翌日から知りたいことが学べるかと思いきや、ひとつの難関が
の前に立ち塞がった。
コンラッドが
の貴族らしい思考回路を備えた両親をどのように説得したのか、その場にいなかった
は知らない。とにかく
の要望は受け入れられたことだけを、コンラッドに告げられたのだった。
だが翌日の朝食を両親と囲んだ後、やはり二人の価値観が一朝一夕で変わるべくもないことを
は悟った。
「お義父様から聞きましたわ、
。ええ、ええ、わたくしにはよくわからないけれど、あなたがもっと多くのことを学びたいというのなら、母は何も申し上げることはございません。でもね、
、幸せを得るためには良い殿方に巡り合うことが必要なのです。現にわたくしはカール様と夫婦となれて、本当によかったと思っていますもの」
ぎゅっと娘の手を握りしめながら、ヨハンナは力説する。
「ですから、難しいお勉強もよろしいけれど、今週末のパーティの準備は充分にしなくてはなりませんのよ。あと一週間もありませんもの、ローバッハ伯領はすぐお隣で近いからよろしいけど、今から何を着ていくか色々と試して一番似合うものを考えなくちゃいけませんわ」
「そうだぞ、
。君はすでに宇宙一の可愛さを兼ね備えているけれど、念には念を入れて良い相手に見染められるようにしなければな」
ははは、と笑いあう二人の姿に、
は脱力するしかない。
(まだ十歳なのに…)
以前は二十過ぎでも結婚などちっとも現実感を感じなかったのに、何が悲しくてこのような幼い姿で将来の相手を考えなければならないのか。
昨日の今日ではさすがに教師が手配できるはずもなく、さらに祖父コンラッドは今朝方に領内で大きなトラブルがあったといって、慌しく出て行ってしまっていた。
これは逃げられそうにない。
諦めた
は、せめてさっさと準備が終わるようにと、せいぜい両親に協力的に過ごそうと覚悟を決めたのだった。
銀河帝国の貴族内の流行などわかるはずもない
は、殆どの準備を母ヨハンナに投げた。ただ、ヨハンナがあまりに乙女チック全開のドレスばかりを選ぶものだから、それに対しては動きやすさと軽さ(何しろ布地もゴージャスだと重みに肩が凝るんだ)に注文をつけ、最終的にスカートにドレープをとらない金唐草刺繍の入った緑色のドレスに決まった。地味だとヨハンナは騒いだが、とにかく着せ替えごっこに疲れた
が最もシンプルだったそれにすると言い張ると、彼女もしぶしぶ折れてくれた。
「こちらの赤いものの方が見映えすると、わたくしは思いますのに」
恨めしそうに言うが、無理強いしないところは母ヨハンナの良いところだ。彼女だけでなく、父カールも勉強の件では、
が最初に家庭教師変更を求めた際には取り合ってくれなかったが、コンラッドを連れて本当にやる気なのだと知ると、あっさりと方針転換をしてくれた。
根本的な価値観は
と食い違っているけれど、良い人たちなのだ。貴族意識も単なる物知らずに起因するところが大きい。ただ、それこそ手に負えない悪意なき悪なのかもしれない、そう違う社会の仕組みの中で生きてきた
は思う。
(…一度、街歩きしてみたいな…)
貴族ではない人々の暮らしというものを実際に見てみたい。特権階級を支えているのは、彼らの数倍以上存在する人々なのだ。
(ま、難しいこと考える前に、単なるミーハーもあるけど)
中世ヨーロッパ風の街並み見たいという単純な好奇心もあるし、できれば
家の『標準』が一般庶民とどの程度違っているのかを知りたい。
一般人的感覚を持つ
は、今の暮らしが贅沢すぎることはわかるのだが、銀河帝国の『標準』がわからないために、掴みかねている部分があった。机にかじりつく学問もいいが、実際に生活に触れてみなければわからない類の知識も仕入れたいところだ。
ドレスが地味ならと髪や装飾品はどうするといってあれこれ取り出すヨハンナを好きにさせながら、
は今後のやりたいことリストに、考えの赴くまま項目を加えていた。
そして数日後、
は人生初、大気圏を突破した。
(おおー宇宙! 地球じゃないけどやっぱり海のある惑星は青い!)
モニタに映し出された船外の光景に、
は素直に感動した。
光を吸い込む漆黒の宇宙に浮かんだ大気に包まれた惑星が、ぼんやりと浮かび上がっている。それはいつかテレビで見た宇宙からみた地球の姿とよく似ていた。
訳のわからない環境に放り込まれたのは参ったが、宇宙空間に行けた点は嬉しいの一言に尽きる。
それ以外にも、宇宙船というものに乗る機会なんて、あちらにいたら一生なかっただろう。
(しかも戦艦だし!)
