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 翌日、 は祖父コンラッドとともに軍務省へと足を運んだ。
 ロルフの一件の真相は結局分からずじまいであったが、何度か訊ねてもカイルもヘルツも口を割らないことはわかったので、 も諦めて次に会った時にはロルフ本人に訊ねてみようと心を落ち着かせた。
 口の堅い護衛二人は、本日は軍服を纏ってコンラッドと に随伴している。
  なぜカイルも軍服姿なのかといえば、本日の彼はカイル・シュッツではなく、レクス・シュトルツァー軍曹として同行しているからである。シュトルツァー軍曹は 子爵領私兵団の所属で、普段は司令部付きの陸戦部隊員であることになっている。
 無論それはデータ上だけに存在する架空の人物であって、カイルが常に軍曹の役務をこなしているわけではない。今日のように軍関連施設に赴く際には、軍人として登録された立場があった方が便宜の上で面倒がないことや、健康な男子であれば高等教育を受ける者を除いてあまねく兵役が課せられる銀河帝国においては、二十歳前後の青年が軍務についていないことが珍しいので、一種のカモフラージュとしてカイルは軍曹役を用いていた。
 このようなことは当然ながら非合法なのだが、そこは子爵家の権力で情報操作を行っているようだった。コンラッドやクラウス曰く、辺境の一兵士の実体がどうであれ誰も気付かないし気にしない上、その辺は領主の権限の範囲内であり、多少の融通は利くという話である。

 軍務省といえば合理性を尊ぶ無機質な建物を想像していたのだが、こと銀河帝国においてはその予想は該当しなかった。
 軍の中枢たる建物の華麗さは貴族の館に勝るとも劣らぬ威容を誇っており、一見すると の感覚では博物館か美術館のようにしか見えなかった。だが銀河帝国の常識にてらせば、軍務省といってもいわばお役所のようなものだから、他の省庁と同様に特権階級好みの装飾過多な建築様式でも特段おかしくはないということだろう。
 受付で名を告げるコンラッドの背を眺めながら、 は存分に居心地の悪さを味わった。
 軍人ではない者が軍務省を訪れる物珍しさに加えて、軍務省に相応しい客人には全く見えない幼い少女の存在は、とてつもなく目立っていたのだ。
 擦れ違う者は必ず一瞥をくれるので、目が合ってしまった場合にはにっこり微笑みを向けねばならなかった。一応は 子爵家の、そして祖父コンラッドの体面を保つためにと涙ぐましい努力をしているわけだ。
 手持ち無沙汰に周囲を眺め、時に笑顔を振りまきながら、 は深刻さとはかけ離れた物思いに耽った。
(まだラインハルト達もいないし、この時期に軍務省にいそうなのって…いや、そもそもまだ皆、正式な軍人になってない?)
 年齢から考えると、ロイエンタールやミッターマイヤーらは18、19といったところでいまだ士官学校生だろうし、物語の中でよく見知った者の中で軍人として歩き始めているのは、ほんの一握りだろう。
(えーっと、年齢が上の方というと…)
 いくら熱心な銀英伝読者だった とはいえ、全ての登場人物の詳細情報を覚えているわけでない。大まかな予想でケスラーやレンネンカンプなど幾つか顔を思い浮かべたところで、 は再びどこからか視線を感じ、ふと意識をそちらに向けた。そして蛇に睨まれた蛙のように、身動きできなくなった。
 正面入り口の方から受付へ向かってくる一人の軍人が、こちらを見ているのだった。その彼の特徴的な半白髪、そして決して温和とはいえない光を宿した義眼は見間違うことができない。
(お、お、オーベルシュタインじゃないですか)
 帝国印の絶対零度の剃刀こと、パウル・フォン・オーベルシュタインその人だった。
 二人の視線が交わり、 は別に気後れすることなど微塵もないのに内心で落ち着かなさを感じた。先ほどまでの居心地の悪さなど比ではない。
(オーベルシュタインって、何だか人を試しているような目をする人だよね…)
 さり気なく視線をくれるというわけでもなく、明らかに見てますという風なオーベルシュタインの様子に、 は意地を張ってその瞳をまじまじとみつめた。陰謀が得意な怖いお人ではあるが、誰かれかまわず襲いかかる猛獣というわけでもなかろうと、後の軍務尚書となる男を観察する。
