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16



 役目を終えた救護兵と入れ替わるよう現れたのは、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツその人だった。
「フロイライン・ は無事かね、ヘルツ中尉」
  は聞き惚れそうになる渋い声に、慌てて首をめぐらして音の発信源へ視線を向ける。
 そして、心で快哉を叫び、色々あったけどやっぱここにこれてよかったと単純に感動した。
(生です! ライブです!)
  の見知っている姿よりやはり若さを感じるが、既に威厳を感じさせる銀髪をきっちり撫でつけた軍服姿のメルカッツが、厳格な表情で歩み寄ってきていた。
「メルカッツ提督。ありがとうございます。閣下のおかげでこうして 様をお救いすることが叶いました」
 ヘルツが頭を下げて丁重な礼を施すのを、老練な軍人であるメルカッツは片手を上げて礼には及ばぬと謙虚に答えた。
「あの…なぜ、メルカッツ提督がこちらに…?」
 先程から訊ねようとして叶わなかった問いを、本人を前にして はようやく表出させた。質問することで、もっと声を聞きたいという邪な動機もなきにしもあらずではあったが。
 老提督はひとつ頷き、表情を崩すことなく話し始める。
「フロイライン、君のお父上とお母上の要請があってな」
 あの両親と以前から親交があったのかという疑問が浮かんだが、目前の厳ついまさに軍人の鏡的雰囲気を醸し出しているメルカッツを伺い、それはあり得そうにないな、と は自らの考えを即座に却下した。とすると、残る縁のありそうな人物など、一人しか残ってはいない。
「もしや、メルカッツ提督はお祖父様と関係がおありだったのでしょうか?」
 己が子供に好かれる風体ではないことを知っているメルカッツは、目をそらすことなく明晰な言葉を話す子供に感心した。しかも、あれだけの会話で瞬く間に正確な答えを導き出している。
「ああ、退役以前の 中将… 卿と今はお呼びした方が良いかな、とにかくあの方には、若い時分に随分と多くの物事を教えて頂いた身なのでな。 卿の孫君の危機とあっては、知らぬ振りもできまい。それに加えて、娘が君たちが攫われたという旨の手紙を受け取ったという成り行きもあって、こうして非才の身ながら捜索を指揮することになったのだ」
  はどこに驚くべきか迷った。
 コンラッドとメルカッツの年齢はさほど離れておらず、共に貴族で軍籍にあったことを考えれば、過去に接点があったのも納得いくことではあった。そして攫われた旨の手紙というのは、おそらく逃げた犯人の一人が の予想通り、密告をしたのだろうことも予想の範疇であった。しかし、その手紙を受け取ったのがメルカッツの娘ということは、さすがに察することができなかった である。
(メルカッツ提督の娘? うーん、確かに小説の中にそんな文章あったかな…)
 遠い物語の記憶を呼び起こす。メルカッツ亡命に際し、家族は帝国にあるという文はあったのだから、妻子ある身であったことは知っていた。だがこうして本人の口から娘という用語が飛び出すと、なんだか新鮮な気がしてくるから不思議である。
「…それでは私は、メルカッツ提督のお嬢様と、祖父に感謝しなければなりませんね」
 その二人がいなければ、こうして五体満足でいられなかった可能性もある身としては、感謝してもし足りないというものだった。
 ヘルツに続いて頭を下げようとする令嬢を、メルカッツは彼が生きた歳月を物語る皺の刻まれた手を上げ、押し留めた。
「わしはただ手伝いをしただけであって、娘もただ手紙を預かっただけの身。感謝するなら君の祖父君に感謝すべきだ。卿の機転がなければ、このように早く君たちを発見することも困難だったろう」
「機転?」
  の上げた声に答えたのは、 家に仕えるヘルツ中尉である。
「コンラッド様はパーティへ出発する前にカール様とヨハンナ様に、お二人はもちろん、 様の服に発信機を潜ませろとご忠告なさっていたのです」
 なぜ、という言葉を は呑み込んだ。そして確認するように、真上から見下ろしているヘルツへと問う。
「それは…もしや、ローバッハ伯に対して、お祖父様が思うところがおありだったからでしょうか」
 小さな子供が口にするには不似合いな、複雑な思惑を妙に知ったような台詞に、ヘルツをはじめその場にいたメルカッツとフェルナーは感嘆の声を漏らさずにはいられなかった。

