BACK NEXT 子爵TOP


30



 結論からいえば、 はAIに対しては危なげなく三戦三勝という、コンラッドの熱心な軍学教育の成果を実感することとなった。
「艦隊中央部、特に回頭中の艦に全艦主砲、三連斉射を加えよ」
 目の端に、残り弾薬やエネルギー量が40%台になると点滅する表示を捉えつつ、 はこれが最後だとばかりに全面攻勢を指示した。
 すでに三戦目でAIのレベルも上がっているはずなのだが、状況は有利の一言に尽きた。
<発射準備完了>
 刻一刻と変化する画面を注視しつつ、敵が反撃も回避もできないタイミングで矛を突き出す。
「斉射!」
 エネルギーの奔流を表す複数の矢印が一直線に伸びてゆき、敵艦隊を表す赤表示のモデリングと交差する。命中すると同時に、敵残存艦隊数の目盛りが一気に減った。
<敵旗艦消滅しました。敵艦隊潰走で勝利目標条件を達成>
 相変わらず無機質な機械的な声が、シミュレーションの終了を宣言する。
「ふー」
 頭を覆う重いヘッドセットを片手で支え、 は一応は満足の息をついた。
 しかし意外と労せず勝てたことに、 は内心で首を傾げる。
 やはりAIの思考にはある種の偏りがあるのだ。合理性は、突き詰めれば単純な行動パターンにもつながるので、次の一手を読みやすい。ヘルツが言うように、反撃もしやすいということなのだ。
 だがそれにしても、子爵家のシミュレータとの差が大きすぎるよう には感じられた。
 このような本格的な装置を使ってはいなかったが、子爵家にも一応は艦隊戦のシミュレーションが可能な機器があったので、 は以前にもそれを使ってAIやコンラッドとも対戦していた。そして は、コンラッドに勝てないのは勿論(ちなみにヘルツ大尉にも相手をしてもらったが、優しい顔してあっさり策に嵌めてくれた)、AIにすら幾度となく負けを喫していたのだ。チャンスだと狙って前進したらまんまと十字砲火を浴びる羽目になったり、思わぬ伏兵に補給船団を壊滅させられたりと、シミュレーションゲーム好きの名を返上せねばならないほど、容赦なくぼこぼこにされてきたのである。
 そのため、士官学校のシミュレータというからには、子爵家のそれ以上に難易度が高く設定されているのだろうと は負けを覚悟で臨んだのだが、受けるダメージの大きさや、敵艦隊の機動速度は予想より遥かにぬるかった。狙われたら痛いかも、と思う部分から気をそらそうと が手を打てば、それに簡単に乗ってくれる単純さだった。
(もしかして、あのシミュレータは祖父様仕様だったのか…)
 今更ながら、子爵家のAIはコンラッドの満足するくらい洗練された指揮能力を与えられていた可能性に思い当たった である。
 シミュレーションゲーム好きの名にかけて、せめてAIには勝ちたいとシミュレータに齧り付く の陰で、コンラッドはほくそ笑んでいたかもしれない。
 護衛として傍にいたヘルツ大尉がシミュレーションに勤しむ令嬢を初めて見たとき、微妙に半笑いだったのを思い出した である。実はそれがある種の悟りゆえの表情だったのかもしれないと、今になって思うのだ。
 コンラッドはやはり策士だと項垂れながら、 が三次元ゴーグルを外そうとしたところで、目の前に通信画面が開いた。
、もう一戦どうかね」
「お祖父様…」
 晴れ晴れとした満面の笑みを浮かべたコンラッドが、再び素敵過ぎる提案をしてくれる。
「今度はAIではないぞ。優秀な士官候補生が相手をしてくれるというのだ」
(何この権力の濫用)
 見物にやってきた単なる民間人の孫に士官学校のシミュレータを使わせるだけでなく、そこで学ぶ生徒と対戦させるなど、無茶と迷惑にも程があるのではないか。
「しかし、それではご迷惑に…」
「いえいえ、どうぞお気になさらず。候補生も光栄に思うことでしょう。すでに準備を命じました」
  が躊躇いがちに遠慮を伝えると、横合いからコーエン校長のおもねる声が割り込んだ。 卿のわがままに便宜を図ることでポイントを稼ごうというのだろう。
 画面の端には、諦め顔のミュッケンベルガーが見えた。好きにすればいい、という感情がありありと見て取れる。
