これから何年後に、ラインハルトの名が妬みと嘲りと共に貴族たちによって語られるようになるだろうか。その時にも、こうしてテレジアとお茶を飲みながら噂話に興じているのだろうか。
 未来のことを考えると共に沸き上がる焦燥に、 は頭を振った。
 木苺のケーキも、ギゼーの茶も美味しかった。テレジアは憂い顔も可愛らしい。ヘルツ大尉の土産を見繕って、コンラッド祖父様には明日の予定を尋ねよう。ロルフと会う日に行きたい場所もピックアップしておかなければ。
 やることは沢山ある。不定の未来を考えずに済むくらい、楽しむべきことが。
「ねえ、ところで 様は……」
 テレジアと女の子らしい会話を交わして笑う は、しかしどこかでこのような安息の日々が長く続かないだろう事も理解していた。
 それは銀河帝国で貴族も関与する内戦が起こるという話ではない。
  自身の進退、つまり人生の在り方を決めざるをえない日がいつか来るだろうという意味だった。
(どうなることやら)
 どこか他人事のように空虚な心持ちで、 はそう自分の未来に関する考察を中止し、テレジアの話へと意識を戻したのだった。



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