画面の向こうの想像の世界でしか見たことのなかったものに実際に乗れるとあって、
の機嫌はうなぎ登りだ。
さらにこの戦艦は、
家所有のものなのだというから驚きだ。子爵家は自前の戦艦と私兵を抱えているようなのである。
家だけでなく、他の貴族も私兵を抱えていることは、リップシュタット戦役が起こる点からして明らかではあったが、こうして乗るまで自分が戦艦に乗れる立場であるとは思っていなかった。
銀河帝国のシステムがどうなっているのか正確なところは知らないが、辺境には宇宙海賊も出没するらしく、その討伐兼警備のため特に辺境貴族には比較的規模の大きい私兵団を所有することが当然とされているらしかった。
貴族も、もとは銀河帝国創成期に軍功のあった人々の家門が位階を与えられてできたのだという。今は形骸化して、単に高貴な義務を負わない集団と成り果てている部分がなきにしもあらずだが、
子爵家でいえば前当主のコンラッドは軍人だし、その前もさかのぼってみると軍人の家柄と呼んでもおかしくはないという。そもそも
子爵家が門地を与えられて貴族の一員となりえたのも、ご先祖様が軍功を立てたことから始まったのだ。銀河帝国ゴールデンバウム王朝五百余年の歴史の中では最近(とはいっても百五十年前くらい?)に出てきた成り上がりの部類らしいが、一応はしっかりした武装組織を運営できているようだった。
そう考えると、
家の中でカール夫妻はかなり異端なのではないか。
貴賓室のソファに座って、ゲーテ艦長と談笑する二人を見やる。もとの
も事情は知らないのか、ヘルプ機能は沈黙中だ。
以前、コンラッドが妻に教育を任せきりにして失敗したと言っていたから、祖母にあたる人物がよほど強烈な貴族的価値観を持っていたのかもしれない。
(それはともかく)
こんな機会はそうそうない。
は戦艦探検に出ることに決めた。パーティのあるローバッハ伯領の首星バージルへは、まだ時間がかかる。
「ねえ、お父様、お母様。私、この艦内を見て回りたいです」
「ん?そうかそうか。ゲーテ艦長、お願いしてもいいかな?」
「ええ、もちろんです」
カールの言葉に、艦を取り仕切るゲーテは否と言えるわけがなかった。彼はカールより二十は年上だったが、内心はどうあれ立場的には
家の当主に逆らうことなどできはしない。
「わたしは少々作業もありますので、若いのに案内させましょう」
ゲーテは手元の通信機を使い、有能な部下を一人呼びつけた。主要航路を行くさほど危険も困難もない航行に、艦長であるゲーテ自身がすべきことなどそう多くはなかったが、上司に当たる人間の子供に気を使いながら機嫌を損ねないように案内するのは、骨が折れると思ったのだ。
しかも、彼は目前の夫妻があまり好きではなかった。彼はもともとコンラッドの部下であり、退役した上官を追いかけて
家の戦艦艦長に納まっている人間である。立場上、礼儀はわきまえているが、貴族的感性にはついていけないと思っていた。カールはコンラッドの息子にしては軍人的素養は皆無であったし、その娘がどのように教育されているかなど、先ほどの甘い対応からして想像に難くないというものだった。
は案内役を待ちながらゲーテ艦長の微妙な表情を察した。
離陸時にはきびきびと指示を飛ばしていた姿を見ていたので、
はゲーテ艦長がどちらかというとコンラッドと同じ部類に属する人間なのだろうと推測していた。そのような人種からみると、カールは暢気なお貴族で厄介なお客様以外の何者でもないのだろう。
(うーん、コンラッドお祖父さんが偉大すぎるのかもしれない…)
原作の中では散々無能と叩かれた帝国貴族ではあるが、実際に(変則的だが)接してみると、感覚についていけそうにないが、決して悪い人間ではないという気持ちばかりが大きくなっていた。
(だけどラインハルトの言う通りか…)
平和とは、無能が無能と思われない時代なのだと。戦乱の世には役立たない知識だって、確かに価値はある。だがこれから十数年後に来る激動は、貴族の安穏とした生活を木っ端みじんに打ち砕くだろう。
そこでカールはどうするのだろうか。コンラッドがまだ元気ならばいいが、如何せん老齢である。ゆくゆくは彼が
家を率いていかねばならない。だが彼は短期間ではあるが接して見た限り、絵画に精通したお人よしだ。戦艦を指揮することなど向いていないに違いない。
(その頃は私ももとに戻っているだろうし。いや、戻ってもらわなきゃ困るんだけど)
十年もこのままとは冗談ではない。
は他人事のように、少々、カールを不憫と思った。