「よいではないか、どうせ一度きりの機会だ。今度はAIのように簡単にはいかんだろう。健闘しなさい」
 結局のところ、 が提案を拒否する暇など与えられず、通信画面はひょいっと消えた。
 新たな戦いに追いたてるようシミュレータが再び駆動し、 の目の前に情報を羅列してゆく。
(は、はは……もういいや、AIだろうが人間だろうがやることは一緒だし)
 毒を食らわば皿までと、 はシミュレーションの戦闘情報を分析して、指揮系統や戦列の艦種構成を入力していく。戦闘条件は一番最初のシミュレーションと同じく、地形要素がほぼない一万対一万の艦隊戦である。
 そして再び、 は砲火を放つ宣言を下した。
「ファイエル!」
 先程までとは違い人間相手だと気を引き締めてかかった だったが、やはり『優秀な士官候補生』の指揮する艦隊は桁外れに強かった。
 厭らしいほどに的確に痛い部分を突かれ、幾度となく戦列崩壊の危機に直面した だったが、そこはコンラッドに苦杯を舐めさせられた教訓を生かし、よく守り、よく戦った である。
(うわー、一方的な攻撃すぎる。なにか反撃の隙を作らないと…)
 味方艦艇数の目減りする速度に焦燥を感じつつ、 は策を考える。これがもし実戦であったなら、 は迷わず退却を選んだだろう。損耗率が3割を超え、まともに戦っては勝ち目がなさそうだとわかっているからである。
 しかしシミュレーションではどちらかの旗艦が制圧もしくは撃沈されることが勝利条件なので、撤退できない はまっとうな手では勝てそうにないと、先人に倣うことにした。先人といっても今はまだ表立って現れていない魔術師ヤンの戦術を、 は『ズル』をして用いることにしたのだった。
 負けても痛くもかゆくもない だが、やはりやるからにはできる限り勝ちたいと思うのも なのである。
(ヤンの魔術、使ってみよ)
  が率いる艦隊が旗艦を中心とした戦列を前面に出せば、つられるように敵中央の戦列も前のめりに撃ってくる。そこに旗艦が含まれていることは確認済みだ。敵も旗艦を落とすのが戦闘目標なのだから、当然、餌として旗艦は十分な役割を果たしてくれる。
 集中砲火を浴びることはわかっていたので、それをどうにかこうにか犠牲を出しつつ防ぎ、 は横から強襲揚陸艦を敵旗艦へと向かって突撃させた。中距離での主砲斉射に集中していた敵艦は、懐に入り込む小さな虫を叩き落とすことができず、その使命を全うさせてしまった。
(陸戦部隊は薔薇の騎士連隊ほどの有能設定じゃないから、どうなるかわかんないけど…)
  は、ヤンがイゼルローン要塞をロイエンタールに攻められた際の戦術を真似て、博打を打ったのだった。しかしヤンがこの奇策を用いた時は、旗艦はただの囮であって撃沈されたら終わりというリスキーな策ではなかった。
 今回は自分が撃ち落とされるのが早いか、乗り込ませた陸戦隊が敵旗艦を制圧するのが早いかという、がけっぷち作戦である。
  は二十数年の人生経験があるものの、元は単なる一般人にすぎない。
 戦術戦略だってこの半年でどうにか詰め込んだだけで、士官候補生たちが学んだ分にどれだけ届くのかというくらいだ。だから が持っている強みというのは、知識の中にまだ誰も知らない情報をストックしているということだけなのだ。
 じりじりと敵旗艦制圧の報告を待つが、一向に機械音声は被害状況を伝えてくるばかりだ。旗艦前面に展開させていた防御用の艦、そしてすぐ傍の僚艦がロストし、ぽっかりと開いた道に砲線を表すベクトルが殺到する。
(うげ)
 呻きつつ見守った画面の矢印が向かう先は、 が指揮する艦隊の旗艦である。
 ご丁寧に被弾の衝撃を再現して椅子が揺れ、レッドランプが不吉に点滅した。まことによく出来たシミュレータだと、 は諦観の態で思った。
<旗艦被弾、致命的なダメージ。爆散しました。戦闘続行不能です>
 背水の陣で挑んだ だったが、そうして 側の旗艦は撃沈されてしまったのだった。
(あーあ、やっぱシェーンコップ隊長指揮のレベルじゃなきゃ駄目ってこと?)
