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09



 宇宙港で見上げた空は夕陽に染まりつつも明度を保っていたが、伯爵邸に到着する頃には空は殆ど闇に覆われていた。窓に映るのは木陰ばかりだったが、退屈混じりの欠伸を何度か噛み殺した頃、地上車はようやく現れた門扉を越え、ローバッハ伯爵家の敷地内へ入ったようだった。しかし、そこからがまた長かった。一向に建物に辿り着かぬところを見ると、伯爵家の敷地は随分と広大な面積を有しているのだろう。
 そうして門をくぐって数分後にようやく間近に迫った邸宅は、 家の屋敷よりも倍以上はありそうな威容を誇っていた。煌々とした光が幾つあるとも知れぬ窓から漏れ、微かに風に運ばれてくる雅な音色も相まって、華やかな宴の雰囲気を漂わせている。
  は以前、知識提供ヘルプ機能が 家の暮らしを質素な方と表現したことに納得した。 家も庶民的見地からすると充分に凄かったが、ローバッハ伯爵家と比べれば可愛いものだ。
 銀河帝国では有領貴族であれば、少なくとも一つ以上の有人惑星を所有するのが普通であるから、邸宅が大きいといって一概にその豊かさを証明するものではない可能性もある。しかし屋敷内に一歩足を踏み入れれば、このローバッハ伯爵家の裕福さは否定できないよう、 には思えた。
 ファサードの車寄せには、既に到着した貴族たちの地上車がずらりと並び、その数でパーティの規模の盛大さが知れた。あちらの世界の高級ホテル的格式を備えたドアボーイ(でも外巻きロールの鬘をかぶった中世スタイルです)達に慇懃に出迎えられ、スター気分を味わえる赤絨毯を踏みしめて邸内へ入ると、想像を越えた豪華空間が広がっていた。
(これは間違いなく、銀河帝国基準でも大金持ち)
 装飾の一つ一つが、いかにも金かかってます、と主張しているようだった。
 芸術の類の素養がなくてもわかるほどゴージャス。
「さよなら血税…」
 貴族階級の主な収入源は領地経営から出る上がりなのだから、庶民的感覚ではどこから資金が捻出されたのか気にならないわけがない。
 こんなに贅沢しなくとも人間暮らせるだろうと、なぜか腹が立ってきた だった。庶民の僻みかと悩みつつカールとヨハンナに従ってエントランスホールを抜け、豪勢なシャンデリアが輝く大広間へと足を踏み入れる。
 華麗な衣装に身を包んだ貴族的雰囲気の人々が老若男女問わずひしめき、そこここで談笑している。一見しただけで、 はUターンしたくなった。
子爵カール様、令夫人ヨハンナ様、令嬢 様、ご入場!」
 入り口に立った使用人が、広間へ進む 達の名を朗々と読み上げる。
 登場を知らせる名に心当たりのある者はこちらを見るし、関心のない者は会話を続けている。恐らくカール達と親交のある数人が振り向き、簡単な会釈を送ってきた。
 呆れるほど豪勢なこのパーティは、ローバッハ伯の二男ヘルムートの16度目の誕生日を祝うもので、その趣旨もあって主にヘルムートと同年代の友人たちや、良家の子女がメインゲストという名目になっていた。あちこちで大人の姿もみかけるし、実質上は彼らや の両親もゲストとして招かれている。だが、要は子供たちの顔合わせ兼結婚相手の探し場ということで、大広間の一画には十歳から二十歳くらいまでの貴族子弟が集っていた。
「さあ、
「がんばるのよ、 。わたくしたちはあちらにおりますから」
 カールにやんわりと背中を押され、気が進まない中で はヒールに押し込んだ足を前に出さなければならなかった。
(うあー気が重い…)
 よく社交上手を喩えて言われる宴を優雅に泳ぐ蝶に、自分は間違ってもなれそうにない。何しろ場の雰囲気に逃げ帰りたいことこの上ない には、溺れかけた酸素不足の魚が関の山だ。
 内心は気後れしつつも、それを悟らせない分厚い猫を被ってしずしず広間の中を進む は、外見だけ見れば立派な令嬢であった。
 化粧と詰め物効果もあって、すれ違う同年代の貴族子弟たちが彼女を振り返って見ていることを、豪勢な装飾品や漂うハイソ感に気を取られた彼女は微塵も認識していなかった。大いに着飾った豪華さを競う少女たちの中で、 の地味な装いは逆に引き立てられていた。彼女が着ている衣装も決して安物ではなかったが、抑えた色合いと少ない装飾は逆に気品さえ見る者に感じさせたのだった。
「あれはどこの…」
の? まあまあ見られるではないか…」
(まあまあってどうゆうことさ。まあいいけど)
 自分を品評する会話を、 は無視した。その種の話声に耳聡くなるのが年頃の少女というものだが、聞こえているだろうに一瞥もくれず歩み去る黒髪の少女の背を見送って、会話の主たちは再び子爵家令嬢の控え目な様子を語り合った。
 そもそも他人が自分を話題にしているからといって何事か感じるような可愛らしい感受性など、 はとうに脱皮してどこかに捨ててきているため、彼女は品定めの戯言に一ミリも動揺しなかった。
 そのような様子がある意味で人目を引いているとは、全く思ってもみなかった だった。
(さて、ヘルムートとやらはどこかな)
 とりあえずは本日のホスト役でパーティの主役であるヘルムート・フォン・ローバッハを探し出して、お祝いの言葉を述べることが第一目標だった。
 もう一つカール達に言われているのは、ブラウンシュヴァイク公爵家のエリザベートと繋ぎを作ることだったが、あいにく誰が誰だかわからないし、わかりたくもなかった。
 だが目的を達成すれば早く退出して身体を締め付ける苦しみから逃れられるのではないかと、 は左右を見渡した。よくよく見ると明らかに人が密集している部分がいくつかあるので、おそらくそこに主役がいるだろうと当たりをつけ、 は子供たちの隙間を抜けて進む。
 人垣に囲まれながら顎をそらして居丈高に話す少年が、本日の主役ヘルムート・フォン・ローバッハであることを、 はヘルプ機能によって知った。
 どうやら 嬢は、ヘルムートと昔から親交があったようなのだ。それは麗しき幼馴染という関係というよりは、いじめっ子といじめられっ子といった関係だったようではあるが。
(ともかく挨拶挨拶)
 人波が開けるのを見計らい、 はドレスの裾を捌いてヘルムートの前に立った。
「ヘルムート様、 ・フォン・ でございます。本日はお招き頂きありがとうございます。心より、誕生日のお祝いを申し上げます」
 礼を取った子爵令嬢を、ヘルムートはあり得ないものを見るかのようなびっくり眼で見た。顔を上げて真っ向から見つめてくる に、気を取り直したヘルムートは、鼻を鳴らし腕組みをして高圧的な口調で言う。
「これはこれは、フロイライン・ 。しばらく見ない内に、随分と大きな態度を取るようになったみたいだね」
「なんのことでしょう?」
 返礼もせず、しかも言葉の内容に既に大いに嫌気がさしていたが、 は敢えてとぼけた。
 ヘルプ機能が告げた彼に関する説明項目は、簡潔を極めていた。
 嫌い。これに尽きる。
「僕の前では震えて声もだせなかったくせに、生意気だな」
 そんなに をいじめていたのかと、 は嫌気を通り越して諦めの境地に達した。
 この手の阿呆には何を言っても通じず、悪意のバイアスで何事も好きなように解釈してしまう人種なのだ。
 伊達に人生長く生きていない。嫌悪など精進すれば、相手に対する憐れみに変換できるのだ。
「そのようではお祝いの言葉も申し上げられないので、頑張ってみました」
 いけしゃあしゃあと言い放ち、時間の無駄と思った はそれで会話を打ち切った。
「それでは、失礼いたします」
「あ、待て」
 どこぞの悪役のような定型台詞をヘルムートは放ったが、待つわけがないのはどんな場合も同じである。
(誰が待つか)
 さっさと踵を返して離れた をヘルムートは強くねめつけたが、次々とやってくる客の相手をせねばならず、追いかけることは諦めたようだった。