(いま幾つなんだろ。全然若く見えないし、読めない顔してるし)
  は知らないがこの時のオーベルシュタインは25歳の若さであり、仮に彼女にその知識があれば「老け顔は昔からだったのね」とでも呟いただろう。シャープな顔立ちのせいもあるのだが、全体的に柔らかさや人を落ち着かせるといった要素とは180度違う方向性の雰囲気を漂わせている。
 こつこつと規則正しい軍靴の足音を響かせ歩くオーベルシュタインとの距離は、今や手を伸ばせば届かんばかりだった。
(会えて嬉しいというか、怖いというか)
  は貴族の一員であることを除けば、特にオーベルシュタインと利害が対立しているわけでもない。つまり、現状は赤の他人である。ここで声をかければ、一応は面識を得ることはできそうだった。何だこいつと思われること間違いないが、少なくとも軍務省という場に不似合いな子供が ・フォン・ という名であるということは分かってもらえるだろう。
 そこまで考えたのだが、 は想像を実行に移すことはやはりできなかった。
 オーベルシュタインという人物に対しては、怖いもの見たさで眺めてはみたいが、お近づきになるのは躊躇う気持ちを拭えなかったのだ。
様、お呼びですよ」
 名を呼ばれ、 はオーベルシュタインから意識を離す。
 傍のヘルツがコンラッドの方へ促すため、声をかけたのだった。
 受付から面会予定の相手に連絡が行ったのだろう、出迎え兼、案内役とおぼしき壮年の軍人が、コンラッドとともに が動くのを待っている。
「あ、すみません、ただいま参ります、お祖父様」
 再びオーベルシュタインを振り返ると、 が応えを返す間に彼は受付へ辿りついて既に視線は の方を向いておらず、 は残念なような、けれどもほっとするような微妙な気分を抱いた。
(彼の記憶には残らない方が、幸せかもしれない…よね)
 思いつつ、 はコンラッドと案内役を追って護衛たちと共にその場を後にする。
 だが人間観察が得意なカイルは、令嬢が意識をロビーにいる一人の士官へ向けていることに気付いたため、一行の最後尾に位置しつつ半白髪の当の人物へと素早く眼を走らせた。
 義眼は確かに特徴的で目を引くのだが、子爵家の令嬢はそれだけで他人を不躾に見つめることがない性質だったはずである。
(…何が気になったんだろうな)
 情報通であるカイルも、この時はまだ一介の青年士官にすぎないオーベルシュタインが未来で担う役割など知る由もなく、ただ首をかしげるばかりだ。
 戻ったら身元でも調べてみようと思案し、琥珀色の瞳を正面へ戻したカイルは一行の後へとつき従った。


(それにしても私、一緒についてきて本当に良かったのかな?)
 本日の は、祖父コンラッドの付添という建前で社会科見学を行っているようなものだった。
 コンラッドは政務の一環として軍務省を訪れており、その孫娘が随伴する必要は特になかった。
 だがコンラッドたっての要望で、 はこうして場違いと自分でも思う場所に来ている。
 次代の領主を育てるため、交渉の場というものを見せようという配慮だろうと、 は予想していた。
 既に退役したコンラッドが軍務省で何をするかといえば、軍務省の人間に子爵領に対して軍備関連の多少の融通を図ってもらおうというのだった。もちろんコンラッドは公に軍備増強や組織の改善など要望書を提出しているのだが、伝手を使って口利きという裏のお墨付きがあるのとないのとでは、要望書の実現の度合いが全く違うのだ。
 コンラッドは、本来であれば個人的な人間関係で優遇したり、もしくはされたりといったやり取りは好まないのだが、銀河帝国の悪しき伝統と慣習に一人で立ち向かうほど無謀なことはない、ということもまた熟知していた。彼が特別な配慮を相手に求めずとも、相手が勝手に配慮をして、そして今度はコンラッドに配慮を求める、といったような無言の貴族的応酬の連続から抜け出すには、飛びぬけて卓越した能力と、多数派の圧力に耐えられるだけの強靭さが必要だった。
 コンラッドが仮に何も持たない一個人であれば茨の道に分け入ることもあり得たが、彼には領民を飢えさせない義務があった。銀河帝国では忘れ去られて久しい貴族の義務を、彼は己に強く課していたのである。
