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03


 
 来た時も突然だったのだから、いつか戻れるだろうと半ば思考を放棄して、一週間が経った。
 相変わらず は、 ・フォン・ のまま子爵令嬢生活を送っている。
 十歳の少女が中身が別人になったからと言ってできることは、少女に課せられたルーチンを滞りなくこなしていくことだけだった。正直なところ、他に何をすればいいのかわからなかったのだ。
 そして、 は思い知った。
 銀河帝国の貴族令嬢の生活が、いかに実用性に欠けた教育で構成されているかを。
  ・フォン・ の華麗な一日目は、それなりに面白く思った。
 唐突に別人になっている不思議さの原因など考えても仕方ないと、数時間悩んで結論に至った は、とりあえず滅多にないことだからと開き直って、現状を楽しもうとした。
 そうして、この体の日課をこなすことにしたのだが、その日課が三日続くと嫌気がさした。
(そりゃこんな教育してたら、貴族も馬鹿ばっかになるよ)
 げっそりとした溜息しか出なかった。
 朝起きて、何をするかと思えば朝から文学を読まされ(超銀河ラブストーリー!)、刺繍、ダンス、ヴァイオリンに始まる実用性の欠片もない授業を、屋敷に呼ばれる教師とマンツーマンで受けるのである。授業の中には簡単な算数や銀河帝国の歴史についてなど、常識として知っていなければならない範疇の科目もあったが、殆どのカリキュラムが教養の教育に費やされていた。
  が嫌気がさしたのは、スポンジのように知識を吸収する成長過程の子供の時間をそのような教育に費やすということは、子爵令嬢の未来というものがほぼ定まっていることに思い至ったからだ。 の両親の人柄は悪くなかったが、貴族的思考に微塵も疑いを抱かず、娘の幸せは良い家柄の貴族へ嫁ぐことだと考えている節がある。
(あんまり興味ないんだよなーこういうの)
 あちらの世界の父の年収は人並み程度で、お貴族様の暮らしなど想像がつくはずもなかった にとって、貴族令嬢に施される教育など退屈の極みでしかなかった。もしも が乙女的感覚の持ち主ならば薔薇色の毎日だったろうが、あいにく彼女はそのように雅な芸術とは縁遠い性格をしている。文芸詩人の名も、紅茶の銘柄当ても、刺繍も音楽もダンスも、確かに教養として身につけておくに越したことはない。特に見栄を重視する貴族社会では、教養も立派な武器だろうことは伺えた。
(とはいえ、向き不向きってもんがね)
 こちらへやってくる前は政治経済や経営など社会科学に関心を持っていた は、自分には貴族生活は向いていないと本気で思った。
  の頭は、出てくる紅茶の銘柄当てよりも、その紅茶を誰がいくらで販売していて、顧客層は誰でどのように卸しているのか、コストに対する利益率はどれくらいなのかが気になる頭なのだ。使っている繊細な金模様入りの薄口カップが、パンいくつ分に値するかを知りたい性格なのだ。
 つまり、贅沢の裏側の仕組みが気になって仕方ない。
(金をあぶくのように使えない質だからな…それに貴族って庶民搾取してんじゃ?)
 とにかく、貴族生活は金に糸目をつけていない部分があると、 は思う。いかにも値の張りそうな物が、家のあちこちにさりげなく置かれている。維持費がどれくらいかかるかわからない広大な庭と屋敷。仕えているメイドや執事は十数人(これでも少なく質素な方とヘルプ機能が告げている。なんてこった)、 の両親は何をするでもなく遊び暮らしているようにも見える。
(まあ、中には貧乏貴族もいるだろうけど、 家は安泰だね)
 貧乏貴族と言えば、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイトを思い浮かべてしまった だった。
 貴族といえども序列が存在し、称号だけの門地をもたない貴族の収入は一般庶民と変わりがないのだろう。現に、ファーレンハイトは生活のために軍人になったという。
 これはヘルプ機能の知識ではなく、 が予め持っていた知識である。
 そう、ここは銀河英雄伝説の世界なのだから、その小説やアニメを見たことのある は、おおよその世界観は掴めていたのだ。
 不可思議な状況に陥った混乱から数時間で開き直った後、理性に冷却された の頭は思い至った。
 自分が貴族だとするなら、作中でラインハルトが貴族を一掃したリップシュタット戦役がいつ起こるかは死活問題に関わっている。
(カール父さん、ブラウンシュヴァイク公につきそうだしな…)
 今度のパーティでは公爵の親類と縁を作ってこいと言って憚らない人である。もしも戦役が明日起きるとすれば、没落どころかお家取り潰しコースまっしぐらだ。
 だが幸いなことに、その心配は の杞憂に終わった。
 年号を確認したところによると、今はまだストーリーが始まる十年ほど前にあたるようなのだ。
 銀河帝国歴477年。
(それじゃ、 はラインハルトと同い年じゃん)
 今となれば不幸中の幸いと言うしかないことだが、割合マニアックな銀河英雄伝説ファンだった は、487年のアムリッツァ会戦のときにラインハルトが二十歳だったことを思い出し逆算したのだ。
(小説読み込んでてよかった…)
 とにかく、現在はまだ貴族の平穏は約束されているので、 はほっと胸を撫で下ろした。
 リップシュタット戦役が勃発して、下手に二大門閥貴族や帝国宰相リヒテンラーデ侯と縁故があろうものなら死刑か辺境惑星に流されてしまうところだし、縁故がなくても内戦時に貴族連合に所属したら色々とアウトだろう。
 自分が置かれた現状に対して納得できないことは多々あったが、とりあえず死にたくはないし、苦しみたくもない。身体が縮んで別人の顔をしていても、中身の精神は なのだ。とりあえずはいつになるかわからないが元の自分に戻れる日まで、平穏無事に過ごしたいものだ。
 性に合わない令嬢生活を送りながら、そう心から は思っていた。



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