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17



 
 事件から一夜明けた昼、 はローバッハ伯邸の壮麗なファザードで、己の身体よりも幼い少女を宥めるのに苦心していた。
  とは違い骨の髄から本物の大貴族令嬢であるエリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクは、自らを大仰な貴族の娘として扱うのではなく、単なる一人の女の子とみなして接する庶民的コミュニケーション( 命名)をいたくお気に召されたようで、 子爵家の令嬢を連れ帰りたいと本気で泣いた。
  は苦笑し、約束通り共にお茶を過ごした際に 家の名物(あちらの世界のものをコックに作らせた。だって食べたかったから)だといって食べさせた、口の中でほろほろ溶ける菓子の残りを全て渡しながら、濃茶のブルネットを優しく撫でる。この菓子を渡すまで、既に数十回は宥めすかすのを繰り返していて、言わば虎の子の最終手段だった。もちろん、エリザベートも自らの要求が通りそうにないことはわかっているのだが、我がままを言って足止めしてしまうほどには、年上の優しい『お姉さま』を気に入ってしまったのだ。
「大丈夫、また必ず会えますよ。エリザベート様もよろしければ、いつか 家にいらしてください。歓迎します」
「まことか…? これも、たくさん食べられるか…?」
 ちゃっかりお菓子を強く握りしめた子供を、 は微笑ましく思う。
「本当です。そのお菓子のレシピも含めて必ずお手紙も差し上げますから、だから今日はお別れです。お別れがあるから、また会える楽しみがあるでしょう?」
 にっこり笑って言えば、割合単純な感情回路の所有者は、泣き顔のままではあるが素直に頷いたのだった。
 目線を合わせるために屈みこんでいた が顔を上げると、満面の笑みでこちらを見つめる貴婦人と目が合った。エリザベートの母、アマーリエである。
子爵家の 、でしたわね」
 エリザベートに慣れた は、その居丈高な話し方にさほどの感慨も覚えたりはしなかった。
「はい、 ・フォン・ でございます」
「エリザベートと遊ばせるには少々家柄はよろしくないけど、この子が会いたいとこれ程言うのも珍しいこと。いずれお招きするから、どうぞブラウンシュヴァイク家へいらっしゃいな」
「光栄の至りです、フラウ・ブラウンシュヴァイク。お招きに預かりましたら、必ずや参上致します」
「ほほ、オットー様にも貴女のこと、お伝えしておくわ。今回の事件は不幸な出来事でしたから、多少のお詫びも差し上げるように申し添えておきます」
 感謝せよ、と目線で言われるようで勝気な は内心穏やかではなかったが、表面上は深々と頭を下げることで感情を押し隠すことに成功した。
「お心遣いを頂くのも心苦しく思いますが、貴い方の深慮を御断りすることこそ僭越というもの。フラウのお慈悲には幾千の感謝の言葉でも足りません」
(我ながらよく回る舌だ)
 簡単にいえば、断るの悪いからもらっとくわー、超ありがとー、くらいの意味しか含まれていないのだが、貴族的修辞を活用すると途端にもっともな風に聞こえるから不思議だ。
 手を振り振りアマーリエに連れられていくエリザベートを見送る に、ブラウンシュヴァイク公爵家の随員であるフェルナーは去り際、にやりと笑いかけた。
「大層気に入られましたね、フロイライン・ 。今度はブラウンシュヴァイク家の領地で、是非もう一度お目通り叶えればと思います」
「…ええ、お伺いする際にはお会いできるよう取り計らいますので、その時はどうぞよろしく、フェルナー中尉」
 この先どれだけ子爵令嬢の身分でいられるかわからないが、エリザベートの自分への執着ぶりを見れば、まず間違いなくブラウンシュヴァイク家との縁はこの先も続くだろうことは予想に難くない。後々のローエングラム台頭を考えればすっぱり縁切りしておいた方が良いと理性は計算するのだが、人の心とはうまくいかないものだ。幼い子供、しかも貴族社会の中枢とも言える環境で育つエリザベートを見ていると、人恋しくてあのような性格になってしまったのではないかと構わずにはいられない だった。
 子供らしくない苦笑という表情で答える に、フェルナーはやはりこの令嬢は変な子供だという印象を強くする。
 だが内心などおくびにも出さず、すっと手を延べて小さな左手を取り、上半身を屈めた。
「お元気で」
「!!」
 手の甲に口づけを落とされ、 はあまりの気障さに全身を掻き毟りたくなった。ユリウスとのダンスでも思ったのだが、帝国における男性が女性に接する際の作法とは、なぜこうもロマンチック路線なのかと叫び出したくなる。しかしこれが銀河帝国の『普通』なのだった。頭では理解できるのだが、実際に自分がやられるとなると心理的ダメージが大きい。
 貴族令嬢という身分ある女性に対してするものとしては『普通』の挨拶で、そのように令嬢自身が葛藤していると気付かないフェルナーは、顔を上げて の後背に控える栗色の瞳の青年に顔を向け、今度は違う形式の礼を施した。
「ヘルツ中尉も、壮健で」
「ええ、またお会いしましょう、フェルナー中尉」
 しばしの衝撃から立ち直り、頭上で敬礼を交わし合う二人を は見やる。どうやら二人の間には浅くない友情が芽生えたようだった。共に貴族に仕える身として通じるものがあるのだろうが、それだけでなく性格の面でも意気投合する部分があるようだ。
 別れの挨拶を終えたフェルナーは踵を反し、地上車に乗り込んだ。彼とは逆側から乗り込もうとするシュトライトが、こちらに気付いて小さく目礼をくれる。さして話した訳でもないが、彼の記憶を留める箱の中に たちは強烈な足跡を残したのだった。