 ゆえにコンラッドは真っ向から銀河帝国の悪しき伝統に立ち向かうハイリスクな手段より、それを利用し「うまくやっていく」方法を選んだ。
 コンラッドは次なる子爵領の担い手に、正道とは言えない人間関係――特に貴族間の個人的交友関係に依存した政治的配慮の存在というものを見せるため、今回の軍務省訪問に孫娘を伴ったのだった。

「残念だが、綺麗事だけで世の中が構成されているわけではないのだと、嫌でも気付かされるものだな」
 ある時、オーディンから子爵領へ派遣された監察官に賄賂を要求されたコンラッドが呟いた言葉を、 は印象深く覚えている。
 監察官の仕事は、領主が中央の省庁のお触れ通りに施政を行っているか改めることである。しかしその役職は、一部の人々にとって羨望の的だった。なぜなら、不正に目を瞑る代わりに懐を暖かくできる立場だったからである。 子爵領の場合は報告されて困るような不正はないのだが、しかし監察官は不正を捏造することも可能な立場なのだった。不正の有無にかかわらず監察を受ける側は金を渡すのが、ここ百年間の銀河帝国における慣習となりつつあった。
、子供にはまだよくわからぬかもしれないな。だが賢明なお前ならば、綺麗事以外の方便を知り、それを逆手に取ることもできよう。相手の思惑、その手の内もよく学べ」
「はい、お祖父様」
 頷いた は内心、貴族って大変、などと考えている。
 何しろ幼い令嬢の外見をしていてもその中身といえば、長じるにつれ冷静沈着のモットーの代わりに、純粋さをどこかへ忘れ去ってきてしまった性格の なので、貴族社会で「うまくやる」ことが何を意味するのか、彼女はおおよそ正確に理解していたのだった。
(子供の内からこんなこと教えたら、腹黒になっちゃうぞ。 に関しては心配無用だけどさー)
 公式な手順、定められた規則というものが何事にも存在するとすれば、必ず非公式な手順、そして規則破りも存在するものだ。手順や規則を曲げたり、すっ飛ばしたりできる貴族の金とコネは、非公式ルートへの特別切符なのだ。
 そう言う訳で、コンラッドは持てるコネを使って目的地へとより早く確実に到達しようと、軍務省を本日訪れている。その目的地については、昨夜コンラッドと夕食を共にしつつ聞いていた である。
 簡単に要約すれば、宇宙海賊退治のためにも軍備を増強したいということらしい。
 私兵団の戦艦などは一応は皇帝から貸与されている形式なので、新造艦の割り当てには軍務省を通さねばならないし、人的エネルギーも同様だった。錬度の高い兵士を優先的に送ってもらうには、口利きが必要なのである。
(そういえば、今日会う相手のこと聞いてなかったな。この時期のお偉いさんなんて、わかんないか)
 考えていると、案内役はひとつの重厚な扉の前で立ち止まり、軽く打ち鳴らした。
「エーレンベルク軍務尚書閣下、 退役中将閣下と、ご令孫のフロイライン・ をお連れ致しました」
 入室を許可する声に続き、 たちは室内へと足を進めた。護衛役の二人は扉脇で待機である。
(エーレンベルクって…誰だっけ)
 全くもって思い出せない名前であったが、 片眼鏡モノクルをかけた立派な髭の顔を見て、おぼろげながら物語の中での存在を思い出した。
 ラインハルト台頭以前の旧型帝国軍人の長というべきお人で、イゼルローン要塞がヤンに陥とされた責任をとって辞職した元帥だったはずである。正直なところ、片眼鏡がなければ微塵も思い出せなかった相手であった。
  は淑やかに、そして黙々とコンラッドの後に続いた。
「ご無沙汰しております、エーレンベルク元帥閣下、お変わりありませんか」
「ああ、 卿、貴君も壮健そうで何より。おや、そちらが話していたお孫の…」
・フォン・ と申します、エーレンベルク元帥閣下。本日はお会いできて嬉しく思います」
「聡明なご令孫ですな」
 社交辞令から一ミリも出ることのない儀礼的応酬を交わし、コンラッドとエーレンベルクは向かい合って応接用ソファに腰を下した。 は話の邪魔にならぬようコンラッドの背後へ控えようとしたのだが、片眼鏡の軍務尚書が貴族らしく女性への礼節を主張したので、結局はコンラッドの隣に席を下ろすこととなった。
 話は交渉といえる程の山場もなく、順調に纏まった。コンラッドが持参した書類のデータで海賊の出没回数が増加している状況を知ったエーレンベルクも、 星系の軍備を増強する必要があると感じたようだった。