 無謀だったかと溜息をつきつつ、 は今度こそヘッドセットやゴーグルを脱いで、シミュレータの外へと出た。
「お疲れ、見事なもんだ」
 出てすぐの場にいたカイルが、明らかに面白がる表情で小さく声をかけてきた。
「最後は負けちゃったけどね」
「国費で勉強してる士官候補生が10歳のお前に負けたら、軍務省が泣くだろうよ。じい様、満足そうだったぜ」
 言われてコンラッドへ視線を向けると、なるほど割と機嫌は悪くなさそうである。
 しかし名高い 提督から最初に放たれた一言は、決してお褒めの言葉ではなかった。
「下策だな」
「うっ」
 それは指揮をしていた 自身が思ったことである。しかし凡人の脳みそには限界があるというものだと思っていると、コンラッドは頭が下がるような指摘を更に加えてくれた。
「旗艦を囮にするならば、撃沈されないようしっかり防衛線を整えなさい。もしくは敵に旗艦を攻撃させないよう、分艦隊をうまく使うような策にするのだな。忘れるでない、今のはただのシミュレーションだが、実際に指揮する艦には何百人もの命が載せられている。ひとつも無駄にできぬ命だ。集中砲火を食らって犠牲を出すとわかっている策ならば、何が何でも成功するような戦術を考案することだ」
  としては、耳が痛い。本格的シミュレーションゲームだと浮かれていたのを、見透かされてしまったようだった。
(うう…はしゃぎすぎた……コンラッド祖父様、さすがに本物の軍人だった人だあ)
「わかりました、お祖父様。次からはもっとちゃんと考えて指揮します…」
 傍で見ていたミュッケンベルガーは、しかし孫娘に指揮が拙いと説教してどうするのだと思ったが、些か貴族的基準から外れた旧友のことだからと内心を口に出したりはしなかった。
(遊びじゃないんだよね)
 士官学校は命がけの戦争に出ていく軍人を養成する場で、シミュレーションも切実さが伴うものだったのだと が意気消沈していると、コンラッドは厳しい顔を緩め、掌を孫娘の黒髪に置いた。
「だがそれ以外の艦隊運用は、上手かったな。AIとの対戦では殆ど艦を消耗しなかったのは褒めてしかるべきことだ」
「そもそも、10歳の娘があそこまで普通に指揮ができることに対して、卿は何とも思わぬのか。おれは卿がこの娘にシミュレーションをさせると言いだした時には正気を疑ったが、実際に見ても今だに信じられぬ。一体、 子爵家ではこの娘にどんな教育をしているのだ」
 コンラッドが笑いながらミュッケンベルガーと談笑する傍で、 はコンラッドに対する 子爵家唯一の常識人認定を取り消すことにした。結局のところ の感覚で常識人ということは、帝国貴族基準でみれば異端ということなのだと、 は改めて思い知ったのだ。
 そして日常生活の中で常識に則った行動をする者も、ある一分野で秀ているということは、それに関しては普通ではないということなのだ。つまり、コンラッドは軍学に関しては『普通』という形容を受け入れない人物なのだと、 は子爵家の一員となって半年目にようやく気付いたわけだった。



BACK NEXT 子爵TOP