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 シミュレータ・ルーム、戦術論の授業に続き、射撃や体術といった視察コースを巡ったが、オーディンへの祈りが不足していたのか、 はロイエンタールとの邂逅以降、めぼしい人物と会うことができなかった。
(同じ場所にいるって言っても士官学校の生徒は何百人もいるんだから、そうそう会えるはずもないか)
 少なくともロイエンタールに会えただけでも大収穫だったと思いつつ、 は別れの挨拶を交わすミュッケンベルガーとコンラッド、そしておまけのコーエン校長の様子をやや離れた位置で眺めていた。コーエン校長が明らかにお前はお呼びでないといった風情だったので、大人しく控えているのだ。
 そしてそんな の定位置は、護衛二人の元である。ヘルツとカイルの二人組と肩を並べつつ、 は先ほど抱いたコンラッドへの疑問について、問うことにした。
「ねえ、今さらかもしれないけど、お祖父様って実はとっても有名だったりする?」
 コーエン校長が 子爵家の面々を迎えたとき、彼はコンラッドにまさに美辞麗句を連ねて持ち上げていたのを聞いていた である。漏れ聞こえてきた台詞には、帝国軍史上でも類をみない素晴らしい英雄とか、万人が模範とすべき艦隊指揮官といった言葉が混ざっており、 はコーエンの世辞も度が過ぎると思ったのだが、それに加えてミュッケンベルガーの定石など知らぬ男発言である。
 コンラッドは過去に何かしら功績を立てていたのかと首を傾げた の隣で、カイルが溜息まじりに言った。
「お前のそののんびり過ぎる認識はどこから生まれるんだ。 提督と言えば、三十年くらい前のパランティア星域会戦で、帝国の英雄と称された人だろう」
「えっ!?」
  は驚きの新情報に黒い瞳を見開き、右隣りの斜め上にあるカイルの顔を振り仰いだ。
 そんなことも知らなかったのかと、その呆れた表情が語っている。
「パランティア会戦で准将だったお前の祖父様は、僅か五百隻に満たない一部隊で敵陣を高速機動で翻弄して敵戦列を瓦解させたって、有名な話だろ、ヘルツ大尉」
 カイルがヘルツへと水を向けると、若き大尉は苦笑しつつ頷いた。
閣下のお名前は、その戦術と共に士官学校の教科書にも載っておりますから、士官の中ではそれを覚えている者も多いと思いますよ」
 重ねて告げられたヘルツの説明の中身にも、 はびっくりするしかない。有能で結構知られた軍人レベルの認識しかなかった にとって、寝耳に水の事実である。
(貴族らしくない有能な人だとは思ってたけど、そこまでとは…五百隻で突撃かますとか掟破りすぎる…)
 厳めしい表情で艦隊戦のセオリーを孫娘に教える人物とも思えぬ、奇想天外な作戦行動である。
 しかし孫娘に政治経済もどんと教えてしまおう、更に軍学もばっちりやるぞ、というお方であるから、第一印象が間違っていたのかもしれないと半年前の初対面を は懐かしんだ。
(あのときは、 の両親の方が突飛すぎてついて行けなかったから…彼らに比べて常識人のように思えたんだけど)
 しかしカールとコンラッドは血の繋がりがある歴とした親子なのだと、この一日で痛感した である。
(二人とも特定の分野に関しては普通じゃない熱意を注いでる、っていう)
 それにしてもオーディンにおける 子爵家の立場というものを失念していたが、単なる辺境の一貴族という認識は、コンラッドが英雄呼ばわりされていることを考えれば正しくないようだ。
「それじゃ、士官学校出身者には 子爵家は知られている、ってこと?」
「貴族社会でも普通に有名だったろう。パランティアの英雄は、皇帝の覚えもめでたいってな。子爵家の門地はそれまでの三倍も与えられたし、退役前は宇宙艦隊司令長官は確実とまで言われてたらしいぜ」
 確認するよう見上げる子爵家の令嬢の認識を、カイルは空々しい笑みを貼り付けた表情で訂正した。
「ついでにだな…」
 空笑いの顔を令嬢の耳元に寄せたカイルの口から語られた展開に、 はカイルがなぜ作り笑いをしているのかという理由を知ることとなった。
 傍から見れば他愛ない笑い話をしているように見えるだろうが、実際の会話の中身は、あまり大声でする類のものではない。
「お前の祖父様はそれで色々と妬みも買ったらしくて、パランティア以降は地味な後方支援にばかり回されて、たまに戦果も上げたが英雄と呼ばれた割に、その後はあまり昇進しなかった。挙句に負け戦の殿やらされて、生き延びたものの足を負傷、そのまま退役、辺境の領地に引っ込んだ、と。社交の場には顔を出さず、付き合いも悪いから宮廷内では殆ど忘れ去られた 提督だが、宇宙艦隊司令長官の席に近い所にいるグレゴール・フォン・ミュッケンベルガーとの個人的友誼やら、今日会ったエーレンベルク軍務尚書やら軍内の伝手は多いらしい。政治的にはどこの門閥貴族にも近寄らず、領地経営は順風満帆、祖父様個人も子爵家も評判は悪くない、というのが俺の知っている情報だ」
  子爵家に雇われようと決めた頃に調べ上げたのだろう。まことに優秀で抜け目のない情報屋である。
 コンラッド個人の性格を見ていれば、権勢争いなど興味はなさそうであることは伺えた。しかし政治感覚が不足しているようにも思えないので、面倒事に懲りた後に学んだのかもしれない。
(そっか、祖父様って過去の栄光の人って感じだったのか。 子爵家は貴族内ではちょっと落ちぶれたけど、そこそこいい家柄?)
