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25



 まずもって、部屋の扉を、しかも休もうと戻ってきたホテルの一室の扉を開けたところで命が脅かされるとは、普通は思わないものである。
 子爵家の令嬢となって身辺に気を配らねばならぬ立場になってしまったとはいえ、 は元はごく真っ当な市民生活を営んでいた一般庶民であったので、殴られたり、鋭いナイフの刃先を向けられたり、銃弾ならぬ高出力レーザー光線が飛んできたりと、そのような物騒な暴力沙汰から縁遠い世界に生きてきた。
 ゆえに、誘拐されて一度殴られて以降、ヘルツやカイルから射撃や体術の訓練を受けているとしても、 の危機感知能力はさほど進歩を見せていなかった。
 銀河帝国の高級ホテルともなれば、遮音力場によって内と外とが隔てられている。力場の内側へ入るまでは音が聞こえないものであるし、その逆もまた然りであった。
 カイル辺りに言わせると、外部の音が聞こえないなどという状況は殺してくださいと言わんばかりであるらしい。さらに力場の内側に「虫」を潜ませれば全くもって存在価値がないと、裏仕事に精通する新たな護衛は無色透明の防音壁を忌み嫌っていた。だがそれは彼の仕事内容による評価であったので、一般的にはプライバシーや秘密の会話を守るものとして遮音力場は備え付けられている場は多くあったし、やんごとなき身分の方々は特に話の内容に気を使うということで、 の宿泊するホテルも例外ではなかった。
 そういうわけで、 は談笑しながらヘルツ大尉に扉を開けてもらい、遮音力場の中へ入るまで微塵も内部の状況に気付かなかった。出迎えてくれるはずのゼルマに頼んで何か冷たい飲み物を貰おうと思いながら、扉の内側へと足を一歩踏み出す。
「ん?」
 高級ホテルのスイートルームにそぐわぬ、ただならぬ物音と言い争う声が聞こえたと思うと、ひときわ鋭い金属的不協和音が響いた。
 音の発信源から、何かが の顔めがけて飛来する。
様!」
  がそれを認識するより一瞬早く、背後から伸びてきた腕に肩を掴まれ、斜め後ろへと強く引っ張られた。
「うわあ、ぶっ!?」
 到底令嬢らしいとはいえない叫び声を上げながら半回転させられた は、顔面からヘルツの胸元に衝突する。
 二人の傍を恐ろしい勢いで駆け抜けた飛びナイフが、半開きの扉へと硬質な音と共に突き立った。
 このとき、 はようやく事態を理解した。
 どうやら再びヘルツ大尉に、救われてしまったようである。彼が飛来物の射線から退避させてくれたおかげで、したたかに鼻をぶつけるだけで済んだのだ。
(な、何事!?)
 すわ何者かの襲撃かと思いきや、音程は異なったが、明らかに困惑と焦りの混ぜ合わさった声色が二つ、騒がしさが収束して急に静まった室内に落ちた。
「げっ…」
「あっ…」
 その片方は近頃聞き慣れた感のある、護衛役のものだった。もちろんヘルツ大尉のものではない。
 危機を救ってくれたヘルツはと言えば、謝罪しつつ を抱え込んでいた拘束を緩め、いつの間にやら抜き放ったブラスターを眉根を寄せた表情で下したところだった。そして苦々しく若き同僚の名を呼ぶ。
「シュッツ…何をしているのですか、貴方は…」
 手の内でナイフを器用に弄びながら、とってつけたような弁明をカイルは寄越した。
「悪気はなかった。たまたまナイフが飛んだ方向に扉があって、ちょうどお前達が帰ってきたんだ」
「悪気がなかったで済む問題ですか…まったく」
 あまりに潔い開き直りぶりに、 は可笑しくなってしまった。確かに最悪のタイミングで扉を開き、たまたま凶器の直線上に の頭部があったのだろう。
 当たったら洒落にならなかったが、ヘルツ大尉のお陰で怪我ひとつしていないので、 はカイルを怒る気にはならなかった。何が何やらわからぬまま庇われた後に事態を知ったので、憤りを覚える暇もなかったというのが、正直なところである。
「ありがとうございました、ヘルツ大尉。また助けてもらってしまって」
「お怪我がなくてようございました。私も護衛の役目を、今度こそは果たせたとほっとしております」
 二度も命を救われてしまったと が礼を述べれば、爽やかに謙遜されてしまった。全く二十歳を数年越えただけの( の精神的に)同年代とは思えない、出来た人物だと が感心していると、騒ぎの元であるカイルが横合いから顔を出す。
「言っておくが、それを投げたのは俺じゃないぞ。俺は避けただけだからな」
 自らの後方を示すカイルの親指の先を辿ると、カイルとは少し離れた所に、少年がひとり、険しい表情をして立っていた。
(美少年!)
