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 もう一つの目的だった食べ物売り込みもまあまあの戦果を挙げ、 はその月の終わりに予定されているブラウンシュヴァイク公爵家のパーティで復活伝統料理と菓子、双方の料理を提供する運びとなった。うまくいけば貴族ネットワークでその存在が広まることもあるだろう。
 儲け云々ではなく、単純に故郷の料理が銀河帝国に普及することが嬉しいと、 は思う。
 寿司を食べる銀河帝国軍人の図。なかなか心そそるものがある。
 自己満足過ぎる想像にほくそ笑みたいという欲望もあったりするのだが、さしあたりは物珍しい料理が認知されることが肝要であったので、 はせっせと普及工作に励んだ。
 寿司と帝国とは文化的に少々違和感のある組合せだが、訳もわからず別人にさせられた鬱憤を些細な楽しみで晴らす程度は大目に見てもらいたい。
 アマーリエとパーティの件について言葉を交わしている間、エリザベートは何をしていたかというと、安らかな眠りの世界にまどろんでいた。
 手遊びで口ずさんだ歌に興味を示したエリザベートに、その歌詞の元となった詩集(さすが貴族の嗜み。詩集なんて存在をあちらではついぞ手に取ったことがなかったというのに)を読んでくれとせがまれ雅な音韻を諳んじていたところ、くったりと眠り込んでしまったのだった。侍女が言うには、昨夜は楽しみに心躍らせすぎて眠りが浅かったらしく、エリザベートはそのまま寝室へと運ばれていった。
  は外見相応の精神年齢ではないので、7歳児の遊び相手、しかもいずれ全宇宙が傅く地位に上ることもあろうと育てられた子供の相手は、大いに気力を消耗した。しかし手間がかかる子ほど可愛いというものだろうか、エリザベートの我儘をいなすことのできる(外見が)同年代も自分くらいだろうと思うと、お節介根性が顔を出してしまう。
 いつかメルカッツが大貴族のブラウンシュヴァイク公爵オットーを指して、彼は貴族制度の特権の弊害による病気にかかっているのだと述べたことがあるが、自分に出来ることはエリザベートの貴族化する病気の進行を出来うる限り食い止めることなのだと、 は自らの存在意義をひとつ見つけてしまったのだった。
(常識外れな子だけど、可愛いと思っちゃうんだもんなあ)
 この場合の常識とは、 基準である。
  の内心をフェルナー辺りが知れば、 ・フォン・ 嬢こそ常識の範疇外であることを指摘したはずだった。
 そのフェルナーといえば、帰り際の見送りの案内の折に少し会話を交わしたのだが、彼は の心をどきりと跳ねさせるようなことを言った。決して色っぽい方面に跳ねたのではないのが、悲しいところである。
「そういえばフロイライン・ は、先日の一件について調べておられますかな?」
 ブラウンシュヴァイク家に仕えるフェルナーとの接点があった件など一つしかないので、 は誘拐事件のデータを急いで頭に呼び起こした。そして何でもない振りを装い、フェルナーの青灰色の瞳を見つめ返し、ごく簡素な返答を口に乗せた。
「ええ、少々」
 おや、とフェルナーは思う。半年前、ローバッハ伯領で分かれる際には事件の真相解明に随分と乗り気のようだとフェルナーには感じられたのだが、今の子爵令嬢の反応はあまりにも消極的に過ぎた。
  といえば、この件に関してはあまり探られたくなかったのだった。何しろ、誘拐実行犯の一人を 家に迎えているのだ。傍から見れば疑惑の一味と思われてもおかしくないことである。カイルを雇い入れる際にそのことをうっかり失念していた は、ブラウンシュヴァイク公爵家に招かれるにあたって細心の注意を払うようカイルに申し入れた。幸いであったのは顔を見られているのがエリザベートとテレジアという共に幼い少女二人だけということと、ローバッハ家の監視カメラなどにも姿を残していないとカイルが申告していることである。
「仕事をするのに、現場の警備情報入手するのは当然だろう? 監視カメラの位置も性能もわかっていた。万が一を考えて、逃げる時にはその日の画像データは全部消してきたが?」
 抜かりはない仕事ぶりである。その万が一が恐ろしいのだが、当面はカイルの主張を信用するしか には選択肢がなかった。もちろん当人をブラウンシュヴァイク家へ連れてくるなどという恐ろしい自殺行為はできず、護衛役のカイル・シュッツは本日は護衛対象と別行動で、今まさに話題に上っている誘拐事件について調査しているところだった。
 フェルナーは些細な違和感というべきものをひとまず置いて、言葉を継いだ。
