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06



 銀河を映す空間の中央に、小さなわだかまりがあった。
 それが人影であると理解するのに、ディートハルトは超新星爆発の映像が投影されるまで待たなければならなかった。星を眺めるように作られた展示室に灯りは乏しく、足元を照らす青白く弱いもの以外、視界に寄与する光源はなかったのである。星の一生を追う映像がフィナーレを迎え、厖大な質量を誇る恒星の最後の輝きが室内にばらまかれた時、ディートハルトはあたかも小さな星を見つけるがごとく、彼女を発見した。
 星影に見つけた蹲るドレス姿の令嬢に声を掛けると、彼女は驚いたように立ち上がり、そのまま背から倒れ込みかけた。咄嗟にドレスの膨らんだ袖口の辺りを掴むと、想像外の軽さに力加減を間違い、ディートハルトはその少女を抱き寄せる形になってしまった。瞬間、自分とその少女との間にたちのぼった自分とは違う香りに、なぜか心穏やかならざる気持ちになり、ディートハルトは焦りを感じた。
 すぐに身を離した黒髪の少女に内側のざわめきは急速に鎮まったものの、向かい合った顔に涙の痕跡を見つけ、再びディートハルトは居心地の悪さを覚える。
 男ばかりの幼年学校で寄宿舎生活を送るディートハルトとて、貴族子弟の集うパーティでは同年代の少女と言葉を交わすこともある。得手とは決して言えぬものの、社交での付き合いに不足ない程度の振る舞いはできるはずだった。
 しかし少女が何事もなかった、大丈夫だと言い繕い、困ったように笑う姿を見て、ディートハルトの常から重い口は更に重くなった。
(泣いていた)
 正確には、少女の目元を彩る赤さにディートハルトが勝手にそう思っただけだ。彼が黒髪の令嬢と会話した際には、彼女は涙を見せていない。けれど彼は、自らの想像が事実と相違ないことを確信していた。
 だが、所詮は赤の他人である。込み入った事情を訊くべきではないと思案していたところに、少女の家名を耳にしてディートハルトは束の間、絶句した。黒髪の令嬢が告げたのは、つい数日前に、彼が次なる見合い相手として祖父に紹介された名前だったからである。
 しばし迷い、ディートハルトは自分も名乗りを返した。そして更なる逡巡の後に、なぜ泣いていたのか、と疑問を口にした。
 ディートハルトとしては、別に目前の見合い相手に思い入れがあって問うたわけではない。彼にとって、そう訊ねることがその場合は最善だと思えたからだった。
 彼の前には、泣いて蹲るほど何事かに困っていた相手が存在し、だが彼には状況が不明だったので、まずは状況説明を求めようというのが質問の趣旨であった。
 ・フォン・嬢は彼が問う前よりも困り果てた顔をして、黙ったまま言葉を探しているようだった。
 幾度か星光が瞬き、言葉なく立ち尽くす二人を様々な色合いが照らす。恒星の揺りかごである暗黒の分子雲の映像に切り替わると、室内はひどく暗くなり、近くに居るはずの少女の顔は幸か不幸か見えなくなった。
 そこでディートハルトは気付かれぬよう秘かに吐息を漏らし、戸惑いを隠さぬ少女に幼子を導くような気持ちで、供とはぐれて迷子になったのかと質問した。
 ディートハルトは、本気で子爵家の令嬢が迷子になったと信じていたわけではない。実際のところがどうであれ、少女は彼の言葉で弁明の余地を与えられるのだった。他人に言い難い事情があれば少女はディートハルトの言に頷くだろうし、そうでなく彼女が真実を告げたいと思えば否定するだろう。
 果たして、暗黒星雲が可視光線を纏う散光星雲へと変貌し原始星を映写する時には、・フォン・は安堵した様子で、迷子になったと彼に頷いて見せた。
 そのとき初めて、ディートハルトは・フォン・が些か普通とは異なっているかもしれないという感慨を抱くに至った。供も侍女もはべらせずひとり佇んでいるにしては不安げな様子もなく、助力を申し出れば固辞しそうな力強さを口調に感じたのだ。
 恒星は不安定な成長期を越えて人間で言えば青年期にあたる主系列へ至り、壁に映る星は褐色や赤色、白色と次々に色を変え早送りに時を重ねていく。恒星はその一生の大部分を、自ら核融合を起こしエネルギーを放射しつつ過ごす。そしてエネルギーを使い果たした後には、収縮して星の塵やガス状になる場合も多く、質量によって恒星の末期は違うものだが、やはり展示物ということで華やかな光を放つ超新星爆発が選ばれたのだろう、立体映像の星が再びふくれあがって光量を増し、次の瞬間には七光を纏って鮮やかに弾けた。
