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 士官学校が迎えた賓客たち―― 子爵家一行とミュッケンベルガー上級大将――の様子を、静かに注視する者がいた。
 コンラッドはその存在に気付き、笑顔を向けて杖をついていない方の手を差し出し呼び寄せる。
「さすが成績優秀ということだけあって、君の指揮は見事なものだった」
 先程まで対戦していた敵艦隊の指揮官だろうと、 は背後から歩み寄る相手を振り返り、そしてそのまま動きを停止させた。
(って、きたよこれ…)
 午前中にオーベルシュタインと遭遇したときと同等か、それ以上の衝撃レベルである。
「過分なお褒めに預かり恐縮です」
 珍しい青と黒の金銀妖瞳を持つ士官候補生は背筋を伸ばして数歩進み、 の真横、コンラッドと相対する場所に立つ。
 まさかのご登場、と はその姿から目を離す事が出来なかった。
「私の孫も、さすがに貴官には勝てぬな。あれほど隙のない指揮をその歳でしてみせるとは、将来が楽しみだ。 、彼は先ほどお前の相手をしてくれた士官候補生だ」
 コンラッドが掌を孫娘へ導くと、色違いの双眸がそれを辿るよう を見下ろした。
 鼓動が早まってしまうのは、緊張のせいばかりではないだろう。
「オスカー・フォン・ロイエンタールと申します」
 見慣れたはずの右手を顔の傍に上げる敬礼という動作を、いまだ少年期の若さを少し残したロイエンタールは見事としか言いようがないほど美しく施してみせた。
 顔つきは若いのだが、ぴっちり額を出す髪型や、どこか冷淡さを宿す黒と青の異なる色彩の瞳は の知る(もちろん、あちらの世界でですよ)ロイエンタールの趣きそのままだった。趣きも何も、当人なのだから違いようがないのだと、突然の邂逅の衝撃から素早く理性を再起動させた は思った。
 士官学校という場ゆえに出会いがありうると心の準備をしていたことと、数時間前のオーベルシュタインとの遭遇が動揺への耐性を与えていたため、 の思考回路も一応は正常に機能しえたのだ。
(落ち着けー、初対面なんだから)
 一方的に知っているというのも、やりずらいものがある。
 緊張と困惑を押し隠し、 は意識的に素っ気なく儀礼的範疇を逸脱しない挨拶を返した。
「はじめまして、ロイエンタール様。わたくしは ・フォン・ と申します。先ほどは祖父とわたくしの我儘にお付き合いくださって、ありがとうございました。本当にお強くて、わたくしなどやはり足元にも及びませんでした」
 とりあえず伝えるべきは、シミュレーションの対戦相手を務めてくれた礼だろうと軽く頭を下げる。
 同時に先程の機械上の艦隊戦で感じた洗練された指揮ぶりに、深く納得した。
(そりゃ、勝てないわ。だって未来の『帝国の双璧』の片割れだしね)
 この先オスカー・フォン・ロイエンタールは、ウォルフガング・ミッターマイヤーとともに武勲を重ねて出世街道を駆け足で上り、ラインハルトの麾下では並々ならぬ働きをして、ゆくゆくは元帥の位に任じられるのだ。
 まだ士官候補生とはいえ、そのような人物に付け焼刃の教育とゲーム感覚でシミュレーションをやっているような が、敵うはずがない。
 顔をあげると、ロイエンタールが相変わらず感情の見えない表情でこちらを観察するように見ていた。
(……私、何かやったかなーって、やっぱ艦隊指揮できる子供って異常か)
 恐らく変な子供だと思われているのだろうと想像しつつ、 も金銀妖瞳の色合いの妙や、『あの』ロイエンタールが正面にいるとあって視線をそらす気にはなれず(勿体ない!)、計らずも見つめ合うことになった。

 ロイエンタールが黒髪の令嬢に抱いた印象は、 の予想のごく至近距離に位置していた。
(このような子供だったか。しかも女児とは)
 先刻のシミュレーションを思い起こし、自身の抱いていた人物像と実物との齟齬に、ロイエンタールはその平静な表情の下で思うところも多かった。
 彼が 子爵家の令嬢と対戦を行うことになったのは、普段は居丈高に訓示という名の下らぬ演説を垂れ流すばかりの士官学校校長の『おかげ』であった。
 同学年の士官候補生との模擬艦隊戦に圧勝した彼に興味を抱いた賓客たちに紹介され、退屈な讃辞を浴びた後に早々に退散しようと思っていたところ、コーエン校長が余計な口出しをして、なぜか 閣下という帝国軍の遺産の孫とシミュレーションをさせられる羽目になったのだ。
 いくら高名な指揮官の係累とはいえ、血縁が才能を保証しないことは現在の帝国貴族の有様を見れば明らかである。ロイエンタールは己にとって時間の無為と知りつつも、命令であるからには受諾せざるをえず、内心の不満を押し隠して再度シミュレータのヘッドセットを装着した。
 どうせ物見遊山ついでの子供の我儘と辟易していたロイエンタールだったが、いざ対戦を始めてみれば、その考えは己の先入観に過ぎないことを目の当たりにすることとなった。
