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19



 どうにも実感のわかない宇宙戦の基礎理論に脳細胞を加熱させた後は、いつも は着替えて邸内の庭先に設けられた訓練場へ向かうのだった。
 コンラッドによる『軍事』の授業のほかに、これは が希望して令嬢にはまず普通は教えないような授業がもう一つあった。
 誘拐されて が決めたことの内の一つが、危ない目に遭った場合の対処法を習うこと、である。危ない目に遭う確率を減らす努力はもちろん、災難に遭遇してしまったときの振舞い方は知らねばなるまいと、誘拐されてみて初めて危機感を抱いた だった。
 教師は既に今日の授業を行う場所で待機していた。近頃はすっかり見慣れてしまった栗色の瞳の青年がそこにいる。
「よろしくお願いします、ヘルツ大尉」
「はい、それでは今日は実際に撃ってみましょう。何事も実践が一番です」
 和やかに挨拶を交わした後に手渡されたのは、こちらの世界のもっともポピュラーな型の軽量ブラスターを模した訓練銃である。
  が何か身を守る術が欲しいと言った際、カールとヨハンナは当然のごとく、そのような物騒なことを習う必要はないと反対した。しかし先日の誘拐の件を持ち出すと、娘が自分で身を守れるようになる方が確かに有益で安心だと納得し( の詭弁によって説得されたともいう)、パーティから戻って以降、娘の護衛官となっていたマティアス・フォン・ヘルツ大尉に対してその術の教授を申しつけたのだった。
 護衛の上に教師役に任命されたヘルツは、先日の一件により大尉へと昇進していた。
  には詳細な手順は不明だが、この度の令嬢救出において功績ありとカールが帝国軍の人事部へ連絡し、ひとつ階級を上げてもらったのだという。カールといえば、娘の救出に尽力した栗色の髪の青年士官をすっかり気に入ったようで、直々に引っ張って娘の直属の護衛官として抜擢したのだった。とはいえヘルツはもともと艦隊や部隊を指揮するための戦術戦略の類を学んだ士官だったので、護衛の任務は限られた時間の限られた範囲内のみであった。それ以外の軍務は、やはり主に艦上で行っている。
  はといえば、カールの差配に口を挟まなかった。戦艦での案内から一連の事件での対応を見ていれば彼がとても優秀な人材であることはわかっていたし、人柄も悪くない。 が誰か護衛を選べと言われても、彼を指名しただろう。
「よろしくお願いしますね、ヘルツ大尉」
「こちらこそ、今後ともよろしくお願い致します、 様」
 にっこりと挨拶を交わしたが、それが単なる社交辞令にすぎないことなど互いに薄々感じてしまっているあたり、この先の付き合いも長くなりそうだと が腹の中でこっそり思ったのは秘密だ。
  が心のままに振舞った結果、彼は 子爵家の令嬢がどうやら普通の子供とは違っていると確信を抱いたようだった。 はといえば、もう子供の振りも令嬢らしく振舞うのも『適当』にしか努力していなかったため、ヘルツの接し方に対して何らの配慮もしようとは思わなかった。やりたいようにやる、それでいいか、と開き直っていたので、こちらを普通の子供とみなさない分、割と気楽に話ができる相手だとヘルツを認識するようになっていた。
  嬢の護衛兼、護身のための授業の教師となったヘルツはまず、幼い少女に対して危機回避方法をいくつか教えた。一人で出歩かないことや、尾行がいるか確認する方法、受け身の取り方、銃撃戦の際の防御姿勢などなどである。それらの消極的危機対処法の授業の後、積極的危機対処法として若き大尉が提案したのが、射撃訓練だった。
  は最初、子供が銃を撃てるのか?と疑問に思ったのだが、こちらの主流の銃は火薬銃ではなくビーム銃のため発砲の反動が殆どなく、子供にも簡単に扱えるということだった。そのため、的に当てられさえすれば小さな子供が身を守るのに最適な武器だと、ヘルツは主張した。
「的はまずは2mにしましょう。近接戦の際には大体2mから20m以内の距離で相手と対峙することが多いですからね」 
 言いながらヘルツは手元の操作盤で2mの位置に丸い的を表示させた。 は頷いて射撃地点に立ち、数日前に教えてもらったとおり、安全装置を解除したブラスターを体の中央に両手で構える。子供の背丈なので腕は水平ではなく上に角度をつけ、射線を意識しながら的を狙った。呼吸を一瞬止め、トリガーを引く。手元から一条の収束光が飛び出し、的の中心やや右を貫いた。
(あらら、これは拍子抜け…)
 訓練用ではあるが初めて武器というもの握って撃ったというのに、 はそのあまりの呆気ない簡単さに気が抜けた。なんというか、ゲームセンターでゲームをしている程度の呆気なさだ。
 そのような彼女の気分を感じ取ったかのように、ヘルツは新たな標的を の前に表示させた。