 動き出したブラウンシュヴァイク家の長い車列をなんとなく見ていた に、声をかける者があった。
「うまくブラウンシュヴァイク家に取り入ったようだな、
 ぴくりとこめかみがひくつくのを は感じたが、先程アマーリエに対した時と同様、見る者には可愛らしいとも思われる(以前、鏡の前で研究しました)微笑みを貼り付け振り返る。
「ローバッハ伯爵。そんな、取り入ったなどと。高貴な方々のお考えは私にどうこうできるものではございませんし…」
「ふん、まあよい。お前に伝手ができるのは後々、役に立つこともあるかもしれんからな」
(おいおい、それどういう意味だ)
 思わず突っ込んだが、ローバッハ伯が 家を狙っているのは既知の事実だったので、いずれ を取り込んでしまう側としては彼女に付加価値が沢山あった方が良いということだろう。お前のものは俺のもの、恐ろしきかなジャイアニズムである。
(それに…全く証拠は出ないけど、やっぱり怪しいし…)
  は昨夜のうちにフェルナーに聞いた事柄を思い起こした。
 エリザベートと を誘拐した二人は、捕らえられ監禁された室内で射殺体となって発見された。
 男の額の中央にビームによって貫かれた痕跡があり、自ら命を絶ったと思われる女のこめかみにも同様の銃創がみとめられた。秘密を漏らすまいとした犯人が、恐らく隠し持っていた小型ブラスターで自分たちの口を封じたのだろうということで、事件は一応の終幕を迎えたのだった。
 だがフェルナーが語ったところによれば、彼らのボディチェックは充分に行っており、武器の類を隠し持っていたとは到底思えず、伏した女の死体にも違和感を抱いたという。
「フロイラインを救出する際、女が持っていたブラスターを撃ち落としたのは私と、そちらのヘルツ中尉でしたが、彼女はその怪我した手にブラスターを握って死んでいたのですよ。護送の時に救護兵が応急処置をしていたのを横で見ていましたが、撃った私が言うのもなんですが、しばらくはまともに右手を使えないくらいには手首の辺りに穴が空いていました。その手で果たしてトリガーを引けたのかということが一つ。もう一つは、室内が少々乱れていて恐らく男の方が抵抗したのだと思うのですが、素人が怪我した手できれいに額の中央を撃てるものか疑問です。読めない動きをする物体を射撃するのは、訓練した人間でも困難だ。不意打ちでもなければ、真っ先に相手に見つかる正面から撃つことはできない。故に私は思うのですよ、二人は…」
 フェルナーは顎に手をやって、それ以上の言葉を続けなかった。その場にいた子供らしからぬ性質の少女と、メルカッツ提督、ヘルツ中尉は、言わずとも音声出力しない部分を理解するだろうと承知していたからだ。そもそも彼らがこうして自分に犯人たちの最後を尋ねてきたこと自体、どちらかというと相手を出し抜く謀略を考えたり相手の思惑を図ることが得意なフェルナーには、ぴんと来るものがある。
 彼は犯人の死に不審ありと上官に奏上したが、今死ぬか明日死ぬかの差だと取り合ってくれなかった。シュトライトもフェルナーと同意見のようだったが彼と同じ轍は踏まず、ただ互いに諦めの視線を交わしあっただけだった。
 話を聞いて が確認したのは、犯人たちを押し込めていた部屋の警備をしていたのは誰だったのかということだった。
「ああ、ローバッハ伯爵家の兵士でしたね。我が領地で起こったことだから犯人を引き渡してくれと、伯爵が仰られまして」
 その伯爵は、 の目前で腹底の思惑を見せない笑みを浮かべ、カールとヨハンナと談笑している。
 状況や今は亡き犯人たちの言動からみれば限りなくクロなローバッハ伯爵だが、客観的な証拠というものが全くなく、 は目前のタヌキ親父に対して胸中で要注意人物の烙印を押したのだった。だが後日、 はこの烙印を心の中だけに留めるべきでなかったと、痛烈に後悔することになった。この時のことを思い出し、もっと深く調査や追及をしていればよかったのだと、後々まで自らを腹立たしく思うのだった。