 その後の説明は、地上車の中で行うことになった。
 いつまでも暗い森の中で突っ立ったままでいるのも何だろうということと、ヘルツの通信機にカールとヨハンナの切羽詰まった連絡が入ったからである。曰く、ブラウンシュヴァイク家の娘は無事戻ったというのに、我が はどうなっているのか、ということである。
 犯人の護送があるフェルナーとはその場で別れ、ヘルツに抱えられた とメルカッツは共に迎えの車に乗り込んだ。
 車中で続いたヘルツらの説明をまとめて が理解したところは、こうだった。
 今回の誘拐をコンラッドは予見はしなかっただろうが、ローバッハ伯領へ赴くことで何かしらの危険があるという判断をしていたのだろうと、ヘルツは語った。
 庭での誘拐犯達との邂逅からさほど時は経っていない頃、別室へと娘の様子を見に行ったヨハンナが、 がいないことに気付いた。ドレス姿のため腕につける携帯通信機を は身に付けていなかったため連絡はとれず、別室で待機していた部屋付きの侍女に訊いても らしき少女は部屋に来なかったという証言を得るに至り、ヨハンナは夫カールに縋った。カールは父の忠告を思い出してすぐさまヘルツらを呼び出し、発信機の示す場所を探せと命じたのだった。だが、もっとも困難なのは見つけた犯人たちからどのように人質を救出するかの方法を編み出すことである。居場所がわかったとしても、犯人を刺激してその場で人質である娘まで道連れにされては叶わないと、急きょ戦略会議が開かれた。そこへ丁度、娘から預かった手紙を携えたメルカッツが現れ、高名な戦略家でもある老提督に、その知略で娘の無事救出して欲しいとカールは要請した。そして同様に主君の娘の失踪に気付いたブラウンシュヴァイク家の兵士たちも、メルカッツのもたらした情報を無視することができず、協力して捜査にあたることになったのだという。
「ちなみに、その手紙には何と?」
 逃げた男がどのようにあの状況を伝えたのか気になった は、メルカッツへと問いかける。渋いロマンスグレーのおじ様は、胸元のポケットから一枚のシンプルな紙を取り出した。紙はローバッハ伯邸の客間に備え付けられたものだったという説明を聞きつつ、 は四つ折りにされたそれを開いた。
『娘二人は南の森奥から連れ出される。Rに注意されたし』
(はは…あいつ、意外に親切だね)
 鋭い目つきの男の人を食ったような表情を思い浮かべ、乾いた笑みを顔に張り付けた だった。
 脱出ルートを教えるのは想定範囲内として、二番目の文章は注目せずにいられない。
「メルカッツ提督は、このRをどのように理解なさいました?」
 少女の年頃に見合わぬ利発さに徐々に慣れてきたメルカッツは、幼い子供の明確に要点をついた質問にも顔色ひとつ変えず答えるようになっていた。
「確信も証拠もあるわけではないが、しかし状況を見れば恐らく最も高い可能性を持つ答えは…君もわかっているだろう」
「ローバッハの頭文字ですね」
 濁す様に言ったメルカッツの意図を知りつつ、 はずばりと口にした。ヘルツが驚いたように声をあげる。
「まさか。いや、しかし確かに」
「私まで誘拐するつもりはなかったと思うんだけど、犯人たちは誰かに雇われたようでしたよ」
 先ほど犯人たちに啖呵を切った際と同じ説明を が話すと、ヘルツが納得したよう唸って言った。
「犯人たちの取り調べは、この先、誰がすることに?」
「わしにそこまでの権限はないのでな。憲兵たちが聞き出すことになるだろうが…」
「彼らはどのような罰を与えられることになりますか?」
 犯人たちの事情を知ってしまった には、やはり彼らの行く末が気になるものだった。
「よくて刑務所惑星で十年ほど過ごすことになるだろう。ブラウンシュヴァイク公爵の勘気が収まらねば、すぐさま銃殺ということもあり得るだろうがな」
 予想しうる事実を淡々と語るメルカッツの言葉に、 は唇を噛んだ。
 誘拐という悪事は確かに罰せられるべきだ。しかし、エリザベートも も無事に戻ることができたし、死刑に値するような罪状とは思えないと、 は感じた。さらに情状酌量の余地もある。可能ならば、彼らの罰を減じてもらうように嘆願しようと心に決めた だった。
 しかし、彼女が願いを口にする前に、その嘆願の対象者が既にヴァルハラへ至る梯子を越えてしまったことを、 はまだ知らなかった。

 ローバッハ伯邸に着き地上車から降りた彼女を出迎えたのは、言わずもがなカールとヨハンナの二人の心配と喜びと涙の入り混じった顔だった。
! おお!」
! 無事で…」
 涙に濡れに濡れた顔と喜び咽ぶ声に、 は思わずたじろぐ。裸足だからと相変わらず抱えあげているヘルツ中尉も巻き込んでの抱擁に、 は事態収拾を一旦諦め、なすがままにされることにした。有能なヘルツは の代わりに感情を露わにする子爵夫妻を宥め、囚われの身となっていた令嬢をひとまずローバッハ家から提供された部屋へと運び込んだ。
「私の が攫われたと知って、いても立ってもいられなかったよ!」
 ソファに降ろされた我が子の手を握り締めて放さないカールに、一足早く涙の海から引き揚げたヨハンナが、必死の形相で詰め寄る。
  は空いたもう一方の手で、疲れた体に沁み渡る甘いチョコを掴んで頬張っていた。小腹がすいたとせがんで持ってきてもらったものである。
「その頬はどうなさいましたの、
「そうだ、どうしたんだ…まさか…」
 ぎくりと、 の胸が飛び跳ねた。
 何しろ右頬一面が白いガーゼで覆われているのだ。一目見て何か怪我をしたとわかる有様ゆえに、それからというもの、 は収まりそうにないカールとヨハンナの興奮を宥めるのに残りの気力の大部分を使い果たした。痕は残らない、薬を飲めば一日か二日で腫れも引くと言っても、殴った奴はどこだ、自分が一発殴ると言ってきかないのだ。殺すなどという物騒な言葉が飛び出さないのは、貴族とはいえさすがのお人好しといったところだろう。とはいえ、ヨハンナといえば己の娘が犯人に殴られたと知るや否や再び泣き出し、己が人質となっていたかのように、怖かったでしょうと震えながら娘を抱き締め、いくら が大丈夫だと言い募っても泣きやむ気配は一向に見えない。
(逆じゃないかこの人)
 立場が逆転した状態に心の中で突っ込むが、子を思う親の気持ちは海より深い(こちらの世界風に言うなら、さしずめ銀河よりも広い)というものだから、 は大人しくヨハンナの胸の内に抱かれていた。側に控えるヘルツも苦笑し、先ほどと同じく主夫妻の暴走を止めようとしたところで、乱暴なノックに進ませた足を方向転換させる。
 そうして開いた扉から飛び込んだ兵士によってもたらされた情報は、誘拐犯たちが死んだ、というものだった。
 ヨハンナに抱き締められたままの少女の片手から、チョコが一粒、行方も定めぬまま転がり落ちた。




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