BACK NEXT 子爵TOP


29



「こちらはシミュレータ・ルームです。現在は最高学年の艦隊指揮を学ぶ生徒同士の模擬艦隊戦が行われています」
 帝国軍が誇る名指揮官のミュッケンベルガー上級大将と 退役中将というゲストのために、当然の如く戦術指揮、戦略研究専攻の生徒たちの授業がその視察ルートには含まれていた。
「ふむ、懐かしいな」
 コンラッドが顎を撫でつつ、自らもこの場所で過ごした三十年以上の遠い昔を思い出すよう呟く。
 シミュレータ・ルームという名の通り、室内にはまるでゲームセンターのように大型のシミュレータがずらりと並んでいた。個室仕立てのシミュレータ内部では、ヘッドセットやマイクを装着することで実際に命令を口頭で出す訓練を行うこともできるという。さらに、シミュレータ外部に据えられたモニタでは、個室の内側で行われている戦闘の模様が見られるようになっていた。
 コンラッドの教育の賜物で、令嬢らしからぬことであるが、 もそのモニタに映し出される艦隊モデルの意味するところを正確に把握することができる。
 そうして数あるモニタに視線を走らせた は、ひとつの画面に黒い瞳を留めた。
(お、あの右から二番目の青側艦隊すごい)
 隣り合うシミュレータ同士で対戦しているようなのだが、 から見て右から二番目に位置するシミュレータ内にいる士官候補生の操る青艦隊(青いモデリングなので)は、敵側の赤艦隊を翻弄して完膚なきまでに叩きのめしている。
 その圧倒的過ぎる青側の優勢に、コンラッドもいち早く気付いたようだった。
「あの右端とその隣の候補生には、少しばかり実力差がありすぎるな」
「そうだな。赤側が哀れなものだ。戦列が崩れ過ぎて後は狩られるばかりか」
 コンラッドの嘆息に、ミュッケンベルガーが同意する。 も心の中で、二人の会話には相槌を打っていた。
  が見ていた限りでは、そのシミュレーションでは最初は赤艦隊が優勢だったのだ。
 しかし赤側が青艦隊を半包囲網にとらえようとしたとき、青艦隊は網の一点を一気に食い破った。赤艦隊の側背へと躍り出た青艦隊は、その勢いのまま機動を続けつつ、無防備な腹を晒す敵へ砲火を浴びせる。
(ご愁傷様です)
  は赤艦隊を指揮しているであろう士官候補生に同情した。
 赤艦隊側は包囲しようと広げた羽を畳んで戦列を立て直す間もなく、背面から撃たれて穴だらけにされてしまった。あとは一方的な展開である。掃討戦というに相応しい狩りに、おそらく赤艦隊は残存艦艇数0という結果に終わるだろう。
 説明するだけなら単純で、相手の攻勢を誘ったところに逆撃を加えたというだけの話なのだが、全てのタイミングが見事で、かつ効果的な斉射を赤艦隊の要所に突き刺す様子は、目を引くほど卓越した艦隊指揮能力を感じさせた。
「あの士官候補生を、ぜひ我が子爵領に招きたいものだ」
「辺境になど勿体ない。ああいう士官であれば、叛徒どもとの一線にこそ出すべきだ」
 中の士官候補生は誰だと話し合うコンラッドらの傍で、 はといえば羨望の眼差しでシミュレータ見上げていた。相変わらずの好奇心が疼いて仕方がないのである。
(面白そう…さすがに子爵家にもこんなのは置いてないし)
 コンラッドに感化されたこともあって、最近の は少々、艦隊指揮にも関心を抱くようになっていた。
 別に今でも艦隊戦をやってみたいという訳でもないのだが、シミュレーションゲーム好きの血が騒いでいるのだった。不謹慎ではあるが、 は士官学校のシミュレータをゲーム機と同レベルにみなして、本格的な艦隊シミュレーションを味わえるのだろうと考えていたのである。
(うーん、だけどさすがにこんなに人の多い場所で、 子爵家の令嬢は男勝りだって思われるのもね)
 さすがにそれは子爵家にとっても外聞がよろしくないだろうと頭を振った は、見物に精を出そうと内心の欲求を抑えた。
 しかしそんな孫の様子に気付いたコンラッドは、満面の笑みを浮かべて言ってくれたのだった。
「そうだ、 、お前もやってみないかね?」
(って、おい!)
 思わず突っ込んだ だが、コンラッドの隣にいたミュッケンベルガーも目を剥いて数十年来の友人を窘めた。
「卿は孫娘に何を言っているのだ? だいたい、シミュレータは玩具ではないぞ」
「なに、実は私はあの子に色々と教えていてな」
「…まさかとは思うが、軍学をか」
 半信半疑の顰め面で唸るミュッケンベルガーが、今はとても常識人に思えた である。
 半白の眉の間に指を当て、頭痛を堪えるように銀河帝国軍の現役上級大将閣下は深い溜息を落とす。
「おれたちも孫を持つような歳だ。卿も落ち着いて子爵領に納まっていると思っていたが、おれの認識が間違っていた。卿は相変わらず、変なことを思いつくものだ…」
「さあ、こんな機会でなければシミュレータを体験することもあるまい。やってみなさい、
 コンラッドのにこにこ顔の前に、 は応以外の答えを返せるはずもなかった。
(嫌です、なんて言っても今更みんなに私が令嬢らしからぬ勉強してることは、ばれた訳だし。というより、実際に結構やってみたいから、ま、いっか)
  も別にやりたくない訳でなかったので、嫌がる素振りはせず、むしろ傍目には浮かれているといってもいいような表情をしていた。

