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 挨拶回りに行かねばならないユリウスと別れた後、 は案の定カールとヨハンナの親馬鹿組に拘束された。
「でかした、 !」
「あのヴィーゼ家の嫡子と知り合うなんて、良い殿方を見つけたものですね、
 どこかでユリウスの名を入手したのだろう、ともかく経済の教科書的書物に名が載るほどの並ではない貴族に知己を得られたことに二人は喜んだ。
 次に会うのはいつだ、どこで会うのだと気になって仕方ない様子だ。
  はそれらの質問にこれも居座っている身体である としての務めかと適当に答えていたが、徐々に疲れてきて遮るように通告した。
「お父様、お母様。私ももう十歳なのです。自分のことは自分で考えますのでお構いなく」
 冷たい娘の言い草に彼らはショックを受けたようだったが、持前の明るさ(というよりは能天気さ?)で気を取り直し、娘の成長を見守ることに決めたというように何も言わなくなった。とはいえ、家に戻ればすぐにでも同様の質問を再開することは簡単に予想できた だった。
(疲れた…苦しいし、慣れないダンスなんてしちゃうし…)
  の精神力と体力は既にレッドゾーンに突入していた。今なら倒れてもおかしくない。
 だがヨハンナは、そういえば、と思いだしたように次なる任務を へと与えたのだった。
、ローバッハ伯爵へもご挨拶さしあげねばならないから、一緒に参りましょう」
(げー)
 ヘルムートの父親であるから、その性向は推して知るべし、である。
 全く気乗りしなかったが、これも子爵令嬢としての仕事(顔を売るのはどこの世界でも大事です)かと割り切り、カールとヨハンナの後ろをしずしずと進んだ。
「叔父上。お久しぶりです、カール・フォン・ です」
「おお、カール、それに夫人も。久方ぶりですな」
 やけに腰の低いカールを横目にローバッハ伯爵をみやると、さすがの貫録といったところだった。
 腹回りは立派で口ひげを蓄えているが、頭髪は見事に後退していた。年の頃はおよそ五十代後半といったところで、悪代官役がぴったりである。
 その外見を裏切らず、ローバッハ伯は早速皮肉の剣を突き出した。
「領地が近いというのに伯父たる私に挨拶するのが久し振りとは、些か感心せぬな、カール」
「いやはや、近頃は色々と忙しくしておりまして」
「相変わらず絵画にうつつを抜かしているのではないのか。そのようでは当主としての務めは果たせまい。お主もさっさと隠居して に爵位を譲ればよいのだ。そうすれば、我が家のヘルムートに嫁がせて強力な縁故ができるものを」
(強烈…)
 伯爵の位にあるような人物が、これほどまでに自己中心的で直截な発言をするとは、さすがの も予想できなかった。しかもローバッハ家と 家は縁戚関係にあるのだという発言に、 は嫌悪しか感じない。
 つまりは、こういうことだろう。性格が全く合いそうにないので信じられないが、コンラッドの妻はこのローバッハ伯の姉妹にあたる人で、カールは彼と伯父・甥関係にある。結構近しい血縁があるということだ。その娘である も当然ローバッハと縁続きであるから、現当主のカールが爵位を へ譲れば、女児であることを理由にヘルムートと結婚させるかどうにかして、 家を合法的に乗っ取ることができるということだろう。
「仕事は父もおりますし、私もまだまだ元気ですので、爵位を譲るのはいつになるかわかりませんな。お気遣い痛み入ります、叔父上」
 厭味と思惑に気付いていないのか、カールはあっけらかんと笑って済ませた。
(…意外とカール父さん凄いかも)
 傍に立っていても悪意をびしばしと感じるというのに、全く堪えない様子で言葉を応酬しているカールの根性に尊敬すら感じてしまった だった。
「さあ、 、ご挨拶を差し上げて」
 ヨハンナに促され、全くもって嫌で堪らなかったが、 は淑女らしく見えるよう優美な仕草で深くお辞儀をした。この手の人間には、褒め殺しや慇懃無礼参りが有効だと、彼女は経験則として知っていた。
