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 ロイエンタールとの邂逅の後、 は案内されてコンラッドらと共に戦術論の授業を見学した。
 大学の大講義室のような半円の斜面の最後方にある扉をくぐれば、部屋の正面で教官が航宙図を示しつつ説明をしているようである。
 そこでまたも、一方的に見知っている顔を は見つけた。
「A艦隊総数は約三万で、このポイントにこのように配置されている。対するB艦隊は劣勢の二万である。この場合、B艦隊はまずはA艦隊を二分することを考えねばならない。B艦隊がこのように移動するならば、A艦隊は側撃を防ぐため左翼を突出させねばならない。とすれば、B艦隊は敵分断の好機が訪れるという…」
 つらつらと説明を聞いていると、なるほどセオリー通りの手順を踏んで艦隊が移動すると想定した戦術を展開させている。
  は教官の戦術に、ミッターマイヤーがこき下ろすだけのことはあると納得していた。
 先ほど戦ったシミュレータのAIと同じである。教本通りの合理的行動であればあるほど、先読みは簡単である。
(理屈倒れのシュターデンか)
 士官学校の教官で、後のリップシュタット戦役では貴族連合側に所属するものの、理論に忠実な作戦を逆手にとられミッターマイヤーに敗北する人物だ。
 神経質そうな痩身で、ぴかぴかに磨き上げられた靴と眼鏡に一分の隙もない軍服の着こなしから、彼の性格が見て取れるというものだった。
  の喜びの度合いは、当然ではあるが高まるはずもなかった。
 だってやられ役だし、とは腹の中でこっそり呟いたことである。
「教本通りの戦術であるな」
 現役で叛徒たちと一戦で砲撃を打ち交わすミュッケンベルガーは、鼻を鳴らして授業を評す。
「彼の云うように叛徒どもが動いてくれれば、我が帝国軍は全く傷つかずに済むものだが…」
 けれど実戦ではそう簡単に事は運ばぬ、と言葉にされなかった語尾に含まれた色を、 とコンラッドは読み取っていた。
「定石を学ぶことは悪くない。ただ、それに雁字搦めにされるようでは、良い指揮官とは言えぬがな。そうだろう、ミュッケンベルガー」
「卿が言うからこそ、真理とも思えるものだな。定石など知らぬかのように戦っていた男が」
「なに、定石を心得ているからこそ、できることがあるというものよ」
(……もしかしてコンラッド祖父様って、指揮官としては型破りな人だったのかな)
 往年の指揮官たちの会話に耳を澄ませていた は、ミュッケンベルガーの発言の一部分にひっかかるものがあった。
 コンラッドが軍学に関しては熱心すぎる部分があることは思い知ったことだが、そのコンラッドは現役時代、どのような軍人であったのかということに、今更ながら興味を抱いた である。
 まさか教えを受けている孫娘が、貴方はどれだけの軍人だったのか、と当の本人に言うのは憚られるので、ヘルツ大尉あたりに訊いてみよう。
 そう考える は、再びコンラッドに軍学の授業のようにシュターデンの戦術の不備を訊ねられた。
(見学じゃなくて、なんかもう特訓ツアー?)
