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05



 その日、ようやく慣れてきた縮んだ手足を忙しなく動かして、 は本日の目的地へ向かって屋敷内探検に出発した。
 何しろ 子爵家の屋敷は、狭いワンルームアパートに住んでいた人間にしてみたら宮殿のように広く部屋数も多い。これだけあれば何軒分のアパートに相当するだろうか、さらにはいくらの家賃収入が得られるかと思ってしまった である。
 令嬢教育の合間を縫って屋敷をうろうろし、父親の趣味である絵画展示室や母親の衣裳部屋に溜息(贅沢に対する諦めの溜息である)をつきながらあらかたの部屋を見終わった は、最後の探検対象だった一階端の客間と思しき寝室の窓をふと見やり、屋敷のすぐ傍にもう一軒、小さな建物が存在していることを知った。
 その建物は2階建で、M字型の屋根がのっかっている。大きさは のいる屋敷を母屋とするなら、離れという言葉に相応しい佇まいで、外装はひどく質素だった。
  はぴんと閃いた。彼女の予想を裏付けるよう、ヘルプ機能が情報を提供してくれた。
(コンラッドお祖父様のおうち、ね…)
 俄然、興味が湧いてきた である。
  ・フォン・ となってから一週間あまり、 家を構成する最後の一人であるコンラッド・フォン・ に一度も会ったことがなかった。
 朝食は生活時間の差で分けているのは頷けたが、昼も夜も祖父であるコンラッドは、 とその両親と食事のテーブルを同じくすることはなく、屋敷内ですれ違うこともなかったのだ。
 突然の令嬢生活に考えることが多すぎて気付かなかったが、疑問を浮かべればこの状況はとても不自然である。
 考えられるのは、両親と祖父不仲説であった。
  嬢の知識によると、祖父コンラッドが 家の一切を取り仕切っているのだから、爵位を継いで当主であるはずのカールはないがしろにされていると感じても常識的には不思議ではない。そのため、いつまでも影響力を行使する父親を疎ましく思って祖父を別棟の離れに隔離しているのではないか、そこまで考えて は頭をふった。
(ありえない…あの呑気なカール氏に限って、仕事させてもらえないから疎むなんて)
 芸術、特に絵画に全てを捧げているように見えるカールが、当主としての実務が奪われているからといって怒りを覚えるような人物には、到底思えない。
 それでは母ヨハンナと確執があるのかと考えるが、これもあまり納得できなかった。ヨハンナは貴族的性質を持つ女性ではあるが、人柄は争いを好まず温和で、お人好しに分類されるような人だと は思っていた。そのため階級意識は別にして、彼女が他人を無下に貶めたり嫌ったりすることは考えにくい。
 とすると、祖父が離れで生活しているのは、祖父コンラッド自身が望んでのことかもしれない。
 そう考えて、 はぽんと手を打った。
 コンラッドは元軍人、しかも彼は功績を打ち立てて 家の領地を現在の広さまで拡大させた人物であることは、ヘルプ参照済みだ。
 そのような人物が、のほほんと貴族然とした両親と反りが合うかといえば、否としか思えない だった。
「お祖父さん、まともな人かも」
 思わず声に出して呟いた は、善は急げとばかりにその部屋の窓から庭へと飛び出し、離れの建物へ向かった。


 
 やや高めに位置する唐草形のドアノブを引き、 はこじんまりとした建物に足を踏み入れた。
(誰もいない…?)
