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07



 それから数分後、ノックとともに一人の青年が現れた。
「失礼いたします。ヘルツ中尉、参りました。ご用命がおありでしょうか」
「ああ、中尉、お嬢様が艦内の案内をご所望だ。よろしく頼む」
 少々すまなさそうに言うゲーテに、まだ二十代前半に見えるヘルツは颯爽という形容詞に相応しい敬礼を返した。
「了解いたしました」
子爵閣下、彼はヘルツ中尉、有能さは小官が保障致します。彼ならばお嬢様の案内役に不足はないと存じます」
「マティアス・フォン・ヘルツ中尉であります」
「娘をよろしく頼むぞ」
 栗色の髪を持つ青年士官は、鷹揚に頷く子爵へ敬礼を捧げ、その横で立ち上がった案内すべきゲストを見やった。
・フォン・ と申します。我儘を申し上げてすみません。よろしくお願いします」
 裾をつまみながら軽く頭を下げた少女の意外な礼儀正しさに、少々驚いたようにゲーテ艦長とヘルツ中尉が目配せし合うのを、 は見逃さなかった。
(ははあ…)
 我儘を我儘とも感じないように育てられたと思われているのだろう。
「こちらこそ、よろしくお願い致します。それでは、こちらへどうぞ」
 居住まいを正したヘルツ中尉に促され、 は両親に見送られながら部屋を出た。