「公爵家でも逃げた犯人を追うとともに、犯行を依頼したのが誰であったかを調査中なのですが、これがなかなか難航しているのです。何か手がかりをお持ちでしたら、ぜひ御伺いしたい」
 無事戻りはしたものの娘が攫われたとあって、ブラウンシュヴァイク公も犯人追及の厳命を下しているだろうことは にも想像できたが、カイルを差し出すことはできないのでとにかく無難な答を選ぶ。
「残念ながら、当家では手がかりなどは未だ何も……ただ、事件のあったローバッハ伯領は隣ですし、今後も継続して調査は行いたいと思っています」
 有益な情報は、皆無ではない。少なくとも、 にはローバッハ伯に対する疑惑を持ちうるだけの理由があった。コンラッドの代から因縁は深いし、カイルが教えてくれたRに気を付けろと書いた理由も、 の手元にあったからである。しかしその根拠はいずれも客観的ではなく主観的事実に基づいていたため、ブラウンシュヴァイク公爵家の同意を得ることも難しいだろうと も思うのだった。カイルが何か良い物証を掴んでくれたら、彼の身に災が及ばぬよう公爵家にも連絡しようと考える。
 同時に、どうにかしてカイルが子爵家にいる正当な理由を作らなければ、と は思案した。ローバッハ伯家が事件に関与していたという証拠さえあれば、理由のこじつけは割合うまく行くかもしれないと は悪知恵を働かせる。取り越し苦労であればよいが、もしもの時の保険というものである。そして石橋を叩こうとする の行為は、やはり後のある局面においては保険として作用したのだった。
「左様ですか。それでは、何か分かった折には是非ご連絡をお願い致します。ところで、フロイライン・ は近頃、熱心に勉学に励んでおられると聞き及んでおります。何か思うところがおありで?」
 フェルナーは行き詰った事件の話から大きく話題を転換し、場の雰囲気を和やかなものへ移行させることにしたようだった。
  は少々ほっとしながら、傍を歩くヘルツ大尉へと視線を向ける。主たちが茶を過ごす間、護衛である彼らも会話を交わしていたのだろう。
様は普段、どのようにお過ごしかと訊ねられたので、主に勉学に費やされることが多いとお話致しました」
 その口ぶりから、栗色の瞳の青年が大して の受けているカリキュラムの内容をフェルナーに伝えていないことに気付いた である。おそらく、社会の仕組みに興味がおありのようです、くらいの表現でフェルナーに話したのだろう。
  の想像は的を射ていた。子爵家の令嬢が様々な分野の勉学に勤しみ、果ては軍学や銃の扱いまで覚えようとしているとは、男勝りと捉えられても仕方のないことである。貴族社会における外聞を配慮するならば、一介の護衛が軽々しく話すべきではないことのようにヘルツには思われたのだった。
「思うところといいますか、そうですね、勉学は嫌いではないですし、世の中のことを知るのは悪くないと思うのですよ。何も知らないで生きていけると思うほうが異常です」
 淡々と述べた少女の言に、フェルナーは笑いが噴出しそうになるのを堪えねばならなかった。
  自身は当たり障りのないことを言ったと思ったのだが、フェルナーは回りすぎる頭脳の働きによって、つまり世の中の理を知らぬ一部の貴族の行いについて批判したのだと取ったのだ。その会話においてはフェルナーの勘違いではあったのだが、より俯瞰すれば彼の受け取った意味は、割と の本心に近いところにあった。
 まだまだ会話を続けて子爵令嬢の人為を試したい誘惑にフェルナーは駆られた。だが、そうするには場所が相応しくなかった。貴族の中でも随一の権勢と伝統を誇るブラウンシュヴァイク公爵家の只中にあっては、フェルナーも、そして令嬢も本心を語ることなど不可能なのである。加えてフェルナーが令嬢を面白がっているからといって、その関係はいまだ二度ほど顔を合わせたばかりの知人というのも憚る程度の親しさであるし、己の本音を表出させても本当に大丈夫なのかという保障を、彼も確信しかねていた。
  の方もフェルナーに対しては、多少の隔たりを持たざるを得なかった。彼がブラウンシュヴァイク家に仕える身分であることや、陰謀家の側面を持っていること、そして子爵家の内にカイルという爆弾を抱えていることがその理由だった。
 そのため二人は双方に対して興味を抱きつつも、心の内を晒す関係には今のところ決してなれないのだった。


 フェルナーに見送られブラウンシュヴァイク公爵家を後にした は、既に帝都が黄昏に沈む時分だったこともあり、オーディンに滞在する間の宿へと向かうこととなった。