 ひと気は全くなく、静かに沈黙が湛えられた空間。
が今までいた屋敷には溢れていた装飾品や絵画もあまりない内装は、すっきりとした印象を見る者に与えた。毛足の短い絨毯を踏みしめ奥へ向かい、適当に突き当りの部屋の扉を開くと、こちらを睥睨する本たちが目に飛び込んできた。背の高い棚一杯に詰め込まれた書物というものを、 はこの世界に来てはじめて見た。
 好奇心に誘われて歩みを進め、背表紙を眺める。人類はとっくの昔にペーパーメディアを捨て去ったのかと思いきや、使われた形跡もあるではないか。
 だがそれよりも気になるのは、その本のタイトルの数々だった。
 『軍事戦略論』、『銀河帝国戦史』、『艦隊指揮概論』などといったジャンルの本は、あちらの世界でもあまりお目にかかったことがない。並んだ本のラインナップは、軍事に関するものが多くを占めていた。背が小さいので棚の上の方はわからないが、その他には哲学、政治学、組織経営学などのジャンルもあるようだった。
「お!いいもの発見!」
 最近の貴族令嬢教育でいいかげん脳みそが溶けそうになっていた は、興味を惹かれて『銀河帝国経済構造』と題された一冊に手を伸ばした。
(これこれこれ!こういうの読みたかったのよー!)
  の求める知識は、この手のものだった。
 こちらの世界の経済の大まかな流れ、地域特性や主要産業、法律、人口構成、教育水準など学びたいことは多々あるというのに、そのような知識は子爵令嬢たる には相応しくないとして、与えられなかったものだった。
 かぶりつくように本に夢中になった は、離れへやってきた目的も忘れ、その場に座り込んで次々とページを捲っていった。


 どれほど時間が経ったのか、開け放したままだった扉から声がかかり、 は驚きに顔を上げて振り向いた。
「誰だ…そこにいるのは」
 声の主は、老齢に差し掛かった男性だった。
 左手に杖をついていたが、まだまだ闊達な雰囲気も窺える背筋を伸ばした人で、顔に刻まれた皺だけが彼の老いを語っている。
 彼が 家を実質的に掌握するコンラッド老だろう、そう は思った。
(カール氏に似てるし…)
 醸し出す雰囲気は似ても似つかないが、顔形に共通する項目がある。たとえば眉や口もとのあたりはコピーしたようにそっくりだ。
「… か。珍しいことだ。今まで此処に来ることなどなかったのに。何を見ている?」
 背も高く厳つい表情をしているコンラッド老だが、珍しい訪ね人に僅かに頬を緩めた。
 親しげに名を呼びかけられ、 ははっとして本を抱えたまま立ち上がり、杖をついてこちらへゆっくり歩み寄る の祖父であるところの老人へ向き直り、叩き込まれた『淑女らしい』礼をとってみせた。
「失礼致しました、御祖父様。ご挨拶も差し上げず、勝手に入ってしまって…」
 コンラッドはカールよりも僅かに明るい色彩の茶色い瞳を見開き、驚きを表した。
「しばらく見ないうちに、大人のような口を聞くようになったのだな。前に会ったときには、私のことが怖いと泣いておった娘が」
「子供の成長は早いものです」
 子供が大人びた口調でそのようなことを言うものだから、コンラッドは鼻を鳴らして破顔した。
 こちらを鋭く見ていた表情は厳しくとっつき難い印象だったのが、意外に話しやすいかもしれないと は思いなおす。
「ふむ、そうに違いない。子供がこのような本を読むとはな。面白いか?」
  が胸元に抱えた分厚い本のタイトルを見てとって、彼は首を傾げている。
(そうだよ!私は彼に会いに来たんだった!)