  も当初は気を使って話しかけてくるヘルツ中尉に対して、猫を被りながら対応していた。
 ゲーテ艦長とヘルツ中尉のさりげないやり取りから、自分が決して好意的に迎えられている訳ではないことを知っていたからである。
(任務とはいえ、十歳の子供に戦艦内を案内するなんてヘルツ中尉も気まずいだろうな…)
 面倒を押しつけられたようにも見えるヘルツ中尉に配慮して、大人しく連れられるまま見るだけにしようと思っていたである。
 だが、まずはこちらへ、と案内された艦橋を見てから、そのような気遣いなど忘却の彼方へ飛んで行ってしまった。
「こちらがこの戦艦の頭脳部、艦橋という場所です。ここから艦の向う方向を決めたり、艦内に命令が出されたりします」
 大興奮。
  の心を表すなら、その表現がぴったりだった。
 目の前には大画面スクリーンに宇宙が映し出されている。その下にオペレータや砲術、総舵を担当する者たちが一堂に会する光景に、銀英伝ファンの が喜ばずにいられようか。否、である。
 控え目謙虚という目標などあっという間に投げ捨て、 は興味の赴くままにあれこれ尋ねまくった。
「これ、三次元航宙図ね! ねえ、何かシミュレーション出してみて、動いているところみてみたいの! ね、これってどうやって情報打ち込むの? こっちのは操作卓?」
 戦闘に行くでもなく客を乗せて隣の領地へ向うだけの航行に、和やかな談笑を交わしていた艦橋クルーたちが、何事かと振り返って見ていることに は気付かない。
 先ほどまで笑って、ええ、お願いします、などとしか喋らなかったお嬢様が唐突にはしゃぎだしたので、ヘルツは面喰いつつも彼女の望むとおりに操作卓を操り適当な戦闘モデルを表示させた。
「こっちが自軍? 敵は赤表示? 艦隊数は…あ、ここに表示されてる。それでこのモデリングで射程範囲を表す?」
 伊達に銀英伝ファンをやっている訳ではない。加えてあまり人様には言っていなかったが、 の隠れた趣味はシミュレーションゲームの類なのである。限られた能力や性能を把握しつつ、敵の次の行動を予測しながら勝利をもぎとるゲームが は好きだった。そのため、三次元ホログラムで表示される記号の意味が、だいたい感覚で掴めてしまう。
(感動ー! 三次元ホログラムすごい! 一家に一台欲しいわ!)
 艦隊を表す図形が滑らかに移動する。ある程度の距離で砲撃が始まり、下部の残存艦数を表す数字が徐々に減っていく。同時に、ホログラムの一方、敵艦隊を表すきれいな四角が崩れ、向かって右の角が分断されていった。
「今がチャンスね!」
 味方表示の青艦隊に感情移入してしまった は、思わずそう声を上げた。
 その隣でヘルツは息を呑む。
(こんな小さな子供が…)
 綻びを見逃さず集中砲火を加えたのか、小さな欠片となった角はみるみる小さくなって消えていく。同じように大きな塊から離れた小集団を効果的に潰していき、相手艦隊が壊滅したところで戦闘モデルは終了した。
 その間、 はじっとその様子をみつめ、にこにこしていた。
「余裕の大勝利ですね、ヘルツ中尉。このモデルはいつのものですか?」
 考え込んでいたヘルツは、子供特有の少し高めの声にはじかれたように顔を向け、詳細情報を確認する。
「この戦闘モデルは十年ほど前、 閣下が現役時代に叛乱軍と戦った時のものです」
「お祖父様がこの味方艦隊を指揮していたの?」
「閣下は退役の際、中将の階級をお持ちだったので、一個艦隊を指揮できる提督と呼ばれるお立場だったのですよ。この当時は少将であらせられ、この戦闘の功績で昇進なさったようです」
(へー、凄かったのね、コンラッドお祖父さん)
 感心しながら、 はうっとりと三次元ホログラム投影機を見つめた。
 服など質素で機能的なもの数枚あればいいから、これが欲しい、と は思った。
「それにしても…」
 ヘルツが言葉を続ける。
「フロイライン・ 閣下に直接教えをうけていらっしゃるのですか? このような専門的なことを理解なさっておられるとは」
 ぎくり。
(し、しまった。はしゃぎすぎて猫が…)
 冷静になって思い返すと、猫かぶりなど部屋を出て艦橋に辿り着く間しかもたなかった。まったく謙虚さとは程遠い振舞いしかしていないのである。
 ヘルツ中尉に次々と質問を浴びせかけたことを思い出し、 は冷や汗をかいた。
「え、ええ、まあ。少々」
 正確にはこれから教えてもらうんだけど。しかも軍事じゃなくて経営だけど。
 とりあえずお茶を濁して は逃げた。
 しかし逃げた方向も自らの関心の赴く方向であって、その事実が墓穴を掘っていることに彼女は気付かなかった。
「あ、あちらのオペレータの方に、お話を伺ってみたいです。どうやって通信するのか、知りたいのです」
 子供は移り気だから、と心の中で言い訳して、 は話を打ち切って艦橋クルーたちに話しかけた。
 クルーたちは、まさか子爵令嬢が気安く話しかけてくるとは思ってもみなかった状況にたじろぎながら、問われるままに答える。
  は知らなかったのだ。
 頑迷な階級意識のある銀河帝国で、貴族階級の者が平民に普通に話しかけることが、どんなに珍しいのかを。仮に話しかけたとしても、常に尊大な態度を崩さないことが少なくないことを。
 ヘルツだって下級貴族ではあるがフォンの称号を持つ一員で、だからこそ案内役に抜擢されたのだった。もちろんヘルツは有能な若手士官でゲーテに目をかけられているということもあったが、有能な部下ならヘルツ以外にも幾人もいる。だが貴族なのは、あいにくヘルツだけだった。
 ヘルツ自身は貴族とは名ばかりの貧乏貴族で、平民階級と変わらぬ環境で育ってきていた。彼はそれを幸いと思いこそすれ、恥じたことはない。貴族階級の人間よりも平民階級の友人が多く、普段から貴族の傲慢さは鼻につくと彼は思っていたから。
 子爵令嬢の相手をしなければならないと知ったとき、どれだけの気苦労をしなければならないのかと敬礼しつつ内心辟易していたのだが、話してみると意外に は大人しかった。性格は悪くないのだろうが賢くはないだろうな、などと考えていたのだが、その予想は見事に裏切られた。
 先ほどの戦闘モデルを理解できたこと。
 十歳にしては大人びた口調。
 そして平民階級の多い一般兵に気軽に話しかける様子。
 彼の知る貴族令嬢は、幼くとも既に選民意識に固まっていることが殆どだった。幼さゆえに、疑うことを知らぬからだろう、その傲慢な態度は時として大人のそれを凌駕するほど手に負えないことが多かった。
(これは…)
 考え込みながら、ヘルツは楽しそうに話をする の姿をじっと見つめていた。




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