 要所を抑えた砲撃で簡単に撃ち崩せるはずが、意外なことに 卿の孫は幾度となくロイエンタールの会心の一撃をかわし、艦隊の体裁を保ったまま策を弄してきたのだ。
  は一方的で完全な負けを喫したと思っていたが、中距離で主砲を撃ち合っているところに強襲揚陸艦で旗艦に陸戦隊を突撃させるというヤン印の奇策は、ロイエンタールに焦燥を味わわせる成果を上げていたのだった。ロイエンタール側の情報表示では、旗艦への敵陸戦隊の浸透度が制圧寸前までになっていたのである。
 だが敵旗艦を撃沈する方が数瞬早かったので、ロイエンタールの優秀な士官候補生としての体面は保たれたのだった。
(貴族の馬鹿息子かと思ったが、案外やる)
 同期の士官候補生でさえ、そこまで彼を追い詰めた者はいなかった。
 ゆえにロイエンタールは、幾許かの興味をもって対戦相手の姿形や人となりを確認しようとシミュレータから出て、そして閉口することになった。
 孫とは訊いていたが、そこにいたのはどう見積もっても10歳程度の子供、しかも令嬢だったからである。
 彼が想像に描いた才気溢れる同年代の男とは似ても似つかぬ年恰好に、さしものロイエンタールの心中も波立たずにはいられなかった。
(この子供が、さきほどの策を?)
 もしも自分が対戦したのでなければ、ロイエンタールは という子供が優れた艦隊指揮をしてみせたという話を、鼻で笑い飛ばしただろう。しかし彼は件の少女がシミュレータから出てきた瞬間を目撃していた。別人が操作していた可能性も考えたが、自分をそのように謀っても何の利益も存在しないだろうとも思う。
 ロイエンタールは己の困惑を払拭するため、幾つかの質問を令嬢に対して投げかけた。
「ヨアヒム・フォン・ブッフバルドの戦術論をご存知か」
「え? は、はい。帝国歴350年代に反転攻勢について論じられた方、でしたよね」
 いきなりコンラッドの軍学授業ばりに軍事学のマイナー理論をロイエンタールに尋ねられた は、目を丸くしつつも何とか答を返した。
 急にロイエンタールとのロマンスが始まる(人間、夢が必要よね)などという期待はしていなかったが、一般的な会話ですらない特殊分野のネタを振られるとも思っていなかった。
 しかしめぼしい軍事理論を問われても、そこはこの半年のコンラッド直伝の知識で回答可能なのだった。戦略や戦術の主流が時代によって変化していくことに、政治や経済、思想を重ねながら は楽しく学んできたのだ。そして10歳の子供の暗記力は、呆れるほどに素晴らしかったので、おおよその名前や理論の内容は暗唱できるようになっていたのだ。
 つくづく自分は普通ではなくなっていると、ある意味感慨深くもある だった。
「では戦列入れ換えに際して長距離ミサイル艦運用の導入を提案したのは?」
「フィーリプ・フォン・カントですか? けれど結局、帝国軍でミサイル艦は殆ど運用されず、駆逐艦の仕様を変更することで戦列入れ換えにおける攻勢と守勢のバランスを取ることにしたっていう流れになりましたよね」
「最近、軍では戦艦主砲の性能を変更しようという話が出ているらしいのだが」
「現在採用されているものより大口径で、短時間充電で連続砲撃可能な砲を搭載したいという話があるって、お祖父様が仰っていました」
 ロイエンタールは、先ほどの対戦相手が己より十近く年下の少女で、しかも『本物』であることを認めざるをえなかった。
「フロイライン・ は、普通の令嬢ではあらせられぬのだな」
 金銀妖瞳の麗しきお人にまじまじと見つめられ言われる台詞がこれかと、 はコンラッドを責めるべきか、それとも軍学も結構楽しく取り組んできた自分の選択を恨むべきか迷った。
「よく、言われます」
(とほほ…)
  は内心項垂れつつ苦笑して、ロイエンタールの言を肯定した。

 見つめ合う若き二人を見守っていたミュッケンベルガーは、同じく会話に聞き耳をたてていたコンラッドに向かって、やや責める口調で祖父としての非常識を問い質した。
「軍学や艦隊指揮など、やはり男に教えるべきことだ。孫娘の幸せを考えるのならば、もう少し別の娘らしい教養を学ばせろ。卿も聞いたであろう、折角の男女の出会いというべき場面で、普通ではないと言われているぞ」
 ミュッケンベルガー家は伯爵の位にある、 子爵家と同様の代々軍人を輩出する伝統ある貴族の一員である。
 貴族というのは淑女に対する儀礼を重んじるのだが、それは同時に女性の役割は家を守り、子を産むことに限定していることでもある。そのため、ミュッケンベルガーが述べる孫娘の幸せというのは、カールやヨハンナがしばしば言うように、良い男性と添わせることを指していた。
(めっちゃ聞こえてます、ミュッケンベルガーおじ様。確かにロマンスから遠ざかっていると思うけど、同意できない気もするし、というかまだ10歳だし!)
