銀河帝国軍の士官学校は、その名の通り銀河帝国軍の幹部である士官を養成するための機関である。士官学校へ入学した学生たちは士官候補生となり、十六歳からの四年間、寮で生活を共にしながら軍のエリートとして様々な技術、知識を身につけることになる。
が持っている士官学校に関する認識とは、その程度のものだった。
もう少し記憶の箱を漁ったとしても、アッテンボローが門限を破って塀を乗り越えようとしてヤンに出会ったエピソードから、士官学校には見回り当番があるのかもしれないと思うくらいだろうか(しかもそれは同盟軍士官学校の話である。)
平和な世の中でのんびり育った
には、軍隊という組織は縁遠い代物だった。
しかし何の因果か子爵令嬢となってしまってからは、元軍人の祖父や護衛となった大尉と接することも多く、更には銃を手に取り軍学の教えまで受け、本日は軍務省と士官学校を訪問するという、つい一年ほど前には想像もしなかった状況に置かれている。
(人生ってわからないものよねー)
士官学校の威風堂々たる煉瓦造りの校舎を見上げて、思わず遠い目をしてしまった
だった。
(まあ、憧れのキャラに会えると思えば…)
懐かしい故郷の景色や大切な人々の笑顔を思い浮かべると色々と感慨もあるのだが、さしあたり
は厄介事に蓋をする。取り返しのつかない過去や不定の未来に思いを馳せるよりは、いま現在をいかに充実して過ごすかが大事だろう。
とりあえずは、士官学校なのである。
ミッターマイヤーやロイエンタールがいるかもしれないと思うと、血沸き肉踊るというものだ。
そうそう都合よく出会えるかはわからないが、そこは気合いである。
(帝国の神様らしいオーディン様、どうぞよろしく!)
は全く信じていない神に向かって適当な祈りを捧げつつ、足取り軽く士官学校の中へと進んだ。
「
、まさか今日この場でこのように会えるとは思ってもみなかった」
「ミュッケンベルガー、久しいな」
旧知の友人の如く互いに手を取り合った二人を、
は唖然として見ていた。
(祖父様…ミュッケンベルガーと物凄い仲良しじゃない? 名前呼び捨てだし…)
ラインハルトに堂々たると称された体躯と雰囲気の持ち主であるミュッケンベルガーは、コンラッドの姿をみとめると満面の(威厳あるおじ様だから、結構いろんな意味で迫力があったりする)笑顔を浮かべ、友との再会の喜びを表現した。
「軍務省から連絡をもらって驚いたぞ。オーディンへ来るなら来ると、一言くらい言えば良いものを。卿はまったく無精だな」
「それは卿も同じではないか。上級大将に昇進したと聞いた。祝いの言葉を云いそびれた」
「なに、叛乱軍どもの無能のお陰で手にした功績だ。誇らしく卿に伝えられるものでもない」
コンラッドは普段、元軍人という名称がぴったりな少々近寄りがたい硬質な雰囲気を纏っているのだが、ミュッケンベルガーと肩をたたき合う姿はまるで年若い青年のようだった。ミュッケンベルガーの方も、それまで
が思い描いていた半白の眉と髪の厳つい貴族のお偉いさんイメージとは違って、まったく気安くみえる。
(まあ人間なんて向かい合う相手次第で全く違う面を見せるって言うし、二人が友達同士ならこれもありなんだろうな)
一瞬は度肝を抜かれたものの、コンラッドやミュッケンベルガーを普通の人間と思えば、年がどうのこうのは関係ないと思い直した
だった。
思えばラインハルト視点でしかミュッケンベルガーを知る機会がなかったのだから、こうして実際に自ら接してみないとどんな性質の人間なのかということは、完全にわかるはずもないのである。
久々の邂逅の挨拶に満足したようなミュッケンベルガーは、コンラッドの傍らで大人しくしている黒髪の小さな娘へと目を移した。
「卿の孫か」
「ああ、
、こちらはグレゴール・フォン・ミュッケンベルガー上級大将閣下だ。挨拶を」
「閣下などとやめろ、背筋が寒い。おれは卿の同期で、戦友ではないか」
(なるほど…だから仲良しなのか)
二人の関係に納得しつつ背を押されてコンラッドに促された
は、とりあえずはいつものように礼儀作法の授業で習ったとおりの口上を述べ、スカートの裾を持ってお辞儀をする。
「はじめまして、
・フォン・
でございます、ミュッケンベルガー上級大将閣下。お会いできて嬉しく思います」