 コンラッドは本日のところは予定がなく、 とは宇宙港で分かれてホテルへ直行しており、夜はホテルのレストランで二人は夕食を共にする予定だった。
 安息の夜を過ごす宿は、オーディンでも割に有名な高級ホテルである。贅沢とは思うが、家格を保ち外聞を繕うというのも領主一家の行動に求められるものなのだろうと、 は思うのだった。
 とかく貴族社会には実益の伴わない儀礼的コードがついて回るので、身分や地位に相応しい振舞いをしていないとすぐに宮廷雀たちの暇潰しの餌となってしまうのだ。自分ひとりならまだしも、さすがの貫禄をかねそなえたコンラッドを伴って、まさか下町の宿に泊まろうとは言い出せるはずもないのだった。
 コンラッドは貴族で、しかも頑固になりがちな老齢にあっても柔軟な思考力を兼ね備えた人物ではあったが、 のように世界を跨いで銀河帝国とは違う社会で生きた経験など皆無であったし、子爵家に生まれたことの矜持も廃棄してはいなかったので、ホテルの格式に対して特に思うところはないようである。
 郷に入れば郷に従えを実行した は、いずれ機会があれば下町での滞在もしてみたいと想像し、その希望は数年ののち、意外な形で実現することになったのだった。
 余談ではあるが、オーディン滞在のこの数日中に会う約束を交わしているユリウス・フォン・ヴィーゼは、よければヴィーゼ伯爵家を宿地にしても良いと申し出てくれた。だがコンラッドの同伴と、それこそ外聞を憚って はその選択肢を丁重に辞退せざるをえなかった。
 ヴィーゼ家は銀河帝国でも有数の財閥だったので、そこに年頃の(あくまで貴族の基準で。10歳が婚活する社会ですし)娘が招かれることの意味を他人がどう取るのかと考えると、 が後の面倒を想起するのも当然というものだった。さらに、一度ユリウスが領に遊びに来た事があったのだが、それも瞬く間に噂となったことも耳にしていたである。
 貴族社会では男性と女性の住み分けが強くなされるものであるし、友人関係とは同性間でしか成立しないのが普通と思われているのだ。男女七歳にして席を同じくせず的な、 にとってはカビの生えた地球の中世時代に逆行したとしか思えない風潮が、銀河帝国には存在していた。
 その辺のニュアンスは、一度限りではあったが 嬢の友人との御茶会で、二人きりで会うことや互いの家に招くことの重大さ加減を耳にしていたので、銀河帝国貴族の世情に疎い もなんとなく分かっていた。
 それを踏まえると、ユリウスの申し出は破格にすぎるとは思うのだが、 の(そして近頃は にとっても)親愛なる祖父、コンラッド・フォン・ 卿は既に現役を退いてはいるが優秀な軍人として結構知られた人物であったので、そちらの伝手を繋ぎたいという思惑あってのこと、とも理解できなくはない。
 ただユリウスと短期間の付き合いしかまだないとはいえ、迂遠な駆け引きを好まぬと互いの共通点を見出してもいたので、 はユリウスの「うちとまれば(短縮・意訳)」発言は純粋な好意から出たもので、辺り憚ることはない心持だったからこその招待だったのだろうと推測している。
 ちなみに 達が宿泊するホテルはヴィーゼ家の資本が入っており、抜かりないユリウスは 家ご一行にスイートルームを格安価格で提供してくれていたりする。
 友達付き合いとはいえ、貴族の好意は規模が違うのだった。
(今日は気疲れしたし、早めに休もう…)
  は塵ひとつ落ちていない毛艶の良さが光る絨毯の敷き詰められた廊下を歩きつつ、明日からの予定を思い浮かべた。
(えーっと、コンラッド祖父様と軍務省に顔を出すのと、ユリウスと会うのと、テレジアと遊ぶのは外せないから…)
 やりたいことは沢山あるのだが、時間は有限なのだった。外せない約束を除いて残った時間をいかに有効に使うべきか、悩ましいところだった。
 ミーハー根性を発揮するならキルヒアイスの実家など見てみたいところだが、あいにく詳細な地理がわからないのと、護衛としてついてくるヘルツ大尉やカイルたちに怪しまれること請け合いだったので、 は小さな願いを断念せざるをえなかった。他に思い浮かんだ無憂宮殿は良い観光ポイントとは思うのだが、貴族の巣窟とも思えるのでのこのこと田舎出の子爵令嬢が顔を出すのも憚られた。
(どうしようかな。あ、でもそういえば案内してくれるって話もあったし…丸投げしてもいいのかな)
 オーディンでの観光ルートを思案しながら、 は華美すぎないレリーフの彫られたホテル最上階の一室の扉をくぐり、何とも異様な雰囲気に出迎えられることとなった。



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