 新造艦と人員を回すことについては、領内から出荷する加工糧食の値を一時的に破格とする上、レアメタルを軍需へ優先的に提供することなどが対価となった。
  はエーレンベルクに多少感心した。便宜を図る見返りに、軍にとっての利益をしっかり確保しているからである。その辺は元は高級軍人のコンラッドも心得ていたため、うまく釣り合いのとれた交換条件を提示して、妥当な取引は双方にとって満足のいく結果となったようだった。
(最初からハードな交渉現場でも孫娘が引いちゃうから、安心お手軽なケーススタディってところかな。優しいお祖父様だね)
 従卒が運んできたコーヒーを飲みつつ、交渉がひと段落したコンラッドとエーレンベルクは世間話へと話題を移していた。
「そういえば 卿、ミュッケンベルガー上級大将にはもう会われたかね?」
(お、ミュッケンベルガーはわかる! ラインハルト曰く、堂々たるだけだ、の人だよね)
 大人しく年長者たちの会話に耳をそばだてていた は、登場した名前に敏感に反応した。
 上級大将と言われているが、のちに元帥となって宇宙艦隊司令長官となり、ラインハルトが従軍した幾つかの戦役で帝国軍を率いる人物である。
 姿勢が正しく堂々たる体躯で、皇帝と並ぶとどちらが偉いか分からないと言われる威厳の持ち主だった。貴族の中では割合まともな思考ができる風に作中では描かれていたが、会ったことのない は実際のところはわからなかった。
「いや、彼にはまだ連絡も取っておりません。寡聞にして上級大将となったことも知らぬ有様でした。彼はいまオーディンに?」
「イゼルローンから半年ほど前に戻ってな。今日は確か……」
 部屋の片隅に控えていた案内役(どうやら副官みたいだ)が、さっと該当する情報の記載された書類を差し出した。素晴らしい有能さである。
「そうだ、士官学校で午前は講演を行って、午後は候補生たちの様子を見て回るとのことだ。彼も貴君に会いたがっていた。顔を出してみてはどうかね。君も有能な指揮官であったのだし、殻のついた雛達に指導するのも良かろうて」
 後半の指導云々はともかく、コンラッドはエーレンベルクの提案に心動かされたようだった。コンラッドはミュッケンベルガーとは割と親交が深かったのだろうと、 は思った。
 コンラッドとしてはミュッケンベルガーと会うことも目的であったが、孫娘に士官学校を見せられる機会を逃すことはないと考えたのだった。このような巡り合わせでなければ、外部の者、特に女性、そして非軍人に対して士官学校へ立ち入る許可が出ることなど滅多にない。だが今回は許可を出したのが軍務尚書ということもあり、割合自由に見学ができるだろうと教育熱心な祖父は思ったのだった。
 そうして軍務省を出たコンラッド達は一路、士官学校へ向かうこととなった。
 車中でコンラッドは の黒髪を撫でつつ、幾分かの感傷を含んだ声音で言う。
「お前は娘だから士官学校へ行くこともないだろうが、一度見ておいて損はないだろう。あそこで帝国軍人が作られるのだ」
 お前が男子であればよかったのに、とは聞こえなかったが、表情からその辺の祖父の願望を読み取った だった。
(武門の家柄だし、コンラッド祖父さんとしては口惜しい気持ちもあるんだろうなぁ)
 今更ながら令嬢で良かったかもしれないと、 は思った。
 男であったなら兵役もあるし、立場的に軍人生活を否応なく送らねばならなかっただろう。貴族だからと後方勤務の安全地帯にいられるとも限らないし、むさ苦しい男どもの巣窟で毎日を過ごさねばならないと考えただけで目眩がしそうだ。
 士官学校も男だけの空間だろうが、この来訪に限っては嫌な気持ちは微塵も起こらない だった。
(士官学校か…いろいろいるんじゃないの、これ!?)
 運が良ければロイエンタールやミッターマイヤーといった、後のローエングラム陣営の主要提督たちの若かりし頃を見ることができるかもしれないのである。
 明らかに浮かれた を乗せて、地上車ランドカーはオーディンの街路を士官学校へと向かってひた走って行った。



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