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26


 一陣の風の如く、騒動の詳細も明らかにせぬまま去って行ったロルフの後姿を見送って、 はカイルへと向き直った。
 先ほどのロルフとのやり取りでは、単純に考えて、ロルフとカイルが何事かで揉めてナイフ合戦となったこと、ロルフがどうやら に相当よそよそしい気持ちを抱いていることくらいしか読み取れなかったので、もう一方の事件の当事者に話を聞こうと思ったのだ。
「で?」
 たった一言だったが、カイルも、そしてヘルツも黒髪の令嬢が騒動の発端を訊ねていることは容易に汲み取ることができた。
「深く訊かないんじゃなかったのか?」
「ロルフが訊いて欲しくなさそうにしてたから。でも彼のいないところで訊いて、知らない振りしてればいいでしょ。何があったの?」
  としては自分が危なかったことなど、どうでもよいのである。しかし、事態の発端の謎は気になって仕方なかった。今回の出来事は、 もまだよく知らないカイルとロルフの性格を分析するにも有用な情報となりえたし、身近にいる人物同士の衝突には気を配りたいという思いもあった。
「そうだな、ついでに、お求めの情報のことも説明しよう。長い話になるから座らないか」
 とりあえずはソファに腰を落ち着けた三人は、茶を入れるのが面倒だというカイルが取り出した甘酸っぱいオランジェンザフトを各々のコップに分け合って持ちつつ、話を続けることになった。
 夕食まではまだ時間があり、祖父コンラッドと侍女ゼルマ、そして他の護衛たちは半時ほど前に外出したのだという。彼らと入れ違うようにして部屋に入ったカイルは、そこでロルフと顔を合わせることとなり、会話するうちに刃傷沙汰になってしまったらしい。
「それは少し置いて、先にローバッハのことを話そう。今後の対応も聞きたいしな」
 子爵家令嬢の護衛兼、裏方の情報収集も行うカイルは、オーディン到着後、言われていた通り半年ほど前のローバッハ伯邸における誘拐事件の黒幕に関する情報を集めていた。
 誘拐を請け負った組織は彼自身の手で壊滅させてしまっており、関係者から情報を収集することは困難だった。しかしそれは当初から明白だったので、カイルは組織が依頼金を受け取るために使っていた口座の履歴を参照し、そこから依頼人を割り出すことにした。
  が好奇心に駆られて、以前、どのように裏仕事をしているのかと訊ねたとき、カイルは情報収集について一言、このように述べた。
「情報はどこに転がっていると思う? 金の周囲だ。金という目に見える利益が動く場所に情報がある」
 だから彼は情報収集をするのに、経済や政治、利権に絡む権力図や人間模様に関する知識も常に兼ね備えねばならないと知っていた。
 カードタイプの電子小切手の授受にせよ、口座間で情報化された金を送金するにせよ、金は渡す側と渡される側が必ずいるのだし、その受け皿があるのだった。今回の場合、受け取る側の情報が全て明らか(組織が壊滅してから、その金は殆ど彼の懐に入っていた)だったので、渡す側の情報を探るだけであった。しかも、最初から怪しいのはローバッハ伯爵家という目論見がついている。
 黒髪の年若い諜報員が金の出所を調べていたのは、確たる物証を見つけるためであった。

