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(な、なんで、ここに!?)
「顔見せ?」
 訝しむよう男の言葉を反復したヘルツは、困惑に時を止めてしまったように動かない護衛対象と男の対角線上にその身を移動させた。
  はといえば、徒手に見える相手にも警戒を怠らないヘルツに、呆然としながらも少々の心強さを覚えたのも事実だった。小さな身体のハンディは先日の一件で痛感した である。暴力に訴えられれば、絶対に大人の男には叶わないのだ。そういう際に選択肢の幅を広げるために習得しようとしている射撃技術だって、ついさっき習い始めたばかりで手元にあるのは模擬銃で威嚇にもなりはしない。
 そんな状況で眼前の男に対処できそうなヘルツがいれば、とにかく自分は考えることに集中できる。衝撃から抜け出し、 の脳内では目まぐるしく神経細胞が活性化していた。
 ヘルツと同年代くらいに思われる年若い男は、肩をすくめた。だが男の琥珀色の瞳は、じっと軍服の背に庇われた に注がれたままだ。
「そうだ、クラウス…だったか、あの男から話がいってるだろう? 今日の午後、そちらのお嬢様に御目見えと俺は言われたが」
「なぜお前が 様に顔を見せる必要がある」
 あくまで不審者に対するよう強い口調で問うヘルツに、男は口の端を歪めてみせた。
「お前、そこのお嬢様の護衛だろう、マティアス・フォン・ヘルツ大尉? 俺も同じだ」
「同じ?」
「俺も護衛で雇われた、ということだ」
(まじですか…クラウスさん…)
 男の言に、コンラッドの忠実な部下であるクラウスの言葉を思い出した である。
 クラウスとは、50代に差し掛かった歳の頃の 家の使用人で、常にコンラッドの傍に控える落ち着いた佇まいの人間である。彼を初めて見たとき、 は執事がいる!と口にこそ出さないが胸の裡で叫んだものだった。白髪まじりの白い立襟シャツに赤スカーフの明るい胸元をおさえるような黒のベスト、そして上と揃いのスラックスに磨き上げられた靴。彼に問えば 家のあらゆる事柄がわかる、という訳である。そのあらゆる事柄には、表のことだけでなく裏仕事も含まれているところがクラウスの凄いところだった。

  家に仕える、つまり子爵家から俸給を貰っている人間をリスト化したとして、表に携わる人間とはヘルツ大尉やゲーテ艦長のように軍属にあるものや 領の統治府で働く役人、 邸内の雑事をこなす使用人の類を指すことができる。彼らが領内で勤務しているというデータは公になっているし、その勤務内容も役職どおりのものである。しかしそのリストの隅っこには、おそらく実在しない人間の架空の名があるだろうし、リストに記載された役職とは異なる仕事を請け負う者が存在しているのだった。そもそも仕えている人間の頭数にカウントされない人間もいる。そのように秘められた存在である彼らこそ、政治工作、謀略、暗殺などなど物騒な裏舞台で活躍する 家の『裏方』の使用人だった。
 銀河帝国貴族の歴史を振り返ると、名は残さなかったが裏舞台のスターは数多く存在した。時の皇帝や皇太子を毒殺した暗殺者、政治的に失脚させた工作の達人、権力者同士を相争わせ滅亡させた煽動者。表の歴史では裏のスターが舞うたび、新たな皇帝や権勢を誇る要職にある者が登場した。あらゆる手段を使ってでもより多くの利益や権力を獲得したい人間が存在するなら、彼らの命令を実行する人間もいるのが道理というものだった。その道理は帝国貴族の中で脈々と受け継がれ、やはり帝国貴族社会の一員である 家もこの伝統を守らざるをえないのだった。降りかかる火の粉は払わなければならない。そのため、現在のところは積極的に活用する目的ではなく、主に身を守るために裏人材たる彼らは 家に雇用されていた。
 そして は、今朝方、『表』で仕えつつも『裏方』を取り纏めるクラウスに丁寧な物腰で告げられたのだった。
「お嬢様、新たな人間を一人、お嬢様の護衛として裏の方で正式に雇い入れようと思っております。先日の事件のようなことがないようにと思って人を探してはいたのですが…その男、腕は確かなのですが少々素行に不安がありまして。コンラッド様へ申し上げたところ、人を見る目を養う良い機会だからと、お嬢様に任せるようにと仰っております。それにその者も、お嬢様と直接会って決めて頂きたいと申しております。いかがなさいますか?」