 そのようにして、 は空いていた仮想艦隊戦を体験できるシミュレータの座席に納まることになった。
 対戦相手はシミュレータのAIである。ヘルツ大尉の説明によれば、この電子頭脳は基本に忠実であるということだった。
「AIは用兵学の基本に忠実で、基礎が身についていればさほど労せず打ち負かすことができるでしょう。2度目、3度目と新たな敵が現れる度、設定された難易度が高くなります。けれど多少レベルがあがったとしても、AIがこちらの『基本に忠実な反撃』を読んで、さらにまた『基本に忠実な反撃』を行うと仮定すれば、いくらでも手の打ちようがあります。頑張ってください、 様」
「はい、できるだけ頑張ります」
 簡単な操作方法のレクチャーをヘルツ大尉から受けた は、皆に見守られつつシミュレータの扉の内側へと消えたのだった。
  も名指揮官と名高かったコンラッドから教えを受けているといっても、まだ半年(けれどもハードな授業だった気もする。基本大事とか言ってスパルタだったし…)しか勉強していないし、本格的なシミュレーションというのも初めてなのだ。
「ま、AIにぼろ負けしても10歳の女の子だし、誰も恥をかかないし、せいぜい楽しもうっと」
 三次元ホログラムを臨場感たっぷりに見せてくれるゴーグルとヘッドセットを装着する。10歳の子供がかぶることなど想定してないのだろう、やや大きくて頭が重い。ぐらぐら揺れる頭を頑張って支えつつ、 はこのシミュレーションで想定されている宙域の状況や敵艦隊数などを確認し、手元の操作卓に自軍の艦隊編成や輸送計画を打ち込んでいった。
 戦闘勝利条件は、敵艦隊を壊滅に追い込むことだった。敵味方ともに8000隻の一個艦隊を想定している。そして宙域には特に注意しなければならない恒星や重力磁場、小惑星帯といった地形要素もない。
(つまり、ガチのタイマン勝負か)
 ある意味、艦隊運用を見るには持ってこいな条件で、だからこそ一番最初のシミュレーションの設定とされているのだろう。
 宇宙の黒を背景に、様々なベクトルを表す線や数字がゆっくりと点滅表示される。一瞬ごとに変化する状況をこれらのモデリングで読み取ることも、シミュレーションの内ということだった。
<敵艦隊出現、距離7.8光秒、12時方向、仰角20度。艦艇数は8000隻です>
 無機質な合成音声が、明快な状況報告を に知らせた。
 三次元ゴーグルに表示された輝点が徐々に大きくなる。
  はやや気恥ずかしく思いながらも、命令を口にした。
「長距離レールガン、発射用意!」
<長距離レールガン、発射用意、エネルギー充填開始>
「同時に対荷電粒子の磁場展開用意、レールガン発射と同時に展開せよ」
<了解、電磁フィールド展開準備完了まで残り30秒>
 いずれも艦隊戦の初期行動としては基本中の基本である。AIが基本重視なら、おそらく似たような行動を取るだろう。
(さてさて、どこまでやれるのかな?)
  としては最初は奇をてらわないつもりだった。自分自身、どの程度の基礎が身についていて、それがどこまで通用するのか確かめてみたいからだ。
  の指揮する艦隊と敵艦隊はほぼ等速で接近しているので、瞬く間に双方の距離は近づいて行った。
「目標、敵左翼列中央。砲火を集中させよ」
(まさかこの言葉を、自分が言うことになるとはね)
 そして有効射程範囲に互いが踏み込んだとき、 は幾ばくかの感慨をもって宣言した。
「ファイエル!」
 シミュレータの作り出した仮想映像にすぎないというのに、爆発四散する艦艇の放つ光はひどくきれいに思えた だった。
 


BACK NEXT 子爵TOP