(あー嫌な奴だった。次いこう、次。エリザベートはどこかな、と)
 通りがかったウェイターからオレンジジュースが満たされたグラスを受け取り、 は壁際の柱の前に立って全体を見渡した。
 近頃はあまりそうとも言えない行動をしてしまっているが、冷静沈着がモットーの彼女は、人が多い場所では一歩下がって周囲を観察するポジションを取ることを好んだ。
 そうしていると、思わぬ発見があった。
「メルカッツ提督がいる…」
 なんと、後に自由惑星同盟へ亡命しヤン麾下の将となるはずの渋いおじさまがいるではないか。
 一瞬前までこのようにつまらぬパーティから如何に早く逃れることばかり模索していた だったが、素早く左右に眼をやれば、軍服姿がいくつも見える。
(ブラウンシュバイク公の娘が来てるということは、もしかして…)
 本日二人目の原作キャラを、 は発見した。
(フェルナー大佐! あ、大佐じゃなくて今は何だろ、大尉くらい? ともかく狐目皮肉屋さん、好きだったなー。若いし!)
 先ほど見かけたメルカッツも老年とまではいかず壮年の域の顔付であったし、フェルナーと言えばまだ二十歳を超えたばかりに見える。とはいえ生来のものか、ふてぶてしさのようなものは見て取れた。いかにも馬鹿馬鹿しいといった表情で、若手は警備担当というところだろう、庭に面した回廊へ続く窓の側に、休めの姿勢で立っている。背で掌を重ねて脚を少々広げた姿勢である。
 そのフェルナーに話しかけた黒髪の人物にも、 は見覚えがあった。
(シュトライト!)
 そうなのだ、冷静に考えてみればブランシュヴァイク公の娘が来るということは、その随員もいるということであるし、ブラウンシュヴァイク家に仕えていた彼らがこの場にいても何の不思議もなかった。公爵自身が来るという話は聞いていないので、残念ながら門閥貴族の雄(笑ってはいけない)とその忠実な臣下たるアンスバッハの姿はなかったが、どちらかというと会いたい部類には入らないので、 はとにかく近くの窓際で話す二人とメルカッツ提督とを交互に見ながら、どちらに接近するべきか悩んでいた。
 接近すると言っても、近くに立ってその声を聞こうというのである。十歳の小娘が彼らに話しかける理由がないので、とりあえずは見るだけで満足しようというのだった。
 そうして一歩足を踏み出そうとしたところで、 は見知らぬ誰かに呼び止められることになった。



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