ヴォーダンの空言
「おっと」
彼は世を見渡し、来るべき日に備えて人材を収集するのが趣味だった。
そのために2羽の黒羽の鳥を放ち、あちこちの目をつけた人間たちを監視させている。見所のある奴がいれば、彼の軍勢の一員となってもらうのである。
そのためには、多少汚いやり方だって使う。
たとえば、死すべき定めがまだ遠い人間に小細工を仕掛けて死んでもらうことだってする。
それもたまにではない。気になる人間がいれば、毎日である。今だって、そうして病死に見せかけて一人を自らの下へ連れ去ろうとしていたところだった。
だが。
「…いかんいかん」
とある世界の老人を導こうと言葉を唱えて愛用の杖を振ったところで、目測を誤ってしまった。ついでに飲み過ぎた葡萄酒のせいで呂律が回らず、唱うべき韻まで間違う始末だ。
だからそれは、彼自身も意図せず起こったのだった。
目標としていた人物の近くにいた小さな魂が引き寄せられてきたのだ。
それはまだ幼い少女だった。
黒い瞳を見開いて、きょとんと彼を見上げている。周囲を見回して不思議そうにして、再び彼に視線を戻すと、なぜ自分がこのような状況に置かれているのかを問いかけた。
「そこのおじい様、わたくしはなぜここにいるのでしょう?」
手違いだと言えず、彼はとりあえず事実だけを述べることにした。
「お前は死んだのだ」
「まあ!どうして?」
「……定めである」
他所ゆき用の威厳をかき集めて重々しく告げる。
内心、冷や汗が吹き出しているのは幸い幼い少女には見破られなかったようだ。
幼さゆえの純粋さで彼の言葉を疑いもしない黒髪の少女は、それから長い間泣き伏した。
父と母を恋しがり、叶えられなかった夢を悔やんで。
「わたくし、女子爵になりたかったのに…それで、みんなを幸せにするのです」
少女の言葉に、彼は珍しく心を動かされた。
いつも彼が呼び込む魂はその強靭さと引き換えに、どこかすれている輩が多かったのだ。
「よかろう、生き返らせることはできぬが、おぬしの願いは叶えてやろう」
「本当?」
みんなを幸せにする子爵というものを、彼女の代わりの魂を送りこんで再現しようと彼は考えた。
彼は大きな力を持っていたが、人間の世界に干渉するのはただ魂を左右するやり方だけだったので、少女以外の世界に黒い愛鳥を送り込み、願いが叶えられそうな人間を探し出した。
年の割に落ち着いた考えをする女だった。これならば、色々なことにも適応できるだろう。
そうして彼は、その魂を問答無用で誤って摘み取ってしまった少女の魂が入っていた器に移した。
一部始終を見た少女は、何がどうなったのかはわからなかったが、とにかく自分の願いが叶うのだと喜んで、彼に感謝した。
「安心してゆけ」
脆弱な少女は彼の下に置いておけない。もっと明るい場所へと行って、新たな道をみつけるのがよいと、彼は杖を振って少女を魂のゆりかごへと導いた。
「……とはいえ、どうなることやら」
他の世界の魂を移す荒業などこれまでやったことがなかったし、その顛末がどうなるかもわからない。
だがこれはこれで面白いと思った彼は、小さく笑って葡萄酒をもう一杯飲み干すことにした。
時間はたっぷりあるのだ。事の最後までゆっくり眺めようではないか。
彼は貪欲な知識を求める魔術師で、もとは人間だった。
ある日、霊験あらたかと言われる水を飲み、ついでに神木といわれる木で首を吊り、神になった。
詩を愛し、戦争と死を導く神。
ひと、彼をオーディンと呼ぶ。
*ヴォーダン=オーディンのドイツ語名