 またか、と思ったのは だけではなかったようで、ミュッケンベルガーも非常に複雑な表情を見せている。
 ミュッケンベルガーが友を諫めなかったのは、諦めの境地に達したからというよりは、幼い少女がどのように答えるのか興味を抱いたからであった。しかし常識的観念が、そのように思う自分は友の朱に交わりつつあるのではないかという危機感を抱かせたので、期待と危惧が渾然となった表情になったのである。
 溜息を堪えつつ、しばらく考えて は淡々と語った。
「私がA艦隊を指揮するなら、B艦隊の動きに対して定石にならって左翼を展開させることより、右翼を動かして包囲することを選ぶでしょう。敵の意図がこちらの分断にあると容易に想定できるのに、わざわざ相手の予想に沿ってやる必要はありません。あの教官の仰るA艦隊の行動の想定は、やや理論に忠実すぎるようです」
「では、A艦隊がお前の言うように動くとして、B艦隊を指揮するとすれば、どうするかね?」
 だいたい最初の問いかけをされた時に、次にそう問われることも予想していた は、間を置かずに答えを返す。
「戦略的な目的にもよりますが、B艦隊は数の劣勢を機動力に変えて、側面もしくは後背からの攻撃を試みるのがよいのではないでしょうか。数の多さが有利となるのは、戦略、戦術ともに幅が広がるからですが、相手に艦隊の全力を出させないようにすることも、戦力を二分することと同じです。後背や側面から高速機動で突入し、敵戦列を崩して翻弄すれば、数の優位性が発揮されにくいと考えます。注意すべきは、B艦隊の練度でしょうか。艦隊運用や編成をうまくやらないと、高速機動は難しいでしょうしね」
(ちょっとミッターマイヤーの受け売り入ってるけど)
  は性格上、座して待つことが苦手なので、『やられる前にやれる』機動力の高さを魅力的に感じ、自身もシミュレーションでは高速機動を重視していた。あちらにいた時もゲームでは先手必勝をモットーとしてきたので、疾風ウォルフは今のところ の心の師匠だったりする。
 ただコンラッドやヘルツには、しばしば好機を待つべきだと諭されたこともあり、近頃は慎重に行動することも心がけてはいる。
「うむ。なかなか良い着眼点だな」
 コンラッドが頷いて話をひと段落させたところで、 たちはコーエン校長に促されて講義室から出ることになった。視察はまだまだ続くようなのだ。
(あーあ、それにしてもここには誰もいなかったな)
 残念に思いつつ、 は次の場所には誰かいればよいと願いつつ、コンラッドとミュッケンベルガーの大きな背を追った。

 連れ立って講義室を出て行く一行を、振り返る者がいた。
(あの子供…)
 講義室の最後列で、退屈な授業を隠し持った艦隊運用に関する論文を読みつつ聞き流していた士官候補生である。
 教本通りの説明を機械のように垂れ流すシュターデンの講義に、彼は特別の価値を見出しえず、講義の間にはそうして自分が関心を持つ分野の図書やデータを読んでいたのだった。
 彼は神経質そうな痩身の教官に対し、普段から胸の内でさんざん悪態をついていた。
(理屈倒れのシュターデンめ。お前の戦術がまずいことくらい、この俺でもわかるぞ)
 もしも自分が彼と対戦することがあれば、シュターデンの杓子定規な理屈に合わせて動いてやるものか。逆に容易に予想できるシュターデンの戦術を逆手にとって袋叩きにしてやろうと、彼は蜂蜜色の収まりの悪い髪を弄びながら常々思っていたのである。
 シュターデンが知識豊富な教官であることは認めるとしても、その生真面目な性格から細かい服装の乱れをあげつらったり、戦術の不備をねちねち問い質したりと、人間的な尊敬や好意を向けられる相手ではないことが、彼に憤慨を抱かせていた。
 そんな心境であったので、彼はシュターデン教官の授業ではもっぱら最後列端が定位置であった。
 出入りする講義室の扉の真ん前の席であれば、授業が始まる直前にそこに座り、終わった直後にその場を去ることができるし、滅多にシュターデンは後ろの方まで来ないので、心置きなく自習に励むことができたのだ。
 けれどもその日は、講義が始まって20分ほど経った頃に背後の扉が突如開かれ、彼は隠し読んでいた論文を慌てて仕舞い込むことになった。
「ただいまこの大講義室では、シュターデン教官による戦略論の授業中です」
 士官学校内ではシュターデンと並んで嫌われ者の座を占めるコーエン校長の声に、彼は素早く視線を走らせてそちらを確認した。