 近頃コンラッドからはめっきり後継者扱いされているな、と思いながらも、 は頷いて肯定の意を示した。素行に不安がある護衛というのも、なかなか興味深い。しかしクラウスが採用しても良いと判断する程度には、身元や腕は確かなのだろうと は思った。
(どんな人だろ…)
「わかりました、それでは射撃訓練が終わった後にお願いします」
「承りました」
 そのような会話を交わした覚えは、 にもあった。

様」
「…確かに、クラウスからは新しい護衛と面会して雇うかどうか決めるように、と言われていたけど…」
 男の言葉の真偽を問う声音のヘルツに、 はそれだけ答え、少し離れたところで肩をすくめた男を凝視していた。
「その新しい護衛が俺だ。正式にはまだ採用されていないが。名はカイル・シュッツ。それでどうかな、 様?」
 ふてぶてしい眼差しで挑戦的に問い掛けてくる男に、 は心中で深いため息をつかずにはいられなかった。
(素行に不安って、こういうこと…)
 確かにクラウスが心配したのも頷けるというものだった。
 細身で筋肉質な体つきの若い男の口調は軽かったが、琥珀色の瞳に宿る光は剣呑なものがあった。決して「いい人そう」などとは思えない、どこか陰のある顔つきである。それだけ見れば、夜の酒場では寄ってくる女に困らなそうな「危ない男」の類だな、としか は感想を抱かなかっただろう。
 だが男の一重切れ長の目元と、本心からものものではないとわかる笑みの形を浮かべただけの口元は、少々朧になりつつある記憶だったが、忘れられるものではなかった。
(なんで、こんなところに…しかも護衛って何で?)
 冷静になれと自分に向って繰り返し説きながら、 は男へ向かって胸のわだかまりを投げつけた。表面的には、淡々ともいえる事務的口調だった。
「…どうもこうも、決める前に訊きたいんだけど」
「なんなりと」
「なんでわざわざ元誘拐犯の方が、元人質のもとにのこのこ顔出して護衛になろうと仰るのか、是非ともその動機を教えてもらいたいですね」
 ヘルツは少女の言葉にぎょっとし、元誘拐犯という発言に先日の顛末が脳裏に描き出された。
 犯人は三人組で、一人は逃げ遂せて結局いまだ行方知れずなのだった。その遁走した男が目前にいることに更に警戒心を募らせたヘルツだったが、同時に単純な疑問も浮かんだのだった。
 なぜ逃亡した犯人が、護衛を名乗ってここに現れるというのだ?
 黒髪黒服の中でそこだけ異彩を放つ琥珀色の目をすがめたカイルは、面白いという風にいっそう笑みを濃くし、首を傾げてみせる。
 やはり 家の令嬢は一筋縄ではいかない性格のようだと、己の直感が正しかったことを認めながら彼は口を開いた。
「そうだな、順に話をしよう。まず誘拐については、あれは上からの命令でやらされたものだ」
「上からって、誰が上なの!?」
 思わず他の追及を投げ捨て、瞬間的に食いついてしまった である。
 目前の男以外の犯人たちは事情を語る機会を与えられぬままヴァルハラへ旅立ってしまったため、誘拐事件の真相は闇の中だった。表面上は実行犯たちが金目当てに犯行に及んだという単純明快な結論が与えられている。自分はただの巻き添えだったとは理解しているのだが、不可解な謎が多い決着は、あれから半月以上経ってもまだ の内にしこりを残していた。男が真相を知っているというのなら、是非とも知りたいところだった。
「上というのは、俺が以前所属していた裏組織のことだ。直接の依頼人は知らない。組織の上の奴が受けた依頼を割り振られたのが俺だった。その頃、内部で色々と面倒があって、いわゆる捨て駒としてあの仕事を振られたということは、やる前から薄々気付いてたんだがな」
「それであなたの予感は的中し、生贄役となる前に逃げ出したってわけ?」
「ご明察」
 男は右手で銃の形を模した指先をこめかみにあて、撃つような仕草をしてみせた。
「結局、他の二人は死んだろう? 元の筋書きとはだいぶ違っていたみたいだがな」
 無礼な物言いを咎めるようなヘルツの視線をものともせず、カイルは右手を降ろしてゆっくりと、殆ど足音を立てず歩みを進める。