「ローバッハ伯爵閣下、お久しぶりでございます、 でございます。お元気なご様子を拝見できて、私も嬉しく思います。本日はこのように盛大な宴にお招き頂いて胸躍るようです。心よりお礼申し上げます」
「おお、 、しばらく見ない内に随分と淑女らしくなったものだな」
 言って上から下まで舐めるように不躾な視線をぶつけられ、 は不快感に笑顔がひきつりそうになった。
 カールの伯父とはいえ、ヘルムートも同様であるが人間性の愚劣な人物とは決してお近づきになどなりたくない、そう思った である。
(けど付き合いもあるし…)
 その手の人物と一切の交際なしに生きていけるかと言えば、否という答しか存在しないことを、は嫌というほど身に沁みて知っている。嫌な思いをしつつも表面上の礼儀を取り繕うことで人間関係を潤滑にできるならば、ある程度は嫌な気持ちを隠す手管も覚えねばならないのが、世渡りの秘訣というものだ。
 もちろん、世の中にはこちらが頭を下げて付き合ってもらいたい素晴らしい人間性の持ち主も数多くいるから、 は人と接すること自体は嫌いではなかった。
「ところで、ブラウンシュヴァイク公爵家のエリザベート嬢が本日はいらしていると伺ったのですが、どちらにおられるのですか?」
 すっかり忘れ去っていたが、カールはやはり気にしていたようで目当ての人物を探しているようだった。
「ああ、エリザベート嬢であれば、そこにおられるが」
 厭味への手応えのなさに何かを諦めた様子で、ローバッハ伯爵は彼から見て左手の方向を示した。指先を辿った先には、いくつもの軍服と挨拶に群がる豪華な衣裳がひしめいていた。
  赤いドレスをまとった少女の姿が、ちらりと人垣から垣間見える。ややふくよかな顔つきの、恐らくは よりも幼い年頃の少女だった。
 さすがにあそこに突撃したくない。その思いが伝わったのか、カールは困ったように笑った。
「もう少し後にするかな。あの様子では…」
「そうですね」
 ヨハンナも同じように頷いた。あのように人が多くいる状態では、ゆっくり話もできず顔を覚えてもらうことすら難しいということを、慮ってのことだった。
 ローバッハ伯は別の客に呼ばれて去っていき、 はユリウスのことを再度訊ねたそうにうずうずしている両親と一緒に居ては精神力を消耗するだけと、別れてしばし休憩しようと椅子が用意された別室へ一人向かっていた。
(ようやく休める…)
  は安堵の溜息を小さく吐きだした。
 だがその安堵は、まったくもって長くは続かなかった。



(なぜこうなる…いや、なぜこうなった…)
 人が災難に遭うことがあるとして、その災難には大体、本人にも原因があるという。
 単純なイージーミスが重なり、ほんの少しの注意を怠った時に大きな災難が舞い降りるのだ。
 災難。思いがけず起こる不幸な出来事、わざわい。
(いや確かにちょっと気が向いて庭を散歩しようかなって思って、ひと気のない場所でうろうろしてた自分も悪いんだけど…)
 そう、それは恐らく誰にとっても不幸な出来事だった。
 丁度その時、 が別室へ向かってひとり歩いていたこと。
 普段はみかけぬ豪奢な装飾に気を取られ、思いのほか時間を潰してしまったこと。
 たまたま閉め忘れられた窓に気付いて外を覗きこんだ少女が、息抜きの散歩を思いついたこと。
 向かった先にどんぴしゃりと人目につきたくない種の企みを目論む集団がおり、うっかり双方の視線がぶつかってしまったこと。
「助け…! むぐぐ…」
 あからさまに少女を誘拐しようとしている集団。逃げ出そうともがく少女。たまたま通りがかった
(あのとき散歩なんて思いつかなきゃ…)
 好奇心、猫をも殺す。全く持って昔の人は真理を言い当てたものだ。
 猿ぐつわを噛まされたうえ、両足両手を拘束された少女の片割れは悟りきった表情で周囲を見下ろし、もう一方は先ほどから途切れることなく嗚咽を漏らしている。
「煩い! 黙れ!」
 ひいっと喉の奥にくぐもった悲鳴を呑み込んだ少女は、恐怖に染まった瞳からとめどなく涙を流して震えていた。無理もない。年頃は十にも届かないくらいでは、このような状況で冷静でいられる方が珍しい。
(もうこれ、淑女必殺の失神でよくない?)