「うまく当てられましたね。それでは、こちらの的はどうでしょうか? 赤いポイントを狙ってください」
  は、今度の的に対しては躊躇してしまう自分をみつけた。構えた両手がなぜか震えてしまう。それでも心を落ち着かせてトリガーを引き絞ったが、光は赤いポイントを逸れ、辛うじて的を掠った程度だった。
「先ほどと同じ距離なのに、今度は当たりませんでしたね」
「…」
 銃を下ろし、 は標的の表示をじっと見つめた。
 精緻な映像で作られた標的は、人間の姿をしている。急所として赤点で示されているのは、額や喉元、心臓といった部位で、そこを撃たれれば人は死ぬという場所ばかりだ。
「聡明な 様ならご理解頂けたかと存じますが、ブラスターは簡単に扱える武器です。トリガーを引けば反動など殆どなしにビームが出る。的に当てることも難しくない。訓練せずとも至近距離ならあてられる位だ。けれど、実際の的となるのは人間です。そしていざという時にトリガーを引けなければ、ブラスターを持たない場合以上に危険になります。人は己を害そうとする者に対して、驚くほど暴力的になります。 様がブラスターを構えたなら、相手も何らかの暴力的行動に出るでしょう」
  は落ち着いた声音で説明するヘルツを振り返る。栗色の瞳がじっとこちらを見つめていた。
「小官は身を守る術としてブラスターを勧めました。もっとも合理的で実用性の高い身を守る方法だと思ったからです。ですが、 様、もしも貴女がブラスターを持つのなら、相手を殺す覚悟をしなければなりません。まだ幼い貴女にこのようなことを申し上げるのは酷だとわかっております。しかし、身を守ることは、時に相手を傷つけることでもあります」
 そこで言葉を途切れさせたヘルツが無言で、続けるか?と問うていることを、 は正確に理解していた。
(確かに10歳の子供に考えさせるようなことじゃないような…)
 なかなかにハードな人生哲学である。ヘルツはどれだけ外見子供の を買い被っているのだろうかと問い詰めたい位だ。
 とはいえ自分は10歳の精神ではないし、これから先も危険が降ってくるような環境に置かれる可能性がなきにしもあらずとあれば、自衛手段はないよりあった方が人生の選択肢の幅が広がるというものだ。
  はもともと、常に冷静を身上としている人間だ。冷静とは、感情を排することでもある。だからこそ は自分をこのように見做していた。自分は恐らく、生身の人間に対しても引き金を躊躇いなく引くだろう、と。そうできるだけの冷酷さがあるだろう、と。もちろん、後悔したり恐れたりはするだろう。でも根元の部分では、我が身が、そして自分の大切な人の方が、敵の命よりも優先されるという計算をして、その通りに行動するだろうと は思っていた。
「大丈夫、覚悟はできています」
 しっかり頷いて見せ、 は振り返って再び的を見据える。
(何が一番大事か、ってことよ。優先順位をつけなきゃ、生きていけないんだから)
 生きることは、究極的には誰かを殺すことにつながるのではないかと、 は思う。
 たぶん、直接的なのか間接的なのかの違いがあるだけなのだ。
 なんといっても が今いる世界は、戦争がメインテーマの舞台だ。艦隊という無数の点の一つ一つ、戦艦という殻の内側には数千の命があり、それらを撃って撃たれてを繰り返す世界。撃て、という命令は肉眼で見えないだけで幾つもの命を刈り取る。そしてその規模を縮小した図が、 の手中の銃にある。
 そんな時が来ないで欲しいと思うが、もしかしたら自分が人殺しの矢面に立つ日が来るかもしれないと は誘拐された時に思った。
 だから、決めたのだ。
 非暴力の理念は素晴らしいが、右の頬を打たれて左の頬を差し出すほど可愛い性格をしていたなら、たぶんこんなことは言いださなかった。
 握った銃身の先から三度、光条が発射された。発光する線は狙い過たずに赤点へと吸い込まれる。
(あー、私ってやなやつ!)
 ヘルツはそのまま無言で今度は更に遠い場所に標的を表示させ、 が再度、指先に力を込めようとしたところ、低い笑い声が唐突に響いた。
「くくっ、ほんとお前、面白いねぇ」
「誰だ!?」
 誰何の声とともにブラスターを取り出し を庇う様に立ったヘルツは、気付かぬ内に背後のほんの数メートルの距離に男がいたことに、内心で焦りを覚えた。充分に周囲に気を配っていたはずなのに、全く気付くことができなかったのだ。
  も声の主を見ようと振り返った。邸内では聞いたことのない声と口調だったからである。お前という二人称が子爵令嬢を指しているとするならば、 家の使用人ではないのだろうと、 は思ったのだ。
「あれ、聞いてないのか? 今日が顔見せの予定だっただろう?」
 だが振り返って男の顔を見た は、あまりの衝撃に呆けたように口を開くしかなかったのだった。




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