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半ねこ令嬢一月記03



 平時なら絶対に近寄ることのない、フリルがふんだんにあしらわれた明るい色合いの服が並ぶメルヘンな界隈に、アッテンボローは非常事態ゆえと覚悟を決めて突撃した。
「姪のプレゼントで…」
 などという尤もらしい言い訳を述べ、良いと薦められたコーディネートを幾通りか揃えた。
 アッテンボローには何人かの姉がおり、姪がいることも嘘ではなかったが、包装してもらったプレゼントの行き先は勿論そちらではない。それに本物の姪は、まだ5歳にもなっていないはずだった。
 可愛らしい花柄の紙袋と軍服という取り合わせに自分でもこれはないだろと辟易しつつ、アッテンボローは新たな同居人の待つ官舎の扉を開けた。
 出迎えてくれたのは、予想通り一匹の黒猫である。右前脚を挙げて、一声鳴いた。
「にゃー」
「おかえり、ってか?」
 足元に猫を纏わり付かせつつ、アッテンボローはリビングのソファへと荷物を降ろした。
「やっぱり猫に戻ったか」
 主を失ったシャツが、床に白くわだかまっている。
 ソファへ飛び乗り、次いでテーブルへと軽く跳躍して移った猫姿の は、あらかじめ用意しておいたメモをアッテンボローに示すため、前脚でぴしぴしと叩いて鳴き声を上げる。
「にゃ、にゃ!」
  が何かを伝えようとしていることに気付いたアッテンボローは、促されたとおり流暢な同盟語で走り書きされたメモを手に取った。
「なになに、一つ、変身の際には私がいいと言うまで目を瞑っていること、二つ、要求したら速やかに人間の姿にすること、要求は前脚を三度叩くことで合図する?」
 視線を向けると、猫に宿った はその合図をしてみせた。おもむろに横たわると、前脚を拍手するように三度打ち合わせたのである。
 まるで猫の芸を見ているようで、アッテンボローは口元を綻ばせた。
 その姿が、ひどく愛らしかったからである。
「ははっ、わかった、とりあえずは人間姿に戻って打ち合わせするか?」
  はそのままの姿勢で、先程と同じく三回、前脚を打ち合わせた。人間に戻せ、というのである。
「了解」
 黒猫をつまみ上げたアッテンボローは、これは傍から見たら猫と会話する可哀想な男だと思いつつ、昨晩と同じく猫の鼻先に口づけた。
 眩しい閃光が部屋を包む。
 メモにあったとおり目を瞑ると、腕の中の猫が重みを変えていくのを感じた。
(ん?)
 しかし昨晩とは明らかな違いを感じる。重いのである。それに何だかひどく柔らかだ。
「え?」
 呆然としたような、自分のものではない声が部屋に落ちた。
 その声も、昨日のうちに耳にしたそれとは異なる、滑らかな女の声だった。
「あれ?」
 アッテンボローは先程の約束を忘れて、好奇心に負けて瞳を開いた。
 黒い瞳と目が合った。
 思わずまじまじと上から下まで見下ろしてしまう。
 これは何だ。アッテンボローは思った。
 波打つ黒髪をたなびかせた、年の頃は16かそこらの少女がそこにいる。
 肩はまろやかな丸みを帯び、胸元も女性というのに相応しいふくらみを持ち、臍の辺りは処女雪もかくやというほど真っ白である。その下は…。
 一通りサーチを終えて、顔を上へ戻すと、泣き出しそうな女の表情があった。
(結構、可愛いな)
 二十歳にはなっていない、けれども十分な魅力を備えた体つきと、男心をくすぐる泣き顔。
 これで何も感じないのでは、男として終わっている。
 しかし暢気に観察している間に、少女の堪忍袋の限界点は振り切れてしまったようだった。
 みるみるうちに黒い瞳の淵に、ふるふると涙が盛り上がり、抱えた少女の腕が振り上げられる。
(やっべ…)
「あの、いや、その…」
「いやー!!!」
 しどろもどろで支離滅裂な言い訳しようとする声を発したアッテンボローの頬に、平手の一撃がクリーンヒットした。
 星が見えたのは気のせいではなかったように、アッテンボローには思えたのだった。
「ちょっと、目を瞑っててって言ったでしょ! 早く目を瞑って! 降ろして!」
「あ、ああ」
 要望に従って視界を閉ざし、アッテンボローが少女の体を手の内から解放すると、脱兎の如く気配は離れていった。
(あれって…誰だ?  か? そうなのか?)
 張られて痛む頬を撫でさすりながら、取り残されたアッテンボローは脳内に渦巻く疑問を考える。確かに黒髪黒目は共通している。顔立ちも、今朝見た幼い少女が成長したら、という雰囲気に思えなくもない。
 とはいえ、長い付き合いがある相手というわけでもないから、本人に尋ねるのが最善の選択だろう。
(猫から人間になる奴が、そうそういるはずもないしな)
 実は子供姿だったのがフェイクで、案外あの姿が にとってのノーマルな人間姿かもしれない。オーディンと名乗った怪しげな神の言葉も気になっている。以前に一度、同じように違う姿で飛ばされた云々とオーディンが言ったのを、彼は確かに耳にしていた。単純な推理だが、 は本来は物事の道理が理解できる年頃で、子供の姿となって帝国貴族となり(不本意ながら貴族をしているという旨の発言もあったはずだ)、そして昨日、猫となって同盟に現れたのではないか。
 幼い子供にしては は異常に賢いと感じていたため、アッテンボローはそのように結論を下した。
 猫が人間になることの不思議さなど、既に彼の中で消化済みであった。さらに、猫から人間へと変化する際に年頃が違う姿となり、そちらが本来の年齢だったからといって、自分には全く不都合はない。むしろ一人で留守番させても大丈夫かも知れない、と計算している程だ。
 切り替えが早くなければ、仕事の面でも、精神の面でも、まともに軍人稼業などやっていられない。
 アッテンボローは、机の上に置いたままのカラフルな紙袋を眺めた。あれが無駄になるのは、少し勿体ない、そう思いながら。



 


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