 久しぶりに面白いものに出会えた興奮ですっかり忘れ去っていたが、この離れを訪れた本来の目的は、祖父コンラッドの性質を確かめるためだったのだ。
 だがこうして話す前から、本棚はその主の性格を表すという言葉どおり、棚に並んだ本の傾向で既にコンラッドがどのような人物かがわかるような気がした。
「ええ、とても」
 貪るように読んでいた本を守るように抱きしめ、 は大きく頷いた。
「内容は理解できるのか?」
「わからない部分があるので、理解できるようになりたいと思っています」
 これは の心からの言葉だった。
  の持っている経済や社会についての知識は、銀河帝国のそれと食い違う前提条件のもとに話されているのだ。多少、今までに政治経済に関心を持って接してきたからといって、一朝一夕に銀河帝国について理解できるわけがなく、 は本を読み進める中でよくわからない単語や制度をとりあえず飛ばして読んでいた。できれば、それらを説明してくれる人物が欲しいと思いながら。
 コンラッドは感嘆した。
「ふむ。お前は幸いにも、カール達には似なかったようだな」
 貴族的趣味を持ち合わせていないのは、ひとえに中身が だからである。
 だが本当のことを言う訳にもいかず、 はコンラッドの台詞に苦笑した。
「あやつらと会話をしていると、頭が痛くなるのでな。軍務に忙しく妻に任せきりにして教育を間違ったわ」
 確かに、こうして「真っ当な」会話の成立するコンラッドと、熱く芸術について語り続けるカールと顔かたち以外に共通点を探すのは難しいだろう。
 久しぶりに普通の会話ができることに嬉しくなった は、手元の本で気になった部分について矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「銀河帝国の人口に占める貴族の割合はどれくらいで、一般的な税率はどれくらいなのですか? ここには税率について20%を国庫へ納めることとしか書かれていないのですが…」
まだまだ幼い孫から、予想もしなかった専門的な言葉が飛び出したことにコンラッドは面喰った。
「いつの間に、そのようなことを覚えたのだ?」
 一週間前に中身が二十歳超えた精神に入れ替わりました、とは口が裂けても言えないので、 は頭をフル回転させて言い訳を捻り出した。
「お父様とお母様を見ていて思ったのです。 家には子供が私しかいないから、しっかりせねばと。ゆくゆくはどうなるかわかりませんが、この先いつまでも平和な時が続くとは思えませんし、でもできることといえば勉強して来るべき日に備えることくらいでしょう?」
  の『中身』である は、この先の歴史の一端を知る立場にある。平和な時が続かないというのは予想ではなく、確定事項だった。銀河帝国は百年以上前から自由惑星同盟と戦争状態にあるが、いずれ来る混乱はそのような外敵との戦いではなく、帝国内部で巻き起こる一大戦役だ。権勢をふるう二大門閥貴族と彼らについた大部分の貴族、そしてリヒテンラーデ侯もラインハルトに追い落とされるだろう。貴族の一員として子爵に名を連ねる家も、その激動に揺れることになる。
「平和は続かぬ、か…」
 その言葉に感銘を受けた様子のコンラッドを見て、 はここがチャンスとばかりに自らの希望を述べてみることにした。
「ですから、おじい様。私、こういう経済や政治について沢山勉強したいのです。けれど今いる先生方は教えて下さらないから、新しい先生が欲しいのです。もしくは、こういうことが学べる学校へ通いたいのです。お願い致します、おじい様」
 瞳をうるうるさせて見上げるように懇願する姿のうち、三割程度は演技であった。
 だが言っている言葉は本心からのもので至極真っ当だったし、常識人で有能なコンラッドは孫娘の意外なおねだりに嬉しげに大きく頷いた。
「そうかそうか、それならば私が教授してやろうではないか。他にも何人か教師を雇おう。いずれお前も 家を担っていかねばならないのだからな」
(よっし!)
 思わず小さくガッツポーズをしてしまった。
「ありがとうございます!」
 その後、早速その日中にしぶる両親を説き伏せたコンラッドは、刺繍や文学の教師の代わりに歴史、政治、経済の教師を手配し、自身が領地経営に関わる実践を教えると言ってくれた。
 さらにここぞとばかりに街をもっと見たい!と主張した に、週一回ではあるが実践だからとコンラッドがいろんな場所を案内してくれることになった。
(やった!うれしー!)
 こうして学びたいものを学べる環境と、良き常識人の話し相手を同時に手に入れることができた は、嬉しさのあまりその日の夜はうまく寝付くことができなかった。
 


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