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半ねこ令嬢一月記04



 ああ、神様。もしくは、くそったれオーディン。私は何か悪いことをしたでしょうか。
 なぜ望まない時と場所で、他人様に己の裸を晒さねばならないのでしょうか。
 そんな仕打ちは、赤ん坊の頃だけで充分です。
(な、なんてこった…)
 変身した瞬間、普段よりも伸びた手足に気付いて は一瞬、喜んだ。しかし、すぐにこの状態は激しく問題があると気付いた。素っ裸という、まさかの昨夜の二の舞である。更に悪いことに、第二次性徴期を迎えましたという感じのマイボディで、(性格は別にしても)嫁入り前の大和撫子としては死活問題だった。
 約束通り目を閉じていればいいものをアッテンボローは目を開き、あまつさえ視線を上下に往復させるという行為に至り、 は実力行使に出た。
 いかなアッテンボローといえども、無遠慮に人の裸を眺め回して良いわけがない。
 半猫人間になってしまったとはいえ、 も乙女の恥じらいは捨ててはいないのである。
 慌てて寝室へ飛び込んだ だったが、再び重大な問題に直面した。着る服がないのだった。
 アッテンボローが買ってきたのは恐らく10歳の体に合わせたものであるし、まさか他人のクローゼットを勝手に開けて漁るわけにもいかず、 は仕方なくベッドの掛け布を引っ剥がし、ぐるぐると我が身に巻き付けると、そっと寝室の扉を開いて声を上げた。
「アッテンボロー提督! 服がないんですけど!」
「とりあえずクローゼットの中から適当に見繕え。右を開けたらシャツの棚があるから、下から二段目にあるものを適当に使ってくれ。ハーフパンツがその横のボックスにある」
「…了解」
 ぱたりと隙間が閉じられる音を聞きながら、アッテンボローは首を捻った。
(それにしても、あいつは何で俺のことを提督って呼ぶんだ?)
 提督とは、艦隊司令官を呼ぶ際に用いられる名称だ。自由惑星同盟軍では、少なくとも分艦隊を指揮する少将あたりから提督と呼ばれるのが一般的とされている。軍服を着ているから、お世辞でそう呼んでいるのだろうか。
(いくら賢いといっても階級章の読み方なんて、普通はわからないか)
 自己申告ではあるが帝国の貴族という話であるし、その辺はこの際さほど重要なことではない。
 アッテンボローは浮かんだ疑問をひとまず置いて、水で冷やしたタオルを頬に当て、嵐が寝室から出てくるのを待った。
 待つこと5分、やはり大きさの合わない黒のトレーナーにハーフパンツ姿の少女は、先程の騒ぎが嘘のように大人しく扉を開けて現れた。
 目をそらしてアッテンボローの顔をみないのは、一応は手をあげた罪悪感を覚えているということだろうか。
「…殴ってごめんなさい。ちょっと、びっくりしてしまって」
「いや、俺も不躾に見たのが悪かった…色々と、予想外なことばかりだな」
  とアッテンボローは、先程の邂逅は不幸な出来事として、そそくさと処理した。
  としても、一度は目前の青年提督の裸を見てしまった手前、あまり騒いでの藪蛇は避けたかった。さらに現状求められているのはアッテンボローからの誠意的謝罪ではなく、この状況を整理し、対応を練ることだ。
 二人はリビングのテーブルを挟んで、コーヒー片手に向かい合った。
「私たち、オーディンに嵌められたってことなのかな」
「さあな。ただあいつの言ったことの信頼性はかなり低い、ということは明らかになった訳だ。こうなると、一月であちらへ戻れる云々も嘘って可能性もある」
「…頭が痛い」
「奇遇だな。俺もだ。それよりお前、もともと10歳なんかじゃないだろう」
「う」
  の脳内ではめくるめく大計算が繰り広げられていた。
 今こそ、実は21世紀地球からやってきましたと、ぶちまけてしまう頃合いだろうか。しかし既にこじれている謎をさらに上塗りしても、何の益もないような気がする上、アッテンボローに秘密を打ち明けたからといって、日本に戻れる気が全くしない。
