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半ねこ令嬢一月記01



  奇想天外な成行きで独身主義のダスティ・アッテンボロー宅に居候することになった は、ひとまず基本的な情報を確認した。
  家の令嬢が10歳の時分は、帝国歴477年、宇宙歴786年である。その暦通りにアッテンボローの年齢を換算したら、いまだ17歳で士官学校生をやっているはずだった。しかし の目の前にいるアッテンボローの制服には、既にある程度の階級にあることがわかる階級章がつけられている。
 部屋に置かれていた日付表示付きの時計を確認し、 は呻いた。同盟領であるためそこに表示されていたのは宇宙歴だったが、そこには『794』という数字が浮かんでいた。
(未来ですか…そうですか。オーディンのやつ!)
  は昨晩あらわれた自称神に呪詛の言葉を投げつけ、気が済んだところで落ち着こうと努力した。
 まあ別世界へやってきたことに比べれば大して騒ぐことではない。その上、居場所まで移動してしまって周囲は初対面ばかりなのだから、未来だからって困ることはない。困るのは猫になってしまったことだ。
 その上、どうやらオーディンの言うことは信頼性が低いようだ。
 キスして5時間しかもたないはずの変身時間が、アッテンボローと同じベッドで眠って起きてもまだ人間の姿を保っていたことから、嘘だと発覚したのだ。

 けたたましいアラームに強制的に起こされたアッテンボローは、目の前に見慣れぬ子供の顔があるという状況に、がばりと飛び起きた。
 目覚ましの音にもめげず惰眠をむさぼっていた は、その余波でベッドから転げ落ちた衝撃に目覚めるという体験をさせられる羽目になった。
「な、な、誰だ……」
 云いつつ、アッテンボローは眠る前の物理法則を無視した非科学的神様の姿を思い出し、己の額をぴしゃりと打ちながら呻いた。
「って、夢じゃなかったのか……うあー最悪な寝覚めだぜ」
「お生憎様……現実です。逃避しないでください」
 打ちつけた腰をさすりながら は憮然とする。自分の顔を見て悪い寝覚めと言われるのは気分の良いものではない。
 加えて、夢であってほしいと切実に願っているのはこちらも同じなのだ。
「あれ、でもお前、時間がたてば猫に戻るんじゃなかったのか?」
「そういえば…5時間で戻るとか、言ってたよね」
 そして二人は昨夜の記憶を突き合わせて、眠った時間と現在時刻を見比べた。おおよそ7時間ほど経過している。
 寝起きのもつれた鉄灰色の髪をかき混ぜながら、変な居候を迎えることになった家主は呆れ声で言った。
「神様ってやつは、時間の計算もできないのかね?」
「さあ? とはいえ人間の姿で長時間いられるのは、私にとっては歓迎すべきことかも」
 偽情報を置いて行ったことに不信感は募るものの、とにかく人の姿を保っている時間がいまのところ7時間までは可能だということが証明されたのである。きっと他にも様々な条件があってこの変身があるのだろう。
 実験の必要があるかも、と が考えている間に、アッテンボローはベッドから飛び出して、それどころではないと急いで身支度を始めた。
 時刻は8時を回っている。早めに家を出てやりのこした書類仕事を完成させなければならないのだという。
 慌しく焼いただけのトーストをインスタントコーヒーで流し込む姿もまた貴重なシーンだ、などと考えている の内心を知らぬアッテンボローは、本日の予定を伝えてくる。
「とりあえず、今日は18時には上がれると思うんだが、適当にお前の服を買ってくるから、それから改めて買い物行くぞ」
 さすがに女児用の下着など買うことができないということだろうと は想像し、一も二もなく頷いた。
「適当にワンピースとズボンとカットソー、靴もお願いします。サイズはこんな感じ…たぶん」
 何しろ子爵家では特注のオートクチュール服を着ていたため、既製品のサイズというものがよく分からない。自分が十歳だった頃のサイズを思い起こし、適当に計算した足のサイズを記し、服の方は身長を基準にして買ってきてもらうことに決めた。
 メモを受け取ったアッテンボローは、目の前で未だパンを齧る を見て、眉根を寄せる。
「さすがにシャツ一枚は頂けないよな。お前、今日は猫姿で過ごしてくれ」
「ええー」
「お前がその恰好で見つかったら、俺は児童性愛者と思われる上に監禁虐待で牢屋にぶちこまれる羽目になるんだよ」
「外に出たりしないけど……わかった」
 さすがに前途有望な青年士官を不名誉な前科者にすることはできないと、 はその要求を呑むことにした。
(どれくらいの時間、人間でいられるかも調べなきゃいけないし、まあいいか)
「書斎以外なら好きに使ってくれ、という訳で俺は行く」
 ほとんど5分に満たない朝食を終えたアッテンボローが立ち上がったので、見送りをしようと は齧りかけのトーストを置いて後ろをついていく。だが玄関へと続く廊下へ出ようとしたところで、アッテンボローに止められた。
「待て、見送りはいらない。ドアを開けた時に見られるかもしれない」
 まことよく気がつく有能な青年士官である。
 かいがいしくアッテンボローを見送る図というものをやってみたかった は、少々残念な気がしたものの、明日以降にちゃんと服を着て実行すればいいのだと思いなおした。
「はーい、わかった、ここにいるから。いってらっしゃい」
「ああ……行ってきます」
 それでもひょっこり廊下に顔を覗かせて出ていこうとする軍服の背中を見ていたら、アッテンボローはドアの前で一度振り返った。手を振って追い払う仕草をするので、 は素直に頭をひっこめる。
 扉の開閉音に続き、がちゃりと鍵のかかる寂しい音が響く。こつこつと遠ざかる僅かにアップテンポの足音を聞きながら、 はひとり、アッテンボローの家に取り残されたのだった。




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