 楽になれると思考を放棄したい誘惑に駆られるが、万が一にも己の命がかかっているのだから少しは必死になろうと気を引き締め直し、 は改めて状況把握に努めた。
 このような状況に陥る前、庭先で思わぬ遭遇を果たした人々の内もっとも先に動いたのは、やはりというべきか如何にも怪しげな集団の一人だった。人を呼ぶ間もなく口元を押さえられて動きを封じられた は、突き付けられたブラスターの銃口と耳許で囁かれた言葉にゾッとした。
「騒ぐな。殺すぞ」
 最近は物騒なこともままあるけれど、まだまだ世界一(あ、地球単位です)の治安水準を誇る国で生まれ育った は、人生初の生命的危機を経験した割に意外と冷静ではあった。騒ぐのは得策ではないと静かに頷いて恭順を示すと、 はその場で何らかの薬を鼻先に吹き付けられ、意識を失ったのだった。
 そうして重い頭の痛みに呻いて起きてみれば、どことも知れぬ部屋の中、手足を拘束されたうえ転がされていた。床ではなくベッドの上なのは紳士的配慮というやつだろうか。しかし本物の紳士ならばいたいけな少女を拉致監禁したりはしない。
(どれくらい眠らされてたんだろ…)
 強制的にもたらされた眠りに体内時計は役に立たない。窓の外は薄暗く、どこからか音楽が聞こえてきていた。幸い、まだローバッハ伯邸内のようである。
(とすると…それほど時間は経ってなさそう)
 部屋の明かりは小さなランプひとつで闇に覆われていた。
 その暗がりで、抑え切れない焦りを滲ませた話し声だけが異様な雰囲気の室内に響いている。
「どうするんだ、見られるなんて予定外だ」
「予定外というのなら、初めからよ! なんでお迎えが来ないの!? このままじゃ…」
「外の様子が騒がしい。いないのがばれたな。逃げ切れそうにないぞ。どうする」
 声の数からして怪しげな集団メンバーは、三人のようだった。男が二人、女が一人である。
 ややヒステリックな女の声を宥めるよう、二人の男が逃亡案を考え中らしい。男の一人が言うよう、音楽を打ち消すような喧騒が庭先を包み始めていた。
(誘拐かな、やっぱ…)
 隣でぐずり続ける少女を見やる。薄闇でよく見えないが、後ろ手に縛られた状態で芋虫のように這って近づいてみると、先ほどパーティ会場で見かけた顔がある。
(ブラウンシュヴァイクのエリザベートじゃーん! 恐ろしいことするなあ、この人たち)
 何しろブラウンシュヴァイク公爵といえば、親族を殺されたと惑星に核弾頭を打ち込むようなお人柄なのである。だからこそエリザベートともあまりお近づきになりたくないと思っていたのだが、今の状態はまさに一連托生。仮に不幸にもエリザベートだけが死んで だけが生き残ったなら、それだけで 家が取り潰しの憂き目に遭いそうだ。
「どうすんのよ! あんたたちが稼げるからって、頑張って得た侍女の地位だって捨てたんだから!」
「そんなの知らねえよ。お前が選んだんだろ、俺達とつるむってさ」
 誘拐犯達の内輪もめがヒートアップしている。
 女はエリザベートの侍女らしかったが、恐らくこの誘拐の共謀したのだろう。外部からの侵入者がエリザベートを攫うことが不可能に近い程、警備の兵は沢山いたと、 は会場の様子を思い浮かべる。だからこその内通者だったのだろうが、エリザベートが攫われたことが露見した今は、その意味も失せたに等しい。