「卿の血が入っているとは思えぬ礼儀正しさだ。それにしても、おれたちも孫を持つ歳となったのかと感慨深いな」
士官学校のエントランスを見回して呟いたミュッケンベルガーとともに、コンラッドは過去を懐かしむよう薄い榛色の目を細める。
「ああ、私も出来た孫娘を可愛がって穏やかに過ごす日が来るとは、あの時期には想像もしなかった」
いま現在の姿よりは10年ほど長く生きていたとはいえ、20代だった
には人生で幾度も歳を重ね続けた者だけが持ちうる感慨を理解できるはずもなかった。
そして、
は思った。
物語の登場人物として切り取られた側面しか見えなかった相手の本質を、自分は何一つ知らないのだ。
こうして見ると、ミュッケンベルガーに対して特に嫌だとか尊大という印象を抱かない
だった。小さな体に宿る
から見ると、壁のごとき立派な肩幅と背丈のミュッケンベルガーは、今のところ気の良いコンラッドの友人以外の何者でもないのである。
もちろんそれは自分が後の宇宙艦隊司令長官にとって親しい友人の孫娘であり、子爵家の一員であるという立場ゆえに、好意的に接してもらえているということもあるだろう。これがそこらの庶民の娘ならば、ミュッケンベルガーは
を足蹴にしても気にしないかもしれなかった。
(あんまり先入観もって、『キャラクター』って思うのはやめよ…人間、そう、同じ人間なんだから)
別次元からやってきた
は、自分が優越感の入り混じった偏見を持っていることに気付いた。
何でも知っている、と思うのは間違いなのだ。
(気をつけなきゃ…)
としては相手をよく知っていても、
・フォン・
としての面識は皆無である。
ゆえに、
が
としてここで生きていくとすれば、築ける関係性は全てはこれからの自分次第であり、どのような人物とも今はまだ良好な関係を結ぶ可能性を持っているのだった。
事実、
はブラウンシュヴァイク家のエリザベートと親交を結んでいる。ラインハルトにとっては政敵にあたる家の娘である。
そう考えると、
がいちファンとして好意をもっているからといって、相手が自分に好意を抱いてくれるはずもないのだということは、すぐに思い至った。
や
といった個人としては接触がゼロでも、貴族や令嬢といった社会的な意味付けからは逃れようがない。
は子爵令嬢という身分で、コンラッドの孫で、辺境貴族で、といった既に決まっている要素は、どうしても付きまとう。そしてその立場が、誰かから――たとえば誘拐事件の時のように貴族に恨みを持つ人間から、悪意を伴って見られることもあるだろう。
(…とりあえずは、皆と仲良くなれるよう頑張ろう)
平穏無事に、自分が好きな相手(フレーゲル男爵なんかは人間的にアウト。当然、除外)とは末長く友好的に付き合えるよう努力しようと思った
だった。
出迎えの士官学校校長コーエン中将の案内に導かれて、ミュッケンベルガーとともに
たちは士官学校を視察することとなった。
もともとミュッケンベルガーがこなすはずだった予定に新たな人員が四名ほど加えられただけだったので、コーエン校長としても特に対応に苦慮しなければならないようなことはなかった。
むしろ彼にとっては、軍内で出世街道を歩む上級大将と、既に退役してはいるが軍人として名高い
提督と面識を得るまたとない機会である。彼はステーキで言えば添え物のキャロットに等しい令嬢などには一瞥もくれず、先程から声高に二人を散々持ち上げて歓待している。
その後方2メートルほどの距離を歩きつつ、
は護衛二人と共に小さな声で会話を交わしていた。
コーエン校長が全く無視してくれているので、ヘルツの説明を聞きつつ、見える範囲の施設について説明してもらっていた
である。
栗色の髪の大尉は、つい二年前までこの士官学校にいたので、説明役として不足はなかった。
「あちらの建物は食堂です。右手に見える林の向こうには射撃練習場があります。士官学校生が暮らす寮はさらにその奥で、ここから歩いて二十分ほどの距離です」
「寮ですか。ねえ、ヘルツ大尉、士官学校生って普段はどんな生活をするんですか?」
の問いかけに、ヘルツは自らのその生活を懐かしむよう目を細め、窓の外の寮の方角をみやった。
