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半ねこ令嬢一月記02



 なんとか書類を提出に間に合わせ、アッテンボローはランチ時にざわめく食堂でほっと一息ついた。
 彼はこのとき、駆逐艦エルム3号の艦長として少佐の地位にあった。
 訓練や巡航警備、そして当然、戦争に赴くため艦を操り宇宙空間に滞在することもしばしばであり、地上勤務の割合の方が普段は少ないくらいだった。
 しかしヘンテコな猫人間を拾った時期は、幸か不幸か彼が艦長を務める駆逐艦は宇宙勤務の当番を終えたばかりで、この先に大規模な訓練や出征が急遽おこなわれない限り、少なくとも一ヶ月以上はハイネセン詰めになる予定だった。
 第六次イゼルローン攻略戦と第三次ティアマト会戦という大規模な衝突が二月と空かず起こり、おかげで書類仕事は山積みで戦闘から二ヶ月たった今も雑事に追われている。艦隊の再編制に伴う異動の確認や駆逐艦クルーの人事評価など、艦長という役職は暇ではいられないのだった。
(あー、あいつ、どうしよう)
 奇妙な成り行きで同居人を得てしまったアッテンボローは、食後のコーヒーを啜りながら半猫人間の少女を思い浮かべた。
 歳の割にはしっかりしているとはいえ、幼い子供を留守の多い家に放置するわけにもいかないし、自分はいつ何時、緊急事態が起きて戦場に駆り出されるかわからない因果な商売の軍人である。
 アッテンボローは早いところ新たな同居人を安心して預けられる相手に紹介しようと考えた。身元は遠縁の子供とでも言っておけばよい。問題は猫になってしまうことなのだが、猫として預ければよいかと考えながら、託児先の候補を思い浮かべた。
 あいにく彼の実家はハイネセン市内からやや離れた土地にあったため、実家以外の託児先として真っ先に脳裏に浮かんだのは、士官学校の先輩であるヤンとキャゼルヌの二人の顔だった。
 アレックス・キャゼルヌはオルタンス夫人とシャルロット・フィリスという生まれたばかりの子供の三人家族で、絵に描いたように幸福な家庭生活を営んでいる。たまに夕食に呼ばれて御馳走にありつくこともあり、アッテンボローは家族ぐるみで面識があった。女性であることに加えて幼い子供を育てているオルタンス夫人ならば、十歳の子供を預けても安心できるのではないか。
 そしてもう一方のヤン・ウェンリー宅はというと、キャゼルヌ家に比べれば子供の預け先としては少々不安が残るのも事実だったが、いざという時には頼れるだろうとアッテンボローは考えていた。
 ヤンはその生涯で今まで一度たりとも結婚宣誓書にサインをしたことがなかったが、現在は13歳の子供と同居している。トラバース法という戦争孤児を軍人家庭で養育するシステムによって、家事万能、運動神経抜群とヤンには不足した能力を兼ね備えたユリアン・ミンツ少年がヤン家の新たな住人となったのは、つい先ごろのことだった。彼のおかげでヤン家はほこりと雑然とした無秩序の巣窟から、快適な空間へと様変わりしたのだった。
(ヤン先輩なら、猫から人間に変身するって言ったら信じてくれそうだよな…)
 かなり柔軟な思考の持ち主であるから、多少の非科学的な状況にも適応してくれるのではないかと、彼は期待した。
 そうとなれば行動あるのみである。時刻はちょうど昼時でヤンもおそらく休憩時間だ。
 アッテンボローは通信機を操り、第一託児所候補へと連絡を取った。
 数回のコールの後、いつみても覇気の薄いまったく軍人らしくない表情の親愛なる先輩が画面に現れる。
「あ、先輩、アッテンボローです、いま話をしても大丈夫ですか?」
「やあ、アッテンボロー、大丈夫だよ。どうかしたかい?」
 28歳にして准将という異例の大出世を遂げているエル・ファシルの英雄は、のんびりと後輩の通信を歓迎した。
 士官学校時代からもう10年近くの付き合いである。わが身に降りかかった災難の片棒を背負ってもらうという迷惑を、心置きなくかけられる程度に互いに親交が深かった。
「実はちょっとご相談がありまして。明後日の土曜、非番ですか?」
「ああ、その日は休みだよ」
「それじゃ、先輩の家にお邪魔しても?」
「うん、構わないが…相談というけど、顔から邪念が滲み出てるよアッテンボロー。また何を企んでるんだい?」
「え、そうですか? いやいや、本当に困ってるんです。先輩じゃなきゃお話できないというか」
 そんなに悪巧みをしていることが分かる顔をしていたのだろうかと、アッテンボローは急いで取り繕った。ヤンは後輩の真意を測ろうとしたが、さすがにふ二言三言かわしただけでは優秀な脳細胞も真相にたどり着けず、降参とばかりに頷く。
「わかったよ、ユリアンに来客があるって伝えておくさ」
「ありがとうございます、先輩。うまいワイン持ってくんで。あ、ちなみに俺だけじゃなくてもう一人連れて行きますから」
「……まさかとは思うが、結婚するとかじゃないだろうね、アッテンボロー」
 相談、もう一人連れてくると聞いてヤンは思わず、すわ恋人の紹介かと早とちりした。後輩は彼より二つ下で、今年26歳になるはずだった。結婚してもおかしくない年頃である。
 だがアッテンボローは目を見開く彼の言を、一笑に付した。
「まさかですよ。俺は独身主義って言ってるじゃないですか。仮に結婚するにしても、まだまだ遊び足りないですからあと5年以上はする気ないですし。まあ連れて行くのは生物学上女には変わりないんですが……」
「それじゃ、なんだい、ただの遊び相手というわけかい?」
 いささか不道徳ではあるが、男女の付き合いとは双方の合意があればよいのかもしれないと、奥手なヤンも思うのだった。
「いえ、実は同居することになりまして」
 やっぱり、という表情でヤンはそばかすの浮いた後輩の顔を通信機越しにねめつけた。
「アッテンボロー、お前さん、そりゃ相手が誤解するんじゃないのか」
 窘めようとする先輩に、アッテンボローは悪戯っぽく笑って片目を素早く瞑って見せた。
「そいつ、まだ10歳なんですよ。先輩んとこのユリアンと似たような身分なんで、ご想像に沿えず心苦しいですが。ま、ちょっと訳ありですし、ユリアンとも友達になってもらえたらいいかな、とも思ってるんで、土曜日、よろしくお願いします。昼頃伺いますから。あ、すみません、ちょっと呼ばれてるみたいなんでこの辺で失礼します。それじゃ、また」
 そう言って、彼の後輩は忙しなく通信画面から消えた。
 ヤンにはアッテンボローの相談願いを否とは言えなかった。曲がりなりにも長い付き合いの後輩なので、どうせ何か厄介ごとにでも巻き込もうとしているのだろうと推測できたが、ある程度まではその厄介ごとを進んで引き受けてやろうと思うくらいには、ヤンも後輩を好んでいた。それに、なぜ少女と同居することになったのだろうかと訊ねたい好奇心もある。
 頭上のベレーを外して収まりの悪い黒髪をかきまぜ、帰宅したらユリアンに土曜日のランチに子供が好みそうなハンバーグでも頼もうかと、ヤンはそう思った。



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