「落ち着け。とにかくこっそり逃げ出すのはこれで不可能になった。残る道は二つだ。攫ったこいつらを盾にして逃げるか、こいつらを置いて逃げるか、だ」
「大人しく謝るっていうのは…?」
 女の問いかけに、言い争っていた男が馬鹿にしたように言った。
「んなの謝ってあいつら差し出しても、俺達の首が飛ぶだけさ」
「早く決めないと、ここにも捜索が入る。逃げ切るのを優先するならあいつらは置いて行った方がいい。金は貰えないがな」
「そんなっ! 無駄骨じゃない!」
(置いて行って下さい。ぜひそうして下さい)
  はどこにいるとも知れない神に盛大に祈りを捧げた。
 同時に、目が覚めた時から手の縄をどうにかしようと奮闘していた。慌てて縛ったからだろう、手首の間には多少の隙間がある。
(何か切れるもの…尖ったもの…)
 見回した先に、泣き伏すエリザベートの豪華な髪飾りを見つけた。物は試しと上体を反らし頑張って抜き取ると、予想通り鋭い三つ又の櫛がついていた。
 何事かと不思議そうに見上げるエリザベートの側で、それを縄の結び目に差し込み上下左右に動かし緩めていく。
(いたー指先に刺さった!)
 握った櫛の先が尖っているので、見えない背後での細かい作業に、何度も手に櫛先が突き刺さった。
 だが、じゃらじゃらと揺れる装飾のついた髪飾りでなくてよかったと、 は思った。揺らすたびに音が出るのでは、作業がばれてしまう。
 努力のかいあって、ちょっと捻れば簡単にほどけそうな程度には縄に余裕ができた。
「俺は…俺は、あいつらを盾に取って逃げる」
「そうか」
「私もっ! 私も、このまま職失って金も貰えないんじゃ、生きていけないよ」
「わかった、俺はここで抜ける。せいぜい頑張るんだな」
「腰ぬけが! お前の分の金は俺達が貰うからな! 俺達がここを出るまで、お前はここにいるんだ!」
 ひとり冷静な男だけが、逃亡に専念することを選んだようだった。なかなか的確な状況判断ができる奴だと、 は自分の心配も忘れて感心した。
(でもお前の顔も忘れないんだから!)
 先ほど を脅して眠らせたのは、足抜けを宣言した男なのだ。
 短髪で一重切れ長の目が鋭い男は、明かりの乏しい部屋の中で椅子に腰かけ、腕組みをしてこれ以上は関与しないという姿勢を見せた。
 二人組となった誘拐犯の男女は、 とエリザベートの転がったベッドへと来ると、足紐を解き始める。
「二人じゃ抱えていけねぇからな。歩かせるぞ」
「一人置いて行けばいいじゃない」
(そうだそうだ! 私は巻き込まれただけだ!)
 と胸の内で大きく叫んだが、まだ幼いエリザベートを残していくのも最高に罪悪感がある。とはいえ、 はそのように思い悩む必要もなく、彼らにエリザベートと揃って引っ立てられた。
「人質は多い方がいいんだ。途中の交渉や捨て駒にできるだろ」
(ですよね…わかってました。セオリー通りです)
「お前ら、大声出したらその場で殺すぞ。騒ぐなよ」
 そういって物騒な脅迫をしてくれた男は、 とエリザベートの猿ぐつわを外し、連れ立って部屋を出た。
 部屋を去り際に視線だけで振り向くと、取り残された男はにやりと笑っていたのを、 は確かに見たのだった。



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