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ねんねこ令嬢一日記06




 書斎になんともいえぬ沈黙が落ちた。
 それぞれ、互いを伺う雰囲気。
 先に沈黙を破ったのは、 だった。居候になる身としては、挨拶の一つも先にせねばなるまい。
「というわけで、一ヶ月、よろしくお願いしますね、アッテンボロー提督」
 にっこりスマイルも付けてみたが、そのようなおまけなどで絆されるアッテンボローではなかった。
「何がよろしくだ。俺は猫を拾ったんだ。こんな子供を拾った覚えはない!」
「たまたま人間に変身できる猫だったんだから仕方ないですよ。諦めましょうよ」
「諦めるっていわれても……あー!!」
 急に叫び声を上げて鉄灰色の髪をがしがしと掻き混ぜたアッテンボローは、がくりと肩を落とした。
「どうしろってんだ、ったく…こんな子供を放りだすことなんて、俺には…でもなぁ、軍務がなぁ」
 なかなかに人情篤い青年である。いや、人権家というべきか。恨めしそうにこちらをみやった彼をみていると、大人の姿だったらつべこべ言わず放り出されていた気がする である。優秀な軍人は、物事の優先順位の付け方を間違わないものだ。
「大丈夫ですよ、私、一人でなんでもできますから。たぶん」
 放り出されてはかなわない(し、千載一隅のチャンスが勿体ない!)ので、 は手がかからない子アピールをしてみる。しかし子爵家では家事などさせてもらえる環境ではなかったので、些か不安はある。あちらの世界では家事炊事こなしていたので、できないことはないだろうという考えからの発言だった。こちらの調理器具に慣れてしまいさえすれば、料理はできる…はずだった。
 お貴族様の子供ができることなんてたかが知れてるんじゃないかという言葉が喉元まで込みあげたアッテンボローは、しかし望まぬ境遇に置かれて精神的な負担が最もかかっているはずの子供への態度として大人げないという自制により、皮肉の表現をようよう抑えた。かわりに口から出したのは、単純な質問だった。
「…お前、いくつ?」
「十歳」
(中身はプラス十歳ばかりですが)
 などとは、 も発言したりしなかった。猫が子供になり、その子供の精神が大人だなんて状況は、あまりにもびっくりすぎるだろ、という配慮のためである。
(大人の女とシャワー一緒にして色々見られちゃったとか、ショックすぎるよねー)
 先ほどの風呂タイムを思い出し、アッテンボローの精神的安定と我が身の安全のためにそれは黙っておこうと決めた だった。
 そんなこと目の前の小さな子供が考えていることなど思いもよらないアッテンボローは、十歳の割に落ち着いているな、と考えていた。
(いや、ヤン先輩のところのユリアンも十歳の時にはもうしっかりしてたっていうから、最近の子供はこんなものなのかもな)
 しっかりした子供が大量生産される社会。素晴らしいとばかりは言ってられないとアッテンボローは内心、暗澹たる心持になった。周囲に大人が少なくなったり、頼れないからこそ子供は早く大人になるものだ。自分が十歳の頃はもっと悪たれで、何でも好き放題していた。それは周りが大人ばかりで甘えていた部分もあったのだと、成人したアッテンボローは思うのである。
 黒髪の少女はただ自分を見上げている。
 お国の保護施設に入れることも考えたが、この少女は普通の身体ではない。自分が数時間おきにキスしなければ、猫になってしまう身の上なのである。
「猫と人間、どっちの姿が好きだ?」
「もともと人間だから人間の姿で生活したいなー、と思っておりますとも。カラスに追いかけられるのは二度と御免だわ」
「一ヶ月だけなんだよな」
「オーディンの奴に言わせれば、ね」
 こうして会話していると、なんだか一ヶ月ばかり子供と同居というのも悪くないかもと思えてきたアッテンボローだった。泣き喚き続ける子供なら御免だが、この少女はさほど手に負えない我儘娘という訳ではないようだ。
(拾ったものの面倒は最後まで見ろ、ってか)
 子供の頃、犬を拾って帰ったときの父親の言葉である。父親はいけすかない部分はあるが、その言葉には確かに同意するものがある、とアッテンボローは考える。
「お前、自分で飯作れるのか? 俺は面倒あんまり見てやれないからな」
「大丈夫! いざとなればパンさえあれば生きていけるから! えーっと他にも掃除洗濯もできるし!」
 ここが売り込み時だとばかりに は畳みかけた。
「えーっとあとは…寂しい時に添い寝してあげるから」
「あと十年育ってから言ってくれ」
「和める猫型にもなれますよーお兄さん」
 それはそばかす青年にとっては魅力的な提案だった。動物の類は嫌いじゃない。だから拾ってしまったのである。まさか人間の、しかも帝国の貴族の子供であることなど露知らず。
