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03




 騒動の収拾に随分と気力を奪われて自室へ戻ると、ヴィジホンにメッセージが残されていた。
 淡い緑色がゆるやかに点滅する再生ボタンを押せば、画面には幼い頃には大層世話になった執事のカーセルが現れ、映像でもわかるほど真っ直ぐに背筋を伸ばして一礼した。
 沙汰を訊ねる挨拶の後、彼は簡潔丁寧に用件を述べた。曰く、母方の祖父グレゴールが早急な連絡を所望しているという。
(急を要するということは、家督の件だろうか)
 ディートハルトはここ数年ミュッケンベルガー伯爵家で取り沙汰されている問題を真っ先に思い浮かべ、執事が消え去ったモニタを眺めつつ眉根を寄せた。
 現在、ディートハルト・フォン・ミュッケンベルガーと名乗る彼の元々の姓は、フォン・ファーベルクと言った。
 彼が姓を変えた理由は単純で、もともとミュッケンベルガー伯爵家の分家筋であったファーベルク子爵家が、後継を失ったミュッケンベルガー伯爵家へ養子として男子ディートハルトを提供したのである。戦時の武門の家柄にはよくあることだが、本家の継嗣が相次いで戦死し、その遺児も夭折したので、次なる伯爵として現在のところ最も血筋の濃い彼が推薦されたのだった。
 彼の母方の祖父グレゴールは当のミュッケンベルガー伯爵本家の次男であったし、ディートハルトの母はその長女ヴィルヘルミナ(曾祖母と同じ名である)、そして父は何代か前に伯爵家から枝分かれした子爵家の次男と、血の繋がりの上では全く問題がなかった。
 祖父のように軍人として身を立て、一代限りであろうとも自ら爵位を得る未来を思い描いていたディートハルトにとっては、青天の霹靂の家督相続であった。とはいえ話が転がり込んだ当時、彼はまだ幼く、正式な相続は16歳を数えてからということになった。そして、その日は間近に迫りつつあり、近頃は宮内省での手続きや無憂宮殿への参内の日取りを決めたりと、後見人である祖父と連絡を取る機会も多かったのである。
 ディートハルトは鏡で姿を検分してから、ヴィジホンの前に立った。
 祖父の屋敷への通信は、すぐに繋がった。執事は用件を心得ていたので、祖父グレゴールが通信画面に現れるまで、さほど時を要しなかった。
 切り替わった画面に、いつでも胸を張り威厳を溢れされる上級大将である祖父の姿をみとめ、ディートハルトは軽く一礼する。軍式礼でないのは、通信が家族としての私的な会話だからだ。
「夜分遅くに申し訳ありません。ディートハルトです。急ぎのご用件であるとカーセルから伺いましたが、いかがなさいましたか、お祖父様」
 ディートハルトは姿勢を正して、祖父の応えを待った。
 祖父はひとつ大きく頷くと、どこか楽しげに彼に第一声を告げる。
「ディートハルト、お前に似合いの娘を見つけた」
 言葉の内容を理解するのに、しばしの時が必要だった。
 似合いの娘、という言葉が脳内を何度か往復する。幾度か瞬きを繰り返し、ようやく近頃はご無沙汰だった見合いの件を祖父は言っているのだと気付いても、ディートハルトは答を求めて考えを巡らせねばならなかった。
「左様でしたか」
 相槌の一言だけ口にして、ディートハルトは沈黙を守る。
 伯爵家の後継となることが決まって以降、彼の元には幾多の縁談が持ち込まれた。
 しかし、彼はその手の話を自身で歓迎したことは一度もない。いつかは妻を娶ろうという希望は彼の内にもあったが、今はまだ時期尚早というのが彼の意見だった。自分自身で為したことが、彼にはまだ何もない。
 祖父の気遣いには感謝せねばならないだろうが、素直に有難いとは思えない、複雑な心境のディートハルトだった。
「ああ、お前も気に入るだろう」
 威風堂々という形容に相応しい祖父は軍人の鑑とでもいうべき威厳を兼ね備えた人であり、屋敷の外側では口の端を持ち上げた笑顔を見せることは少ないという。だがディートハルトの知る祖父グレゴール・フォン・ミュッケンベルガーは、厳しいなりにも家族にはこれ以上ない程に愛情を注ぐ情味溢れる人物であった。