 彼が 子爵家に入ってから数日後、 は既にカイルからローバッハ伯爵家に対する疑惑を聞き出していた。何しろ誘拐事件のただ中で、かの伯爵家に対する注意を喚起するメッセージを残したのは彼に他ならず、現状では最も情報を保持している者と思われたからである。
 その頃は もまだカイルに対して多少の警戒心を抱いており、祖父コンラッドとともに事情を訊くことにしたのが、カイルは全く緊張の色を見せず、簡潔に事件の経過と要点、なぜ自分がローバッハ伯爵家を犯人とみなすかについて感情を交えず淡々と述べた。
「俺がローバッハ伯爵家を疑ったのは、あの時の実行犯の奴らとパーティの前日に顔合わせして、計画の詳細を受け取った時だった。俺以外てんで素人で誘拐をやる、誘拐する対象はブラウンシュヴァイク家の娘で、そいつを殺すなという。俺には、地獄の入口で悪魔が手招いているようにしか見えなかった」
 つまり失敗してくれて良いという依頼者の意図が、カイルには丸見えであった。
 暗殺するならまだしも足跡が盛大に残る誘拐となると、仕事の難易度は格段に跳ね上がる。対象のいる場所に我が身を運び、そこから誘拐した荷物を抱えて脱出しなければならないのだ。
 裏仕事に慣れていなさそうなカイル以外の二人は、「仕事をする」ことに緊張して単純な推理もできない有様だった。
「おまけに誰が調べてくれたのか、やけに詳しい邸内の見取り図と警備状況が最初から用意してある。俺はあの時期、組織から疎まれていたから捨て駒の仕事を割り当てられたんだろうと思った。で、逃げる算段をしつつ依頼者はどこの誰かと考えたんだが…」
 銀河帝国における門閥貴族の諸侯の中で現状、ブラウンシュヴァイク公爵ともっとも利益が競合しているのは、ともに皇女を妻として迎え皇統を継ぐ娘を持つリッテンハイム侯爵であった。ブラウンシュヴァイク家のエリザベートは、リッテンハイム侯爵家の栄華を阻む障害物なのだ。
「皇孫エリザベートを排除することで利益を得られる人間は沢山いるが、誘拐するとなるとまた別物だな。誘拐は身代金目当てが普通であるし」
 コンラッドが言うことに、 もその通りだと相槌を打つ。
「金が欲しい人間は、誘拐なんてまどろこしい手段を選ばない。相手に死んでもらった後、継続的に得する方法を考える。依頼金だけで何万マルクも飛ぶし、一時的に金を手にしても利益が少ないからな。とすると、誘拐なんて仕事をわざわざ頼むのは、それを捕まえて手柄を得ようと思うような連中がいるっていうのが単純な発想だった訳だ」
 そこにローバッハ伯爵家の内部事情に精通することを覗わせる情報があるとなれば、当の伯爵家の方向に疑いが向くのも当然だった。
「事件の顛末はご存知の通り、思わぬ巻き添えを生みつつ…」
 ちらっとカイルが黒髪の少女へからかうような視線を投げ、笑う。 も力無く笑った。思い出すのも嫌になるほどハードな時間を過ごしてしまったし、もとはと言えば一人でふらふら散歩しようとした自分に原因があると重々承知していたからである。
「誘拐は結局失敗、俺以外は捕まった後に射殺という終わりを迎えた。俺が逃げる前にRを示唆したのは、それまでの状況証拠、推測にすぎない面が多かった。だがオーディンへ戻って組織を潰すまでの間に更に調べて出てきたのが…」
 死んだ二人の犯人が金に困った背景――男は借金の取り立て、エリザベートの侍女だった女の弟が被害者となった喧嘩の元を辿っていくと、ローバッハ伯爵家の縁者やお抱え企業の名が出てくるのである。しかしそれもまた状況証拠に過ぎず、更に確固たる裏付け、誰が見てもわかる物的な証拠が必要というコンラッドの冷静な指摘に、その場では結局、カイルが情報収集を継続するということを結論とするしかなかった。
 ローバッハ伯爵家は確かに限りなくクロなのだが、効果的なタイミングで、周囲を納得させられるだけの証拠を提示しなければ、表立っての追及は難しかった。
 両家の因縁が深いゆえに、 家側からローバッハ家の責任を明らかにしようとすれば、当然、周囲には互いが貶めあっているようにしか見えない。
 だから政治的な後ろ盾が必要でもあった。
 この事件の場合、もっとも被害を被ったといえるブラウンシュヴァイク公爵家を味方につけることを、誰もが真っ先に考えた。しかしブラウンシュヴァイクとの交流は、幼い娘同士の友人づきあい程度であったし、ローバッハ家も公爵家とはそれなりの付き合いもあり(でなければパーティにエリザベートを呼ぶことなど不可能である)、優先すべきは証拠探しという結論に結局は至る。
 とはいえ、コンラッドとしては余計な手出しをしてローバッハ伯爵家の干渉や激発を招くことは回避したかったし、 としても証拠集めをして結局得られるのはローバッハ家を追い落とす材料だけなのではないかと、政争に興味のない子爵家としては、正直なところ調査に余力を割くモチベーションは限りなく低かった。
 子爵家の方針は危機防止がメインであって、積極的に他者を攻撃しようとしないのだ。
 そのため、カイルも他の仕事の合間に誘拐事件の情報収集を行っており、半年がかりで証拠を探すことになってしまった。
 情報集めに関しては腕利きのカイルの能力は、他の仕事、たとえばフェザーン資本のダミー会社が何を目論んでいるかという の懸念から求められる情報へと向けられたり、レアメタルや穀物市場の動向を見たりという事柄に発揮されていた。
  星系とヴァルハラのオーディンの通信回路は限定されていて、痕跡を消しつつの情報集めが困難だったこともあり、オーディンへ来訪することになった の護衛のついでに、カイルは誘拐事件の調査をようやく命じられる状況だった。