 真相をぶちまけて追い出されてはかなわない。現状、頼れるのはアッテンボローだけという身の上なのだ。
 もしも24時間、何をせずとも人間でいられるなら同盟政府お抱えの孤児院でも施設でも入って、自ら生計をたてる算段ぐらいはつけてみせよう。しかし、アッテンボローがいなければ自分は憐れ子猫姿でいるしかないのだ。
 これこそ、人間の尊厳がかかっていると言えないだろうか。
 時間稼ぎのように、 はミルクポットを持ち上げて中身をコーヒーに投入する。白いミルクが渦を巻いて、黒を斑に染めていった。
 今度は砂糖を一匙投入する。働く脳味噌には糖分が必要だ。一口飲んで、 は口を開いた。
(よし)
「実を言うとね」
「ああ」
「私、本当は16歳なの」
  は再び、相当サバを読んだ。
 さきほど平手を食らわせた以上に罪悪感を覚えたのは、内緒である。
「昨夜は嘘をつきました。ごめんなさい。私、ここで頼れる人も他にいないし、猫から人間に戻すにはアッテンボロー提督がいなきゃ駄目じゃない? それで子供の振りをしていたほうが、その…」
「同情を貰えて放り出されないと思った、か?」
「その通りです」
 真実ではないが、嘘は言っていない。
 アッテンボローは、頭痛をこらえるように眉間を揉んだ。
「まあ、なんだ。別にお前の実年齢が10歳だろうが16歳だろうが、俺にはどちらでも構わない。むしろ、16歳だと知ってほっとしているくらいだ。心置きなく留守番はさせられるし、普通のお遣いや家事をやってもらっても不思議じゃない年頃だ。嘘をついたのも、状況から見て妥当な知恵だとも思う。俺はむしろ、お前に同情する」
「…本当?」
「どう考えても、諸悪の根源はあのジジイしかいないだろう。俺はあいつが猛烈に気に食わない。神様だか何だか知らないが、人の平穏な生活をぶち壊しておいて、嘘八百並べて行った奴だ」
 その点は深く心底から同意せざるを得ない だった。
 とはいえ、恨み言を並べても事態は好転しない。
  がいま切実に知りたいのは、猫から人間への変身の条件に関することだった。
「とりあえず、実験が必要だと思うの。私がいったん人間に戻って、また猫に戻るまでに10時間は保つことは、今日一日でわかったことだけれど、最初は10歳の姿で人間になって、今度は16歳でしょ。昨夜とさっきの変身に何か差はあったのか、もともと交互に変身する仕様なのか、人間の姿のままで、その、キスするとどうなるかとか、知りたいんだけれど。アッテンボロー提督には、本当にご迷惑をおかけしますが、どうか私の人生を助けると思ってご協力願えればと…」
「本当に俺のキスしか効果がないのか、という疑問もつけておいた方がいいだろうな」
「それは、私が人間として生きるにはキス魔になればいいと言われたような気分なので、検証は後日にしませんか。そもそも実験に協力してもらう相手もいないし」
「あてはある。俺の士官学校時代の先輩で、まあ、多少の迷惑はかけても構わないと思う。子供にキスされるくらい、どうってことないだろうし」
  の頭の中で、ピコーンと閃いた。
(その相手って、ヤンで間違いないよね。ヤンとキス。しかし人生かかってると純粋に楽しめないな)
 とはいえ、会話や触れ合いが出来るだけで、よしとしておこう。そうだ、そのような楽しみがなければ、半猫人間生活などやっていられそうにない。
 アッテンボローはといえば、猫を拾ったら色々と面倒がくっついてきたというのが本音だったが、基本的に面倒見は良い性格なので今更放り出す気にもなれなかった。それに最大の被害者は、 に違いないという事実に彼も気付いている。
 何はともあれ、あるひとつの言葉は暫くの間、 とアッテンボローの合い言葉となりそうだった。

 くたばれ、オーディン。


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