 午前中に堂々たる口調と内容の講演を行って『下さった』ミュッケンベルガー上級大将と、その彼と同年代の貴族と思しき人物がまず目に入った。そしてその直ぐ側に、周囲の男たちの半分ほどの背丈しかない小さな女の子が一人、護衛たちと共に立っている。
 彼は隣席の友、シュテファン・フォーゲルに顔を寄せ、あの見学者は何者かを訊ねた。
「ミュッケンベルガー上級大将はわかるよな。それで、その横の細身のお方は、さっきの休み時間に先輩が話してたけど、『あの』 提督らしいぜ。それで、あの子供は 提督の孫なんだと」
 そこでフォーゲルは、これみよがしな息をついてみせた。
「女の子が来たって言ってたから期待してたのに、あんなに小さいなんてな。あーあ」
 士官学校は男ばかりの空間である上、週一度の休日以外は寮と学校を往復する日々ゆえに、女の子との交流が著しく乏しいのだった。帝国軍人を目指しているとはいえ思春期のただ中の男ばかり、異性に無関心でいられるはずもなく、士官学校を訪問中の『女の子』の噂は瞬く間に広がった。
 けれど、フォーゲルはどうやら噂を伝えてもらった先輩に一杯食わされたようである。『女の子』の年格好を、あえて知らされていなかったようなのだ。
 彼が見たところ黒髪と黒目の可愛らしい少女は、10歳前後に見えた。
(初めて会ったときのエヴァより、ちょっと小さいよな)
 育ちの良さが伺える小綺麗な格好をして、静かに大人たちの中に佇んでいる。
「なんだ、ミッターマイヤー、ああいうのが好みなのか? よせよ、貴族の娘なんて俺たち平民には高嶺の花だぜ。それに見てくれがいいだけで、頭はからっぽに違いないんだ。俺たちを人とも思いやしないような、別世界の人間だ」
 蜂蜜色の髪の士官候補生――ミッターマイヤーは、少女を視界から外して、友人を小声で諫めた。
「よく知りもしない相手を悪く言うのはやめろ。貴族も人間には違いないだろ。あと、俺の好みはクリーム色の髪にスミレの瞳の…」
「エヴァちゃん、だもんな」
 からかうように笑うフォーゲルを肘で小突いていたところ、彼らの背後で 提督とその孫が会話を始めた。
、あの教官の言う戦術にはどのような欠点があるかね?」
 少女の名は というらしい。
 だがそれよりも気を引かれたのは、会話の内容である。ミッターマイヤーはフォーゲルと顔を見合わせた。
(何やってんだ、あれ)
(わからん、あの って子供に訊いてるみたいだが…)
 幼い子供、しかも女の子にそのような問いをするとは何の戯れだろうかと話していると、間を置かずに少女の理路整然としたシュターデンの戦術に対する指摘が耳に入ってくる。
「……私がA艦隊を指揮するなら……」
 士官候補生もかくやというほどの外見に見合わぬ説明に、フォーゲルがくぐもった呻きを漏らした。
「まじかよ…おかしくないか、あれ」
 ミッターマイヤーの胸中も、感嘆に占拠されていた。
  という少女の言葉は、まさに彼自身も思っていたことだからである。そして、さらに続いた戦術案にミッターマイヤーの胸はさらに興奮を覚えることになった。
(同じ事を考える奴がいた!)
 高速機動の艦隊運用で数の劣勢を補うという戦術は、彼も好んで用いるところだったので、この授業における艦隊の条件設定に対し、ミッターマイヤーも少女と同様の戦術を想定していたのだ。
 ミッターマイヤーは知るよしもないが、 はまさに彼を模範に見立てて戦術を考えていたのだから、似通うのも当然なのだった。
「貴族の娘というのも、捨てたもんじゃないのかもしれないな」
 フォーゲルの呟きに頷きつつ、ミッターマイヤーは講義室から去りゆく少女の後ろ姿を見ずにはいられなかった。
提督の孫、か)
 世の中はまだまだ自分の知らぬ才ある人物がいるのだと、ミッターマイヤーは蜂蜜色の髪をかきまぜて天井を仰いだ。
 シュターデン教官の授業は、その後も当然、身が入らなかった。
 彼の脳裏には、高速機動を用いた戦術の応用案で占められており、機会があれば という少女とそのことについて語り合いたいと、叶いそうにない願望を抱いた。
 だがそれからずっと後に、その願望は彼自身が思いも寄らぬ意外な形で実現することになるのだった。



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