  が思案していると、それで話は終わりではなかったようで、顔を離したカイルは今度は本物であろう、にやりと揶揄を含んだ笑みを口に描いた。
「だが最近は、コンラッド・フォン・ とは別のところで、貴族の間で 子爵家は有名になってるって情報も掴んでる」
「……へえ、何で?」
 カイルを見れば、何かを悪巧みをしているような含みある目をしている。
(あー、嫌な予感が…)
・フォン・ って娘が名門ブラウンシュヴァイク家のエリザベートと懇意にしているだけでなく、ヴィーゼ家の御曹司と仲良く恋文をやり取りしあって、恋人じゃないかと騒がれているからだ。貴族という生き物は、人間関係の噂には耳聡いからな。どちらも勢いある家だから、その両方と繋がっている 子爵家の令嬢はどんな奴なんだと、探ろうとしている情報屋は沢山いたんだ。まあ仕事の一環としてどいつにも丁寧にお帰り願っていたんだが、こうして本人がオーディンに来たとなると、隠しようがないよな。ついでに尋常ならざる軍事的素養まで見せつけて、裏でどんな情報が飛び交うことやら」
  は思わず頭を抱えたくなった。
 リップシュタット戦役までの人生十年計画がはっきりしない内は、辺境で地味な悠々自適の勉強生活を送ろうと思っていたというのに、既に の名が人に知られ始めているとは考えもしなかった。
(確かに噂になってるとは薄々わかってたけど、そんな話になってるとは…)
 いまいち貴族感覚がわかっていない は、正直なところ自分の行動がどのような波紋を描くか想像が及ばないところが多々あった。
 婚姻も権力争いの手段としている貴族にとって、交友関係は非常に関心を呼ぶトピックなのだ。
「何でもっと早く教えてくれなかったの」
 恨みがましく睨む の視線をカイルは鼻で笑い、むくれる少女の額を人差し指で軽くつついた。
「言ってもお前はブラウンシュヴァイクの誘いを断れないだろうし、我が身可愛さにヴィーゼ家の奴との付き合いをやめる性格でもないだろう? いいんじゃないか、知名度が上がれば結婚相手もわんさか寄ってくる」
 カイルの軽口を、 は冗談じゃないと強く否定した。
「結婚には今のところ微塵も興味ないから、面倒が増えるだけで全然よくない」
  の本音である。貴族令嬢に望まれる要素を考慮すれば、結婚など地獄にしか思えない。それに、相手を見繕う気も今のところ皆無だ。
 ぷいと顔を逸らせば、カイルは更に愉快そうに笑い、ヘルツは令嬢の問題発言を臣下の心得として聞かなかった振りをした。
(でも逃れられないんだよね)
 本当のところ、 としても理解している。
 子爵家の一人娘であれば、婚姻は不可避のイベントだ。貴族の相続には血の繋がりがある後継者が必要で、 には子を産む『義務』が課せられている。なんだかんだいって、今の ・フォン・ の身分なのだから、その辺の義務もゆくゆくは負わなければならない気もするのだ。中身が別人だから、で済む問題でもない。
(だけど、まだ無理! っていうか、普通の相手じゃ根本的に無理!)
 まだ自由奔放にやりたいことを追求したいし、夫を陰で支える妻の鏡なんていうのは、そもそも性格的に難がある。そして銀河帝国で求められる貴族女性の内助の功レベルは、遙か高みに位置するに違いない。それを求める相手とは、円満な恋人や夫婦にはなれそうもない。
  は相変わらずの開き直りで、とにかくまだ10歳ということを盾にして誰に何を言われても結婚関係の話は当分突っぱねようと決めた。
 けれども は、別れ際にミュッケンベルガーに釘を刺されてしまった。
「我が軍にも女性兵はいるが、あくまで後方支援要員であって、前線指揮など例がない。個人的にフロイラインの才能は素晴らしいと思うが、酔狂なあやつを喜ばせるのも程々にしておくことだ」
 腕組みをして忠告をくれたミュッケンベルガーに、 は苦労人がここにいる、と思った。
 令嬢らしからぬ突飛な勉学を諫めるというよりは、友人の孫娘が心配で声をかけたという雰囲気だったので、 はありがたくミュッケンベルガーの心遣いを受け取って礼をした。
「ありがとうございます。私も軍人になろうなどと大それた夢は抱いておりません。ただ、今は何事も楽しみながら学びたい一心なのです。それに祖父が喜ぶと、私としても嬉しい気持ちになりますし」
 基本的に老人には優しく、が のモットーである。
 それにコンラッドと が共に過ごす時間が増えたことで、 子爵家内では以前より家族の会話も密になったのである。娘を気にするカールやヨハンナが、コンラッドに授業の様子や統治府での行動を訊ねるからだった。(そして恐らくヘルツ大尉やカイルからも聞き出しているに違いない。)
 ミュッケンベルガーは、祖父想いの孫娘の言葉に心を打たれたようで、何かあればおれが力になってやろう、という約束をくれた。さらには、先ほど が必要ないと考えた男女の出会いまで用意してくれるつもりのようで、 は苦笑するしかなかった。
「おれにも孫がいる。いま15で幼年学校に通っているが、来年からは士官学校へ進む予定だ。話も合うだろう。今度、会ってみるのもよいのではないか」
「……機会がありましたら、是非」
 そう言う以外に、相手の好意を無にしない返答があるだろうか。
  にはロイエンタールのごとく、低温で相手を冷やすような発言は致しかねたのだった。




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