「で、どうだった?」
 カイルは手元の携帯小型コンピュータのモニターに、調査結果を表示させた。
「物証としては金の流れはみつかった。ローバッハ伯爵家から依頼の手つけ金が、子会社から出てロンダリングされて組織の口座に入っていた。依頼人が裏仕事の窓口に顔を出していて、その顔がこれ。伯爵家の使用人であることも確認済み。その情報はこっちだ。間抜けなことに偽名も使わず客船使っているから、ローバッハからオーディンへの渡航履歴もあり、伯爵家に雇用されているという情報もある」
 次々に開かれる情報の文字を追い、 は顔を上げてカイルの表情を見た。
 双方ともに、晴れない顔だった。
 カイルは手元の甘酸っぱいオレンジ色の液体で喉を潤し、再び口を開く。
「お察しの通り、これだけじゃ証拠としては弱い。個人の犯行で片付けられる。だがこれ以上、突っ込んで調べるとなると、リスクを取る必要がある」
「あからさまにこっちが探ってるぞって、あっちに感づかれちゃうってことよね」
  としては、これらの情報でローバッハ伯爵家に何か仕掛けようという気はなかったし、その関与の裏付けがとれたところで満足すべきだろうかと考えた。
 取り得るアクションは今のところ、この情報をブラウンシュヴァイク家へ流すかどうかという選択をするのみだろう。
 だが、事件の不確定要素は尽きていなかった。
 エリザベートの誘拐で手柄を得て、では具体的にローバッハ伯爵家がどのような利益を得られるかについても謎は深いままだ。エリザベートを救出したところで、誘拐の黒幕が自分たちだとばれる可能性は0%ではないし、仮に誘拐に際してエリザベートも排除されていたなら、伯爵家がおもねる相手はブランシュヴァイクではない側であったとも考えられた。
(うーん、疑い出したらきりがない…こういうの、向いてないのよね)
 根は単純なので、権謀術数を考えていると頭がこんがらがってしまう だった。
 ゆえに、 は最も簡単な解決を図った。
「結論、現状維持でいこう。うん、お祖父様にも一応お伺いしてみるけど、この件は多分、これで終わりになるわ」
 後々 は安易な方向に流れた自分を激しく後悔することになるのだが、その時までまだ随分と長い時間を待たなければならず、世界を又にかけた存在とはいえ全知全能であるはずもない は、未来の自分の苦悩する姿など知る由もなかった。

「さて、この件についてはこの辺でお仕舞にして、カイル?」
  はオランジェンザフトを己のコップに注ぎ足しているカイルに、次なる話題を促した。
 つい先ほどの、ロルフとのやり取りについてである。
「ああ、あの美人さんのことか。そうだな、あいつに話すなって言われているんだけどな。『お嬢様』には知られたくないんだと」
「何を知られたくないの?」
「この騒動の理由かい?」
 やはり真相が気になるのはヘルツ大尉も同じようで、琥珀色の瞳をにんまりと細める年下の護衛に問いかけ、続きを催促した。
 カイルはとりあえずは、ロルフとの一連のやり取りを説明した。
「俺がここへ戻ったら、ロルフって美人さんがいて、お互い挨拶をした。俺はエーデルバーグの息子のことは知っていたし、あっちも俺のことは聞いていたみたいでな。それで何だったか…ちょっと話がこじれて、面白くてからかっていたらナイフ飛ばされて、数本目を投げつけられたところでお前たちが帰ってきた。以上」
「以上って、わざと肝心なところ説明してないじゃない」
 なぜ話がこじれたのか、ロルフが激昂したのかを聞きたいのに、カイルはその辺の説明をするつもりはないようだった。
「これからも二人は 家で顔合わせるんだから、事情は私も知っておいた方がいいでしょ?」
  が食い下がって身を乗り出すと、カイルは質問は受け付けぬとでもいう風にそっぽを向く。
「個人的事情をぺらぺら話すのも気が引けるんでね。今後も付き合いがある相手なら、なおさら言う訳にはいかないな。面倒だ」
 カイルは職業柄、人の心の機微には敏い。ロルフを激昂させた理由も気付いてしまったし、それを子爵家の大人びた令嬢に話すと後々、本当に面倒事になりそうだと予想がついたので、保身のためにも事情を説明しようという気にはならなかった。
「ええー!? ねえ、ヘルツ大尉、言ってやってください、ちゃんと説明しろって」
「シュッツ…」
「ヘルツ大尉、ちょっと耳を貸せ」
「え、何? ヘルツ大尉だけなの!?」
 指先で顔を寄せろと合図するカイルに、ヘルツは除け者にされていると憤慨する に申し訳なく思いながら立ち上がり、向かい側に座っていたカイルの傍へと移動した。耳元に注がれる小さな声に注意を向け、ヘルツはカイルの配慮に納得した。
「つまり……だな。……ということだ」
「ああ、なるほど」
 大の男が二人なかよく内緒話をする傍で放置された は、事情が気になって仕方がなかった。
「何よー、気になる! 教えてよ!」
 ようやく顔を離して会話を終えた二人は顔を見合せて頷き合い、やはりこれは言えぬと少女に向かって通告し、怒る少女の機嫌を宥めることと、しばらく続いた教えて攻撃を回避するのに苦労することとなった。



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