「なかなか面白かったな、お前の啖呵は。嵌められたんじゃないかってよく気付いたものだ、こんな子供が」
 近づく男を牽制しようとするヘルツの腕を抑えて、 も自ら進み出た。先ほどから、びしばしとお前顔貸せと言わんばかりにカイルが不敵な顔をしているのを、 はつまりは自分が試されているのだろうと、護衛候補者の意図を汲み取ったからだった。
 男の真意はわからないが、ここで気後れして退いてはいけないのだと、 は悟っていた。目を逸らしたら飛びかかってきそうな気配がするのだ。威嚇する動物に対して隙を見せてはならない、とはあちらの世界で耳にしたことであるが、まさに人間相手にその状況を再現するとは思ってもみなかった。平和な故郷が恋しくなった である。
「まあ自分でも、私は普通の子供とは少し違うと思っています。それより、なぜそれを逃げたはずのあなたが知っているの?」
「二人組の男の方に、虫を付けておいたんでね。情報は時に自分の命を救うものさ。俺が渡した情報も役に立っただろう?」
 虫とは盗聴器の類をさすのだろう。一応は仲間である人間にも仕掛けるとは、なかなか周到なことである。
「おかげさまで。でも自分が逃げるために撒いた情報でしょう?」
「まあな。メルカッツ提督はやはり噂通りの優秀さだったな。俺の手紙は真偽も定かじゃなかっただろうが、しっかりローバッハの奴らの動きを見て、お前らを発見できたんだから、人選には感謝してもらいたいものだな」 
「それが私を助けようとした親切心からのものじゃないことはわかってるんだから。大方、自分の捜索にメルカッツ提督に加わって欲しくなかったって下心でしょう。…動機はともかく結果的に助かったことに対しては、感謝するけど…」
 ブラウンシュヴァイク公爵の娘が攫われたとなれば、その場にいる大部分の貴族は否応なしに協力しなければならない状況だったのだ。エリザベートを捜索する一方で逃げた犯人の行方を追わなければならないとするなら、高名なメルカッツに指揮官として白羽の矢が立つことも考えられる。優先度の高いエリザベート捜索を手伝うとは断言できない状況を、必ず関与させる方向へと導いたのが手紙だったという訳だ。
  からほんの数歩の距離で歩みを止めたカイルは、口笛を吹いて感嘆を表現した。事件の際の少女の推理を聞いていて歳の頃に見合わぬ頭脳の持ち主とは思っていたが、こうして正面から相対してみると改めて感心するものがある。
「そこまで理解してたのか。まったく、安穏とした環境で育った子爵家の令嬢とは思えないな」
 自らの推理が当たっていることを知り、あの事件の際にカイルに対して抱いた、頭の回る男、という印象を は強めた。そう思うと同時に、なぜこの男は今頃こんなところに顔を出したのだろうかという疑問が、謎に満たされぐるぐると渦巻いている。
(さっぱりわからん…)
 こんなに積極的に 子爵家へ、もしくは自分へ接触しようとする意図はなんだろう。どこからか依頼を受けて子爵家の誰かを害そうとしているのかと考えるが、それならば優秀なクラウスあたりが事前に察知して対応しそうなものである。
(ま、クラウスさんはどうせその辺で隠れて聞いているんだろうけど…)
 誰もいないと思った空間から、ひょっこり壮年の執事が現れるという場面に何度も遭遇している は、ある意味とても要注意人物であるカイル・シュッツをクラウスが放置する訳がないと思っていた。クラウスが現れる場面というのは、 がふらふらと一人で統治府の中をうろつこうとしたり、 邸を抜け出そうと試みるような時ばかりだったので、どこかで子爵令嬢の身の安全を見守っているだろうことは伺えた。とはいえクラウスも分身できる訳ではないので、コンラッドを最優先で保護しつつ 嬢のお守りもしているらしく、ローバッハ領での一件は彼の目の届かぬ場所のことであったと謝罪も受けている だった。
(でも人手が足りないからって…これはちょっと危ない物件じゃない?)
 全くもって従順そうに見えないカイルを護衛にしようとは、リスキーこの上ないのではないか。
 その危険人物の対応を孫娘にさせようとするコンラッドに対しても、 は心中、少々の悪態をつきたくなる気持ちを抑えられなかった。



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