「そうですね、朝晩に寮で点呼があることと、授業内容が軍事的なものであることを除けば、普通の学校と同じようなサイクルで生活していたように思います。ですが軍事教練の内、格闘技や射撃、装備一式を背負っての山中行軍なんかは普通とはいえないでしょうね。一年次には陸戦、艦隊戦問わずあらゆる軍事的な知識や理論を詰め込んで、二年次から戦略研究や後方支援、陸戦、機械工学など各分野に分かれて専門性を高め、三年次、四年次にはより高度で実践的なカリキュラムをこなしつつ実際に宇宙空間に出ることもありましたね。こうして説明申し上げていても、学んでいた思い出ばかりが浮かびます」
そこで声を潜めたヘルツは腰をかがめ、
の耳許へあたり憚る感想を付け加えた。
「正直なところ、もう一度経験したいとはあまり思えない生活です」
ヘルツはそれ以上、愚痴めいたことを言わなかったので想像するしかないが、士官学校はれっきとした軍関連施設だから、軍隊の外側からはうかがい知れない厳しい規律や上下のしがらみも存在しているのだろう。
学校とは、そこに属する全くばらばらの性質をもつ個人に対して、同一の知識や思考様式、ルールを教え込む場である。生死のかかった命令に否と言っていては軍隊は成立しないので、士官学校で「軍人」という形式に均されていく過程が、のんびり優しいものであるはずがない。
それに軍人としての上下関係とは別に、銀河帝国には貴族と平民という階級差が存在していて、階級の異なる者たちが朝から晩まで生活を共にするとなると、言い尽せぬほど軋轢が生じるだろうことは予想に難くない。
つい、大変だったね、という表情をしていたのだろう、姿勢を正したヘルツは令嬢の憂い顔に、心配せずとも大丈夫とばかりに笑みを返した。
「といっても幸い小官は良い人間関係に恵まれまして、週に一度の安息日には友人と連れ立って、近くの街中へ遊びにでかけたものです。あの時間なら、是非とももう一度繰り返したいと思います」
「友人か…いいですね、どんな方だったんですか?」
「最も親しくしていたのは小官と同じくさほど裕福ではない下級貴族の出身で、食うために軍人になったと言って憚らない者でした。彼とは少ない小遣いを出しあって、休みの日には食べ歩きに行ったものですし、普段はシミュレーションの対決で切磋琢磨しまして、一人で学ぶよりはよほど為になる時間を過ごしましたね」
ヘルツの語った一文に、敏感に反応した
だった。
(って、それファーレンハイトじゃ!?)
心の中の叫びを、
はすんでのところで堪えた。
あけっぴろげに、食うために軍人になったなどと言い放つ人間が、さほど多くいるとも思えない。
その友人はファーレンハイトという名ではないかと訊ねてみたいが、なぜ知っていると突っ込まれたら切り返しができないので、
はうずうずと開きたくなる口を必死で閉じねばならなかった。
(意外なところに繋がりが…この分でいくと、ヘルツ大尉は結構、色んなキャラと知り合いだったりして)
そこまで狭い世界でもなかろうと己の単純すぎる希望的観測に頭を振った
だったが、物は試しとさらなる質問をヘルツへと向けてみる。
「食うために軍人になったなんて、面白い方ですね。他にもどなたか印象深いご友人はおられるんですか?」
「他にも友人は幾人かおりますが、特に強烈な印象を残しているのは、ふたつ下の学年にいたビッテンフェルトという男です。二年次と四年次の学生は参謀と指揮官となってシミュレーション訓練を行うことがあるのですが、何度か組んだ彼は退却という文字を知らない男で…参謀役だというのに常に全面攻勢ばかり主張して、策を練るのが苦手なようでした。それがシミュレーションの場だけならまだしも、日常的にも退くよりは突き進むのを選ぶ性質で、彼の喧嘩の後始末をなぜか小官がする破目になったことも数限りなく…」
(はははー、さすが猪提督)
にやりと笑ってしまった
だった。
の頭の中にある年表では、ビッテンフェルトはロイエンタールの一期上だったはずである。
ヘルツが卒業してちょうど二年となれば、ビッテンフェルトは先の六月に卒業して生憎ここを去っているだろうが、ロイエンタールや、彼のその一期下のミッターマイヤーはまだ士官学校にいるはずだった。
どうにかして会えないだろうかと、
は自己満足過ぎる欲望のために頭を悩ましつつ、コンラッド達について士官学校の廊下を歩いていった。