 ディートハルトの父は彼が物心つかぬ頃にヴァルハラへ逝ってしまったが、それからというもの祖父は父の代わりに、あれこれ気にかけてくれるのである。祖父自身も幼い頃に父、ディートハルトにとっては曾祖父にあたるウィクトールを第二次ティアマト会戦で失っており、自らの経験と重ねて一層の配慮をくれるのかもしれないと、ディートハルトは思う。
 祖父は上機嫌で『似合いの娘』に関する詳細な情報を語り始める。
「コンラッド・フォン・ は知っているだろう、パランティア会戦の英雄だ」
「ええ、勿論」
 幼年学校へ入学して以降の戦史でも習ったし、祖父グレゴールからも幾度か聞くこともあった名である。彼自身には記憶がないのだが、十年以上前に会ったこともあるという。
 祖父の友人が有能な軍人であったことは功績が証明しているが、その個人的資質に関して、祖父は 提督を貴族としては風変わりと漏らしていたのを、ディートハルトは耳にしたことがある。コンラッド・フォン・ が『やらかした』逸話を語る祖父が、普段になく楽しげな顔をしていたことが印象的だったので、幼い頃に聞いた割によく記憶に残っていた。
「その の孫娘だ。歳はお前より5つ下で幼いが、なかなか機知に富んだフロイラインだった」
「ですが、今までも名家のご令嬢との縁談は幾つもありました。どの辺りが似合いとお祖父様は思われたのでしょう」
「なに、お前が以前言っていた話そのものの娘のようだったからな。それに の孫となれば、ミュッケンベルガー伯爵家としても、そう悪い話でないように思われる」
「以前、言っていたとは…」
「政治や経済が語れる娘が良いのだろう? 武門の娘でもあり、軍学の素養もあるし、 は知己だ。子爵家の一人娘で、娶れば領地経営もうまくいっている子爵領も手に入る。なかなか良い縁とは思わぬか、ディートハルト」
 ディートハルトには、祖父の挙げる好条件を否定する理由がなかった。
(まさか本当に見つけてくるとは…)
 見合いを忌避しての口から出任せであったが、自らが提示した好みをいまさら嘘と言えるはずもない。
「週末まで らがオーディンに滞在しているのだが、急な話でもあるし、すぐに会えとは言わぬ。改めて席を設けるつもりだ。とはいえ、 の孫娘は、近頃はヴィーゼ家の長男と懇意にしているとも聞いている。明日も2人は会う約束をしているというから、お前も出遅れぬように早めに顔を合わせねばな」
 グレゴールにとって、それにミュッケンベルガー伯爵家にとって ・フォン・ との縁談が良い話であることは、ディートハルトにも理解できた。そして良い条件の妻を娶ることも、貴族の責務の一つであろう。
 だからディートハルトは、祖父の気遣いを感謝と共に受け入れる。
「良いお話をありがとうございます、お祖父様。しかし、まずは一度お会いしてから…」
「お前はいつもそう言って、もう一度同じ相手と会った試しがないとミーナが嘆いていたぞ。おれも少しばかり心配だ。お前は女の好む話をせぬから」
 母の顔が、ディートハルトの脳裏に浮かんだ。早くに夫を亡くし無骨な一人息子しか得ることが出来なかった母は、楽しい茶飲み話ができる娘が欲しいと普段から口にしている。見合い攻勢は主に母が仕掛けてくるが、彼女の好みを反映してか相手がいつも些か喋りすぎる手合いが多いことに、ディートハルトは閉口していた。
 彼は愛想笑いや追従を好まぬ性格であったし、10歳から幼年学校で過ごしてきたためか女性の機微については疎かった。簡潔に意図を伝える言葉を発してくれないかと、貴族令嬢と向かい合う彼はいつも思ってしまい、見合いで弾む会話が出来た試しがない。彼の口調は素っ気なく率直すぎる、話題が堅すぎると母は言い、それが原因だと彼を叱るが、恐らく女性の観点からみる自分はそういう男なのだろう。
「フロイライン・ とは恐らく会話ができるでしょう。政治や経済もご存知のようですし」
「そうあることを祈るとしよう。そういえばディートハルト、お前は来月から従卒の実習ではなかったか」
「はい、そうです」
 苦手な話題からようやく離れたこともあって、ディートハルトは安心すると同時に緩みそうになっていた背筋を改めて正した。
