BACK NEXT 子爵TOP


天使のつばさ、悪魔のしっぽ
02



 領主様がかぼちゃを買い集めている。
 そんな風聞と幾人かの官吏たちが、実りの季節を迎えた子爵領を駆け巡っている頃のことである。
 ある青年士官は、今日も平和極まりない基地でつつがなく任務に当たっていた。
 本日は数枚の書類を決裁し、基地内を歩き回って風紀の乱れがないか確認し、食堂で素朴な昼食を取り、時間があったのでブラスタの手入れをした。
 何か突発的な事件など起きない限り、本日の彼にすべきことはもうなかった。この一年、思いつく限りあらゆる仕事を見つけ出してこなしてきたものの、彼の尽力によって軍務の手間は大幅に圧縮され、子爵領に駐留する帝国軍は局地的に限りなく健全な組織となっていた。
(平和であることは、喜ばしいことだ。軍人は暇なくらいが丁度いいんだ)
 そう言い聞かせてみるものの、このときの彼は閑暇より、仕事のやり甲斐という充足感を欲していた。三〇歳手前、人生の悟りを開くには早過ぎると彼は思うのである。
 きちんと整頓されたデスクに着席し、溜息を吐く彼の名をウルリッヒ・ケスラーと言う。
 本立てに並べた書物に手を伸ばそうとして、彼は思い留まった。暇に飽かせて分厚い軍法書や軍規を頭に入れるのも、彼はいい加減に辟易していた。自分が陰で「ケスラー先生」とあだ名されていることも知っている。軍法書を読み耽った結果、報告書の体裁や言い回しの間違いに気付くようになり、訂正を入れ続けたためだろう。
 栄えある銀河帝国軍において弱冠二五歳の時点で少佐の地位を得たウルリッヒ・ケスラーの経歴は、一般的には誇ってしかるべきものであった。
 彼は平民出身であったし、大した後ろ盾も持たずしての昇進には、彼自身の優秀さと相応の功績という裏打ちが存在した。士官学校同期生の中でも貴族階級の者を除けば、ケスラーは有数の出世頭に数えられる方である。しかし多くの場合、若さに見合わぬ地位を得た彼の現在の配属先を訊いた者は、羨望より苦笑を向けるだろうことも彼は理解していた。
 銀河帝国辺境星区、子爵領。そこは前線から遠く離れた帝国の辺縁であり、いたって平穏な代わり映えのない毎日が繰り返される地であった。
 ときおり宇宙海賊が周辺宙域に出没するものの、よく訓練された子爵領艦隊が哨戒しているお陰で帝国軍の出る幕はほとんどなく、赴任したケスラー少佐にも戦闘のために宇宙へ上がる機会はまったく与えられなかった。もとより手元に彼の乗る艦などなかったので、望んでも叶わぬことだったろう。
 時計の巡りを何度も目で追って一日を終えるのも苦労するものだと、ケスラーは失意と共に基地を後にする毎日である。
 平坦な軍務の合間にある休暇も、ケスラーは楽しむことができなかった。
 辺境だから娯楽が少ないということもあるが、楽しみの乏しい原因はきっと自分自身の心にあるのだろうとケスラーは理解していた。
「平和過ぎて、時折申し訳なくなるんだよ。自分はここでこうしていて良いのかと。ここは良い惑星だが、軍人にとっては気が緩みすぎる場所だな」
 外に目を向ければ貴族の暴虐に苦しむ民がおり、皇帝反逆罪の汚名を着せられ獄死する人間も居る。悪政と重税で食うに困る他の貴族領に比べれば、子爵領は辺境とはいえ銀河帝国の残された良心のようにもケスラーには思えるのだった。
 しかし、暇なのである。多忙知らずの定時勤務で命の危険もなく、給料も存分に与えられる軍務は、大方の人間には恵まれた生活のように見えるはずである。けれども彼は毎日なにをして勤務時間を潰そうと考えたくはなかったし、出来れば仕事に追われて自身の価値を再確認したかったのである。
「少佐さんは、とっても真面目なんですね。そんなに思い詰めておられるなんて」