 出立の挨拶を終え振り向いた の両親は、傍らの老提督と少女を地上車へと促した。
「我々もそろそろ行きましょう、ささ、メルカッツ提督、フロイライン・メルカッツ、こちらへどうぞ」
  子爵領へ戻るにあたり、 たちは客人を連れての帰路となった。
 客人とは、事件にたまたま関与することになった渋いおじさまことメルカッツ提督と、手紙を運んだその娘、テレジアである。娘の危急を救ってくれた恩人だから是非にとカールが 家での歓迎を申し出れば、コンラッドと以前から親交があり近場にいるのに挨拶しないのも礼儀に悖ると思った帝国軍の気鋭の少将は、その招きを受けることにしたのだった。とはいえ娘連れでもあり、一日だけと短い訪問ではあった。
  はこれでもう少し長い時間、渋いおじさまを眺めていられると勿論喜んだ。
 メルカッツは現在のところ少将の地位にあり、いまだ50歳には届かぬ壮年だった。物語が始まる10年前であるのだから、その分、若々しいのは当然である。そしてこれがまた格好よくて堪らないのだ。
 30代を終えた落ち着きと、けれども老年とは言えない闊達さがその身に満ちている。
(うーん、惚れるよ、メルカッツ提督!)
 幼い少女が邪な考えをしていると知る由もないメルカッツは、口元に少しばかり笑みを描いて、己の娘を紹介した。
「私の娘のテレジアだ。歳も近い。二人で話をすると良いだろう」
「はじめまして、 様。わたくし、テレジア・フォン・メルカッツと申します。お知り合いになれて嬉しく思いますわ」
  はそうして、のちに友人と呼べる間柄となる知己を得ることになった。
  より二つほど年上のテレジアは、貴族とは言えさすがメルカッツの娘というべき聡明さを持った少女だった。幸いというべきか父親の威厳たっぷりの容貌には似ず、愛らしい顔立ちとチョコレート色の髪と瞳を持ち、唯一メルカッツと似ているのは意志の強そうな眉のあたりのみといえた。
 初対面は午前中の事情聴取の時だったので直接話してはいないのだが、憲兵と受け答えをしている様子を見ていれば、歳の割にしっかりした精神を持っているようだった。
 手紙を渡してきた男の姿形を、問われるままはきはきと答え、実物の男を見ている にもその描写が的確なものであると頷けるものだった。
 そのテレジアといえば、黒髪の子爵令嬢をどうやら些か弱気な女の子と捉えているようだった。なぜなら、同じく事情聴取として犯人のことを訊かれた が何も分からないと首を振るばかりで、困惑顔が泣き顔に変わったあたりで諦めた憲兵が自主的にインタビューを切り上げた様子を目の当たりにしていたからである。勿論そのように振舞ったのは の演技であり、ローバッハ伯爵を警戒してのことだった。
  家所有の戦艦へ向かう途中の地上車の中で、社交辞令の一環としてだろう、テレジアは自らよりも幼い黒髪の少女を慰めるよう話しかけてきた。
様、今回は本当に大変でしたわね」
「ええ、でもテレジア様や、テレジア様のお父上のお陰で無事こうしてお話できています。ありがとうございました」
 痛ましい視線から隠すよう右頬のガーゼを手で押さえて言えば、テレジアは次々と話題を提供し、暗い話題を切り替えて陽気に振舞った。気を使われたと、 は思わなかった。そう思わせない天性の明るさが、テレジアにはあった。
 メルカッツ提督の社交嫌いを、あちらの世界で仕入れた知識により知っていた が、今回のパーティに二人はどのような経緯で来たのかと尋ねれば、テレジアはあっけらかんと言った。
「私がお父様にお願いしましたの。あなたみたいに私よりも年下の子でもパーティに出るのに、十二歳になる私が一度も社交場に行ったことないなんて、おかしいでしょう? お母様は身体が弱くていらっしゃるからお父様にしかお願いできないのに、いつまで経っても華やかな場に連れて行ってもらえなくて、私、家出しましたの」
「家出、ですか?」
 目が点になった。なかなか行動力のある少女のようだと、 はテレジアを改めて見直した。
「お父様、娘の心を全くわからない方だから、わかりやすく思いを表現してみましたの。 そうしたら、こうしてパーティに連れて来て下さいましたわ」
 視線の先にいるメルカッツは一部の隙もなく軍服を着こなし、硬い表情のままカールと会話している。その姿からは、娘の行動に慌てる光景など微塵も想像できなかった。
(あのメルカッツ提督の娘が、こんな風とはねぇ…)
 だから後々ヤンの下で、イレギュラーズの面々ともそれなりに上手くやっていけたのだろうかと、まだ見ぬ未来の一幕を思い浮かべた だった。

舞踏会事件 end




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