 ディートハルトは、近く半年にわたる従卒任務に就く。従卒の実習はいわば幼年学校で教育を受けた五年間の総仕上げであり、直接的に戦闘に参加するわけではないが前線の雰囲気を身をもって体験する。任務の内容は高級士官の身の回りの世話で、身近で艦隊指揮官や司令官らの働きぶりを知るまたとない機会が与えられるのだった。
「配属先は決まったか」
「メルカッツ少将閣下の従卒として、イゼルローン方面艦隊へ配属される予定です」
「メルカッツか…」
 祖父グレゴールは顎先に手を撫でながら、考える仕草をした。ディートハルトは顔には出さず、胸の裡でさもあらんと祖父の表情を見る。
 ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ少将は、帝国軍でも不敗の名将と名高い気鋭の提督である。どの派閥にも属することなく中立を保ちつつも、実力だけで高級将校の席を戴いた高潔無私な人物であるとディートハルトは伝え聞いている。メルカッツ少将と眼前の祖父はとくべつ不仲ではないが、親密といえるほどの間柄ではない。双方の親類が縁戚であることもあって公的な式典以外でも顔を合わせるし、とくべつ利害が対立している訳でもなかった。
 それでも宇宙艦隊司令長官に最も近い上級大将とされる祖父が唸ったのには、訳があった。
「あやつは少し融通が利かない男だ…」
 どの閥にも属さず無私であるがゆえに、“気を利かせる”ということが全くないのが、ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツ少将だった。組織の上にあればあるほど何事も規律や綺麗事だけでは済まず、軍の外側との折衝、つまり時には大貴族との持ちつ持たれつも必要とは祖父の口癖だが、メルカッツ少将は金や地位のかわりに不正や“融通”に目を瞑ることがない。ゆえに年齢や功績に比して今だ少将の地位にあり、軍内では扱いにくい人物の代表格と目されている。
「だが、些か堅すぎる部分を覗けば、能力は間違いないし、兵士たちからの信頼も厚い。将官として良い手本になるには違いない。運悪く艦隊が戦闘に巻き込まれても、メルカッツの側ならお前も無事戻ってこられるだろう。任務に励め」
 ディートハルトは、このような時に祖父を誇らしく思う。そして自身も、その祖父の、そして家名の誇りを汚さぬような者になりたいと思う。
「微力を尽くします」
 メルカッツ少将の従卒になることは、ディートハルトにとっては幸いだった。
 見方によっては危険な前線指揮官、それも出世の遅れている人物の従卒となるのは、のちの伝手や利益にならぬと思う者もいるだろう。しかし、いずれは宇宙艦隊の指揮官になる夢を抱くディートハルトは、安全な地上での後方勤務よりも宇宙空間へ出る方が心躍った。それに何より彼自身がウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツの功績や為人に興味を抱いているから、祖父が言うように実習で多くのものが得られるよう努力する気であった。
「出立の前に、皆で食事でもしよう。 の件は、お前の従卒任務を終えて会うことになるだろうが、その前に手紙の一つでも花と一緒に送っておくがいい」
 ディートハルトは、密かに溜息を堪えた。
「ええ、そのように致しましょう…何を書けば良いのかわかりませんが…」
「ミーナに聞くといい」
 気が重い新たな任務に暗澹となったが、ディートハルトは幼年学校の乏しくなる食事について思い出した。
「そういえばお祖父様、お耳に入れたいことがあります。幼年学校の糧食管理についてなのですが…」
 ディートハルトは自ら収集した情報を、全て祖父へ語った。食事が乏しくなった時期、彼自身の予想と、食堂の小間使いから仕入れと帳簿の齟齬を伝えると、祖父は憤懣やるかたないといった表情で頷く。
「わかった。それでは、憲兵隊の監査へ伝えておく。ただ、今のところ証拠がないし、万が一だが誤りということもある。内密に進めるから、他言はするな」
「了解しました」
 夜も遅いということで、それから幾つかの話題を交換したあと、休みの挨拶を交わして祖父との通信を終えた。



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