 ディートハルトは、しばし時を忘れて光景にみとれた。背後に射した輝きを背負う少女が眩しく、目を眇めて視界が晴れるのを待つ。
 そうして星の誕生から終着点まで一巡りした映像が再び分子雲となって展示室に薄闇が降りると、いつの間にか側近くに・フォン・嬢の護衛が現れていた。
 彼には詳細が把握できない応答が交わされたが、漏れ聞こえた名にはテレジア・フォン・メルカッツの語っていたヴィーゼ伯爵家の嫡男を思い起こしたディートハルトだった。
(ユリウス様、か)
 単純な論理の帰結であるが、本日の・フォン・はヴィーゼ伯爵家のユリウスなる者と博物館見学に来ていたらしいとディートハルトは見当を付けた。逢瀬には相応しくない場所のように思えるものの、祖父に伝え聞いた子爵令嬢の嗜好を思えば案外に適当な選択なのかもしれない。
 余計な節介とも思いつつ、ディートハルトはひとり泣き伏していた少女に最後の確認の意味合いで、困ったことはないかと訊ねた。
 嫌がる女性に言い寄る男はすべからく根絶すべしとは、母が彼に与えた家訓の一つである。若き母がその昔の経験から生み出した歴史の浅い家訓であるというが、弱きを助けるのはディートハルトにとっては至極当然の行いであるから、もしも・フォン・がヴィーゼ伯爵家の某から逃亡して現在の状況に至ったというならば、彼は少々の手出しをしようと考えたのだった。しかしながら、黒髪の令嬢は彼の進言の意図を汲み取って、あっさりディートハルトの思い違いを正した。
 曰く、ユリウス様を好いてはいても嫌いになることなどないという。表情には一片の曇りなく、嘘もないようである。
 これには思わずディートハルトは笑みを漏らした。
 先走りすぎた自分自身の想像力が可笑しくもあったし、結末の見えた縁談は往年の老提督同士の酒肴話で終わるだろうと想像したのだった。他人の恋路を邪魔するほど、ディートハルトも野暮ではない。祖父は縁談に乗り気だったが、この顛末を訊いたら何と言うだろう。彼の不甲斐なさを冗談交じりになじって、けれど笑って他の見合い相手を見繕ってくるのだろうか。
 ディートハルトは幼い子爵令嬢に当の“ユリウス様”との仲直りを勧め、満足を覚えた。ユリウス・フォン・ヴィーゼの為人は知らないが、黒髪の令嬢が賢明と言い、好きというならそれで何の問題もない。
 僅かに触れた・フォン・の人柄は興味深くはあったが、いずれ機会があれば戦術論で話題を交換しようと決め、ディートハルトは手短な挨拶を残して踵を返した。気付けば随分と時は過ぎ、目を走らせた腕の表示は昼の集合時刻が間近に迫ることを告げていたのである。ミューゼルとキルヒアイスは班に合流したのか、その後は問題がなかったかと急に幾つも懸念が思い出され、ディートハルトの背を強く押した。
「ディートハルト様!」
 だが、部屋を出掛かったところで家の令嬢に呼ばれ、ディートハルトは振り返った。
 恒星の映像はいつの間にか消え、展示室には星の雲霞が煌めいていた。密度の濃いガスの集合である星雲が渦を巻き、少女をその中心に捉えて回っている。
 彼が面倒を見ている二人の少年への伝言を言付かり、再会までの壮健を祈ると告げられたディートハルトは、ただ一言の返答で部屋を去った。
 ディートハルトの意識は既に自らの責任の方へと向かっていて、銀河の中に佇む少女のことは二の次とばかりに博物館の通路を彼はひたすらに走ったのだった。


「で?」
「だから俺は、貴女も元気で、と返して、あとは班に合流した」
 金髪と赤毛の二人が班に追いついたというのに、やけに戻りが遅いとゾーンに詰られたディートハルトは、暗い小部屋であった顛末を説明させられる羽目になった。というのも、ミューゼルとキルヒアイスを発見するに至った経緯を語ろうとすると、おのずとお困りの様子の令嬢に言及せざるを得ず、そしてディートハルト自身が危うく昼の集合に遅れかけた理由も続けて話す流れとなったからである。
 ゾーンはディートハルトの淡々とした状況説明を聞き終え、何はともあれと、際だって異彩を放つ新入生二人への対応をまず検討しようと言った。
 昼食後の博物館見学では特に厄介事もなく、ディートハルトとゾーンは問題児たちの行動を、結局のところ内々で処理することに二人は決めた。教官への報告は面倒を拡大生産するに違いないし、班内の集合時間に遅れた程度の規則違反であれば、それこそ班内で処理すべき事柄であると判断したのだった。