「他にアピールできるものは…うーん、うーん、あ、大昔の地球の歴史とか、よく知ってるよ」
 その言葉には、つい収まりの悪い黒髪をベレーに押し込んだ全く軍人らしく見えない先輩を思い出したアッテンボローだった。自分にとってはあまり興味がない分野だが、新たな話相手を彼は喜ぶかもしれない、と思いつく。そうだ、自分だけで面倒をみようなどと考えず、ユリアンあたりにも手伝ってもらえば良いのだ。
 そこまで計算し、アッテンボローは仕方がないと頷くことに決めた。せいぜい一ヶ月足らず、潤いの足りない荒んだ軍務生活にスパイスを加えるくらい、どうってことはないではないか。大昔の地球の歴史じゃなくて、銀河帝国の貴族の生活ぶりでも聞いてみればいいのだ。その辺には大いに興味がある。
「どうしようもないな。何の因果か知らないが拾ったのは俺だからな。仕方ないから面倒みてやるよ」
 参ったという風に手を振り、居候の住み込みを許可したアッテンボローに、 は飛び上って喜んだ。
「やった! ありがとう!」
「いろいろと家のことはやってもらうからな。やり方は教える。とにかく俺は忙しいから、あんまり構ってやらないぞ」
「構ってもらわなくても、私が構うから気にしないで」
 なんだかおかしいことを少女が言った気がするが、アッテンボローはややこしい問題を片付けた安心感からか、急速に睡魔に追い込まれていった。よくよく考えれば仕事に追われ、ここ二、三日ろくに眠っていないのだ。今日は仕事持ち帰りではあるが普段よりは早く帰ってこられたというのに、変な騒動に巻き込まれてしまって仕事さえ全て終わらせられていない。明日は早く起きなければ。
「ま、今はとにかく…」
「とにかく?」
 方針が決まればあとは即行動。
「寝るぞ」
「はあ、寝ますか…」
  はアッテンボローのあまりの切り替えの早さに、やはり優秀な提督ともなれば違うのだな、と変なところで感心した。
 追い立てられるように書斎から出され、案内されたのはベッドルームだ。
「生憎うちには予備のベッドなんかないんでね。そこで寝ろよ、俺はソファで寝る」
 そういって毛布を取って出ていこうとするアッテンボローを、 は慌てて止めた。
「え、ちょっと待って! 私が居候だし、体も小さいし、働いてないし、私がソファに行くから!」
 黒髪の少女がぴょんぴょん飛び跳ねながらベッドルームから出ようとするのを阻止する様を、アッテンボローは眠りに閉ざされつつある思考の中で見ていた。
「明日あたりにどうにかするから、俺はもう寝る」
 あくびが洩れる。ああ、明日は朝からミーティングだというのに、もう午前様だ。明日はベッドか何か、予備の寝具も買いに行かなければならない。
「いや、ほら、そうだ、オーディンも言ってたじゃん。私は5時間だっけ、それぐらいたてば猫に戻っちゃうんだから、ベッドはいらないよ」
「ん? それもそうか…そうか…」
 はたと気付き、アッテンボローは少女が猫でもあることに気付いた。猫ならば遠慮はいらないのではないかと、回らない頭は考えたのだった。
「んじゃ、寝るか」
 先程から寝る寝るとしか言わないアッテンボローが理解してくれたのかとほっとして毛布を受け取ろうとした は、しかし青年士官の腕に捕らえられて宙に浮かばされた。
「え?」
 一緒にベッドへダイブする。
(えーっ! 嬉しい! ってこれは喜ぶべきなのか、自分)
 猫に戻ってしまうと聞いてからベッドに連れ込んだアッテンボローである。つまりは を人間扱いしていない、という風にもとれるのではないか。
 もそもそとシーツに包まり、そばかす青年はもう何も耳に入らないとばかりに眠りについた。服も上半身裸にカーディガンを羽織ったままだ。一方の も相変わらずのシャツ一枚のそういう性向の人が見たなら垂涎の格好をしている。
(あーあ、どうしよ)
 抜け出すにも某ぐうたら少年並みの数秒で睡眠に入ったアッテンボローの腕は重く、小さな体ではがっちり捕らえている腕を外せそうにない。
「…ま、いっか」
 どうにでもなれ、と投げやりな気分で は諦めた。考えてみればなんとも嬉しいシチュエーションではないか。目の前にはアッテンボローの寝顔があるなんて体験、普通の女ならできない。少なくとも、自分が大人の姿だったなら見れそうにない、そこだけは断言できる気がする だった。
 そばかすの浮いた頬を眺めながら思考を放棄した は、眠りに入るまでアッテンボローの寝顔を充分に堪能した。まだ見ていたいと思いながら、そして の思考は今度は眠りの海へと落ちていった。


 こうして、 とアッテンボローの奇妙な共同生活は幕を開けたのだった。


...to be continue?



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