 少しばかり表情が硬かろうが、放つオーラが違うというものである。おそらく道端ですれ違ったら、10人中10人が振り返るだろう美貌で、その顔は見間違えることが難しいほどに印象的な美しさを含んでいた。
 輝く白金髪に菫の瞳の彼こそがゼルマとクラウスの息子、ロルフ・エーデルバーグだろうと、 は端正な人形のような少年に視線が釘付けとなる。
 ヘルプ機能にあったかんばせと比べると、幼さを脱皮して中性的な雰囲気からはやや硬質さが増している。15歳前後といえばもっとも成長著しい時期であるから、これから美少年がどう育っていくのか興味が誘われるところであると、 は暢気に思った。
 ヘルツも と同じよう、カイルの指す方向へと目をやり、視界に佇む少年の姿を収めた。特徴的な姿に、すぐに思い当たるところがあったようだ。
「ああ、確か彼はフラウ・エーデルバーグの…」
 ヘルツがカイルとロルフを見比べて、一体何があったのかと問いかける視線を送ると、カイルは人を食ったような笑いを浮かべて肩を竦めるだけである。
「ま、少し遊んでいただけさ」
「随分と過激な遊びですね、シュッツ。室内でするようなことじゃないでしょう。しかも年下の少年に対して刃物を持ち出すなど」
 ヘルツが彼よりも幾分年若い護衛を窘めたところ、カイルは口の端を歪めて背後の少年を振り返り、軽く皮肉った。
「おいおい、聞いたか? さあ、どちらが先にナイフを投げたか証言してくれるか、美人さん」
 美人さんと呼ばれた少年を、 も、そしてヘルツもみやった。
 室内の視線を集めていることは気付いているだろうに、ロルフは頑なに誰とも目を合わせようとしなかった。眉根を寄せて、何か思いつめたような表情をしている。
  としては首を傾げるしかない。ヘルプ機能によれば、 はロルフを嫌ってはいなかったはずだし、逆も然りと思えた。 の一方的な思い込みであった可能性もなきにしもあらずだが、楽しげに二人一緒に遊んでいた光景も記憶にあるのだから、それもないだろう。特段ロルフが非社交的な性格であった様子もなく、周囲を拒否するような態度はやや不可解だった。
(どうしよう、ここは私から声をかけるべきかな)
 沈黙が支配しそうになっている室内で、いかに自分が振舞うべきかを は考えた。
 だが話しかける言葉を選んでいる間に、どうやらロルフは何かを決心したようで、握り締めていた掌を解き、表情を正して の視線を真っ向から迎えた。しかし随分と鋭い視線だった。久々に幼馴染との再会を喜ぶ様子には、全く見えない。
 ロルフは数歩進み出て胸に手を当てると、頭を下げて礼を取った。
「お久しゅうございます、お嬢様」
 丁寧な言葉遣いである。 は以前の がどのようにロルフと会話を交わしていたのかよくわからないので、無難な口調を心がけて、美しい顔立ちの少年に挨拶を返した。
「はい、お久しぶりです、ロルフ。ところで一体、カイルと何があったんです?」
  としても騒動の原因は知りたいところだったので、とりあえずは真っ先に疑問をぶつけてみたのだが、ロルフは頭を下げたまま淡々と謝罪するだけだった。
 それだけではなく、 が予想もしないことを言い出した。
「御身を危険に晒してしまったこと、言葉では到底謝罪しうるものでもなく、どのような罰でも受けたいと思います」
 挨拶をされたと思ったら、いきなりの低頭ぶりに はうろたえた。
  は持前の性格から令嬢となっても、周囲に高圧的に振る舞ったりせず、身分などあまり意識していなかったし、もともと 家は家臣や使用人含め和気藹々とした雰囲気の家柄である。もっとも礼儀正しい部類のゼルマでさえ、このように隔たりある臣下としての規範的態度を取ることはなかった。