 愚痴を真剣に聞き、慰めてくれる少女を見ていると、そんな我が身の情けなさが更に染み入るケスラーである。
 ケスラーは辺境への赴任前にオーディンで知り合ったシュトルツァー兄妹と、時折ともに過ごしていた。
 軍内では少佐という階級もあって交友が面倒になりがちなケスラーであったが、肩書きの絡まないシュトルツァー兄妹とは折にふれて会う――というよりは、彼らがしばしばケスラーを気にかけ、誘ってくれた好意を断らなかった結果の付き合いであった。彼らはケスラーを美味しいレストランや名所へと案内し、他愛ない世間話で気分を和ませてくれた。友人というには足りないが、赴任先の子爵領では数少ない知り合いの内の二人である。
「いや、これは単なる不平を吐いているだけだよ。要は自分は暇を嘆いているだけなのさ。他人から見れば、なんと贅沢な不平かと言われそうだけれど、どうやら自分は意外に仕事好きらしくてね」
「確かに、退屈という毒は人を殺す、かな」
 飄々と言ったのは、兄妹の兄にあたる青年である。
 ケスラーは、自身と同じく辺境に身を置く軍人であるレクス・シュトルツァーに尋ねた。
「君も、退屈で死にそうなクチかい?」
 黒髪の軍曹は肯定も否定もせず、ただ笑って応じた。
「少佐殿の場合は軍務そのものに意義を見出したい、そういう退屈でしょう。でも刺激を求めたくなる気持ちは理解できますよ。身体が鈍って仕方がないですから」
「そのうち手合わせしてくれないか、シュトルツァー軍曹。自分も机仕事ばかりで、規定の訓練はこなしているが運動不足の気がする。士官学校時代の方が、よほど走り回っていた」
「将校が走り回っては下士官の仕事がなくなりますって言われちゃいますよ、少佐さん」
「座っているのが仕事、という風にはなりたくなくてね」
 ケスラーは力なく笑う。けれども、何か真っ当な任務を見つけなければ、近い将来ケスラーは正しく前言を現実のものとすることになる。憂鬱な未来極まりないことだ。
 落ち込んでいる気分が伝わったのか、黒髪の少女はケスラーを励まそうというように明るい声を出した。
「でもきっと、これから嫌でも走り回ることになりますよ、少佐さん!」
「何がだい?」
「近々、少佐さんには沢山お仕事が降ってくると思いますから。これからはどんどん仕事が増えて、あの頃はあんなこと思っていたなあ、って懐かしく思う日が必ず来ます!」
「え、ああ、是非そうあって欲しいと思うけれど、この辺境で骨を埋める覚悟も一応は持って仕事をするさ。時間はたっぷりあるから、論文でも書こうかなんて…」
「大丈夫ですよ、少佐さんは大成します。行き着く先は憲兵総監、きっとそうです。だから少し待っていて下さいね」
 ケスラーは、この発言を気の優しい少女の冗談交じりの励ましと受け取った。
「どちらかといえば、艦隊指揮官として大成して宇宙艦隊司令長官となる夢の方が心惹かれるね。ここで、何か功績でも立てられたらいいのだが」
 明日は晴れればいい、その程度の気持ちでの発言であった。
 憂鬱な仕事話は忘れようと、ケスラーはお裾分けしてもらったクッキーを囓った。かぼちゃの味がした。


 そして数日後、整頓されつくした執務机に着席したケスラーの前に、ひとつの命令が与えられることになった。
「…私も、着なければならないのでありますか?」
 仕事が欲しいと思ったが、これが果たして軍人の使命であろうかとケスラーは自問自答したものの、命令であれば彼は遂行するのみである。
 彼は抗えぬ命令によって、犬の耳と尻尾をつけてパーティ会場の警備を行うことになった。
 これがウルリッヒ・ケスラー少佐の出世階段の第一歩となることは、彼自身も知らぬ運命の悪戯というものであった。


BACK NEXT 子爵TOP