 ディートハルトとゾーンは、ミューゼルとキルヒアイスに記憶に残るいにしえの罰の再現を行うことにして、帰校後に早速その旨を二人へ告げた。銀河帝国史の書き取りは一日十ページを課題として、毎日成果を報告に来るように命じ、騒動は一応の決着をつけた形となった。
「新入生の分際で自由行動は許されていない。集団行動の足並みを乱すことが今後はないように、また自ら騒動を無駄に起こさぬように、行動の際には熟慮を求める」
 相手が誰であれ、ミューゼルとキルヒアイスのように新入生の立場で彼らと同様のことをしでかしたなら、きっとディートハルトは同じように言ったろう。だがそれは前半部分のみで、後半部分には日頃の苦労の恨みを少々加えずにはいられなかった。
「はい!」
 美しい金髪の少年とその友である赤毛の少年は威勢良く返答したものの、表情が余計な説教など御免だと物語っている。この場にゾーンが居たなら、二人の書き取り課題の量が二倍になったかもしれなかったが、彼らにとっては幸いなことにゾーンは一足先に食堂へと赴いている。夕食のお預けをくらって顔を突き合わせているのは、ディートハルトとミューゼル、そしてキルヒアイスの三名のみだった。
 連帯責任の意義を問い質したい誘惑に駆られるものの、ディートハルトは無駄口は控えて解放を待ち望む二人を早々に放逐することにした。腹が減ったのは彼自身も同じで、これ以上の気苦労をわざわざ今この場で得たいとは思わなかった。
 機嫌がよいとは世辞でも言えない表情をした下級生に解散を言い渡そうとして、ディートハルトは子爵令嬢を思い出す。頼まれ事はすぐ片付けることを美徳とする彼は、あの黒髪の令嬢の言葉を目前の少年達にその場で伝言することにした。
「そういえば、お前達が介抱を申し出たご令嬢のことだが、礼を言っていた。気分が悪く冷たくあしらってしまって申し訳ない、申し出は有難かった、とのことだ」
 そう告げるものの、貴族令嬢の礼など今更とでもいうように二人の表情に変化はなく、大した感銘を受けた様子もなかった。
 何よりも、二人は今すぐこの説教くさい上級生との会話を終えたいのだろう。
 ディートハルトは内心の疲れをおくびには出さず、ミューゼルとキルヒアイスへ宣言した。
「以上だ。行け」
「ご指導ありがとうございました!」
 声を揃えた二人の敬礼に応じると、ディートハルトは素早く背を向けて食堂へと向かった。問題児と面白くもない応答を交わすのは、彼も本意ではなく、さっさと温かな食事にありつきたかったのである。
 食堂の片隅にゾーンや友人達の姿を見つけ、あらかじめ膳を用意してくれたことに感謝しつつ、ディートハルトは鬱憤晴らしとばかりに猛然と夕食を平らげた。
 ディートハルトが食事中に無言になることはいつものことと、先に食事を終えた友人達は歓談していたが、彼が皿を空にするや否や友人達は勢い込んで彼を話題の中心へと据えることに決めたようだった。
「おい、ミュッケンベルガー、聞いたぞ」
 ナイフとフォークを揃え置いて口元をハンカチで拭いつつ、何を、と問おうとして友人達の目つきに嫌な予感を覚えたディートハルトだった。傍らのペーター・ゾーンへ視線を移せば、にやけ顔がそこにはある。
 まかり間違っても、今から饗される話題は赤毛と金髪の下級生のことではないと、ディートハルトは友人達の口元に浮かぶ薄笑いに悟らざるを得なかった。
「貴様、それでも帝国軍人を志す男子か! 他の男に先鞭を付けられたからといって退いてどうする。不退転だ! 突撃あるのみだ!」
「いや、ここは情報を収集すべきと俺は思うがね。敵を知り、己を知れば百戦危うからずと言うではないか。ということでだ、ミュッケンベルガー、そのフロイラインと逢瀬の折りには俺も連れて行ってくれたまえ。友の役に立つは我が喜び!」
「待て、卿は友の恋路を邪魔立てせんとする不埒者と俺は見た。ミュッケンベルガー、真の友が誰だか、卿はわかっているのだろう?」
「とにかく、まずは茶に誘え。美味い菓子を食わせろ。満足させれば敵防御陣の第一段階は突破したも当然だ」
 不味い紅茶をすすりながら、ディートハルトはとりあえずオーディン神に呪詛の言葉を心の内で吐くことにした。


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