「いや、そんな…こうして無傷でもあるし、気にしてないし、罰するなんてとんでもない」
「しかし、私の投げたナイフがお嬢様の御命を脅かしたのも事実です」
「それは偶然だし…ほら、どうせロルフがナイフを飛ばすことになったのも、元はと言えばカイルが何か突っかかったんじゃないの?」
 カイルの口の悪さは周知の事実だ。 としては少年の性格を全て把握している訳ではなかったが、無闇に凶器を振り回すような過激な性格ではないことは、 の記憶に頼ればわかることだ。
 多少はクールな部分を持った、けれども気遣いのできる人間だったはずで、初対面のカイルに向かっていきなり刃を向けるようなことはないとすれば、そこには彼にナイフを取り出させるだけの理由があるのだ。
  がカイルを見上げて問いただそうとしたところで、ようやくロルフは整った顔を上げた。
 そしてカイルを牽制するよう睨みつける。何も言うなと言わんばかりの気迫である。
 カイルが降参というように両手を上げると、ロルフは令嬢へと向き直った。
「どのような理由があろうとも、事実には変わりがありませんので。申し訳ございません。どうぞ罰をお与え下さい」
(えーっと、これどうしよう…何か罰しないと駄目っぽい?)
 気にするなと言ってもこの状態なのだ。何か明確な行為をもって償いや罰になるようなことを申しつけなければならないようだと考えて、 はとても簡単な解決法を思いついた。罰となるような対価は、お任せ状態なのだから何でもよかろう。
「それじゃ、ゼルマからも話があったと思うけど、オーディンでの街案内を申しつけます。私の言うがままに、オーディンを案内してもらいます」
「え?」
「ついでにオーディンで一番美味しい御菓子を出す店をリサーチしてきて、そこで私に奢ること」
「俺はうまい酒の方が…」
 軽口を挟むカイルを振り返り、 はもう一方の騒動の責任者に向かって言いつけた。
「カイルはランチ担当。美味しい食事のできるお店を探してきて。もちろん、奢るのはカイルだからね。ロルフを一方的に罰するのはおかしいでしょ? 何があったかは深く訊かないけど、どう見てもカイルも責任がありそうだから」 
 カイルは鼻で笑っただけで、自分に騒動の責任があることについては否定しなかった。
「了解、探しておくさ」
「しかし、お嬢様、このようなことでは…」
「このようなことを、お嬢様自身がお望みなの。はい、という訳でよろしく」
 ロルフは大いに困惑せざるをえなかった。
 彼の知る子爵家の令嬢は、このように強い物言いをあまりしなかったからである。どちらかといえば人見知りで、幼い頃は彼の背に隠れてしまう気の弱いところがあった。そしてそのような黒髪の少女に対して、彼は決して己の外側には晒したくない類の感情を、確かに抱いていたのだった。罰を与えてほしいと願ったとき、彼は別の意味でも罰を欲していたのだった。
 これ以上の反論には聞く耳を持たぬという態度を貫いた に、ロルフは努めて平静を装ってその罰を受け入れる旨を述べた。
 去り際にカイル・シュッツというらしい新たな の護衛に対して、きつい視線を送ることをロルフは忘れなかった。傍を通り過ぎる際には、余計なことを言うなと小声で念押しをし、 達に挨拶をしてその場を辞去したのだった。



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