「本人が望んで学んでいることだ、良いではないか、普通でなくとも幸せであればよいのだ」
 確かに最初に更なる勉強を望んだのは、他ならぬ 自身だった。訳も分からず子爵令嬢になってしまい、けれどもとにかく学ぶことが必要だと思ったし、この世界の知識を得ることに興味もあった。
 しかしその先の恋愛やら結婚やらは、まったく考慮したことがない である。
(そうか、普通じゃないと恋愛はし難いのか)
 そもそも自分は、この世界で何をどうしたら幸せになるのかすらもまだわからないのだと、 は思案する。
(やっぱり考えなきゃいけないよね…)
 簡単に答えの出そうにない問いが、頭を駆け巡る。
 何をしたいのか。何をせねばならないのか。そのために、何が求められるのか。
 どうやって生きていくのか。誰と生きていくのか。どこで、何をするのか。
 そして が知るこの世界の未来に、どのように関与していくのか。
 目の前の金銀妖瞳の青年の死に様を、知っている。
 その心に抱いている闇の深淵さえも、 の知るところなのだ。
  ・フォン・ としての人生を、一度、真面目に考えるべきだろうと、 はロイエンタールを見上げつつ思う。
(私はあなたの幸せを祈ってるけどさ…どうすればいいんだろうね)
 戦いに生の実感を見出す、という男に、戦い以外の幸せがあるのだろうか。
 考え込む をよそに、ミュッケンベルガーは堂々たる声を張り上げて旧友へ反論している。
「孫娘が結婚できなくなるぞ。このように軍学など学ばせて、それこそ普通の男が喜んで迎えると思うのか、卿は」
「なに、喜ぶような男を見繕えば良いではないか。我が子爵家には財も身分もある。 の結婚相手に求められるのは人柄だけだ。私としては更に有能な軍人だと文句はないのだがな」
 コンラッドはミュッケンベルガーの主張にもどこ吹く風で、大胆な発言をしてみせた。
(変わった家柄だ)
 ロイエンタールは、 という名の少女とその祖父たる往年の名指揮官を見比べ、このように貴族的基準からかけ離れた価値観が子爵家の人間が持ちうるのだと、新鮮な思いがした。であればこそ、軍学を学ぶ令嬢が存在しうるのだと、納得する部分もある。
(しかし、俺には関係ないことだ)
 ロイエンタールは奇特な子爵家と令嬢の存在を知っても、特に心動かされることはなかった。
 ただコーエン校長の言いつけでその風変りな令嬢のシミュレーションによる艦隊戦の相手を務めただけであり、ロイエンタールは以降も少女と縁を結んで行く必要性があるようには思えなかったのである。
 令嬢とは今後、どこぞのパーティで出くわすこともあろう。けれども、今だ幼い ・フォン・ に対して、ロイエンタールは異性としての興味も抱きようがなかったので、声をかけることもなかろうと考える。
 ふと視線を落として黒髪の令嬢を見ると、どこか憐憫にも似た色を浮かべた瞳でこちらを見ていた。
「何か?」
 問えば、少女は一度ゆっくりと瞬きして静かに首を振った。
「いえ…じっと見つめたりして、失礼しました。今日はどうもありがとうございました。またお会いできる機会があれば、その時にはゆっくりお話させてください、ロイエンタール様」
 金銀妖瞳を見ていたのだろうかとも思ったが、それにしては好奇の色が見えないと、ロイエンタールは己の思いつきを否定する。
(俺の何を見ている)
 軍学を嗜む大人びていて賢い少女、その認識以上の関心を、そのとき初めてロイエンタールは抱いた。
 コーエン校長が間に入り、次の視察場所へ移動することを提案し、賓客たちは連れ立って去って行った。
 敬礼を捧げて見送ったロイエンタールは、色々な意味で標準的ではない令嬢の名を反芻した。
・フォン・ か)
 そうして、ロイエンタールの脳裏にその名が残されることになった。




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